第22話 侮辱と怒り

 街を歩くとき、ハルメリオは以前にも増して好奇的な視線を向けられることが多くなった。それは、レイがアンドロイドに敗北したという噂話が、既に人々の間で出回っているからだ。

 ウォルラインの大通りはいつでも人が賑わっている。今日も、朝の静まり返った神聖な空気に似合わず、大通りは商人たちの快活な客寄せの声が飛び交っていた。

 昼に比べれば人通りは少ないが、これからどんどん増えるだろう。人と人の間を縫うように歩きながら、ハルメリオは静かに顔を顰めた。今はとても快活な雰囲気に触れる気分ではない。そうでなくとも、元々大通りを歩くのは好きではないのだ。


「ブライトネス家の兄がやられたらしいな。アンドロイドに」

「フン、親が親なら子も子だな。第一部隊の隊長だろう? 何故組織もあいつ等を上に置こうとするのか」

「裏で金でも握らせてるんだろ。実力が伴わない役職に就こうとするからこうなる」


 通り際、二人組の男の会話が鼓膜を刺した。嘲笑混じりの言葉は見えない足枷となってハルメリオの歩みを止める。

 耳障りな陰口も、嘲笑も、レイへの侮辱も、全てが鬱陶しい。

 ハルメリオがそちらの方向に視線を向けると、口元をにやつかせた男達と目が合った。まさか、いつもそれらの言葉を聞き流していたハルメリオが反応するとは思っていなかったのだろう。不意を突かれた様子で、男達は驚愕の表情を浮かべる。

 実力が伴っていないかどうか、今この場で叩き込んでやったら、彼等はどんな反応をするだろうか。胸の内に沸いた乱暴な考えに従って、ハルメリオは男二人を鋭く睨みつける。

 魔法使いはプライドが高く、狡猾な生き物だ。自分よりも実力が上の者を認められる人物は少ない。だからこのような言葉を投げかけられるのは致し方ない。ブライトネス家の誇りを守るためにも、いち早く結果を残して周囲に認められる。そのために、ハルメリオは今までどんな屈辱にも耐えてきたのだが。


「馬鹿馬鹿しいな」


 ハルメリオが低い声で呟けば、男たちは「はあ?」と素っ頓狂な声を出す。眉間に皺を寄せたハルメリオは、そのまま、二人組の男達の前まで歩みを進めた。


「馬鹿馬鹿しいな、と言ったんだ。お前達の耳は飾り物か? 安物アンドロイドの聴覚パーツよりひどい精度だな」

「なっ……俺達を侮辱するのか!」

「妬みも嫉みも僻みも結構。好きなだけ妬んで嫉んで僻むと良い。だが、口ばかり動かして強く在ろうとしないお前達が俺と兄上を超えられるわけがないだろう。そんな現実に拗ねて、自分達の都合の良いように妄想するだけの日々は楽しいか?」

「取締部隊の隊員が、一般人を侮辱して済むと思っているのか! 一般人を守るのがお前たちの義務だろう!」

「俺はお前達の顔を覚えているぞ。物覚えがいいんでな。お前達、この前例のアンドロイドとの戦闘を前列で見ていただろう。俺が逃げろと指示をしても従わず、その癖に取締部隊の隊員の義務を語るなんて片腹痛いぞ」


 恥を知れ、と吐き捨てれば、魔法使い達の表情はさらに険しくなった。

 十年間、受け続けた侮辱に対する言葉を吞み込み続けた日々だった。ハルメリオはレイほど大人ではない。胸の内側に蓄積していた不満を消化しきれず、ついに爆発させてしまった。もしもレイが目を覚ましたら、そのことを叱られるかもしれない。

以前のハルメリオであれば、きっと今回も口を閉ざしていただろう。何故今更になって反論をしてしまったのか。

 自分でも理解し難い言動だった。その理由を考える内に、ハルメリオは自然ととある人物――否、アンドロイドを思い浮かべていた。

 メリーがこの場にいたら、きっとハルメリオよりも早くこの二人に噛み付いていただろう。戦闘中でさえ割り込んでくるほどだ。『言い返したら主人の立場が悪くなる』だなんてことも考えずに、彼女は男達に怒りをぶつけるに違いない。

 彼女のそんな、愚直なまでの素直さが好きだった。アンドロイドらしからぬ行動であることは理解している。けれども、ハルメリオはそんなメリーだからこそ、彼女を特別だと判断したのだ。

 だというのに、何故彼女はレイを刺したのか。

 いつから狙っていたのか分からない。最初から、シスルですら見つけることができない深い部分に攻撃的なプログラムが仕組まれていたのだろうか? だとしても、何故あのタイミングだったのだろう。もっと他にタイミングがあったはずなのに、メリーは唐突に牙を見せた。あんな、魔法使いだらけの場所で。

 メリーのことを考えると、鈍い頭痛がする。ハルメリオが急に顔を顰めて黙り込んだのを見て、男達は酷く不愉快そうな顔をした。


「この野郎!」


 男達の怒声に、通行人たちがちらほらと足を止める。魔法使い同士のいざこざと言えば、陰湿な皮肉のぶつけ合いだ。このように、声を荒げて揉め事になるのは非常に珍しい。さらに、その揉め事を起こしている人物は、現在町中の注目を浴びているハルメリオである。声に対する驚愕はやがて好奇心に変わり、野次馬は続々と増えていった。

 突然客を横取りされて、呼び込みをしていた商人達がやや不満そうな顔をする。しかしそれも一瞬で、商人すらも、ハルメリオと男の応酬を食い入るように見つめた。

 今にも殴り合いが始まりそうな空気が流れ始める。痺れるほど険悪な雰囲気の中、その声は唐突に降ってきた。


「あらあら、ハルメリオ様。こんなところで何をしてらっしゃるの?」


 カツカツ、と、誰かの音が大通りに鳴り響く。その人物の気品高さ、或いは、傲慢さを示すようなヒール音を聞き、ざわめいた野次馬達は一斉に左右に退ける。そうしてできた道を堂々と歩いてきたのは、わざとらしく澄まし顔をしたリベアルであった。

 ハルメリオは思わず顔を顰める。取り繕う余裕が無かったのは、この状況を見た彼女が何を言うかを真っ先に想像したからだ。


「この騒ぎ、まさかとは思いますけれど、第一部隊副隊長様とも在ろうお方が一般人相手に揉め事を?」

「…………」

「いけませんわよ、ハルメリオ様。ちゃんとご自分の立場をご理解なさらないと……ハルメリオ様?」


 彼女は最初、喜々としてハルメリオに批難の言葉を浴びせていた。しかし、ハルメリオが何も言い返さない様子を見て、徐々に眉を顰める。次第にはその嫌味が途切れ、その場には彼女の不審そうな眼差しだけが残った。

 ハルメリオとリベアルが顔を合わせて皮肉を言い合わなかった日は無い。しかし、今のハルメリオは彼女に何か言い返すだけの権利や言葉を持ち合わせてはいなかった。

 冷水をかけられたようだ。急速に冷えていく頭で、ハルメリオは必死に言葉を探る。


「……全く以てその通りだな」

「は、ハルメリオ様? ちょっと、どうなさったの」

「私情を持ち込んだ。すまない。罰は後程受けよう」

「あ、え? ちょっと、どなたかハルメリオ様に何か変なものを差し出さなかった? それともお熱? どうして貴方が私に謝るの、ちょっと、もう!」


 リベアルの動揺の声は、聴いた端から消えていく。最早ハルメリオに見えているのは、目の前のあたふたとするリベアルでも、軽蔑の眼差しを浮かべる男達でもない。

 彼女なら、メリーなら、きっとああやって怒っただろうに。

 そんな思考に取りつかれて、ハルメリオは意識を遠くにやる。謝罪にあるまじき態度だと自覚しながらも、それを止められる気配は一向にない。


「調子が狂います。誰よ、こんな風にしたの。ハルメリオ様が故障したハルメリオアンドロイドみたいなことになってる。ハルメリオ様は私に靡かないところが最高に憎くて可愛らしいんじゃない……」


 小声で何かを呟いたリベアルは、何処か不機嫌そうだ。一連の流れを見た男たちは、そんな彼女を『ハルメリオを貶める自分達の味方』と判断したらしい。勝ち誇ったように歯を見せて笑った彼等は、ハルメリオに対して様々な言葉を投げかける。


「一般人を脅す癖に何が第一部隊副隊長だよ、結局肩書きだけじゃないか!」

「お前も、お前の兄貴も、偉そうに道歩きやがって。アンドロイドに負けた魔法使いの一族なんだから、もっと背中丸めて歩けよな! 俺達にまでアンドロイドに負けるような実力が移ったら大変だからさぁ」


 まるで水を得た魚のようだ。最早自分と同じ種類の生物だとは到底思えないほど、意思疎通が困難である。

 ハルメリオは、無言でそれらの言葉を受け取った。頭の中で、メリーの姿を思い浮かべては消し、思い浮かべては消しを繰り返している。男達の言葉に割くだけの容量は、残されていなかった。

 罵倒やら嘲笑を聞き続け、リベアルは何処か冷めた眼差しになる。それから、盛大に溜息を吐くと、突然ヒールを地面に打ち付けた。


「お黙りなさい!」


 彼女の大声とヒールの音で、周囲は一気に静まり返る。この場には百人以上の人間がいるのに、それを感じさせないほどの静寂が、大通りを包み込んだ。


「大体は分かりましたわ。それ以上お口は開かなくて結構です。ご説明どうも有難うございました」

「と、突然大声出すなよな……びっくりするだろうが」


 不満そうな男の呟きを、リベアルは無視する。彼女の新緑を思わせる緑の瞳は、真っ直ぐにハルメリオを見据えた。


「貴方がお怒りになった理由はよく分かりました。しかし、私達は一般人を守るのがお仕事ですので。今後はお控えになった方が宜しくてよ、貴方のためにね。ハルメリオ様、血が上るとブレーキがかけられないお方でしょう?」

「理解している。申し訳ない」

「結構。それ以上反省は必要ありませんよ、手も出していませんし。それに、ハルメリオ様が大人しいとただの格好いい殿方で落ち着きませんから。私、貴方を呼びに来たのです。こんなところで時間を潰している暇はありません。少し急いでください、仕事が入りました」


 淡々とハルメリオに仕事を告げる彼女に、それ以上この件に触れようという意思を感じない。思うよりずっとあっさりとした嫌味だった。この件で一年中揶揄われるか、これを上層部に告げられたくなければ第一部隊副隊長の座を渡せとでも言われるかと思っていたのだが。

 そのあっさりとした対応に驚いたのは、ハルメリオだけではなかった。突然自分達の話が終了させられて、男達は「おい!」と怒声を上げる。


「俺達はコイツに絡まれたんだ。せめて土下座くらいしてもらわねぇと気が済まねぇよ」

「こんな奴が第一部隊の副隊長務めてるなんて信用できないしな。覚悟しろよ、お前がしたこと全部上層部に言ってやる! このままそこにいられると思うな! それが嫌なら泣いて詫びろ!」


 二人の男は、リベアルにそう強く訴えた。しかし、彼女はそれに鬱陶しそうな顔をするばかりである。そして憂鬱そうに呟いた。


「折角まとまった話をひっかきまわすのは愚か者の証です」

「はあ?」

「ごめんなさいね、私達、大事なお仕事がありますの。そろそろ飽きてくださる? というか、私が飽きたの。言葉が通じない人種を相手にするのって、アンドロイドを相手にするより疲れるわ」

「なっ、テメェ!」

「初対面の猿にテメェ呼ばわりされるほど、私落ちぶれていません」


 辛辣なリベアルの物言いに、男達は怒りで顔を赤くした。突然の罵倒に、周囲の見物人さえもがざわつく。

 公衆の面前で二度も取締部隊員に恥をかかされたせいか、男達はついに限界を迎えたようだ。男の片方が、大きく拳を振り上げる。そしてそれは、リベアルの顔面に目掛けて振り下ろされた。

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