第5話


 赤い髪の女の子が森へと歩いていく。その後ろ姿を見送る。

 着ているのは白い服に白いスカート。前と違うのは毛皮のチョッキを着ているところ。それぐらい。


 背中に伸びた血のような色の赤い髪の毛。

 まっすぐ歩いているつもりかもしれないけれど、身体は右に左にフラフラしている。

 手足は泥だらけ。裸足の足はかさぶただらけ。脛とふくらはぎはキズだらけ。あれじゃ破傷風になってもおかしくない。

 右足を少し引きずっていて、膝が痛いのかも。左足の足首には鉄の足枷、そこから伸びた鎖が歩くたびにチャリチャリと音を鳴らす。


 森に行って死ぬつもりだろうか。

 死地に赴く人間は見たことがある。命を捨てて僕に挑んできた人間の剣士とやりあったこともある。

 人間のわりになかなか強かった。

 なんだか潔くて格好いい奴だったから殺さないようにしてやっつけたけど。

 だいたい半殺しくらいで。


 でもそれとあの女の子は違う。なんだかモヤモヤしてムカムカする。

 こういうのは、はっきりさせないと気分が悪い。


 ズンズンと歩いて女の子を追い抜いて、尻尾で通せんぼする。

 足を止めて僕を見上げる女の子に聞いてみる。


「森に行ってどうするか、聞いてるんだけど?」

「どうなるかは、わかりません」

「どうなるか、じゃなくてどうしたいのか聞いてるんだけど?」

「私が、ですか?」

「他に誰がいるっていうのさ」

「私がどうしたいのか、聞いてどうするんですか?」

「気になったから聞きたいだけ。森に行って飢え死にしたいの? 熊に襲われて食べられたいの?」

「そんなこと、わかりません」

「わからない? 自分が死にたいか生きたいのかわからないの?」

「わかりません! もうわかりません! 偉大なドラゴン様ならいろんなことを知ってるんでしょうけど、私にはもう、自分が生きていたいのか死にたいのかもわかりません!」

「ちょっと長生きしてても僕は全知全能じゃないし、ドラゴンの中では若僧だ。知らないことはいっぱいある。だけどね、わからないまま死んじゃったら永遠にわからないままだよ。弱肉強食が世の常、それが世界のことわり。それでもどんなに小さくて弱い生き物でも死ぬ直前までは必死に生きようとするんだ。君のそれは違うだろう?」

「お父さまとお母さまに助けられて、代わりにふたりとも死なせて生き延びたけれど、私がひとりで生きて何ができるっていうんですか? 私が何をすればいいっていうんですか? あのとき一緒に死んでいたほうが良かったのかもしれない。生きたいと思って、死にたいと考えて、もう悩むのにも疲れて、疲れてしまって、私にはもう、自分の気持ちもわからない!」

「だったらわかるようになるまで考えてみるしかない。だいたい人間は寿命が短いから急がなくてもすぐに死ぬ。それがドラゴンの年寄りみたいに、おのずからしからずばめぐりて帰るなり、なんて悟って死を受け入れるなんてできるわけ無いだろう」

「でも、村にも戻れない。戻っても食料は無いんですよ? 私のために村の誰かが代わりに餓えて死ぬのはいやです」

「まだそこまで考えなくていい。わからないなら、わかるところからひとつずつ解決していこう。いきなり派手で大きな複雑なカラクリを作ろうとすると失敗する」

「はあ?」

「梃子の原理、滑車の原理、ひとつずつ理解して組み合わせて動作を確認してこそ、確実なものができる。そこから無駄を省き、効率的な改良ができてこそ、機能美へと到達する」

「あの、ドラゴン様の言ってることが、わかりません」

「だから、わかることからひとつずつ、だよ。まず君は足をケガをしている」

「そう、ですね」


 僕は女の子を両手で持ち上げて洞窟に向かう。


「あ、あの」

「持ち上げてみてわかったけど、寒いのかい? 震えている」

「はい、寒いです」

「自分が寒いって感じてるのは、わかってるんじゃないか」

「え?」


 なんとなく胸に抱いてみる。ドラゴンの体温でどれくらい暖められるかわからないけど。

 洞窟の中まで運んで作業机の上のものをどかして、そこに女の子を座らせる。


「あの、何を」

「寒いのなら暖めないと」 


 机とか作った残りの乾燥木材を、手でバキバキと折って竈に入れて、口からプウッと火を吹いて竈に火をつける。


「きゃ」


 いきなり火を吹いたのを見て驚いたみたい。洞窟の中だけど金属加工で火を使ったりするので、煙は入口の方に逃がすように天井には溝を掘ってある。


 火のついた木片を持って作業机の隅のランプに火をつける。

 洞窟の中は暗い。でもこれで人間でも見えるようになるだろう。暗闇でも見える僕には問題無いけれど、細かい作業のためにランプを作ったのが役に立ったか。


 洞窟の中が明るくなって回りが見えるようになったからか、女の子は少し安心したように見える。

 次に皿に水を入れて作業机の上に置く。

 ドラゴンサイズの皿だとこの女の子が入ってしまえそうだ。


「これで足を洗って」

「は、はい」


 女の子は言われるままに足を皿の中に入れて水につける、顔をしかめる。


「う、しみて痛いです」

「僕の手で洗うと爪で引っ掻いてキズつけそうだ。その足枷はなんで外さないの?」

「カギのところが壊れて、開かなくなってしまいました」


 僕の手で引きちぎってもいいんだけど、無理すると女の子の足の方が壊れそうだ。

 足を洗っている間にヤカンに水を入れて竈にかける。

 足が綺麗になったところで、


「動かないで」


 足に治癒魔法をかける。生物の治癒能力を高めるわけで、くっついてる雑菌とかバイ菌まで元気にしたら違う病気になりかねない。


「魔法、ですか。キズが、無くなっていきます」

「驚いてるけど、こういうの見るのは始めて?」

「はい。こんなに早く治るものなんですか?」

「ドラゴンだから、人間よりは魔法の扱いは上手いはずだよ。どんな感じ?」

「キズのあったところが、ムズムズします」

「治りたてだからね、引っ掻かないように」

「あの、ありがとうございます。ドラゴン様」

「ユノン」


 女の子はキョトンとしている。


「ドラゴン様でもべつにいいけれど、僕の名前だよ。白鱗銀角のユノン」

「ユノン様」

「様は外さないんだ? で君の名前は?」

「スゥハ、です」

「スゥハ。歳は? 家名とかは?」

「14歳です。家は無くなりましたから、もう家名はありません」

「ふぅん」


 村のことでも聞いてみようとしたら、

 くー、と音が鳴る。スゥハのお腹のあたりから。

 スゥハはお腹を押さえて俯いてしまう。


「スゥハ、お腹空いてるの?」

「……はい」

「いつから食べてないの?」

「昨日、森の中でベリーを食べました」

「他には?」


 スゥハは黙ってなにも答えない。


 わかることからひとつずつ解決していこう。これは僕が言ったこと。口にしたからには有言実行するべき。


「なにか食べ物を取ってくる」


 だけどその前に、ヤカンのお湯を湯飲みに入れる。その湯飲みに砂糖を入れて溶かしてよく混ぜてスゥハの隣に置く。


「これでも飲みながら待ってて」


 僕がいつも使ってる湯飲みだけど、スゥハの隣に並べて置くとスゥハの膝くらいの高さがあるから飲みにくいか。かといって都合のいいサイズのものも無いし。


 洞窟の外へと歩きながら考える。スゥハのサイズの湯飲みを作ってみようか。

 先に食料集め、でも食べるとなると食器も必要になる? 内臓の弱い人間は生で食料を口にするとお腹を壊す。調理道具も必要か?

 洞窟の外に出て翼を広げて空を飛ぶ。

 森で果実、川で魚でも取ってくるとしよう。


 あれ? なんで僕がスゥハのめんどうを見る流れになったんだっけ?

 なんでこうなった?

 相手は小さい人間の女の子。

 人間なんて弱くてすぐに死ぬくせに、無謀で理屈に合わないことをする生き物。

 言葉は通じても根本の考え方の違う生き物。それなのに。

 なんでこんなに気になってしまった?


 スゥハ、どうも他の人間よりは頭は良さそうだけど、知恵と精神のバランスが崩れているようだ。

 狂っているわけではない。でもその手前、狂気の寸前に立ちすくんでいるような。死にとりつかれているような。

 人の感情をドラゴンの感情と比較しても、合っているかどうかは不明でよくわからない。

 わからないことはハッキリさせないと気分が悪い。

 この世の全てが理解できるわけでもないことは知っている。僕にはわからない分野があることも知っている。

 絵画とか途中で投げ出したものだし。


 ただ、スゥハのことが妙に気になる。

 見てると話してるとなんだかモヤッとしたものを胸に感じた。

 なんだろう? これは。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る