第4話


 森の中に鳥の鳴き声が聞こえる。

 目の前にはしゃがみこんだ人間の女の子。

 あたりには薄くオシッコの臭いが漂う。


 今にも泣きそうな顔した女の子が、私を贄にしてくださいと言ってオシッコを漏らしました。

 なんだろうこの状況?


「僕は村を襲わないし、生け贄とかいらないから。君は村に帰ってドラゴンがそう言ってたと村の人達に伝えなさい。じゃ、帰って」


 言うだけ言って洞窟の中に帰ろうとする。


「あ、あの」


 赤い髪の女に呼び止められる。


「か、帰れません」

「なんで?」


 振り返って女を見る。女の姿をよく見てみると、裸足の足首に枷がついている。

 足枷からは鎖が伸びて女が座ってる輿に繋がっている。

 生け贄が逃げられないようにしてる訳だ。人を一人食べたらドラゴンがおとなしくなるって、本気で考えているんだろうか? まったく。

 はぁ、ため息ひとつついて女のところまで歩いていく。


「足、出して」


 と言っても女はすくんで動けないみたい。花束を胸に抱き締めて固まってる。

 女をキズつけないように気をつけて、鎖を爪で摘まんで引きちぎる。


「ほら、これで帰れるでしょ。じゃ、村に帰って」

「は、はい」


 女は立ち上がろうとして手をつく。でもペタンと座り直す。


「あれ?」


 女は両手をついて立とうとして、またペタンと座る。


「ん、」

 ペタン

「んー」

 ペタン

「んー!」

 ペチャン


「…………なにやってんの?」

「……立てません。腰が、抜けたみたいです」


 ひゅうと風が吹く。

 今日は本当にいい天気だ。

 空が青くて、雲は白い。風は穏やかで雲の動きものんびりと緩やかだ。たまに冷たい風がぴゅうと吹く。

 空を眺めて、森を見る。少しずつ冬に近づいていく秋の森。動物たちは冬ごもりの準備を始めるころだろうか。この辺りはどのくらい雪が降るんだろう? 大きな木々がどっしりと生える森は、見ていると気持ちが穏やかになる。少しイラッとしていたけれど、落ち着いてきた。

 しばらくぼんやり景色を眺めて、


「そろそろ立てる?」

「あ、あの、ちょっと待って、ん」


 ペチャン


 立とうとして手をついて、足に力が入らないみたいでもがもがしてる。

 あー、もー、めんどくさいなー。

 人間の女を両手で持つ。脇の下に右手と左手を入れて、胴体を両手の平で包むように持って。


「飛ぶよ」

「ひぃ? ひゃああああああ!」


 うるさいなー。


 空を飛んで男達が下りて行った方向に飛ぶ。人間の女はきゃーきゃーうるさかったけれど、叫び疲れたのか慣れたのか、そのうち静かになった。

 しばらく飛ぶと森の中に川が流れているところがある。その川の近くには廃墟になった村がある。

 手に持った女に聞く。


「どこに村があるのさ?」

「こ、この近くです」


 廃墟の村の上空から見ると、家はほとんどが壊されている。人がいるようには見えない。これで近くには人が住んでいないと思ってたんだけど。

 女が指差す方向へと進路を変える。


「税が重くてこの村を捨てて、森の中に隠れて住む集落があります」


 それは見つからないわけだ。女に聞いて川の上流の方に飛ぶ。

 匂いを頼りに探すと、なるほど、人の集まるところがあった。上空を素通りしてから、離れたところで女を地面に下ろす。女はよろけながらも、なんとか自分の足で立つ。

 僕があの村に下りたら、まためんどくさいことになりそうなので。


「ここからひとりで村に帰れる?」

「はい。このあたりにはキノコや木の実をとりに来たことがあります」

「そう、じゃ、さよなら」


 飛び立とうとすると、


「あ! あの、ドラゴン様」

「なに?」

「初めて、空を飛びました。素敵でした」

「……そう」


 今度こそ飛び立ち住み処に帰る。

 変な人間の女の子だ。


 ちょっと言葉が通じたところで、人間とドラゴンは違う生き物。

 互いに関わりあわないように生きていくのが自然で、互いに幸福だろう。

 問答無用に攻撃してくるのよりはマシだけど。

 もう会うことも無いだろう。

 素敵でした、なんて初めて言われたからちょっと驚いたけどさ。

 ヘンな子。


 もう会うことも無いだろう。

 三日前にはそんなことを考えていたときもありました。


「あの、ドラゴン様? いらっしゃいますか?」


 僕の住み処の洞窟の入口。そこから中を覗く赤い髪の女の子がいる。

 なんでいるの?

 また来たの?

 僕はその背後からこっそりと近づく。

 今回はこの女ひとりのようで他に人間はいない。

 洞窟の入口の岩に手をついて、暗い中を覗きこんでいる。


「あのー? ドラゴン様ー?」


 はいドラゴンです。ここにいます。

 君の真後ろにね。

 まだ気がついてない。

 その後頭部を爪でピンと弾いてやりたくなる。


「いなくなっちゃったのかな? もしかして人に住み処を知られたら移動しなきゃいけない、とかあるのかしら?」


 そんな決まり事も習性も無いけどね。ドラゴン討伐隊とか送り込まれるとめんどうだから、移動することもあるけど。


「奥にいて聞こえないのかしら? 黙って入ったら怒らせてしまうのかしら」


 耳はいい方だから聞こえるよ。君のボソボソとした独り言も。

 発明に集中して無ければ、それなりに気配には敏感な方だと思うよ。


「住んでるおうちに黙って入るのは失礼よね。出てくるか、帰ってくるのを待ちましょうか」


 僕が他所に引っ越してたら何日待つつもりだい?

 まぁ、礼儀を知ってるところは良しとしておこうか。


 赤い髪の女の子は振り向いて、真後ろにいた僕を見つける。


「ひゃうっ!」


 息を飲んでヘンな声を出してペタンとその場に尻餅をつく。

 野生動物でもいきなりわっと驚かすよりも、視覚の外からギリギリまで接近して相手に気づかせた方が驚愕は大きい。

 野生動物だとこれで信じられないようなジャンプ力を見せたりする。

 人間は少し反応は違うようだ。

 実験としては成功だろうか。


 座ったまま口が回らなくて、あうあうとか言ってる。

 落ち着くまで少し待って、


「なんでここに来たの?」


 聞いてみる。


「あの、ドラゴン様が本当に村を襲う気が無いのか、見に来ました」

「はぁ、で?」

「もしもドラゴン様が、お腹が空いたと村を襲うようなら、それを村に伝えようかと」

「あのね。仮に僕が『よし、これから村を襲って夕飯は人間にしよう!』と決めたとしよう」

「はい」

「ここから君と僕がよーいどん!でスタートして、君は僕より早くあの村にたどり着けるのかい?」


 女の子は少し考えて、


「無理、ですね」

「そうだよね。なので君がここで僕を見張ってもなんの意味も無い。村に帰って二度とここには来ないように」

「村には、帰れません」

「なんで?」

「今年は不作でした。村の人達みんなが冬を越せるだけの食料がありません」

「この森は豊かに見えるけど?」

「この森には来魔クマが出ます。そして冬は雪に閉ざされて厳しいのです」


 来魔クマ、古い言い方だけどたぶん熊のことだよな。


来魔クマの他にどこからか流れてきた魔狼の群れが森に住み着いて、森は危険になり猟も難しくなりました。果物やキノコなどをとりに森の奥に行くのも、来魔クマに襲われる怖れがあります」


 あ、あの魔狼の群れか。人間から見たら危険に見えるか。それに熊は人を食べるだろうし。


「今の食料で冬を越すために、年寄りは何人か山に捨てました。子供も売れそうな子を何人か街に売りました。私はこんな顔ですから売り物になりません」


 女の子の顔には刃物で切られたようなキズがある。額から左目を通って頬にかけて。濁った灰色の左目は、視力はほとんど無さそうだ。

 限られた資源で生き延びるためには、甘えも弱さも許されない。それが自然の厳しさ、か。


「私達の村は国から離れて、来魔クマのおかげで徴税する役人も来ませんから他の村よりはマシです。この冬の餓死者は近隣の村よりは少ないでしょう。それでも余分な食料などありません」

「村を生き延びさせるために、君は捨てられたということか」

 

「私はあの村に助けていただきました。本当ならとうに死んでいた身です。身体も丈夫な方では無くて、農作業も狩猟も上手にできません。ドラゴン様がこの山に来たときに、村で生け贄を捧げてこの村を守ろうという話が出ました。私はそれに手を上げました」

「自分から食べられようって?」

「はい。これで食い扶持がひとり減り、私も村の人達に恩返しができるかと」

「ふぅん」

「なので、私は村に帰ることはできません。ドラゴン様の言葉は村に伝えました。二度と贄を村から出さないようにと、贄は私ひとりで十分だと」


 いや、君もいらないんだけど。

 食べないと生きていけない生物はたいへんだなぁ。


「それで、ドラゴン様。私を食べませんか?」

「君は食べられたいの? ただの自殺志願者?」

「冬の森で餓えて死ぬか、来魔クマか魔狼に食べられて死ぬ身です。ドラゴン様のような強く美しい者に食べられて、その血肉の一部になる。それは私にとって良い死のように思えます」

「あのね」

「はい?」

「僕が君を食べて、それで僕が『あれ? 人間の娘って美味しい』とか言い出したら、この近隣の村の人間の娘を襲って食べるドラゴンがここに誕生するかもしれないでしょ」

「あ、それは困ります」

「それに僕は君を食べる気はない。やせっぽちで小さくて食べるとこも無いじゃないか。君を食べるくらいなら猪とか熊とか獲ってきて食べるよ」

来魔クマも食べてしまいますか。ドラゴン様は凄いですね」


 うん違う。今はそんな話じゃないよね。

 さてこの子の事情も解った。僕が食べないなら村に帰れず森の中にひとりで行くと。

 そこで飢え死にするか他の獣に食われて死ぬと。弱肉強食は世の常でことわりでもある。

 どうしたものか、なにか釈然としないものがある。なんだろ? なにか違う。なんだかモヤモヤする。


「私はドラゴン様に食べてはもらえないのですね。わかりました」


 女の子は立ち上がって歩き出す。


「どこに行くの?」

「森に行きます」

「森に行ってどうするの?」


 女の子は振り向いて、ぺこりとお辞儀をする。

 なにも言わずに振り向いて森に向かって歩いていく。

 少し右足を引きずって、裸足のまま。

 左足の足首の足枷から伸びた鎖が、歩くたびにチャリ、チャリと音を鳴らす。


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