Real Real Real
🐼
Episode 1
「好きだよ」
街中に響く自分の声に思わず耳を塞いだ。この手の仕事は慣れていたが、いざ実際に視聴者の視点で見ると恥ずかしくて叶わない。
「わぁっ! 中野有!」
突如として叫ばれた自分の名前に驚いたが、それはやはり大きく画面に映し出された自分に対してだった。
「ナカノアリ? 誰? アイドル?」
「そう! リアライズの!」
「もしかして3日前の歌番組に出てた?」
「そうそれ! その4人組のリーダー!」
隣を歩く女性が興奮して飛び跳ねているのを見て、素直に喜べなかった。白い息を吐き出して空を見上げた。星どころか月も見当たらないようなその空に、寂しさを感じた。
── こうして隣にいるのにな
思えば[
大学を中退してから本格的に俳優のようなスケジュールになって、歌に演技に大忙し、という具合だ。街中を気軽に歩くこともなくなり、慣れているはずの道を歩いていても、どこか見知らぬ街に迷い込んだかのように感じてしまう。
── ありがたいことなのに
仕事を貰えることは、本当にありがたいことだ。無名のアイドルグループで終わる可能性だってあった。それを拾い上げてくれた世間には感謝している。それがあって、今の衣食住が成立しているから。
その一方で、昔と比べて人との繋がりが減ったことだけが有を不安にさせた。よく有の母親は「情けは人の為ならず」と教えた。他人に優しくすると自分に返ってくる ── そんな都合のよいことがあるのか ── らしいが、優しくする相手もいないのだから仕方がない。
「ただいま」
タワーマンションの高層階は少し寒いような気がする。ずっと前に住んでいた住宅街にあるマンションはもう少し暖かくて ── 思えばそれは人との繋がりから感じる暖かさかもしれないが ── とても居心地がよかった。しかし今では、この寒さが1人であることを感じさせる心地よさなのだ。その自分の変化が、有を酷く嫌な気持ちにさせた。
── 今日もいないの……
もう「おかえり」の代わりに返ってくる沈黙にはすっかり慣れた。去年の冬くらいから、何時になっても帰ってこなくなった彼 ── 仕事での立ち位置としては相方 ── を心配する毎日だった。
この部屋には、
有と透は同じ大学だった。学部は違っても仲良くしていたので、夕食を共にすることも何回かあった。透は有にだけは心からの笑顔を見せている気がした。それが堪らなく嬉しかった。デビューする時に「それなら同じ部屋に住めば」と事務所から強引に話を通された時でさえ、少しでも透のことが分かれば、という気持ちで快諾した。断ったところで ── リアライズが所属している事務所は透の父親が経営しているから ── きっと親心もあってのことだ、どうにか説得されるに決まっている。
「ありあり、忘れ物。気をつけて」
「あっ! 本当だ……ありがとう」
仕事が忙しくなり始めた頃は、少し抜けている有をよくサポートしてくれた。お気楽なキャラクターから何も考えていないように思えても、なんだかんだ透が1番しっかりと周りを見ている。
「有! 次の月9ドラマ決まったんだってな! すごいじゃん!」
有の仕事が決まって帰ると、玄関先まで駆けてきて祝ってくれた。自分以外に親友 ── と呼んで怒らないと信じている ── がいないとは信じられないくらい人懐こい。時には有を褒めちぎったり、甘やかしたり、本当に人の心を掴むのが上手だ。
「有のこと大好きだ」、「早く帰ってきてね」、「あんまり他のヤツと親しくなりすぎんなよ」 ── 時には独占欲まで垣間見えるその言葉も、有とっては嬉しかった。だからこそ、どこまでが本心なのか分からなかったことだけが、とてつもなく怖かった。そう思っていた矢先、半年前くらいから家に滅多に帰ってこなくなった。あると分かっていた落とし穴に落ちたような気持ちだった。
── やっぱり……
でも今日は少しだけ、いつもと違った。小さな紙切れを見つけたのだ。部屋の電気を明るくして、眩しさに目を細めた。ぽつりと乗せられた白は、そこが凪いでいることを示すように存在を主張していた。手に取ると、走り書きのとても綺麗な字だった。
飲みに行く ご飯いらない
そこのコンビニに
この前の雑誌あったから買っておきました
連絡過疎において彼の右に出る者はいないだろうが、その彼でも事務所から呼ばれたらしっかり連絡を入れるのか。妙なところに感心させられた。
実際のところは、透は滅多に家に帰ってこない。歌ではなくダンスを得意としているからこそソロの仕事も少なく、元から有のように多忙なスケジュールをこなせる方ではない。夜はどこかにふらふらと出向いては、朝になる頃にふらふらと帰ってくる。
本当は一緒にいたいのだ。透にそれを素直に言えたらどんなに楽か ── そう思う。
ふと、自分が好きなアイドルがメンバーを好きだったらどう思うだろうと考えた。いけない、と両頬を叩く。自分はアイドルなのだと言い聞かせるように。
ソファに「人」型に開かれた雑誌を裏返すと、自分の顔が大きく載っていて顔を顰めた。そして見出しに目を通して、眉間に皺が寄った。
── よりによって……
『もうすぐ2周年を迎える[ Real!ze ]センターの中野有にインタビュー! 人気アイドルの好きな女性のタイプとは? 独占取材』
この雑誌だったのか、と落胆した。自分の活躍を見てくれることは嬉しいが、好きな女性のタイプなんて見て欲しくなかった。
『中野 : 僕は嫉妬深い方なので、どこかに行く時は必ず連絡をくれたりだとか、一途な方が好きです(笑)』
── 嗚呼……なんてことを……
インタビューに上の空で答えている様が想像に容易く、苛立ちを覚えた。透のことばかり考えて墓穴を掘っているのはお前じゃないか、これを透に読まれてどうする。「容姿端麗」、「顔面偏差値トップクラス」、「歌唱力も優しさもピカイチ」など身に余る褒め言葉はたくさんあった。それでも後悔に押し潰されそうになる。
珍しい透からの手紙 ── 実際は取っておく価値はなさそうなメモ用紙なのだが ── を拾い上げると、裏側にもメッセージがあることに気がついた。読んで、思わず顎に手を当て微笑んでしまう。
ちゃんと抑制剤しっかり飲んでね
── ちゃんとしっかりって……
どれだけ気合いを入れて僕に薬を投与するつもりなんだ、コイツは。でも嬉しかった。他人の
そう思って、また胸の奥が痛くなった。心臓を抉るような痛みに、傷口から不安が流れ出す。今までのように視聴者に隠して生きていくことは難しいのかもしれない ── 槍玉に挙げられる未来を想像して震えた。怖い。透や他のメンバーとステージに立てなくなる未来なんて、要らない。怖い。怖い。怖い。
震え出した指先でポケットの中を探って、銀のシートから2錠、水なしで飲んだ。もう2錠、そのまたもう2錠、気が付けばシート1枚分の抑制剤がなくなっていた。
「何、やってるんだ。僕は……」
駄目だと分かっていても手が止まってくれなかった。急いでシャワーを浴びた。何も考えられなくて、冷水で洗った。身体の震えが自身の内面的な問題か、それとも寒さからか、分からなかった。そのうち顕れるであろう副作用を恐れてすぐに浴室を出た。明日がオフであることを確かめて、少し安心してソファに深く腰かけ頭を抱えた。
自分が生まれてきた意味は大きいと思っていた。オメガでもアルファと対等に生きていけるところを見せてやりたいと思っていた。自分のやりたいことを、やっていいんだと、ずっとそう思っていた。どうしてこんな僕を産んだの、お母さん。僕をアルファにも、ベータにも、それどころか普通のオメガにも産んでくれなかった。あなたが憎い。── 混濁していく意識の中で、青空に飛んでいく白いモンシロチョウを見た気がした。
アルファによく似た、オメガの物語。
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