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くしゃみマシーン

眼を瞑る

 深夜のホームに、最終電車を知らせるベルがけたたましく鳴り響く。私は一週間分の疲労を溜め込んだ両脚をどうにかこうにか動かして、狭い改札をすり抜け、階段を駆け下りる。ドアが動き出そうかというその瞬間、間一髪で電車内に体を滑り込ませることに成功すると、目の前の空席に倒れ込むようにして座る。斜め前に座っていたサラリーマンに怪訝な視線を送られたのを感じながら、私は大きく息を吐いて、目を閉じた。

 特に何を頑張って生きているわけでもない。ただ周りと同じように一人の大学生として当たり前のことをこなして、ご飯を食べて、寝て、また朝を迎える。そんなありきたりな毎日。多分、間違いなく恵まれた環境にいて、恵まれた生活を送っているのだと思う。それなのにどうしてか生活していくのを苦痛に感じている自分がいて、それが金曜日ともなるといつもより顕著になる。家に帰りたくなかった。漠然と、ここではないどこかに行きたかった。でも電車の窓に映る情けない顔の私はどこからどう見ても平凡で、なんだかとてもくだらないことを考えているような気分になってしまうのだった。

 だから決まって私は席についたら目を瞑るようにしていた。何かから逃げるように。それが見たくない現実なのか、なんなのかはわからないけれど、そうやって何も考えないようにすることで私は私を守っていた。だから私は今日もいつもと同じように目を瞑り、あざみ野行の最終電車に揺られるのだった。

 しばらくして、一度駅名を確認するために重たいまぶたに少し力を込める。乗り換えの戸塚駅までは大体十分程度だ。だからいくら疲れているとはいえぐっすり眠ってしまうと、あっという間に寝過ごしてしまうのだ。特に今日は終電。これを逃すと寒空の下30分近く歩くことになる。

 さてどの辺りまで来たかな、と電光掲示板を確認しようと瞼を開いて、ふと周りの違和感に気がつく。車両内に人がいない。疲れ果てて電車内の椅子に張り付くようにして眠っていた数人の乗客たちは、いつの間にか皆いなくなっていた。先程、終電に駆け込み乗車をする女子大生に怪訝な視線を送ってきたサラリーマンは?降りたのだろうか。不思議に思って隣の車両を覗き込むと、そこにも乗客は一人もいない。なんだか薄気味悪くなって、慌てて電光掲示板を確認し、私ははっと息を呑む。なんとそこには何も表示されていなかった。気づけば普通なら絶え間なく続くはずのアナウンスも聞こえない。ただ電車の車輪が轟音を鳴らしながら回る音だけが、空っぽの電車内に響いていた。ぞくり、と背中に冷たい汗が流れる。一体何がどうなっているのだろう。トンネルが続く。車窓はただ黒い壁面を映し出すばかりで周りの状況もわからない。汗が、止まらない。・・・きっと少し、疲れているのだ。自分を落ち着けるため、私はまた無理矢理眼を閉じた。

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