お手伝いします、旦那様

結城暁

お手伝いします、旦那様

 サビーヌ・ジェラールだったあたし、レベッカ・ジェラール、もとい、今はレベッカ・キニャールはただの村娘だった。

 母が元メイドで、お貴族様の屋敷に奉公していた。

 母はそこの若旦那のお手付きになり、実家に帰されてあたしを産んだ。わりとよくある話だ。

 けれどあたしも母もけして不幸ではなかった。祖父母はあたたかく母を迎え、母の事情をすべて理解したうえで結婚してくれた父もあたしにとてもやさしかった。

 来年にはお姉ちゃんね、とうれしそうに笑う母と父、楽しみだね、と笑う祖父と祖母はけれど、流行り病であっさりと命を落とした。

 家族のなかで一番若くて、そこそこの体力があったあたしだけが生き残ってしまった。

 流行り病で人での足りなくなった村は孤児みなしごになったあたしたちをそれはもう扱き使った。

 世話してやってるのだから当然だろう、と朝から晩まで扱き使われる日々に嫌気がさし、わずかな望みをかけて冒険者になるため村を出て行った子どももいた。

 あたしはといえばそんな無謀なことをする気も起きず、けれど死ぬまでこんな日々が続くのかと思うとゾッとしていた。

 ある日村に豪奢な馬車が来た。お貴族が使うものだった。

 馬車から降りてきた貴族に、あたしたちに偉そうにしている村長がへこへこして、こびへつらっていた。

 その貴族は偉そうな、というか自分が偉いと知っているというふうな人間だった。

 その貴族があたしの父だった。

 あたしはこのバカな男が嫌いだったし、今でも嫌いだ。恩着せがましいし、実家に帰ってからの母の人生を辛いものだと断定しているのが腹立たしい。

 けれど、バカの提案に乗ってあたしは貴族の娘になった。

 このまま村にいても死ぬまで扱き使われるだけだ。いけ好かないバカのもとに行けば少なくとも衣食住は保証される。

 他の孤児たちの恨めし気な視線を背中に感じながらあたしは村をあとにした。

 レベッカという名前を与えられ、貴族として最低限の基礎を叩き込まれたあと女学校にぶち込まれた。

 全寮制のそこは、バカの顔を見なくてすむ場所だったが、反吐が出そうな場所だった。

 誰も彼もがあたしをあのバカの付属品として、マドモアゼルシルヴェストルと呼び、派閥争いだの、陰湿ないじめだのは日常茶飯事で、物語に出てくる親切な貴族令嬢なんてものはどこにもいないということを悟った。

 女学校を卒業したあとはバカの決めた家に嫁入りをした。

 バカは金遣いの荒い賭博中毒者であったので、豪商から成り上がって金はあるけれども、歴史が浅いゆえに他の貴族から軽んじられている貴族との政略結婚だ。


「おまえのような女に見えぬ大女をわざわざ嫁に迎えてくれるというのだ、よくよく仕えるのだぞ」


 そんなことを言われてはいわかりました、と言うバカだとあたしは思われているらしかった。

 あたしがいくらで売れたかは知らないが、機嫌が良かったので、よほどの高値で売れたらしい。あたしが言うのもなんだけれど、物好きな。

 助ける気もないくせ、あたしに同情する異母兄の視線がわずらわしかった。

 結婚式当日に初めて顔をあわせた旦那様は、薄く茶味がかったやわらかな鉄色の髪を撫でつけ、少しばかり緊張した面持ちをしていた。

 白い礼服の似合う線の細い旦那様に比べて、婚礼のために旦那様に贈られ、身に着けた装飾品ばかりが煌びやかで、中身はそれに伴っていないあたしが申し訳なくなった。


***



「でねえ、ジョスラン様ったら妻は自分と体形が似ているからってドレスを選んでいたのですって! もうもらったかしら、マダムキニャール? 青いドレスですって!」


 昼のお茶会。

 この牛女は頭に栄養がいかないんだろう。かわいそうに。

 せっかく貴族に生まれて衣食住に不自由のない生活を送れているのに、人のうわさ話をするしか楽しみがないなんて、ひどく哀れだ。

 誰が誰と浮気しただの、どこの誰が妊娠、出産しただの、まったくもってくだらない。


「まあ、旦那様がそのようなことを。まだいただいておりませんわ。もしかしたらサプライズなのかもしれません。いやだわ、わたくし、うまく驚けるでしょうか」

「ああそうよねえ、貴女って女学校時代からいつもむずかしい顔ばかりだったものねえ。もう少し愛想をよくしなくては旦那様に嫌われてしまうわよ?」


 こいつは本当にお嬢様学校に行っていたのか? もう一度貴族の教養を学びなおしてこい。

 それとも学んでこれなのか。こいつに必要な貴族らしさがこれなのか。


「ええ、そうならないよう努力していますの。ですから、夫のそういった行動をお知りになってもどうぞわたくしには内緒になさってくださいな。知らなければ少しは驚いた表情が出てきてくれるかもしれませんもの」

「ええいいわ! もちろんよ! 任せてちょうだい、わたくしたち友達ですものね!」

「ありがとうございます」


 ぶわぁ~~~~~~~~~~~~~~~~か。

 誰があんたなんかと友達なものか。脳足りんめ。

 だいたいなんでいちいちあたしの夫の行動を見聞きしたからって報告してきやがる?

 そのドレスが浮気相手への贈り物だったらどうしてくれる。そうでなくてもおとこと体形が同じだと言われていい気分になるとでも思ってるのか? その帽子の台座で少しは考えてから発言しろ。それすらできないのか? それとも人の間に波風を立てるのが好きなのか?

 ……後者だろうな。

 でなければ人の悪口陰口噂話をニマニマと醜悪な笑みを浮かべながら喜々として話しはしないだろう。少しは淑女の仮面を被れ。家柄と牛乳うしちちしか嫁入りセールスポイントが無くなるぞ。

 まわりの夫人や令嬢たちもころころと笑っている。

 なにが楽しいのか理解できない。貴族って変なのばっかり。

 今日もくだらない一日をすごしてしまった。

 貴族夫人としての義務を果たすためとはいえ、溜め息しか出て来ない。

 旦那様は今日も今日とて仕事が忙しいようで、あたしはひとりで夕食をとった。

 夜遅くに起こしてしまうのも悪いからと寝室も別であるので、気楽なものだ。

 気心の知れぬ他人と同じ部屋で眠らずにすんでよかったと思う反面、妻としての義務は果たさなくてもいいのだろうかと疑問に思ってはいた。


「若奥様、若旦那様は今日も遅くなるそうです」

「そうですか。ご自愛ください、とお伝えください」


 風呂もすみ、あとは寝るだけとなったあたしに家令のエミールが声をかけてきた。旦那様は今日も仕事を持ち帰られたようだ。

 元豪商で男爵位を持つキニャール家は今も商売をしているので忙しいようだった。商売繫盛は良いことだ。


「夜遅くまで仕事をなさるのがこうも連日続きますと若旦那様のお体が心配で、心配で。僭越ながら若奥様にお夜食を届けていただけないかと……。旦那様はわたくし共を私室に近付けられませんゆえ」

「それはわたくしも同じことですわ、エミール。付き合いのより長いあなたが行ったほうがよろしいのではなくて?」

「いいえ、若旦那様が自ら熱望してお選びになった若奥様にならお叱りなどございませんよ。この老骨を助けると思って、どうかお願いでございます」

「……そこまで言うなら、持っていきましょう」

「ありがとうございます」

「もし旦那様に怒られてしまったら、なぐさめてちょうだいね」

「もちろんでございます」


 学も手に職もない女の末路は悲惨だ。

 もしこれで旦那様のご機嫌を損ねて屋敷を追い出されたら、末は冒険者かそれとも娼婦か。

 まあいいや。旦那様のおかげで美味しいものをたらふく食べられたのだから、いよいよダメならさっさと魔物に食われよう。あってよかった近くのダンジョン。

 家令から夜食を受け取り旦那様の私室へ向かう。

 ノックをすると声はなく、その代わりに慌てた人間が盛大にこけるような音が聞こえた。痛そう。


「旦那様?」


 返事はない。

 もしや転んで頭でも打ったのだろうか。

 それは一大事、と急いで扉を開けた。


「……だんな、さま?」


 ここは旦那様の私室だが、中にいたのはナイトガウンを着た旦那様ではなく、美女と見まごうほどに着飾り、ドレスを着た旦那様だった。ドレスを足にひっかけて転んだらしく、座りこんでいる。

 私は素早く扉を閉めての鍵をかける。

 がちゃん、と存外大きく響いた音に旦那様は肩を振るわせた。明らかに怯えているのが見てとれた。

 夜食をテーブルに置き、一歩、旦那様に近付く。

 髪を彩るリボンと髪留め、化粧、イヤリング、ネックレスにドレス。

 どれも旦那様に似合う色合いと意匠をしていたが、全体を見るとちぐはぐな印象を受けた。

 あたしが一歩、また一歩、と旦那様との距離をつめるほどに旦那様の顔色は悪くなり、震えて、ついには小さく縮こまってしまった。

 あたしはそんな旦那様の姿に思わず口の端を釣り上げた。

 あたしのような背の高い女と結婚したのは自分サイズのドレスを怪しまれずに買うため。寝室が別だったのも自分の趣味がばれないようにするため。

 今さらながらあれもこれもと思い当たるフシが浮かんでくる。

 これは旦那様の弱味なのだ。それもとびきりの。

 歴史の浅い成金のキニャール家を隙あらば追い落としてやろうという輩は多い。

 そのキニャール家の跡取りが女装趣味であると知れたなら、それは評判を落とす理由になる。大したことがない些細な問題も、致命的な大問題にされてしまう。なぜならキニャール家には強力な後ろ盾がないから。

 元商家で金はあるけれど、権力がない。大問題となったらもみ消す事ができない。

 商売の取引先は減るだろうし、悪くすればお家断絶にもつながりかねない。

 貴族社会では致命的といってもいいだろう。それくらいキニャール家を良く思っていない貴族は多いのだ。

 震える旦那様はあたしから目をそらし、瞳に涙まで浮かべて、小さくなっている。

 最悪の状況になったときのことを考えているのだろうか。それともあたしに脅される未来を思っているのだろうか。


「旦那様」


 あたしは真っ赤なマニキュアの光る旦那様の両手をとった。

 あたしの手より大きく、骨ばっている旦那様の手は包みこめはしなかったけれど、それでも両手でしっかりと。


「旦那様。まずはしっかりとコンセプトを決めましょう」

「…………へ?」


 旦那様が呆気にとられた顔をしてあたしを見る。その瞳から涙が引っこんだ。


「旦那様の今の装いは、失礼ですがちぐはぐです」

「え」

「髪留めを始めとした装飾品にドレス、おまけにマニキュア。そのどれをとっても旦那様に似合う色です」

「あ、ありがとう……?」

「ですが、バラバラなのです」

「ば、ばらばら」

「ええ。旦那様が好きなもの、色を身に着けたいという気持ちはわかりますが、方向性を統一しなければ、真に美しいとはいえないと思うのです。

 たとえば、この真っ赤なマニキュアですが、色白の旦那様によくお似合いです。ですが、大人っぽく感じる爪先と比べてドレスがかわいらしすぎます。銀の髪留めもお似合いですが、リボンの色合いがうまくかみあっていません。それに髪型ももう少しゆるめのウェーブを……」

「……」


 旦那様は真っ赤になり、黙りこんでしまった。

 せっかく引っこんだ涙も溢れてきて、今にも決壊しそうになっている。

 女装ひみつをしられたうえ、ダメだしまでされたら誰だって泣きたくなるだろう。


「旦那様」


 あたしは旦那様の手を握った両手に力をこめる。


「安心してください。このことはけして誰にも漏らしたりはいたしません」


 旦那様はいぶかるような視線をあたしに向ける。


わたくしも装いに関して、あまり詳しいとは言えませんが、女学校で習ったことなら教えられます。勉強だってします」


 これであのつまらないお茶会にも少しは意味を見出せる。

 人の噂をただ聞いているより、流行りの装いや化粧を聞くほうがずっとずっと有意義だ。


「ですからがんばりましょう、旦那様」


 旦那様の瞳がうっすらときらめき、羞恥ではない赤が頬を染める。少しはあたしの気持ちが伝わっただろうか。


「二人で、がんばりましょう」


 旦那様の思う通りの女装ができるように。

 もうこそこそしなくていいように。


「お手伝いします、旦那様」


 そうしてあたしは初めて旦那様の心からの笑顔を目にしたのだった。

 思っていた通り、旦那様には笑顔がよく似合った。

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