邪竜と呼ばれた竜の物語

結城暁

邪竜と呼ばれた竜の物語【短編】

 昔々、とある大陸の、とある場所に、高い高い山の麓の、深い深い森を縄張りにしている暗黒竜がおりました。

 その暗黒竜の名前はアルバータと言いました。


 竜はある日森の中で人間の子どもを見つけました。ふにゃふにゃと泣くその人間は、どうやら赤子のようでした。

 竜は食べてしまおうか、と一度は赤子を口に含みましたが、あまりにも大きな声で泣くものですから、仕方なく吐き出し、育ててやることにしました。

 うんざり、とした様子の竜の瞳を見た赤子は、何も知らぬげにきゃらきゃらと笑いました。

 その赤子が二つ足で歩き、竜の言葉を理解し、喋るようになったころ、ひとりの人間が竜のもとを訪れました。

 女は竜に膝を折り、恭しくこうべを垂れました。


「ご機嫌麗しゅう、黒き夜空の君。わたくしの名はケイ。ドゥーファの国を治める王族に仕えし影の一族の者にございます」


 竜は必要がありませんでしたので、人間の言葉を解する事ができませんでしたが、不思議とその人間の言葉は理解できました。

 おそらくはケイの身の内にいる何かのせいでしょう。竜は興味がありませんでしたので、詳しく視る事はしませんでした。


『人間が我に何のようだ』

「はい。実は五年前、お生まれになってから一才にもならぬ我が君――ドゥーファ国王の第一王子が拉致されたのです。わたくしは我が君を追ってここまで参りました。ですが、この森は黒き夜空の君、御方おんかたのいまします場所であると聞き及び、我が君を捜索する許しをいただきたく、ここに参上した次第であります」

『おぬしの言葉は回りくどくい上に解り難いな』

「はっ。申し訳ございません」

『ふん。殊勝な態度に免じて森の探索を許そう。しかしその必要はないやもしれぬ。この森にいる人間は我の知る限り一人だ』


 竜は低く唸り、遊びに出ていた子どもを呼び戻しました。

 子どもはすぐに姿を現しました。その姿を見たケイの目に涙が浮かびます。


「ああ、我が君、よくぞご無事で……! 黒き夜空の君。貴女様に心よりの感謝を」


 地面に頭を擦り付けて、ケイは頭を下げました。


「貴女様のおかげで我が君は死なずにすみました」


 歓喜に涙を流すケイに、当の子どもは喉から威嚇音を出し、竜の背後に隠れます。


『……すまぬな。人間の言葉を教えておらぬ』


 竜は人間との関りを持つ気が無かったので、人間の言葉など不要だと思っていたのです。


「いいえ。どうかお気になさらず。我が君の命を繋いで頂けただけで、望外の喜びにございます。

 ですが、我が君が望まれるのであれば僭越ながら私がお教えいたします」


 子どもは歯をむき出しにして、ケイを威嚇するだけでした。


 ケイは甲斐甲斐しく子どもの世話を焼こうとしましたが、子どもは一向に懐きません。

 ケイは少しも気にしていませんでしたが、あまりに子どもが懐かないので、逆に竜が気にするほどでした。

 人間の言葉もさっぱり覚えようともしません。竜が学び、喋るのを見てからようやく覚えようとする始末でした。

 竜は眠る子どもを見ながらため息を吐きました。周りの灌木が小さくゆれました。


「このまま此処にいても良いのか。あの子どもはおぬしの仕える人間なのだろう?」

「ええ。構いません。我らは主の幸せが望みです。望みを叶えるのが使命です。我が君の命ならば、我らはどんな事でもいたします」

「我ら?」


 ケイは己の一族の在り方を竜に解説しました。

 ケイの一族はドゥーファ国を治めてきた王族に代々仕える一族で、王族が生まれればその王族につく人間を一族の中から選び出し、そしてその人間は自分の仕える王族個人に全てを捧げるのだといいます。

 ケイはクレイグが生まれたときにクレイグに己の全てを捧げる事が決まったのだと、とても光栄な事なのだと、微笑みました。

 竜は首をひねりました。


「わからぬな。ただの口約束であろう。その口約束の為にこのような、われの住まう最果ての森までやって来たというのか?」

「いいえ。我らには、適切に、正確な呪いの付与がなされています」


 薄く、美しく笑うケイはさらに解説をしました。

 かつて影の一族の先祖が仕えるべき王族に謀反を起こしたため、その罰として子々孫々、永劫に続く呪いを受けたのだとケイは微笑します。

 それ故王族には絶対服従であり、たとえ死ね、と命じられたとしてもその命を捧げるのだと。


「我らにかけられた呪いは魅了の呪ですので、皆喜んで王族方に従います。おやさしいでしょう? 謀反人に慈悲を下さったのです。

 ただし、王族を殺せ、という命令だけは受け付けません。自分の付き従うべき王族の命令であっても、それだけは決して。

 ですから、彼女は――クレイグ様を消せと自分の唯一に命令された哀れなオリアーナは――クレイグ様を拉致して、王国からはるか遠いこの場所へと王子を捨てたのです」

「ふむ……。その人間からここの事を聞いたのか?」

「いいえ。彼女は戻り次第、口封じのための自害を命じられ、それに殉じました」

「………。ならばおぬしはどうやってここを探し当てたのだ?」

「それは暗き夜空の君がお気付きの通り、私が契約しました死霊の能力にございます。

 クレイグ様が拉致らちされてからしばらくは、自力で探しておりましたが……。このまま老いてしまえば探す事はおろか、クレイグ様の御遺骸にすらお目にかかれぬ、と怖気付き、何が楽しいのか、折に付け私に付き纏っていた死霊との契約に踏み切りました。

 ええ、ですので。死霊と契約を交わした我が身は不老と相成りました。代償は私の魂以外の全て。それから不老を保つため、他の生命力を糧としなければなりません。死するまでは私の全てが我が君の物。私が死した後には、我が身の内に宿る死霊が魂以外のすべてを食らいつくすでしょう。

 そして、契約の副産物として死霊の触れた物から思念を読み取る事が可能になり、クレイグ様の行方を探し当てる事が叶いました」


 なるほど、読み取る事も、読み取らせる事もできるのだ。だからケイの言葉がわかったのだ、と竜は今更に得心がいきました。確かに、言葉を覚えるまではケイと話す度に妙な心地を鱗に感じたものです。

 それから、竜には人間の事などちっともわかりませんでしたが、ケイが脆弱な人間の域を逸脱しているという事はよく、わかりました。


 ケイが来てからというもの、クレイグは人間らしい生活をするようになりました。

 ケイが用意した衣服を纏う様になり、ケイが作った温かな食事をとり、ケイに教えられて道具を作り、頭を使って狩りをするのです。人間の言葉もだいぶ上手く扱える様になっていました。

 竜は人間が増えて呼ぶのに不便であったので、子どもの名を呼ぶようになりました。ケイがいくら呼んでも反応しなかったくせ、竜が呼ぶとすぐに振り返ります。

 竜は頭を抱えたくなりました。


***


「今日で貴方がお生まれになってから十五年です、我が君。十五歳の誕生日、おめでとうございます。生まれてきてくださり、私の主となってくださった事、今日まで健やかにお育ちになった事、無上の喜びにございます」


 クレイグは無表情に肯きました。竜の次に長く時を過ごしたケイにようやく心を許す気になったようです。

 十五になったら王族は自分の紋章を誂えるのが慣習ですが、とケイはクレイグに紋章が欲しいかを聞きました。無口なクレイグは首を横に振り、ならば、とケイはあっさり諦めました。

 慣習となれば大事ではないのか、と竜の方が焦りました。

 竜はケイと二人きりになって話しあう事にしました。


「紋章とはどんなものだ?」

「自身を表す身分証のようなものでしょうか。

 王子ならば自らが仕留めた魔物や魔獣、王女ならば王女付きの騎士から捧げられたの魔物や魔獣の牙や爪、魔石などを使って作られた装身具に、生誕とともに贈られた殿下だけの紋章を彫り、身に着けるのです。それが王族であるという証になります」

「ふむ。クレイグは第一王子という事だが、……跡継ぎなのではないか?」

「そう考える方もいるでしょう。ですが、王位は必ずしも第一子が継ぐと決まっている訳ではありません」

「………連れ帰らずとも良いのか?」

「はい。クレイグ様がそれを望んでいらっしゃいませんので。私もこの地に骨を埋める覚悟にございます」


 ケイの言葉に竜の首筋がぞくりと冷えました。

 人間の寿命が竜よりもうんと短い事を思い出したのです。

 竜は数日間、じっくりと考えました。

 そうして、今度はクレイグも呼び、ケイと三人で話しあいをしました。


「クレイグよ、おぬしは人間だ。人間の世界に帰るべきだと我は思う。我の鱗を持って行け。これで紋章とやらを作ると良い」

「嫌だ。ここにいる」

「おぬし……」


 竜がケイを見ても、ケイはにこにこと笑っているだけです。やはりクレイグを説得する気は微塵もないようでした。

 竜は己がクレイグを説得しなくてはならない事にうんざりと両翼を落としながら、何としてでも説得しなくては、と鼻息荒く口を開きました。


 その後の事はきっとどんな人間も見たことのない騒ぎだったでしょう。

 喧々囂々けんけんごうごう、すったもんだの末、周囲の草木が焦げ付くくらいの舌戦を経て、竜はなんとかクレイグから人間の世界へ帰るという承諾をもぎ取りました。

 竜は人間の世界へ帰ればこの辺鄙へんぴな場所での不便な生活などすぐ忘れるだろう、と眉間に皺を寄せ、口を真一文字に結んで足にしがみつくクレイグを諭します。


「おぬしが王としての務めを最後まで立派に果たし、子へ王位を譲り渡し、隠居するとなれば我が森を隠遁の地とする事を許す。だから早く行くが良い」


 疲労困憊の竜を見上げ、涙を零すまいとするクレイグは言いました。


「わかった。絶対だぞ。約束だ。俺が王になって王をやめてこの森に来た時は二度と離れない。ずっと一緒にいる。絶対だ」

「う、うむ……」


 真剣なクレイグに竜は戸惑いがちに肯きました。

 少し寒気がするような気もしましたが、気のせいだと思うことにしました。


「クレイグ様が望まれるならば、行きましょう。

 それでは長らくお世話になりました。失礼いたします、黒き夜空の君。またお会いする日までどうかお元気で」


 恭しく礼をしたケイに連れられ、クレイグは森を去っていきました。

 竜はやれやれ、と竜らしからぬため息を吐きました。


 クレイグとケイが森を出てようやく静かになったな、と竜が一息をつき、それがさみしさに替わるころ、竜の体感時間で言えばすぐに、クレイグがやってきました。もちろんケイも付き従っています。


「……クレイグ。まだ季節は一巡りしかしておらぬのだが」

「竜を補充しにきた」

「何を言っとるのだ、お前は」


 竜は自分の足にしがみつき、頬ずりし始めたクレイグを見下ろし、困惑しました。

 クレイグはにこにこと満足そうに笑っています。ケイも同じように笑っていました。


「これは駄目かもわからんな」

「?」


 竜の呟きにクレイグがこてん、と首を傾げました。

 人間とはこうも難解な生き物であったのか、と頭の痛くなる思いでクレイグを引きはがしました。

 クレイグは不機嫌に頬を膨らませました。


「もうここへは来るな」

「嫌だ」


 クレイグは竜の指先にしがみつきました。


「そうか。ならば我が場所を変える。今度ここに来ても我はいないからな。これを今生の別れと心得……」

「いやだ!!」


 寡黙なクレイグには珍しい大声でした。放してなるものか、と竜の指に全力でしがみつきました。


「もう来ない。約束する。きちんと務めを果たすまで来ない。だからここにいてくれ」


 待っていてくれ、と懇願するクレイグに竜は渋々頷きました。


***


 それからどれくらいの時が流れたでしょう。

 ある日、竜は胸騒ぎに空を仰ぎ見ました。遠くから鳥の鳴き声が聞こえてきます。

 竜は少しだけクレイグの国を覗き見ることにしました。

 遠目に観て、何事もなければすぐに森に戻るつもりでした。



「何だこれは。何が起こっている」


 クレイグのいる国は、城下町は、王宮は、あちこちで黒煙が上がっていました。死臭もあちらこちらから漂っています。

 竜はクレイグを探して回りました。


「クレイグ! どこだ、クレイグ! どこにいる!」


 逃げ惑う人間達は自分達のことに精一杯で、空を低く飛ぶ竜に構いもしませんでした。

 竜は一直線に王宮まで飛んで行きます。

 王宮はどうやら死体で溢れているようでした。むせかえるほどの血の臭いに竜は焦ります。


「クレイグ! どこだ! 返事をせよ!」


 民家よりはるかに大きな王宮でしたが、竜には小さすぎました。せいぜいすき間を覗き込むのが精いっぱいです。


「ここです。ここにおります。黒き夜空の君」


 ケイに支えられて姿を現したクレイグは血にまみれていました。


「クレイグ!」

「………竜……」


 クレイグが喋ると口から血がこぼれ、新たな血だまりを作りました。クレイグの背後には、延々と血の道が続いています。


「……約束………、守れ、なくて………」


 すまない、とその一言を残してクレイグはこと切れました。


「…………クレイグ」


 竜はその鼻でクレイグの体に触れました。鼻先にべっとりと血がついただけで、クレイグは動きません。


「……ケイ」

「はい」

「何があったのだ」

「…………経緯それを、望まれますか」

「ああ。望む」

「わかりました」


 ケイはクレイグが王宮に戻ってからのことを話しました。

 死んだと思われていたケイとクレイグが現れ、上を下への大騒ぎがあったこと。

 クレイグに妹ができていたこと。

 クレイグが立派な王になるために大変な努力をしていたこと。

 父王から譲位され、クレイグが王になり、王妃を娶り、子を成したこと。

 クレイグの父の従弟いとこにあたる王族が王位を狙い、クレイグの妹を唆し、謀反を起こしたこと。


「クレイグに妹が……」

「ええ。クレイグ様が行方不明になったあとに生まれた五歳違いの御子で、エリナー様とおっしゃいます」


 クレイグが王宮に戻ったとき十歳だったエリナーは、生まれてこのかた存在を知らなかった兄に恋をしました。

 けれど、叶わぬ恋だと理解し、婚約者との間に芽生えたほのかな恋を育てようと努力をしていたようにケイには見えました。

 ですが、クレイグが結婚し、子を成し、王妃が第二子を身籠ったと知ったエリナーのたがはとうとう、どうしてか、外れてしまったようでした。

 嫉妬に狂ったエリナーは、愚かにも唆してきた従叔父いとこおじと手を組み、自分に従う影の一族をも巻き込んで、謀反を起こしたのでした。


「前王陛下も前王妃陛下も、王妃陛下も身籠っていた第二子諸共に崩御なされました」

「それは……妹とやらにか?」

「…………王妃陛下は」


 暗い顔でケイが言いました。


「ですが、王子殿下だけは我ら影の一族の手で逃がす事が叶いました」

「そうか。その子の名は?」

「ウォーレス様です」

「そうか。………それで、妹とやらはどこに?」

「……王の間で歌っていらっしゃいます」


 かすかに聞こえる人間の声はそれか、と竜の口内から炎がこぼれ落ちました。

 竜は翼を広げ、怒りのままに口内の炎を声のする方向へ叩き付けました。

 王宮とともにエリナーは消えました。クレイグがきれいだと褒めた歌声と共に。

 竜は吼えました。

 クレイグがもう動かないのが悲しくて悲しくて悲しくて、どうしようもなかったのです。

 燃え盛る炎の中心で咆哮を上げる竜を見た人々は、国に災いを呼んだのは竜だと、恐れ、震えあがりました。

 竜はそのまま王宮の跡地に留まりました。

 愁脹うれいふくれのままに身を丸める竜のそばにはクレイグの墓がありました。


 それから幾度目かの季節が過ぎ、王宮を竜から取り戻そうと近付いて来る人間が時折いましたが、竜は全て焼き払いました。

 ケイはそんな竜の世話をしていました。


「お帰りにならないのですか?」

「……ああ」


 時は流れ、とある勇者が王宮跡地を訪れ、竜を討ち果たしました。

 その勇者には滅びた国の王族の血が流れていたといいます。


***


「どうして、避けなかったんだ」


 竜の心臓を一突きしたウォーレスは竜の血にまみれていました。

 竜は瞳を細めて自分を殺しに来たウォーレスをながめ、喉を震わせ笑いました。

 どぷりどぷりと血がこぼれ、辺りを赤に染め上げました。


「ああ、お前の瞳は父親によく似ているな」

「なに……?!」


 竜は最期の力を振り絞り、首を持ち上げました。


「我が名はアルバータ。汝の父、クレイグの養い親である」


 そうして竜はクレイグの墓に体をよせ、瞳を閉じました。


「お休みなさいませ、黒き夜空の君」


 茫然とするウォーレスに微笑みかけ、ケイはその場を後にしました。

 懐にクレイグの遺髪とアルバータの鱗を持って。

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邪竜と呼ばれた竜の物語 結城暁 @Satoru_Yuki

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