第71話 真里姉と知ってしまったアレ


 手渡された鍵でホームの扉を開けると、左手の奥には薬棚くすりだながあり、調合した薬を出したり、薬を買いに来たお客さんと話をするための長めのカウンターが目に入った。


 カウンターの前には待ち合い用の長椅子ながいすが幾つも並んでいて、特徴的な大きなガラスの窓から明るい光が差し込んでいる。


 自分の番が来るのを待っていた人は、日向ひなたぼっこするような心地になれたんじゃないかな。


 今は薬の類は何もないけれど、りし日の穏やかな時間が目に浮かぶようだった。


 カウンターの奥は診察が必要の人向けなのか、小部屋が用意されていた。


 扉の右手にもカウンターがあったけれど、こちらは幅広で、主に薬にする前の準備用の場所といったところかな。


 その右手奥には2階へ続く階段と、扉が一つ。


 2階はおそらく各自の部屋があるだろうという事で、扉を開けてみるとはなれへと繋がっていた。


 離れは母屋おもやとは異なり、煉瓦れんが造りの建物で、火を扱っても大丈夫なようになっている。


 煙突もあるから、中で薬草を乾燥させたりしていたのかもしれない。


 分厚い木の扉をマレウスさんが開けると、中には生産用と思われる道具が所狭ところせましと積まれていた。


 窓は母屋に比べるとずっと小さくて、部屋の広さは母屋の3分の1くらいかな?


 あれだけ多くの要望を出したのに、これで叶ったのだろうかと疑問に思う私を他所よそに、3人は駆け寄るなり道具の確認をし始めた。


 その眼は真剣そのもので、生産職トップとしての顔を覗かせていた。


「注文通り、エデンでは手に入らなかった高品質の鍛冶道具が一式揃ってるな。これだけあれば、イベントの生産キットも併用へいようして、ようやくに取り掛かれるぞ」


「さすがワタシの王様ね。それにこの離れ、建物としての強度も申し分ないわ。を作るのに多少無茶しても平気よ」


「作業で大きな音を出しても大丈夫そうですしねぇ。それに人目が少ないのもポイント高いですよぉ。を作る過程は秘匿ひとくしておきたいですしぃ」


「あの、アレって何なんですか?」


「アレか?……アレはその、なんだ。鍛冶の秘奥ひおうみたいなもんだから気にするな。ってか、これまでお前には料理作らせまくったからな。しばらく自由にしてていいぞ」


 マレウスさん、ちょっと良い感じにまとめようとしていますけれど、自覚があったなら止めて下さいよ。


「1階の日当たりの良い方のカウンターは、マリアちゃんの調理場として使ってくれて構わないわ。長椅子も配置を変えて、テーブル席みたいにしてもいいと思うの」


 前半は有難ありがたい話ですけれど、後半のそれってもう食堂ですよね、カンナさん?


「夕飯が楽しみですねぇ」


 ルレットさんは隠す気もなく私が作るのを当てにしてますね!?


 まあ、みんなの分は作るつもりだと言ったけれど……何だろう、みんなで私を離れから遠ざけたいのかな?


 拒絶きょぜつという程強くはないのだけれど、どこかにくそうな感じが伝わってくる。


 あれかな、生産職トップとして、作業する姿を私みたいな素人しろうとには見られたくないとか?


 さっきマレウスさんが秘奥とも言っていたし、隠しておきたい独自の技があるのかもしれない。


 昔見たドキュメンタリー番組で、刀を作る工程の多くがかつて門外不出もんがいふしゅつとされていたらしいしね。


「分かりました。それでは食材の買い出しを兼ねて、ちょっと王都を散歩してきます」


 そう言って離れを出た私は、母屋に戻り王都の通りへと出た。


 ただ、出たは良いものの、王都のどこに何があるのか、まるで分かっていない。


「まあ、観光みたいに思えばいいかな?」


 知らない場所を気ままに歩くのも、きっと楽しいはず。


 それに、思えばここ数日一人きりになれる時間なんてなかったしね。

 

 料理漬けにされたり、出歩く時には必ずグレアムさん達の誰かが一緒だったり。


 久しぶりに一人で自由を満喫まんきつできると思うと、ちょっとテンションが上がってくる。


 …………本当に一人だよね?


 後ろを振り返っても怪しい人グレアムさん達はおらず、都民とみんの方が行き交っているだけだった。


 あの怪しい指先の動きを見せたりもしていない。


 大丈夫そう、かな。

 

 ほっとした私は気を取り直し、足取りも軽く散歩に出掛けた。



 何人かに道を尋ねてやって来たのは、都民の方が良く利用するという市場。


 私は地面に布を敷いてその上に野菜を並べる、露天ろてんが幾つか集まっているのかなと思っていたのだけれど、さすが王都だね。


 開かれていたのは露天ではなく、屋台のように屋根のある店でいとなまれる、色取り取りの露店ろてん


 それが無数に集まっていて、私には市場というより何かのお祭りに思えた。


「凄いなあ。これが日常なんだよね」


 それぞれのお店が独自の品を扱っているけれど、これだけ店が多いと、品揃えがかぶる物も出てくる。


 日本なら大声で客引きしたり、値引きを匂わせたりすると思う。


 けれど王都の市場ではそんな様子は無く、野菜を売っているお店が並んでいても、競う感じがまるでない。


 それどころか、煮込み料理で使うトマトを買いに来たお客さんに、『煮込みで使うトマトなら、うちのよりこっちの店で扱ってるトマトの方が合うよ』と言って、他の店をすすめていた。


 それはエデンの街でも見られなかった光景で、現実でも見た事がない、カルチャーショックを受ける程の光景だった。


 ふと見渡せば、市場に来る人の顔がみんな明るい。


「お客さんも分かっているんだ。ここに来れば、間違いの無い買い物が出来るって」


 市場といったけれど、ただ店が集まっているだけではなく、互いに助け合う一つの組織といった方が正しいのかもしれない。


 そしてその組織が目指すところは、来てくれたお客さんにより良い買い物をしてもらう事。


 お客様目線という言葉の本当の意味を、私は初めて知った気がした。


「おやお嬢ちゃん、お使いかな? ここの市場じゃ何でも揃うぞ! 特に食材の豊富さは王都でも指折りさ。欲しい物があったら、良い店を紹介するぜ」


 声を掛けてくれたのは、主に葉物はもの野菜を売っているおじさんだった。


 実は歩きながら、夕飯を何にするかは決めていたんだよね。


 それはまかないで食べた事のある、フランスの代表的な家庭料理。


 私が作りたい料理を説明し、必要な食材を伝えると『それはこっち、これはあそこが一番』と、とても親切に教えてくれた。


 本当に良い人だ。


 せっかくなら何か買っていきたいところだけれど……あっ。


「おじさんのお店では、香草は扱っていますか? パセリ、タイム、ローリエ、エストラゴンが欲しいんですけれど」


 エデンの街ではリンゴやニンジンといった食材は通じたけれど、香草の細かな種類まではどうだろう。


 ちょっと緊張する私におじさんは、にかっと笑った。


「それならうちがお勧めだ。れたばかりで、香りの良いやつがあるよ」


 良かった、通じたよ。

 

 そして試しにパセリの匂いを嗅がせてもらうと、あの独特の香りが強烈に鼻の奥に飛び込んできた。


 これはおじさんが勧めるだけあるね。


 他にも使えそうだから多めに買うと、おまけというには多過ぎる程のおまけをくれた。


 そしておじさんに教えてもらったお店を回り、お目当ての食材を買ったのだけれど、どこに行っても一言目ひとことめが、


「お使いとは偉いね、お嬢ちゃん」

「親の手伝いなんて偉いね、お嬢ちゃん」

「小さいのに買い物なんて大したもんだ、お嬢ちゃん」


 と、誰も私が自分で料理するとは思ってくれないのは、なぜかな?


 そして必ず言われる、お嬢ちゃんという言葉。


 私これでも現実では一応、20歳はたち超えているんですけれど……。


 あと、買い物をするとみんながおまけしてくれたのは、きっとカルマの影響だろうね、うんそうに違いない。


 決して、私が小学生に見えるからだよとか、考えてはいけないんだよ?



 大量の食材を買った私は、ホームに戻る途中、グレアムさんを見掛けた。


 声を掛けようかと思っていると、向こう側から見知らぬ人が近くに寄って来て、すれ違いざま、何かを手渡したように見えた。


 地味にレベルの上がっている【視覚強化】のおかげだね。


 私はこっそり背後に忍び寄ると、少し大きな声で話し掛けた。


「こんにちはグレアムさん」


「ぬなぁっ! マっ、教祖様!!」


「あの、そこで言い直すならマリアの方にして欲しいんですけれ……ど?」


 驚いた拍子ひょうしに、グレアムさんの手から何かが落ちる。


 それは掌大てのひらだいに折り畳まれた羊皮紙ようひしだった。


 私は直感に従いグレアムさんより早く拾い上げると、制止する声にも耳を貸さず、それを広げた。



『聖マリア猊下げいか軌跡きせき 第24節


 国王陛下との会談でお疲れになりながらも、甘味処かんみどころで癒されたご様子。


 クラン結成に伴い、クラン名は『ルナ・マ・リ・ア』へ決定。


 名前を決めた者達に、最大限の賞賛しょうさんを贈りたい。


 その後国王陛下からの使者に案内され、ホームへ。


 ホームがたくされた理由を知らされ、心を痛めたご様子。


 くっ、なぜ猊下が心を痛めねばならないのか、そもそもの原因となったのは……。


 すまない、熱くなった。


 ホームに入られてからしばらく、王都を散策さんさくされるため、お一人で外に。


 秘密裏に警護を開始。


 市場にて大量の食材を購入。


 その際、お嬢ちゃんと声を掛けられる度に顔が微妙に引きっていらっしゃられた。


 はっ、無知な者はこれだから困る。


 猊下はではない、なのだ。


 その溢れ出る姉力あねりょくは、もはや聖なる力を宿していると言っても過言かごんではあるまい。


 いずれにしろ、猊下の名が王都であまねく知れ渡る日も遠くはないだろう。

 

 報告は以上。

 

   名も無き同士より、クラン『幼聖教団ようせいきょうだん』へ』


「…………」


 私は無言で空牙クーガーぶと、手にしたを渡し、解読不能になる程念入りに刻ませた。


 グレアムさんが悲鳴をあげながら、


「なんて事を! 貴重な聖典せいてんの一節がっ!!」


 と叫んだけれど、うん、そんな聖典滅ぶといいよ。


 できればクランもね。


 というかこんな物が、最低でも他に23枚あるんだね……。


 崩れ落ちるグレアムさんを放置して私はホームへ戻ったけれど、その途中、あんなに軽かった足取りは、やたらと重く感じられた……。

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