第53話 真里姉ととある団長が生まれた訳


「くそっ、結局今日も日付が変わる前に仕事が終わらなかった……」


 時計の針は既に午前1時を指していた。


 感知センサーによって、蛍光灯けいこうとうをつける必要があると判断されているのは、俺の机だけ。


 他の机は午後8時にはもう真っ暗になっていた。


 仕事とプライベートの両立とかいう、国や会社の方針が打ち出されたのはだいぶ昔の事だが、恩恵おんけいを受けているのは要領の良い連中だけだ。


 上司はどうなのかって?


 上司にはそんな方針、元から意味の無いものだ。


 何しろ打ち合わせがあると言っては、毎日夕方には姿を消しているのだから。


 何を打ち合わせしているのかは知らないが、成果になった試しはないし、当然、打ち合わせ後に戻ってきた事もない。


 ちなみに俺と同じ30代後半で、所謂いわゆる中間管理職を任されていた者の多くが、めて転職するか、んだ。


 残業時間がおかしな事になっている事を上司も会社も知っていて、こちらの訴えを聴きながら、それでも最後には『でも頑張るしかないだろう?』と口にする。


 でもじゃねえんだよ、疲弊ひへいして中間層がボロボロなのに気付けよいい加減、クソがっ。


 そして部下、俺はお前らのプライベートを守るために、お前らの仕事をしているんじゃないんだぞ?

 

 悪態あくたいをつきながら、俺は思わずポケットに手を入れて、そこにあるはずの物が無い事に気が付いて、自分が禁煙を余儀よぎなくされていた事を思い出した。


 酒も賭け事かけごとも女遊びも滅多にしない俺の、煙草たばこという心の安定剤が失われたのは、お小遣いカットという無慈悲むじひな妻の宣告せんこくを受けた事による、苦渋くじゅうの決断ゆえだった。

 

 思わずこぼれた溜息ためいき


 溜息を零すと幸せが逃げるというが、それなら俺の幸せはとっくにマイナスだ。


 その言葉を考えた奴に言いたい。


 溜息を零して幸せが逃げるなら、何をしたら幸せはやってくるんだ?


 ってか、俺の幸せってなんだ??


 そんな残業の疲れでめのない事を考えながら、俺は終電間際の電車に揺られ、家路いえじについた。




「ただいま」


 我が家に着いてお決まりの台詞せりふを言うが、返事はない。


 『お帰りなさい』という返事があったのは、ああ……いつだったかな。


 もうよく思い出せないが、年単位で昔だって事だけは確かだ。


 最初はSNSで帰宅時間の遣り取りもしていたが、仕事が溜まっていくにつれ、俺は帰宅時間の訂正を繰り返し、次第に妻から確認の連絡も来なくなった。


 この時間だと、もう子供と一緒に寝ているのだろう。


 台所のテーブルに用意してあった夕食を、冷めたまま1人テレビもつけず黙々と食う。


 きっと夕食が用意されているだけ、俺はまだマシなんだろう、そう思う事にした。


 夕食を食べ終えた俺は、自室に入ると仕事着を脱いでラフな格好になり、ブラインドサークレットを装着した。


 今の俺は、これからの時間のために現実の時間をこなしていると言っても過言かごんではない。


 俺の心のオアシス、逃避先とうひさき……それがMebius World Onlineの世界だった。



 この世界で、俺はグレアムと名乗ることにした。


 理由はない、なんとなく響きが格好いい気がしたからだ。


 この世界で、俺は自由だった。


 『上司のクソっ』『部下のアホっ』と心でののしりながら、その鬱憤うっぷんをモンスターにぶつけ、戦い続けた。


 戦えば戦う程レベルやスキルレベルが上がり、溜まった金で装備も充実していった。


 目に見える成果と、それをした自分に俺は夢中になった。


 そのためなら睡眠時間を削るくらい、なんともなかった。


 やがて気が付けばレベルもカンスト、つまり上限に達し、そこで俺は気が付いてしまった。


 俺がやっていた事は、結局のところストレスの発散、一時いっとき気をまぎらわすだけの、かわいた砂に水をやっていたようなものだったのだと。


 刺激という名の水があるうちは良いが、それが無くなったとたん、かわきにさいなまれる。


 勿論もちろんスキルレベルをより高めるとか、装備をさらに良くするとか、やり込もうと思えば出来たが、結局それすらやり切ってしまったら、何が残るんだ?


 その事実を直視してしまった俺は、MWOにログインしても何もせず、エデンの冒険者ギルドから、期待に満ちた顔をしたプレイヤーを、ただぼーっと眺めていた。


 眺めながら、なかば応援し……いや嘘をついた。


 1割くらい応援し、9割嫉妬しっとし、そしてそんな何かに期待を抱くようになる事は、俺にはもうないのだろうと決め付けていた。


 しかしある時、俺は○学生にも思える女の子のプレイヤーと出会った。


 まだ始めたばかりなのか、初心者装備に身を包みおどおどしている姿には、不思議と嫉妬心が起きず、微笑ほほえましくさえ思えた。


 だが女の子が受けたクエストの内容に、俺は顔をしかめた。


 ボアは初心者から抜け出した頃に相手をするモンスターだ。


 初心者装備で立ち向かう相手ではない。


 止めるべきか、しかしお節介せっかいではないのか……。


 現実の、俺の子供達が『〜したい』と言った時に、『〜だからやめておけ』と客観的かつ冷静に言った時の子供達のめた表情が思い出され、ダメージを食らってもいないのに胸の辺りが痛んだ。


 そして俺が逡巡しゅんじゅんしている間に、女の子は行ってしまった。


「くそっ……」


 これまで表に出さなくとも悪態をつくことは多かったが、自分に向けたのは、久しぶりの事だった。



 後悔こうかいなのか罪滅つみほろぼしなのか、俺は冒険者ギルドから動かず、待ち続けた。


 仮にクエストに失敗したとしても、その時こそ、何かしてあげられる事があるんじゃないかと思いながら。


 だが俺の予想に反し、女の子は生還せいかんした。


 しかもブラッディーボアというネームドまで倒してだ。


 俺は驚いた。


 周囲は【捕縛ほばく】スキルに騒いでいたようだが、俺はそんな事より、彼女の強さに興味を引かれた。


 強いプレイヤーは、ざらにいる。


 俺も自慢じゃないが上位の方だ。


 だがこの女の子は、この女の子の持つ強さは何かが違う。


 何が違うのか、その時は分からなかった。


 その後も冒険者ギルドで度々たびたび姿を見かけたが、気が付けば俺はその女の子の事が気になって仕方がなくなっていた。


 ……いや、ちょっと待て。


 決して事案じあんではないぞ?


 フリじゃないからな??

 

 通報するなよ???


 絶対だからな!?!?


 女の子が良く話すギルド職員に、俺も話しかけてみることにした。


 そこで俺は、女の子の名前がマリアである事を知った。


 そして、街にある教会に良く通っている事も。


 教会なんて、エデンの街にあったのか?


 攻略や強くなる事に関係が無かったせいか、俺は全く知らなかった。


 引き寄せられるように教会へおもむき、そこで俺は見たのだ。


 マリアという女の子が、教会のシスターや子供達と触れ合う姿を、その思いる姿を。 


 マリア自身は、相変わらずの初心者装備。


 ひるがえって、俺はどうだ?

 

 装備は立派になったが、中身はどうだ。


 俺は、何をしているんだ?


 居た堪いたたまれなくなり、俺はその後すぐにログアウトした。


 しばらくログインせずもだえながら過ごし、数日後、ようやくログインする事を決心した。


 俺は知りたかったんだ。


 マリアがしている事を。


 俺と彼女で、何が違うのかを。


 俺は知るために、マリアが居ない時を見計みはからって……だから事案じゃない! おまわりさんを呼ぶな!! 教会をたずねた。


 手ぶらでは悪いと思い、菓子を買ってみた。


 そういえば、現実の子供達からねだられて買った事はあるが、自分から選んで買った事なんて、あったか?


 最初は警戒されたが、あわてた俺は、マリアという女の子が貴女あなた達に何をしてくれたのか、それをただ知りたいだけなのだと、気が付いたら熱く語ってしまっていた。


 いい歳の大人が、非常に恥ずかしい。


 しかしエステルと名乗ったシスターは、こちらの葛藤かっとうを見抜いたかのように、事実と状況だけを淡々たんたんと、あえて主観しゅかんはぶいて話してくれた。


 その話を聞いた時の驚きと感動と、自分への恥ずかしさを、何と表現したらいいのか、俺には分からない。


 だが断言しよう。


 俺は生まれてから、これほど誰かに畏敬いけいねんいだいた事はないと。


「しかしなぜだ、なぜ彼女はそんな事が出来る!?」


 気が付けば、俺の想いは口から出ていた。


「見返りもなければ、合理的でもない。彼女は一体、なんなんだっ!!」


 私の問いとも言えない問いに、エステルは答えてくれた。


「マリアさんは、ご自身の心の想いに自然とゆだねることが出来る人なんです。誰でも、いつも心はささやいているんですよ? けれど私達は、とらわれるものが多過ぎて、その声をのがしてしまうんです」


 まるで子供に言い聞かせるような口調だったが、不思議と反発する気は起きなかった。


「でもマリアさんはそれだけではなく、他者の心の想いも聴く事が出来るんだと思います。あなたは、あなたの心の想いに耳をかたむけていますか? 他者の心の想いに、耳を傾けていますか?」


 なぜかその言葉は、すとんと俺の心に落ちた。


 仕事の事、妻の事、子供達の事。


 ああ……そうか、そうだったのか。


 我慢がまんし、それをぶつけることなく無理してめ込んで、心の中では周囲にその責任を押し付け毒付どくづいていた俺には、辿たどり着けない境地きょうちなわけだ。


 俺の渇きが、満たされるはずが無いわけだ。


 くそっ、今日はやけに日差しがきつくて目にみる。


 天をあおぐ俺を、エステルは何も言わず、そっとしておいてくれた。



 それからの俺は心機一転しんきいってん、事態は好転こうてん……といいたいところだが、現実はそう甘く無い。


 それが現実というものだ。


 だがそれでも、MWOという名の世界の中に希望を見付けることは出来た。


 相変わらず仕事の量は減らないが、それでも打ち合わせに行く上司をつかまえて、本来上司がすべき決済けっさいの仕事を頼んだり、定時になったから帰ろうとしている部下に、本日中に部下がやるべきだった仕事をやらせる事くらいは出来るようになった。


 もっとも、明日はその仕事の後始末で俺が奔走ほんそうする事になるんだろうが、明日の事は明日の事、知ったことか。


 俺はその日、久しぶりに定時で退社した。


 あまりにも早く帰宅した俺に、妻も子供達も驚いていた。


 俺はこれまで何を思っていたかを話し、妻には入浴剤を、子供達には買ってきたケーキを渡した。


 正直会話はぎこちないもので、反応もあまり無かったが、仕方がない。


 それはこれまで俺が年単位で放置してしまった結果なのだから。


 それなら、同じだけの時間をかけて、やり直してみよう。

 

 同じだけの時間が必要だと考えたら、焦る気持ちが少しおさえられた。


 その日の夜、MWOにログインする前に掲示板を覗いていると、俺はマリアに、いやマリアさんに注目している人達がいることを知った。


 注目されている理由はその外見からくるものだったが、それでもいいだろう。


 マリアさんの本質は、きっとすぐ皆にも分かるはずだ。


 だから俺は、知っている事を隠したまま掲示板に書き込みをした。


 そしてマリアさんが想うままにMWOで生きられるよう、ある組織を作った。


 それは思いつきで作ったスレの名前を流用したものだったのだが、俺はなしくずし的にその集団の団長になってしまった。


 スレの名前、いや組織の名は「幼教信者ようきょうしんじゃつどい」。


 後に『教団きょうだん』と呼ばれるようになる組織が爆誕ばくたんした瞬間だった。


 

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