館の主

三毛猫

第1話 ギルバート Ⅰ

 私の名前はギルバート。絵描きをしている。

「自称」と言って置きましょうか…





 その昔、私は娼婦の母の元に生まれた訳だが、貧しく、堕胎する金も相談できる相手もいなかった母は、身篭った私を大変疎ましく思っていた事だろう。



 自棄になりフラフラと町をうろついていた母は、偶然出会った旅の奴隷商の男に声をかけらた。


 男は、生まれた子供を買い取るという。出産までは面倒を見てやるし、生まれた子供が健康な女児ならば買い取り額を上乗せするとまで言われた。


 金に困り、堕胎も出来ずに悩んでいただろう母は、もちろん大喜びでその申し出を受けた。



 かくして私はこの世に産まれ出でることができた。

一方の母は、私を出産する際に多量の出血が元で命を落としたそうだ…



 本当かどうかはわからない。何しろ私は母の顔を見るより先に、奴隷商の男に引き取られているのだから。



 男によれば、町で見かけた母は身なりこそみすぼらしいものの、容姿はとても美しい女だったそうで、生まれる子供もきっと美しい子であろうとあたりをつけたのだそうだ。



 男の思惑通り、私はとても美しい容姿を得て育った。

おまけに母は出産と同時に命を落としたのだから、奴隷商はこの「優良商品」をタダも同然で手に入れたのだ、儲けたものである。




 私は8歳まで奴隷商と旅をしていた。この男、相手にする客は貴族ばかりのようで、身入りも良く、私は存外良い扱いを受けていた。



 8歳になった私は立ち寄ったある街で、最初の主人となる男に買い取られた。


 この主人、由緒ある男爵家の主であったが、特殊な性癖の持ち主で、とくに「幼い少年」ばかりを愛した。


 少年たちは皆、男爵の元で大層「可愛がられて」過ごすのだが、14歳ほどに成長すると男爵はもう興味を失うようで、年頃になった少年は屋敷から追い出されるのだそうだ。



 そうして無一文で追い出された少年たちはもう普通の生活に戻れるはずもなく、また奴隷商に買われたり、道端で物乞いの様な生活をする羽目になった。



 さて、そんな男に買われた私は、18歳までその屋敷で過ごすこととなる。


 私は、私を育てた奴隷商の男から、様々な「奴隷」としての教えを受けており、加えてこの美しい容貌である。

 男爵はその私を大層気に入り手放そうとしなかった。



 私が今「(自称)絵描き」としているのもこの男爵のおかげだった。



 初めは男爵が屋敷を離れている間のほんの退屈しのぎで始めたのがきっかけであった。


屋敷の1室にほぼ監禁状態で閉じ込められており、日がな格子のかかった窓から見える庭を眺めるよりすることも無く、これ迄旅して回った町や森の景色を思い出してはスケッチをするようになった。


 ほんの暇つぶしで始めたそれが、どうやら私には元から画家の素養でもあったのか、初めて筆を手にしたその時から、見事な作品を描き上げた。


 これには男爵も大層喜んだもので、たくさんの画材を買い与え、アトリエまで用意してくれた。


 もちろん絵にばかり打ち込んだのでは男爵のご機嫌を損ねてしまうので、絵を描くのは男爵が留守の時か、深夜彼が眠った後だけである。



 そんな折、屋敷に1人の画商が訪れた。


 画商は、使用人伝手か、どこかで私の絵の評判を聞きつけたらしく、ぜひ私の絵を見たいと言うことだった。


 ところが男爵はそれを断り、その後も幾度と画商が屋敷を訪れようとも、決して屋敷に迎えることはなかった。



 …これが事件の始まりだった。

 追い返され続けた画商は男爵を恨み、安い金で雇ったゴロツキに屋敷を襲わせた。


 画商は「男爵から絵を奪ってくる様に」とだけ言いつけたのだが、

所詮町のゴロツキである。

深夜、屋敷に忍び込んだ連中は、金目の物はなんでも奪おうとしてガチャガチャと手当たり次第に物色をはじめた。


 その物音に気付いて顔を出した男爵を勢いで殺してしまったのである。


 別室で眠っていた私もゴロツキ共に見つかり、

私の容姿を見るや「これは金になる」と目をつけられ、攫われた。


 屋敷にあった私の作品たちは画商に引き渡されたが、画商は間も無くして男爵殺人の容疑をかけられ牢屋送りとなり、


今となっては私のあの作品たちがどこにあるのかは知れないのである。





 一方攫われた私はと言うと、再び奴隷商に売られることとなった。


 今度の奴隷商はあまり待遇のいい商人ではなく、私は首輪と鎖に繋がれて、他の奴隷たちと共に汚らしい一つの檻に押し込められて荷馬車の荷台に乗せられた。


 風呂もなく、食事は1日1度のカビの生えた硬いパンが一切ればかり。


 男爵の元にいた頃からは比べ物にならない程の劣悪な環境を強いられたのであった。



 ところが育ちの良い(?)私である。数日の移動の後辿り着いた町で行われた、その日の市の顔見せですぐに買い手が付いた。




 新しい主人は、年の頃は30歳半ばか、若く逞しい男だった。

 

ー…彼の名はジャック。


 ジャックは友人に無理に奴隷市に連れてこられて迷惑がった様子で、初めは奴隷など買わないつもりでいた様だった。


 ところが檻の中でただ1人、他の奴隷に比べやけに身なり良く美しい容姿の私を目に留め、話しかけてきた。


「お前、本当に奴隷なのか?」


 私はこれまでの経緯を簡単に話した。

ジャックは特に興味を持った風でもなく


「ふーん」と一言こぼすと


「おい、商人」と奴隷商を呼びつけ


「俺はコイツを買うことにする」と言った。



 ジャックと共に来た友人は「どうして男の奴隷なんか…」と嘆いていたが、当のジャックは「そんな事は俺の勝手だろう」と言い捨てただけだった。



 身なり振る舞いも良く、文字の読み書きも出来る上、容貌も美しく若い私は、結構な高値を付けられていた様だが、ジャックは少しも躊躇わずに私を買った。



 こうして引き渡された私の、首に繋がれた首輪と鎖を見て、ジャックは眉をひそめると、奴隷商に向かって

「おい、この汚らしい首輪を外せ」と言った。



 首輪を外すと奴隷が逃げる可能性があるからやめたほうがいいと言う奴隷商の言葉を最後まで聞きもせず、ジャックは


 「いいからさっさとしろ。これはもう俺の所有物だ。どうするかは俺が決める。」と言い放った。



 商人は初め躊躇ったが「どうなっても知りませんからね」とつぶいやいて首輪を外した。



 奴隷としての心得を持っている私は、もちろん逃げ出すなどという無粋な真似をするはずもなく、大人しくジャックの後を着いて歩いた。



 市を出て直ぐにジャックは友人と分かれた。

私は黙って彼の後を着いて歩く。


 ジャックは私を振り返るでも呼びかけるでもなくただ前だけを見て淡々と進む。




 私は自らを眺めてみた。

(ああ、そうか…)


今の私ときたら、仕立てこそいい物の誘拐されたあの晩から着ている作業着である。


 あの晩私はアトリエで眠りこけていて、シワの寄ったズボンと、袖に絵具の飛んだ白いワイシャツ姿だ。おまけに自慢の金髪も、長らく風呂に入れなかったせいでボサボサ。


 これを連れと思われたくないのだろう。



 しかしどんなに薄汚れた身なりをしていても、この美貌は翳ることがない様で、私はすれ違う人々の視線を集めた。



 「まぁなんて綺麗な子かしら。どうしてあんなみすぼらしい格好を…」


 「あれは女か?いや、男だろうか?

きちんとすれば見違えるだろうに…」



 などと、囁き声が聞こえてくる。



 程なくしてジャックは馬車に乗り込んだ。私が横に立つと


「…いいから早く乗れ」と、またも眉をひそめて言った。



 しばらく馬を走らせて着いた先は、男爵の屋敷程ではないものの、中々の大きな屋敷だった。



 屋敷の中へ入るとそこへ、執事らしき老紳士が出迎えた。



 「おかえりなさいませ、旦那様」



 執事はジャックに頭をたれると、ジャックの上着を預かった。



 「恐れながら旦那様、そちらの御人はお客様でございましょうか」



 執事はこちらに一瞥もくれずにジャックに問うた。



 「これは俺が奴隷市で買った。

どうにも汚くてかなわん。お前に任せるから何とかしろ」



 ジャックはそれだけを言い捨てるとこちらを振り返りもせず、奥の部屋へ姿を消した。


 

「承知いたしました。」


 執事はジャックの背中に向かって頭を下げて見送った後、私の方を向き直り。


 

「こちらへ。」





 と、少しも顔色を変えることもなく。

私は、ジャックの消えた部屋とは反対の廊下へと促された…


 

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