Act.9-428 ペドレリーア大陸・ラスパーツィ大陸臨時班派遣再始動〜ビオラ・スクルージ商会戦争〜 八章〜盗賊崩れの傭兵団の襲撃、或いはスクルージ商会崩壊への序曲〜 scene.5

<三人称全知視点>


 死の間際に駆け巡る走馬灯のように、暗い闇の底へと落ちていったシャイロックは夢を見た。

 それは、大陸を襲いし大飢饉――その前例のない混乱を商機と捉え、この世の全てに等しい富を手に入れた男の華々しき人生、その終幕の物語である。


 シャイロック・スクルージはとある村との取引に向かう途中に倒れた。

 その原因は長年の過食と運動不足――つまり生活習慣にあった。


 辛うじて命は長らえたが、意識を失った代償は大きく、後遺症により体を動かすことも口を利くこともできなくなったシャイロックはただヘッドの上で事の行く末を見守ることしかできなかった。


 妻も子も兄弟もない彼の財産は法に従い全て彼の使用人頭――カルコロが代理で治めるようになったが、不幸なことにカルコロはシャイロックのような商才を欠片も持ち合わせていなかった。

 シャイロックの目から見れば明らかに誤った契約を迷うことなく締結し、ジワジワとシャイロックの資産を目減りさせていくカルコロ――彼の愚劣さに何度叫びたいと願ったことか。

 しかし、その願いは決してシャイロックの「神」に聞き届けられることは無く、それどころかこれまでの寵愛の帳尻を合わせるように少しずつ破滅の方角へとスクルージ商会を向かわせていた。


 だが、シャイロックにスクルージ商会の破滅を見届けるほどの時間は残されていなかった。彼が人生を賭して創り上げたものが崩壊する姿を見る権利すらシャイロックには与えられていなかったのである。……まあ、この点は幸運と捉えることもできるかもしれないが。

 

 そして、遂にシャイロックの命が尽きる日がやってくる。


 贅沢な調度品に溢れた商人王に相応しい部屋――民衆の一生分の稼ぎをもってしても手に入れることができない豪奢なベッドの上で。

 この地上で最も富んだ王は、死を迎えた。


 誰からも見送られることもなく……否、誰から見送られることも拒否したその王の死は、華々しい生涯とは裏腹に孤独で冷たい空気に包まれたものであった。



 その夢を「くだらない」と吐き捨てようとして、シャイロックにはできなかった。

 今、まさに死に瀕しようとしているシャイロックにとって、あの夢はこれから現実になるかもしれないものである。


 あの夢は商人として、望みうる最高の場所に立った自分の最晩年――あり得べからず可能性の未来だったのではないか? そんな気さえした。


 気がつくと、シャイロックは暗い世界の中にいた。シャイロックの前には一つの大きな扉が聳え立ち、それ以外にはただ闇が広がっているだけである。


「……ふん、まだ夢は醒めていないということか」


 「まだ、この後味の悪い夢が続くのか」と苛立ちを覚えながら、シャイロックは扉を開ける。

 そこは、どこかの町の宿の一室だった。以前、行商のために訪れたことがあったことを思い出していると、宿の一室に一人の少女と文官風の青年が入ってきた。


 ドレスを纏った身なりの良い一国の姫君のような気品のある少女はその宿の一室に一人の男を招き入れる。


「あれは、ダイアモンド帝国の皇女……それに、あれは私、か?」


 シャイロックにこうして帝国皇女ミレーユと直接言葉を交わした機会はないのだが、何故かシャイロックはその光景にどこか懐かしさを感じた。


「これは、わざわざ遠い所をいらして頂いて感謝致しますわ。はじめまして。帝国皇女、ミレーユ・ブラン・ダイアモンドですわ」


 それから優雅な動作で立ち上がり、美しいカーテシーで挨拶をしつつ、堂々たる自己紹介を決める。

 そして、ミレーユはシャイロックにお茶菓子を勧める。……実は前の時間軸でシャイロックと会談をした際、お茶菓子を勧められなかったことを覚えていたミレーユが少しでも太っ腹なところを見せて格の違いをアピールしておこうとしただけなのだが、二人のシャイロックも同席するルードヴァッハもその事実に気づくことはない。


 ミレーユとシャイロックはしばらく本題に入らずに互いに動向を伺っていたが、遂にシャイロックが本題に切り込んだ。

 

「ところで皇女殿下。例の、わたくしめの申し出さ受けて頂けるのでしょうか?」


「申し出……ああ、あれですわね。ええ、そうでしたわね。クロエフォードの三分の一程度のお値段とか……」


「クロエフォード商会のダルカの娘と、姫殿下はご友人とお聞きしております。その友情のお値段と考えて頂ければ。……取引のためにコネをふいにさせるのですから、このぐらいの値段をつけなければ、ご満足は頂けないでしょう?」


 媚びるような視線をミレーユに向けつつ微笑を向けるシャイロックにミレーユもまた笑みを返す。


「なるほど、納得致しましたわ。確かに良い条件の契約ですわね。けれど……お断り致しますわ。シャイロック・スクルージ、あなたにずっと言いたいと思っていたことがありますの。なんでも金で解決できると思っていたら、大間違いですわよ?」


 全く身に覚えのないことで怒りを向けられ、シャイロックが困惑する中、ミレーユは会心の笑みを浮かべながら話を続ける。


「先ほども言いましたけど、金などわたくしにとっては重要ではないのですわ。わたくしにとってはお金よりも友情や信頼が、忠義や感謝が大切ですわ。それをお金で売り払うなんて愚か者のすること――世の中、何でもお金で解決できるだなんて思っているのだとしたら、勘違いも甚だしいですわよ。そんなことだから物事の真の価値を見失うのですわ」


「なっ……愚かな……。所詮、『帝国の深遠なる叡智姫』などと謳われてもこの程度か……」


 わなわなと怒りで肩を震わせたシャイロックは負け惜しみの言葉を吐いた。

 「僭越ながら皇女殿下、友情だの、信頼だの、そのような感傷に囚われて損得を見誤るのは弱さに他なりませんぞ? 金の合理を、感情で否定するなど……」などとこの世界のシャイロックは負け惜しみの言葉を続けていたが、ミレーユ達のやり取りを俯瞰するシャイロックには彼のように負け惜しみの言葉を吐くことはできなかった。


 鋭く見開かれたミレーユの瞳は、まるで華麗なる人生の果てにある、あの暗黒の未来を見据えているようだった。

 その言葉は、シャイロックの人生の全てを否定しているようで、シャイロックは憤怒に身を焼かれ、ミレーユを睨め付ける。しかし、それは心のどこかであの夢が真実であると、近い未来、あれとそう大差ない結末を迎えることになると思っていることの裏返しだった。


「だからといって、今さら生き方を変えられる筈がない」


 金のために多くのものを切り捨ててきたシャイロックは、もう引き返すことができないところまで来ていると考えていた。

 自身の「これまでの生き方」を損切りし、新たな自分に生まれ変わる勇気が無かったという方が正しいのだが、シャイロックはその事実に気づくことはない。


 そして、舞台はラージャーム農業王国へと変わる。

 シャイロックの二度目の終焉――その瞬間が間近に迫ろうとしていた。


 レティーシエル・ビリーリーフ・ラージャーム第三王女とアーシェリウム・ビリーリーフ・ラージャーム第二王女を味方につけたミレーユは、ラージャーム農業王国に掛けられた農奴の呪いを事も無げに解くと宣言したのである。

 勿論、帝国皇女とはいえ条約を破棄する力はない。しかし、ミレーユにはダイアモンド帝国の食糧自給率を高める秘密兵器――寒さに強い小麦と、聖女リズフィーナ、ライズムーン王国のリオンナハト王子、プレゲトーン王国のアモン王子、帝国四大公爵家の子女達――条約を破棄するだけの後ろ盾と切り札が揃っていた。


 「金を第一として生きる」シャイロックの生き方を真っ向から否定したミレーユに痛い目を見せようと目論んだラージャーム農業王国との商談はミレーユの利益を一切無視した「寒さに強い小麦などという金儲けの情報をただで教えて回るという暴挙」と「ラージャーム農業王国の呪いを解く」という二つの提案によって悉く崩壊したのである。

 それでも、諦め切れなかったシャイロックは必死に足掻こうとするが、己の不摂生が再びシャイロックに襲い掛かった。


 意識を失ったシャイロックを救ったのはターリアという少女だった。

 医学の道を志すその少女は、若き日の……まだ青臭い青年だったシャイロックが初めて仕事で大成功した時に作ったものだった。


 今の金を信仰するシャイロックにとっては若気の至りにも等しい所業。

 しかし、そのかつて蒔いた種が――愚かな無駄遣いだと切り捨てたものがシャイロックの命を救ったのである。


 自らの「金を信じ、それ以外全てを切り捨てた」生き方によって死の淵に立たされ、無駄遣いと切り捨てたものによって命を救われたシャイロックは、これまでの自分の価値観が意味のないものであったと突きつけられ、一体何が正しいのかが分からなくなっていた。

 そんなシャイロックにミレーユはトドメを刺す。「人は自ら蒔いた種の実りを必ず自分の手で刈り取らねばならないものであり、シャイロックを滅ぼすのはシャイロック自身の行いである」という言葉によって。


 あの暗い水の底のような絶望の世界が死であるというならば、全ての者はあの世界に行くのだろうか?

 しかし、シャイロックにはどうしてもそのようには思えなかった。燦然と輝く叡智の姫であるミレーユとシャイロックの末路が同じであるとはとても思えなかったのである。


 一度地獄を味わったシャイロックは、もう一度あの世界に行きたいとは思えなかった。

 もし、やり直すことができるのだとしたら、やり直したい。……しかし、既に後戻りができない所まで自分は来てしまったと、シャイロックは考えていた。


「間違ってしまったところまで戻って、そこから正しい道を探す……それ以外に方法はありませんわ」


 しかし、ミレーユの言葉はシャイロックの考えを否定する。後戻りができない所などというものは存在しないと、いつ、どのような状況であっても心を入れ替えてやり直すことができると。

 それに、ミレーユはシャイロックの行いを全て否定した訳では無かった。ターリアという自らを救った存在もまた、シャイロックが蒔いた種であると。


 まだ儲けに拘るようになる前に、純粋の人々のためを思って商売をしていたかつての自分の蒔いた種を、その象徴であるターリアを見てシャイロックは心を入れ替える決心をした。


「……私にも、できるだろうか? この夢のように、生き方を変えることが……」


 そんなシャイロックとターリアの姿を見て、自分も変われるのではないか……そう希望を持ったシャイロックだったが。


「なっ……なんだ、地面が……やめろッ!! やめてくれ!!」


 突如としてシャイロックの立っていた床にヒビが入った。

 その崩落に巻き込まれ、シャイロックは落ちていく。深く暗い世界に……奈落の底へと。


 シャイロックは必死に手を伸ばし、ベッドに横たわるシャイロックとターリアに、希望の光を掴もうとするが、次第に光は小さくなり、シャイロックは完全に闇に呑まれた。

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