Act.7-7 血塗れ公爵前奏曲〜先代メネラオスと、ブライトネスの血の洪水〜

<三人称全知視点>


 二十四年前、ブライトネス王国ラピスラズリ公爵邸にて――


 その日は朝から黒々とした鈍色の雲が深く垂れ罩め、空を覆い隠していた。全くの予兆なくして引き起こされた前日の痛ましい悲劇を嘆き、高貴な青い血を引く者達の死を悼む鎮魂歌レクイレムのように、或いはこれから巻き起こるであろう激しい粛清によって流れる血の洪水を悲歎するように昨晩から降り出した季節外れの雨は明朝になって止んだが、未だに晴れぬ空と、湿った空気がその悲しみの余韻を引いている。


「噫、なんという悲劇だ。私の陛下が……」


 シャツの他、黒一色という貴族紳士の外出衣装に身を包んだ長身でありながらかなりの細身で、三十八歳という若さながら頬骨が目立つ肉付きの悪い老け顔で白髪と長い白髭の老人という印象を与える容姿の男は、何度目かも分からない嘆きの言葉を譫言のように呟いた。悲壮感たっぷりの表情を浮かべている。


 彼――メネラオス=ラピスラズリとその家族、使用人達が仕えていたブライトネス王国の王族達が殺されてしまった。


 若くして王位継承の順番が回ってこないことを悟り、元々国王向きの人間ではないからと早々に冒険者として隣国の国王達とパーティを組み、王宮を離れていってしまった第七王子のラインヴェルドと友人関係にあるフォルトナ王国の王太后の元を訪れていた側妃ビアンカ、運良くその日家族のお茶会に参加していて王宮にいなかった第八王子のバルトロメオ以外――国王陛下と第一から第六の王子達、第一から第三の王女達、正妃と側妃三人に至るまでたった一人も残らず毒殺された事件。


 ブライトネス王国はフォルトナ王国と並び平和な国だった。その平和で安全な国で、その幸福が永劫まで続くと信じていた国民達は混乱した。つい先日、第三王女が生まれたという喜ばしいニュースが国中を駆け巡っていたことも、この絶望をより衝撃的なものへと変えることに一役買っていた。

 彼らによって根も葉もない噂がばら撒かれ、隣国や周辺国にも緊張感を与え、軋轢を生じさせている。ブライトネス王国を中心とした悲劇の波紋は確実にブライトネス王国を揺るがし、隣国や周辺国との間で長い年月を掛けて築き上げたものを少しずつ破壊していっている。


 今の国内情勢が極めて複雑であることを一部の貴族や裏に通じる者達は知っていた。

 ブライトネス王国への侵攻を企てる隣国シャムラハと、それに同調し固定されて久しい身分を一新し、更なる富と権力を得ようと目論むブライトネス王国の貴族達(主に下級貴族だが、中にはブライトネス王国に長く仕えてきた公爵家や伯爵家の姿もあった)の存在をメネラオス達は掴んでいた。にも拘らず、悲劇も未然に防げなかったメネラオスは激しい怒りと深い悲しみの中にあった。


 しかし、その悲壮感たっぷりの表情や悲しみの言葉がどこか演技めいて胡散臭く見えるのは、メネラオスという人間が悲しみや忿怒といった人間らしい感情を人間らしく感じないからであった。彼の根源に存在するのは全てを殺すことへの愉悦。彼の感情とは、その殺戮の愉悦を肯定する免罪符であり、殺戮へと誘う原動力であり、それ以上の意味を持たなかったからである。


 そのような歪な主人の元には、歪な者達が仕えていた。雨が上がったばかりの庭に各仕事着を身に纏い、漆黒の手袋を嵌め、自分の武装を持ち、集結した公爵であるメネラオスの全使用人達も、朝になったにも拘らず喪に服すように全てカーテンが締め切られたラピスラズリ公爵邸の静謐で悲しみに包まれたイメージとは対照的で、悲しみを取り繕う表情の裏には飢えた猛獣のような殺しに対する渇望の感情が見え隠れしている。


「その悲しみが少しでも晴れますよう、亡き陛下と王家一族に捧げるべく、人生で最も美しく捌いて見せましょう」


 戦闘使用人の中では比較的冷静な男という印象を持たれやすい男だったが、戦闘使用人としては第一指令塔であるジーノに次ぐ第二指令塔であるその料理長は三歳の頃に刃物を手に取ってから、その生涯を費やして生きたまま人を捌くことに全霊を捧げてきた。絶命のギリギリまで生きたまま切り刻むには、取り出せる臓器はどこまでか、という研究については十代で終えており、現在はより美しい切断面を目指して技を磨いている。

 手術用手袋と外科の手術着のような衣装を身に纏ったこのシリアルキラーは表向き王都の有名料理人という顔を持ち、メネラオスにその才能を見出されて引き抜かれた古株であり、その隣でジト目を向ける庭師の作業着姿の少年とはほぼ同期という位置関係にあった。


「付き合い長いけど、未だに良さが分からないよね、お前の人体コレクションって。というか、料理人が外科の手術着とか悪趣味じゃない? 料理は解剖じゃないと思うんだけど」


「中年とは思えない口調と容姿でジト目を向けてくるのやめて頂けませんかね? あなた、私と同年代なので今年で三十歳になった筈では? それから、料理と解剖が違うということですが、料理も解剖も実験を積み重ね、論理を突き詰めていく科学です。例えば、香ばしい風味と褐色の焼き色が出るのは、魚や肉、パンなど食材の中に含まれるアミノ酸と糖が加熱によって結びつく反応で――」


「ああ、そういう話は苦手だから勘弁してね。それと僕はこの子供の格好が好きだから変装をやめるつもりはないよ。僕の本当の顔は旦那様だけが知っていればいいからね。……いずれは、僕の変装技術と演技を次世代に継承したいところだけど」


「串刺しの技術は継承なさらないのですか?」


「まあ、串刺しは完全に趣味だからね……向き不向きもあるし。まあ、変装と演技に関しても向き不向きがあるから、もしかしたら後継者が見つからないかもしれないね」


 大人しげな守衛の男の問いに、庭師の少年は応えながら肩を竦めて見せた。

 それを皮切りに、最後の使用人の到着を待っている状態であった戦闘使用人達が、それぞれ和やかな様子で小さく談笑を始めた。「アンタレスさんの串刺しは大変素晴らしいものでございますね」、「マナーリンメイド長の戦いは真っ赤なお花が咲き誇って最高ですよね。ああ、私も同じところを担当したかったです。追い詰められて絶望して、命を削って死んで逝く様を見たかったのに」、「マイル、わたくしはただ行く先々の方が死と共に改心してくださるのを祈っているだけよ」、「お遊びもほどほどにしてください。私達にはお待ちしている沢山のお客様がいます。我々は一給仕となって速やかにお客様に『死』をお届けしなければなりません」……その談笑は料理長の戒めの言葉によって締め括られる。


「父上、本当に全員出動させるのですか?」


 王族が殺されたという異常事態にも拘らず、普段通りの戦闘使用人達を見渡した当時二十二歳だったカノープスは、使用人達の談笑が終わったところでメネラオスに話しかけた。


「全員で当たらないと全ての粛清を終わらせられないからね。大丈夫だよ、その間はお前の母が屋敷を守るから」


「大丈夫ですよ、カノープス。留守を犯す者がいたら、泣き声が枯れるまでたっぷり痛ぶって、手足を一本一本切り落として、わたくしが楽しく愉快に殺してあげますからね」


 白髪交じりの髪を貴婦人らしくゆったりと結い上げた、少しふっくらとした穏やかな女性がいつの間にか屋敷の入り口付近に立っていた。

 暗殺貴族バーネット伯爵家の娘でメネラオスの妻、リスティナ=ラピスラズリ――カノープスの母だった。微笑みがメネラオスのものとよく似ている。


 別にカノープスは母を心配していなかった。ただ、殺しがないと暇で悲しむ性格のリスティナが退屈しないように客人が屋敷にやってきてくれることを願っていただけだった。母の悲しむ姿を見たいと望む子供はいない。


「旦那様、お待たせ致しました」


 最後に到着したのは執事長のジーノ=ハーフィリアだった。ラピスラズリ家の陪臣であるハーフィリア騎士爵家の当主で統括執事である、見た目の年齢は六十代後半から七十代前半だと思われる、痩身で柔らかい白髪を後ろへと撫でつけるような髪型で、白髭も丁寧に手入れされた、深い皺の入った顔には柔和な笑顔が特徴的な男はメネラオスが当主を継ぐ以前からずっと変わらずこの容姿のままだ。一説には百歳だとも百歳を超えているとも言われているが、定かではない。

 第一指令塔である彼は、同時にハーフィリア騎士爵家という忍の統括者でもある。ハーフィリア家からは代替わりの度にハーフィリア家で最も優れた忍を使用人として推挙しており、この時はクイネラが、カノープスの時代にはエリシェアがそれぞれ戦闘使用人に加わっていた、がハーフィリア騎士爵家の人員はこの二人以外にも当然存在する訳であり、ジーノが最後に到着したのはその指揮をしていたからであった。


「私の陛下が逝ってしまわれた。唯一生き残ってくださった、あの第七王子殿下が新たな王となる。カノープス――彼が王位に就いた瞬間から君が時代の【ラピスラズリ公爵】だ」


「心を得ております」


「まあ、しばらく僕達も教育のために残りますし、ジーノさんもいますから全く問題ないと思うけど。……カノープス様はお優しいからな、きっと人間らしい家族が集まるでしょうね」


「まずは家族を見つけるところからですね、坊ちゃん」


 この日をもって、ラピスラズリ公爵家は一つの時代を終える。正式な爵位の継承は時期を見計ってだが、今日この日から内部の構造はガラリと変わり、新しい考えを持ったカノープスが新たな時代を作り上げていくのだ。


「あの方の毒剣となり、ブライトネス王国を守れ。私は次世代を始めるために、過去を清算してこよう」


 ああ、楽しい時間が終わるのは悲しいことだ……とメネラオスは言い残して踵を返した。ギラギラと殺意を滾らせ、凶暴な愉悦を浮かべたメネラオスを先頭に戦闘使用人達が次々とラピスラズリ公爵邸を後にしていく。そして、後にブライトネス王国で語り継がれる血の洪水と呼ばれる殺戮劇が幕を上げる。


 カノープスはそんな父親達の背中を見届けると、尊敬する母に向き直り――。


「行って参ります、お母様」


 穏やかな表情で告げ、仕えるべき主君ラインヴェルドのいる隣国の冒険者ギルドを目指した。



「随分懐かしい夢だった」


 大切な主君を喪ったあの日の夢を、メネラオスはもう随分と見ていなかった。メネラオスにとってあの痛ましい事件は思い出したくない過去であったからだ。

 息子カノープスに爵位を譲り、随分と経つ。裏方に徹してきたメネラオス達は……しかし、ラピスラズリ公爵家の常識に囚われない異端の令嬢によって呼び出され、新たな戦いに駆り出されようとしている。


「……危険な因子であるならば、排除も考えねばならないな」


 メネラオスは黒い手袋の上から異様に厚みのある黄色く鋭い爪に視線を落とした。

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