Act.3-8 公爵令嬢ローザの(優雅な?)日常 scene.1

<一人称視点・ローザ=ラピスラズリ>


 ネストが屋敷にやってくる……と決まったところで、何かが大きく変わる訳ではない。

 今日も今日とて、午前はビオラ商会で役員のジェーオ、ラーナ、ニーハイム姉妹、ラル、アンクワール、モレッティと全体会議を行ってから、各部署の見回りとアイディア提供(具体的に言えば何かを作ってみる)、融資の面接と仕事をして、昼食を挟んでからアネモネの姿で冒険者ギルドに赴いて依頼をいくつか見繕ってこなし、午後は屋敷に戻って漫画や小説などの作品作成、そしてペチカとジェイコブと共に調理室で再現料理の試食を行う。


 まず、ビオラ商会については服飾雑貨店『ビオラ』、書肆『ビオラ堂』、警備員派遣会社『ビオラ・セキュリティ』、私設銀行『ビオラバンク』、フォルノア金物店が母体となっている武器や防具から金属製品、家具など多くの領域の商品を雑多に販売する大倭秋津洲におけるホームセンターの概念に近い『ビオラ-フォルノアマルチセンター』が五つの大きな柱となっている。その他に新規事業や中小規模事業が多数存在するという感じだねぇ。

 飲食店や生鮮食品を販売する店も少しずつ増えている。傘下の飲食店というと、融資の面接に来て、融資ではなくこちらの傘下になるという形で全面サポートを受けるというメリットを選んだ者達が中心というか、全員だけど、そのうちペチカが店長を務める店を作りたいな、と思っている。……もし完成したらボクも平社員でいいからたまに料理を作らせてもらいに行きたいな、なんて。


 アネモネとしての依頼は塩漬けになっているものの中でも短時間で終わるものばかりを選んでこなしている。最近だとBランク冒険者のヴァケラー、Cランク冒険者チーム『疾風の爪』、Aランク冒険者のラルと組んだ即席チームで動くことが多くなっているねぇ。……まあ、毎回ナトゥーフの背中に乗せられて高速で目的地まで飛んでるせいか、帰ってくるとラル以外全員死に体になっているんだけど……。


 漫画や小説などの作品は書肆『ビオラ堂』を通じて販売している。割と色々なジャンルを書いているねぇ……貴族令嬢が隠れて読んでいるイメージのあるロマンス小説から、戦記物、騎士物語、貴種流離譚、歴史物語、怪談系、コメディー系、ミステリー/サスペンス、サイコホラーなどなど……それぞれの客層で需要があるから結構売れているんだよねぇ。なんとかインクジェットプリンター擬きとタイプライター擬きの開発に成功したから、それを表向きは利用して印刷技術を大幅に向上させたってことにしているけど……実は裏で地球産パソコンを自力で複製して、文書作成ソフトウェアで作ったものを印刷、手書きを通り越して現代技術フル稼働にしているってのは屋敷の中だけの極秘にしている。……流石にパソコン無いと厳しいからねぇ、一度に四作品同時執筆とか。


 そして、最後の料理。調理室を借りて、ボク、ペチカ、ジェイコブの三人で試作品を作って試食会をしていたんだけど(何故かそこにカトレヤも参加するようになったんだけど……暇なの? お茶会とかどうしたの? 貴族主催のお茶会という名の社交の場に参加して情報を集めてくるのが貴族の夫人の務めだったと思うんだけど……これってボクの記憶違い?)。


「…………これ、カレーというのよね? 美味しいわ」


「ローザお嬢様の故郷の料理でしたっけ、確かに美味しいですが……」


「これを実際に作れるようになったとして、販売するのは難しいと思います」


 カトレヤはお気に召したようだが、他の二人――ジェイコブとペチカの表情は微妙だねぇ。

 美味しい、美味しくないということは別として、大倭秋津洲帝国領婆羅多バーラタの多種類の香辛料を併用して食材を味付けするという特徴的な調理法を用いた料理が英愛連合王国(グレートブリテン及びアイルランド島連合王国)に輸入され、改良されたものを大倭秋津洲帝国連邦に輸入して更に改良したものがカレーライスだけど、現代の大倭秋津洲帝国連邦のように香辛料が簡単に手に入る世界ならともかく、大航海時代以前のような香辛料が手に入りにくい世界でこれを売り出すのは至難の技だよねぇ……というか、香辛料自体高級品だから、これだけ香辛料をふんだんに使った料理を作ろうとしたら、それこそ凄まじい金額を要求する「お金持ちしか食べられない料理」になりかねないし。


 そもそも、ヨーロッパでは十二世紀頃から、牧草が枯れる冬の前に家畜を屠殺して保存し、食料とする肉食が一般化したんだけど、塩漬けにされた肉を食べるには、胡椒などの香辛料で臭いを消さなければならなかったから、その需要が急速に伸びた。特に上流階級を中心に次第に扱われるようになったんだけど、こういった香辛料はヨーロッパではなく、婆羅多バーラタや当時香料諸島と呼ばれていたモルッカ諸島から輸入する必要があったんだよねぇ。

 大航海時代の主な貿易の一つは胡椒ペッパー丁子クローブ桂皮シナモン肉豆蔲ナツメグ小荳蒄カルダモン生姜ジンジャーなどを扱った香辛料貿易だったんだよねぇ……十五世紀末にオスマン帝国が地中海を制圧したことで東方貿易が困難になって、ヨーロッパ市場で胡椒価格が高騰したのが大航海時代が始まった理由の一つみたいだけど。


 この世界の場合、その婆羅多バーラタや香料諸島が獣人族によるユミル自由同盟とエルフの支配下にある緑霊の森に図式を置き換えられるんだよねぇ。

 つまり、ボク達のいるブライトネス王国などの人間の国と、エルフ、獣人族との関係は険悪。これらの国々と貿易をしなければスパイスは手に入らない……で、どうするか? まずヨーロッパ列強のような強引なやり方では軋轢を生む、できればオルタナティブ・トレードに近い、公正で持続的な取引をしていきたいところだけど……まずは交渉が必要なんだよねぇ。


 一応、香辛料類をブライトネス王国で作れないか試してみて、実際に二種類の方法で成功している……でも、気候を無視しているから科学的な方法では莫大な電力を消費するし、この国で主流になりつつある魔法師によって土地の生命力を無理矢理に引き出すっていう三圃式農業なにそれ美味しいのというやり方でもできるとは言えリスクとリターンが釣り合っていない。

 電気自体は生み出せるけど、そういうことじゃないんだよねぇ……効率的でなければ持続可能にはならないし、一人に比重を掛ける方法を採用していたら、その人が潰れた時に成立しなくなってしまう。


 そして、一度味を占めてしまった者は、もう元には戻れない。これ即ち、便利の呪い……ちょっと違うけど。


「……やっぱり、近いうちにエルフと獣人族とは交流を持っておかないといけないみたいだねぇ。……こっちに召喚された頃から一応検討だけはしていたけど」


「圓さん、本気で言っているんですか? 人間とエルフ、獣人族の関係は劣悪ですよ! シャマシュ聖教教会も天上光聖女教も亜人種は劣等種だと見做しています。……それに、仮にこちらから歩み寄ったとして、向こうがこちらの提案に応じてくれるとは思えません。きっと戦いになります」


「だろうねぇ。……ペチカさんの言うように難しいと思うよ。ありがちだからってボクが設定したけど、厄介極まりないからねぇ、これ。……まず前提として亜人種は劣等種じゃない、そういう色眼鏡をしている時点でまず交流は無理だねぇ。……だけど、相手というのは鏡のようなものだ。攻撃をすれば向こう側にも苛立ちが募り、やった分だけ跳ね返ってくる。それをすぐに無くすことはできなくても根気強く交渉すればきっと分かってもらえる……言葉が通じる訳だからねぇ。それでもダメならもう無理だ。世の中には決して分かり合えないこともない訳ではないからねぇ」


「なるほど……これは報告しないといけねえな」


 ジェイコブがニヤッと笑った……うん、予想通りの嫌な予感。


「……まさか、ジェイコブさん。お父様に報告するつもりじゃないよねぇ?」


「……………………そうだが?」


「お父様からラインヴェルド様に報告が行くんだよねぇ?」


「……………………そうだろうが?」


「面白がったラインヴェルド様が『ついでだからエルフと獣人族と交流を取り付けてこい。経済だけではなく政治的にも……そうだな、ローザに全て任せてしまえ。涼しげな顔をしているあいつがあたふたしているのは面白そうだからな』とか言い出しそうじゃない?」


「……………………そうなるかもしれないなぁ」


「……報告、やめてくれないかな? ジェイコブおじ様♡」


「だが断る! 残念だが、俺には旦那様にお嬢様の動向は全て包み隠さず報告するように厳命されているんだ」


 ……ああ、やっぱりこうなったか。……これ、秘密裏にやった方が良かったねぇ。交易の交渉を取り付けるだけでも大変なのに、国の代表とかだったらますますヘイト高まるじゃん。……一商会長の立場よりも遥かに。


 ジェイコブのカレーボウルに純粋カプサイシンを打ち込んでやった。カッとなってやった。そんな目で見るな。反省はお前がしろ。



 この後、面白がったラインヴェルドによって緑霊の森とユミル自由同盟との条約締結を目的とする使節団が編成されることになるんだけど……なんでこんなことになったんだろう? ……えっ、大体ボクのせい? そ、そんな、まさか……あばばばば!!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る