Act.1-2 クラスの高嶺の花は名も忘れた幼馴染との有り得べからざる恋の夢を見るのだろうか scene.2

<三人称全知視点>


 廊下を今にも倒れそうな髪の長い男が、ふらふらと宛らこの世に蘇ったゾンビか、将又この世ならざるものか(まあ、結局どちらも似たようなものだが……)、歩いていた。

 目的地は教室なのだが、足取りは覚束ない。


『全く……予定外だよねぇ。なんで仕事する度に余計な仕事増やして増量してボクのところに戻ってくるのかねぇ。全く、一応ボクってバイト君の立場にいる筈なんだけどさ……まあ、お仕事楽しいから別にいいんだけど。眠っ!! というか、ついでに新人教育を押し付けてくるとか、あの自称天才ゲームクリエイター、覚えていろよ……眠っ!! ……zzZ。おおっと、マズいマズい』


 髪で隠れた目の周囲には青黒い隈ができ、目は虚……何事か恨み言を呟いているようにも聞こえるが、生徒達の耳朶を打つほどではない。

 ――そういえば、前に見たのはいつだったっけ? というか、昨日と一昨日は休みだったか? 生徒達が思うのはその程度で、別段何か声をかける訳でもなく廊下をよたよたと歩いていく少年に目もくれず、各々目的地に向かって歩いていく。まあ、具体的には少年と同じく教室だ……ホームルームまであまり時間がないのである。


 徹夜でふらつく体でなんとか教室の扉を開け、そのまま幽鬼のような姿で自分の机へと歩いていく。

 そして……。


「ああ、そういえばここにも仕事を増やす人達がいたねぇ……」


 「おはよう! 三日ぶりだね、園村君!!」と嬉しそうに挨拶してきた咲苗の声も聞こえないようで、ゾーンに入ったように空気感が変わった園村はリュックサックから除光液やメラニンスポンジ、除菌スプレーなどを取り出すと慣れた手つきで「キモヲタ」や「死ね」と書かれた机の掃除を開始した。

 まるで「手慣れた主婦」か「掃除の専門業者」かという手つきは、そのままメイド服を着せればメイドに混じって働いていても不自然ではないほど洗練されている。


 あっという間に元々の綺麗な机に戻すと、「学校の備品って血税で賄われているんだけど……自分達の払った税金で買ったものにこんな不毛なことをして何が楽しいんだろうねぇ」という言葉を残して机に突っ伏し、そのまま猫型ロボットが頼りないからと邪神にいじめっ子をぶっ殺してくださいと七夕の短冊に書きそうな冴えない少年も斯くやという勢いで数秒で寝落ちした。


「…………起きてよ、園村君! 学校に来て早々撃沈しちゃうなんて……しかも、今日もギリギリだし……もっと早くきてくれたら沢山お話しできるのに……しかも、ほとんど寝ているし」


「咲苗、やめた方がいいわ。かなり疲れているのよ……彼のことを本当に大切に思っているなら、今は起こさない方が賢明だわ」


 途端、クラスのヘイトが爆発し、園村がビクッとして辺りを見回した。


「敵襲!! 殺気二十五超え!? ……えっと、人数多いし爆弾でとりあえず爆殺して、残った奴らはぶった斬るってのが賢明かな?」


「起きて早々色々と物騒過ぎるわよ!! とにかく落ち着いて、現実と虚構を混同しているわ!」


 正気を失っていた園村も周りを見渡して状況を理解したらしい。「……まだ例に挙げたのが爆弾レベルだったのは行幸だったねぇ」と、ぶつぶつと呟いている。


「……そもそも、なんでクラスメイトを爆殺させるのよ?」


「あっ、おはようございます、柊木さん、五十嵐さん。えっと……反射的に? ほら、ボクって殺気の感知能力はそこそこですけど、危機感というか、強者の判別というか、そういう才能が全くないんですよねぇ。なんで、殺気向けられたら、殺られる前に殺れ、というか、強者も弱者も焼肉にしてしまえば皆等しく焼肉ですよねぇ?」


 無茶苦茶な理論だ。ポニーテールにした長い黒髪がトレードマークで柔らかさを内包した鋭く見開かれた切れ長の眼が印象的な凛々しい系女神な、親友と同じくお人好しでお母さんのような包容力を持ち合わせる五十嵐巴にも、流石にこの不登校な不真面目オタク生徒の対処は無理だったようで、「これはダメね」と匙を投げた表情をしている。

 なんというか、決定的に常識とされている部分が違うのだ。だから、同じ言語を使っていても、まるで宇宙人と話しているかのように、根本的に話は通じない。


「……ほら、咲苗……貴女、話したかったのよね? この厨二病を拗らせて高二病を発症している不良生徒に対処できるのは貴女くらいだわ」


「……いや、高嶺の花な咲苗さんにオタクの話についてくるとか無理だよねぇ。それに、最近は割と前線を退いているというか、矢鱈と忙しくてろくに今期のアニメとか新作のライトノベルとか読めてないんだよねぇ……後、現実と虚構の違いくらいは理解しているよ? まあ、世間一般がいうところの現実と虚構であって、人間という生き物は虚構に塗れた生き物だと思うけどさ。顔を使い分けるとか、文章を書く時の虚構性とかさ……代表的なのは太宰治の『千代女』とかかな?」


 オタクというよりは哲学者か文学者かと言いたくなるような持論を展開する園村。

 遅刻、突然の早退、授業中の寝落ち、不定期に学校に来る……どうしようもなく素行の悪く、不健康な男だが、その言葉には一々老齢した者特有の重みがあるのは何故だろうか?


「とりあえず、敵襲はなさそうだし、ホームルームが終わるまで一眠りさせてもらおうかねぇ。それと、ボクは芸術至上主義な生き方を変えるつもりは毛頭ないからさ。こんなボクなんて放置しておいた方がお互いのためだと思うよ?」


 そう言い残すと、園村は今度こそ夢の世界に旅立った。


「…………いくらなんでもひどいわよ! 咲苗がどれだけ貴方のことを想って……「いいの……私、負けないんだから! 今はダメでも、いつか絶対振り向かせるんだから!!」


 園村のあまりにも冷たい態度に流石の巴の堪忍袋の緒も切れ、園村に一言言おうとしたのだが、それを制したのは他でもない咲苗だった。

 無自覚で突撃系の咲苗は捨て台詞を残し、園村の机を離れる。

 当然、クラスからの園村に対する評価は更に下がった。その理由は、女子勢からは咲苗に面倒をかけ、なおも生活態度を改善しない態度への不快感、男子勢からは「オタクの分際で高嶺の花の咲苗さんに甲斐甲斐しくされるとか許せねえ! なんで、あいつなんかが……」という、要するに嫉妬である。


「咲苗、またあいつの世話を焼いているのか? 全く、本当に咲苗は優しいよな」


「全くその通りだぜ。そんなやる気ない奴には何を言っても無駄と思うけどなあ」


 園村の机の付近に新たに二人の男子高校生が現れた。


 一人はサラサラの茶髪と優しげな瞳の高身長な好青年――中、高共にサッカー部のエースストライカーで全国レベルの実力者で爽やかなカリスマ性を持ちの人気者の聖代橋曙光。

 善意と正義感の塊であり、人間性善説信者。喧嘩両成敗、握手すれば蟠りは無くなると本気で思っている、悪いことは記憶を改竄し無かった事にして、ご都合主義に書き換える勇者体質の持ち主という難儀な性格を持っているが、それを知る者はごく僅かということもあり、クラスからの人気は高い。


 もう一人は短く刈り上げた髪に鋭さと陽気さを合わせたような瞳を持つ、屈強な体躯を持つお気楽で能天気な熱血漢―― 荻原鋼太郎。

 ちなみに、この熱血漢、内心、想いを寄せている巴と目だけで以心伝心と言わんばかりに心を通わせている園村のことが気に入らないようなのだが、巴は既に園村のことを「言語コミュニケーションが成立しない宇宙人だから会話ができなくても仕方ない」と考えているので、事実は全くの対極にある。


「…………また、安眠妨害か。う〜ん、疲れている人に対する安眠妨害が罷り通って、よく分からない理由で殺意の四面楚歌って本当に意味が分からないよねぇ……まあ、相手がボクだからいいけどさ」


 生欠伸を噛み殺しながら園村は目を擦ると、招かねざる客にジト目を向けた。


「全く君はそもそもなんで学校に来ているんだい? その様子じゃ今年こそ留年が決定するんじゃないか?」


「……ん? あれ、そもそもなんで高校に来ているんだっけ? ……あれ? 百合の鑑賞のため? なんかもっと大きな意味があったような気がするんだけどねぇ…………そうだね、さくっと退学届書いて帰るか」


「それはダメだよ!!」


「ダメです! 考え直してください!!」


 咲苗の必死の訴えと、廊下から入ってきた女教師の声が被った。

 女教師の名前は新宮寺しんぐうじ愛望まなみ。咲苗達が住む大倭秋津洲帝国連邦でも名門とされる私立大学の黒澤大学の出身で、今年二十五歳になるものの百五十センチ程の低身長に童顔、ボブカットの髪というテンプレなちっこい系教師だ。

 担当教科は社会科で非常に人気がある。実は非公式のファンクラブがあるという噂もあるのだか、定かではない。


「新宮寺女史、生徒の自主性を重んじるのが教師の本来あるべき姿だと思われますが?」


 その隣に立つのは長身痩躯、少し長めの黒髪に黒縁メガネを掛けた知性風イケメン。スリーピーススーツの上から漆黒の偏方二十四面体トラペゾヘドロンに歪んだ逆五芒星を合わせた紋章が描かれた徽章を左襟につけた白衣を纏い、眼鏡から怜悧な双眸を覗かせるのは、鳴沢高校二年三組の副担任をしている、赴任二年目にして理系教科全ての統括を任された理系教科主任の門無もんない平和ひろかずだ。

 彼もまたその優れた容姿から主に女性生徒から多数の支持を集めており、ファンクラブも存在するらしい。……まあ、あくまで非公式ではあるが。


「――よっ、親友。久しぶりだな。ところで、ずっと気になっていたんだが、あの平和先生の襟についている紋章って星の智慧派のものじゃないか?」


 再び夢の世界に旅立とうとした園村に声を掛けたのは、オタクで咲苗に構われていることからクラスの男女からヘイトを溜めている園村に唯一友人として接する東町ひがしまち太一たいちだ。

 彼はスクールカーストというほどではないが、野球部所属でそれなりに人気を得ている。また、園村ほどではないにしろオタクとしての知識を持ち合わせている、クラス公認のオタクである……何故、同じオタクでもそこまでの違いが出てしまうのか、その理由は咲苗に構われていることが主に理由である。


「……ん? 星の智慧派の紋章ってラヴクラフト氏の著作にもダーレス氏の著作にも、その他クトゥルフ作家の著作にも出てこなかった気がするけど……」


「でも、園村君。あの黒い偏方二十四面体って輝くシャイニングトラペゾヘドロンだよね? それに、あの星って旧神の印エルダーサインを反転させたものみたいだし……。ずっと気になっていたんだけど、もしかして平和先生ってナイア……「いや、流石にそれはないと思うけどねぇ。そもそも、門無平和教諭に限って、マッドとかあり得ないでしょう? あれだけ生徒から慕われている教諭が……って」


 園村に続き、東町も違和感に気付いたようで、普通に会話に入ってきた三大女神の一角の方に視線を向けた。


「…………あれ? これってボク達オタクって呼ばれる人種にしかついてこれない話だよねぇ?」


「クトゥルフ神話って最近は知名度が上がってきたけど、やっぱりマイナーだよな? なんで、咲苗さんが「私が話に混ざっちゃダメなのかな?」


 全く光の失われた瞳を向けられ、東町は蛙に睨まれた蛇のように固まった。

 なお、クラスのヘイトは全て園村に注がれている。「やれやれだねぇ……本気で高校辞めよっかな」と、さっきのやり取りを蒸し返すような呟きをしつつ、針の筵のような殺気の中、園村は凪のように静かな表情で咲苗と正対した。

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