iを忘れた男

@sakurakenshu

「iを忘れた男」 佐倉健修 作

男N 「陽の光が眩しいと感じるようになったのはいつからだっただろうか…そんなことを考えながら、冷めてしまった紅茶を見つめた。そこに写るのは自分の顔。おぞましい…とても見れたものじゃない。ため息をついて、立ち上がる。荒れた庭を見る。汚れた池を見る。壊れたブランコを見る。ここには、人が住んでいた。ここには、大切なものがあった。そう、感じる。感じるが…俺には、思い出せない。なぜなら」


愛  「悪魔?」

男  「…そう、見えるか?」

愛  「う、うん…」

男  「逃げないのか?」

愛  「逃げたいけど…」

男  「けど?」

愛  「逃げる場所、ないから」

男  「…そうか」

愛  「私、食べられちゃう?」

男  「人間を食べたことはない」

愛  「本当?」

男  「さぁな」

愛  「…信じる」

男  「ふっ…ここには、何しにきた?」

愛  「…思い出の…場所なの」

男  「そう、か…ここは、誰かの思い出の場所なんだな」

愛  「私くらいしか、ここには来ないけど…とっても大事な思い出なの」

男  「勝手に思い出の場所に入ってすまなかった」

愛  「え」

男  「俺は、ここに用はない。だから、ここから去ろう…じゃあな」

愛  「紅茶」

男  「…ん?」

愛  「残ってる」

男  「あぁ…飲めないんだ」

愛  「…その、頭だから?」

男  「危険なことを聞くお嬢さんだ」

愛  「ご、ごめんなさい…」

男  「いいさ。だが、こんな頭のやつとは話さないほうがいい。いいことはないだろう」

愛  「あなたは、違う気がしたから…」

男  「気のせいだ。今度こそ、じゃあな」

愛  「どうしてここに来たの!?」

男  「…変なお嬢さんだ」

愛  「よく、言われるわ」

男  「怖いと避けたのに、離れようとすれば声をかけ、近づいてすらくる」

愛  「気になったから…」

男  「(ため息)まぁ、行くところがあるわけでもない」

愛  「ひっ…」

男  「驚かせてすまない、レディ。もし、私を恐れないでいていただけるのでしたら…一時のティータイムをご一緒にお過ごし願えませんか?」

愛  「え」

男  「お茶会のお誘いです」

愛  「お茶会…そんなの、初めて」

男  「それは、良かった。あまりお茶には自信がなかったので」


男N 「悪魔と契約した。いつの頃の話なのか、何を目的に契約したのかわからない。頭を持ってかれた。今は、悪魔の頭蓋骨が俺の頭になっている。食べることも飲むことも…幸せな記憶を思い出すこともできない。ただ、何かをしなければならない。そう感じて、移動している。きっと、それが体に残された記憶なんだろうな…」


愛  「お父さんはね。いないの」

男  「…聞いていませんが?」

愛  「レディの話は、静かに聞くものじゃない?」

男  「ふっ…失礼いたしました。お聞き致します。紅茶を淹れながらでいいでしょうか?」

愛  「えぇ。もちろん」

男  「ありがとうございます」

愛  「いないと思いなさいって言われたわ」

男  「それは…なぜ?」

愛  「知らない。でも、いないわけがないと思ったの。私以外の子供たちには必ずお父さんとお母さんがいる。私にもお母さんはいるけど、お父さんはいないなんておかしいでしょ?それにお母さんは、今でも指輪をつけてる。絶対、お父さんは生きてると思うの」

男  「女性は、秘密が多ければ多いほど輝くものですよ?」

愛  「輝きを見てほしい人がいるってことでしょ?なおさら、生きてると思うわ」

男  「ふふふ。立派な女性だ」

愛  「私の名前ね、愛っていうの」

男  「愛…いい名前です」

愛  「ありがと。お父さんがつけてくれた名前なんだって」

男  「なるほど」

愛  「お母さんは、私に愛情を注いでくれてる。注げないお父さんは、代わりに名前で愛を注いでくれてるんだって。だから、私の名前は愛」

男  「…注げない代わりに、名前…」

愛  「うん。お母さんは、いつも言ってた。どんなになっても愛情だけは、あなたを愛する思いだけは、いつまでも注ぎ続けるからって。でも、できなくなっちゃったの」

男  「…ミルクは?」

愛  「いらない」

男  「では、砂糖を」

愛  「ストレートが好き」

男  「…かしこまりました…お悔やみ申し上げます」

愛  「いいの。とっても悲しかったし、とっても苦しかった。でも、私にはまだ名前がある。あと、お父さんが生きてるかもしれないから。」

男  「お強い方だ」

愛  「強くなりたいって思ったからね。形だけでもそうしないと」

男  「素晴らしい」

愛  「ありがと。ここは、昔のお家…らしいの。私は知らないんだけどね。難しい本がいっぱいあって、悪魔の研究をしてたみたい。あなたのその頭は…悪魔の頭蓋骨?」

男  「ふふふ…本当に秘密をたくさん持ってらっしゃる女性だ」

愛  「輝いてるでしょ?」

男  「えぇ…とても…ふふふ、人間と会話をしたのも…人間らしい振る舞いをしたのも…何年振りですかね…いつもなら固く閉ざし、開けないようにしているのに…本日は、鍵が開いているようだ」

愛  「真剣に答えてください」

男  「最初から、私が悪魔かもしれないから近づいたんですか?」

愛  「私のお父さんは、悪魔と契約して消えてしまった。私はそう思ってます」

男  「その悪魔に近づくため、か…本当に健気で儚い…美しい女性だ」

愛  「答えて!あなたは、悪魔なの!?」

男  「…お父さんは、何のために契約を?」

愛  「え」

男  「悪魔との契約は、願いの契約。何かの願いを叶え、何かを失うもの。あなたのお父さんは、何を願ったんですか?」

愛  「何を…願ったのか…」

男  「きっと、奇跡が起きたのでしょ?家族を愛した方だ。きっと家族のための願いのはず」

愛  「…私が、生まれた」

男  「それは、最高の奇跡じゃないですか?」

愛  「そんなことない」

男  「どうして?」

愛  「だって…私を産むために悪魔と契約したんなら…それくらい愛していたのなら…会えないなんて…不幸すぎるじゃない…辛すぎるじゃない…嫌よ…そんなの嫌!!」

男  「…今、幾つ大?」

愛  「…どうして、そんなこと聞くの?」

男  「気になったんだ」

愛  「…15」

男  「そうか…大きいな」

愛  「何!!よ…」

男  「すまんな。俺の体は冷たいんだ」

愛  「…どうして…同情なら」

男  「抱きしめたいと…思ったんだ」

愛  「…何なのよ…変よ…」

男  「あぁ…変だ…頭は空っぽで、記憶もないのに…突き動かす何かがある。心臓の鼓動が早くなる出来事がある。流れるはずのない血流が騒ぐんだ…今抱きしめないと、後悔する、と」

愛  「…お父さんなの?」

男  「さぁな」

愛  「じゃあ…お父さんと契約した、悪魔?」

男  「俺は…悪魔でも人間でもない」

愛  「…ややこしい…」

男  「俺も、面倒だと思っていたところだ」


男N 「きっと、俺がお父さんなんだろう。きっと、契約した悪魔と何かあったのだろう。だから、俺の頭は悪魔で、俺は俺ではないんだ。彼女を抱きしめられても、彼女の父ではない。彼女の願いを叶える力はない。俺は、骸骨生きてはいない。俺は、頭がない。だが体はある。願いはなくても、何かを成し遂げることは…できるだろうか?抱きしめた時の温もりは…紅茶を淹れる時のお湯よりも…魔力を使うときにナイフで手を切る時よりも…熱かった」


男  「おやすみ。愛」

愛  「…やっぱり、あなたは」

男  「違うよ。俺は、お父さんじゃないんだ」

愛  「…名前」

男  「ん?」

愛  「ありがとう」

男  「ふふふ…お父さんじゃ、ない…そうではない、が…その言葉は…嬉しいな…ふふふ…こんな骨のどこから、涙なんて流れるんだろうな」


女N 「陽の光が眩しいと感じるようになって、どれくらい経ったかな?…そんなことを考えながら、冷めてしまった紅茶を見つめたの。そこに写るのは私の顔。白い髪に白い肌、とても赤い瞳が光ってる…みんなは怖がるけど、私は好き。ため息をついて、立ち上がる。庭を見る。池を見る。ブランコを見る。ここには、人が住んでる。ここには、大切なものがある。そう、感じる。感じるけど…私には、思い出せない。なぜなら…」


男  「ハナビシ。外に出てたのか」

女  「うふふ。心配性ね」

男  「奴隷を監視するのは、主人の務めだ」

女  「奴隷、か。こんな過保護な主人をもって、私は幸せね」

男  「ふっ…紅茶はいるか?」

女  「えぇ。ストレートでお願い」

男  「あぁ」

女  「いつもの?」

男  「そうだ。不満か?」

女  「いいえ。薔薇の香りがして大好き」


男N 「ハナビシソウの花言葉は、私を拒絶しないで。一輪の薔薇の意味は、貴方を愛している。私。自分。i。愛。そのどれも…拒絶しないでほしいという意味を込めた名前。なんともまぁ皮肉な名前だ…さて、ハーメルンの悪魔よ。そろそろ私は、悪魔になれそうかい?」



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