第二章 怪しい雲行き

――二月十五日――

 冷一は紫杏と傘をまじまじと見比べた。

「今、それ浮いてたよな?」

「浮いたよ、それがどうしたの? まさか、私がそれくらいのことさえ出来ない落ちこぼれだとでも思ってた?」

「……手品には見えなかったけど」

「ちゃんと魔法使ったってば」

「待てよ。それってつまり……お前、魔法使いだったのか?」

「え?」

 今度は紫杏が面食らう番だった。

「何言ってるの? みんな魔法使いでしょ。冷くんも深紅も、私よりずっとすごい魔法使えるじゃない」

 冷一はいつもの無表情に戻って腕組みをした。

「面白い冗談だな。あいにく俺はそういう能力に恵まれてない。生まれてこのかた非科学的な現象とは縁がないんだ。幽霊も見たことないし」

「非科学的? 縁がない?」

 紫杏は突然全く知らない人になってしまったような冷一を見つめた。

 ……そういえば、今日は一度も空を飛ぶ人間を目にしていない。瞬間移動した誰かとぶつかることもなかったし、黒板の文字が消えたり現れたりもしなかった。

 まるでこの世界から、魔法がなくなってしまったような――。

「どうして……?」

 昨日まではみんな、普通に魔法を使っていたのに。

「どうして急に、魔法が使えなくなってるの?」

「だから、元々使えないんだって」

「そりゃ、冷くんがやたらに使う人じゃないのは知ってる」

 紫杏もそうだったが、理由は違う。紫杏は魔法が下手で、失敗ばかりだから、滅多に使わない。冷一は、魔法自体があまり好きではないのだ。学校へも歩いて通っている。

「紫杏」

「はいっ」

 冷一に名前を呼ばれ、紫杏は思わず身構えた。

「お前のフルネームは? 誕生日は? 家族構成は?」

「え? ……ひ、日野原紫杏。八月二十六日生まれ……十四歳の中学二年生。両親と双子の妹の深紅と四人暮らし」

「小学校一年から中一まで七年間、俺とはずっと同じクラスだった?」

「う、うん」

「奇跡だよな。普通あり得ない」

「でも、中二でクラスが分かれた」

「それも正解。全部合ってる」

 紫杏は眉をひそめた。

「何の答え合わせ……?」

「いや、お前パラレルワールドから来たんじゃないかって思って」

「パラレルワールド?」

「お前は魔法が当たり前に存在する世界から、魔法が存在しないこの世界へやって来た、別の紫杏なんだ」

「冷くん……本の読み過ぎだよ」

「お前の言ってることの方がよっぽど現実離れしてるだろ」

「そういう意味じゃなくて……冷くん、本当に魔法使えないの?」

 今度は冷一が眉をひそめた。

「どういう意味だ?」

「本の読み過ぎで、頭がパンク気味でおかしくなっちゃってるとか……」

「……」

 ――あ。いけない。怒らせた。

 言い過ぎたことを悟ったが、遅かった。

「わかった。今日は疲れてたんだってことにして、帰って寝る」

「冷くん、ごめん、冗談……」

「明日も変だったら教えて。じゃあな」

 冷ややかに言い、冷一はさっさと校舎の中へ入って行ってしまった。



 ――その夜。

「ねえ、深紅。今、そのコショウが床に落ちたらどうする?」

 家に帰ってご飯を食べながら、紫杏は深紅にあれこれ質問した。

「コショウが床に落ちたら? そりゃ、拾うよ」

「どうやって?」

「椅子から降りて」

「じゃあ、じゃあ、私と喧嘩して腹が立ったらどうする?」

「ひっぱたく」

「魔法……は、使わないの?」

「は?」

「あ、ううん、何でもない」

 思い切り怪訝そうに見られてしまったので、紫杏は慌てて顔の前で両手を振った。

 ――やっぱり、使えないんだ、魔法。どうして? どうなってるの……?

 夕食後、部屋に戻るとそのままベッドに横たわった。

「パラレルワールド……か」

 確かに今朝、目が覚めた時、何かがおかしいと思った。何かが足りないような気がした。何か、大切なものが……。チョコレートがなくなっていることに気付いて、そのせいだと思ったのだけれど。

「冷くんの言った通り、もしここがパラレルワールドなら、チョコレートがなくなってたことも説明が付く。この世界の私は用意していなかったんだ」

 紫杏はベッドの上で寝返りを打った。

「でも、どうしてこんなことになったんだろう。私、何もしてないよね……」

 考えているうちに、まぶたが重くなって来た―― 。

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