第二章 部長って

     1

 ボールがたけあきらの股の間をするりと抜けて、またネットが揺れた。

 男子チームのゴールだ。


「いやっっほう!」


 シュートを決めたのりが、飛び跳ねて喜んでいる。


「やったー!」

「ナイシュ~~!」


 残る四人が志田を押し倒して次々と上に重なり、歓喜の雄叫びをあげている。

 股抜きゴールを決められたゴレイロの武田晶は、地団駄踏んで悔しがっている。たとえ何点取られようと、失点が悔しいことは変わらない。ましてや股抜きともなれば、なおさらなのだろう。

 学校行事や病欠などで女子部の人数が足りず、ひょんなことから男子部と練習試合を行うことになったわけだけど……

 まさか、女相手にここまで容赦なく本気でくるとは。

 いいとこ見せたいのか、勝負にかける思いが我々とは次元が違うのか、それは分からないが、とにかく一人一人が完全に本気だし、向こうのキャプテンどんどん選手交代させて、疲れていないのを次々投入してくるし。

 そんなこんなで現在の得点状況、

 18―0

 男子の圧倒的リードだ。大虐殺といっても過言でない状態だ。

 あ、いま19―0になった……


「しゃーーーっ!」


 とよこうのオーバーヘッド気味のクリアを、さらに志田紀男がオーバーヘッドで前線へ送り、ループ気味のボールが飛び出していたゴレイロの武田晶の頭上を飛び越えてゴールインしたのだ。


「ミラクル!」

「宇宙最強!」


 またみんなで抱き合って喜んでいるし。

 こいつら、女子相手のゴールがそこまで嬉しいのか。しかも、一度や二度ならまだしも、もう十九回目だというのにまあいつまでも変わらぬハイテンションで。ゆりかごダンスまでやってるし。誰かに子供でも生まれたのかよ。

 しかしオーバーヘッドだなんて、わたしたち完全に遊ばれているよ。

 さらに点が動いた。


「うおおおっし!」


 高木ミットの雄叫び。そして両腕広げてほよほよと手を動かす変態的なダンス。

 男子二十点目は、ミットの六点目。ダブルハット達成、はい、おめでとさんだ。

 最初は失点が悔しかったが、もう麻痺してきたよ。ゴレイロの晶は相変わらず、地団駄踏んでいるけど。


 武田晶は一年生だけど、反応素早いし、ポジショニング的確だし、上級生にも物怖じせずにしっかりコーチングが出来るし、とても優秀なゴレイロだ。まさに守護神といって過言でない。

 でも失点はゴレイロだけで防げるものではないからな。攻撃も守備も、全員で行うのがフットサルなのだから。

 だというのに肝心のFPはわたしを含めて全員、あまりの疲労に完全に足が止まってしまっている。男子はいくらでも交代メンバーがいるので、時間がたてばたつほど体力差が出てくるのは理の当然。男子のゴールまでの間隔がどんどんどんどん短くなっていく。

 手を抜かれるよりは、ずっとマシなんだけどさ。遊びでもないんだし。

 ……。

 遊びじゃない、って、それじゃ、なんなんだろうなぁ。わたしたちのやっていることって。

 義務でやっているわけでもないし。好きで自分から飛び込んだわけだし。

 ……わたしたちは、いま、なにをやっているんだろうなあ。

 疲労困憊極みに達し、考えてもしかたのないことを考えてしまう。

 どうしてわたしたちは、肉体を苛めて、ときには怪我をしてまで、痛い、辛い思いをしてまで、頑張るんだろう。

 やらされている。そう思うなら、やめてしまえばいいのに。


 なつフサエも、はまむしひさも、らくやまおりも、そしてわたしも、ぜいぜいと肩を大きく上下させている。

 ピッチ外で、足を投げ出して地面に尻をついているくすゆう、彼女らも苦しそうな表情を隠しもせずぜいはあと呼吸をしている。極度の疲労に、隠せるだけの余裕もないのだ。人数が少なくて、交代出来るのが二人しかおらず、この二人ともいまのいままで全力で走り回っていたのだから。

 足が痛い。もう攣りそうだ。いや、半分攣ってる。だましだまし、体を動かしている。きっとみんなも同じだろう。

 織絵は、残った体力と気力を奮い立たせて、ふらふらとしながらもボールを奪いに詰め寄った。

 しかしそんなド根性をあざ笑うかのように、交代で初めてピッチに入ったばかりのわらたかしは、ベッキつまり最終ラインの選手である織絵の突進をひょいとかわしてドリブル独走、飛び出してボール奪取を試みる武田晶をもフェイントで楽々とかわして無人のゴールにちょこんとボールを蹴り込んだ。

 するするとゆっくり転がるボールに、ゴールネットが小さく揺れた。


「やったぜ母ちゃん!」

「おおお!」

「グレイトユニバーーーース!」


 飽きろよ、お前ら……


     2

「あつ~」


 わたしはグレーのベストのボタンを外して、パタパタと仰ぐ。

 足はフラフラ。もうなにをする力も残っていない。

 視界はゆっくり後ろに流れているからとりあえず歩けてはいるのだろうけど、足に感覚があるのだかないのだかそれすら自分で分からない状態。

 後ろでははまむしひさが、やはりけだるそうな表情で、スカートばさばさ暑がっている。


「みっともないなあ。本当に女子かよ」

「女子の服だから出来んだよ」


 すかさずいい返してくる久樹。まあ、確かにその通りだが。


「明日、絶対筋肉痛やで、ほんまに~」


 なつフサエがぼやく。なぜ関西弁?

 わたしと夏木フサエ、浜虫久樹、くすたけあきらゆうの六人が、学校の制服姿で、でっかいスポーツバッグを背負って重い足取りで歩いている。本当に、今日はなんだかバッグが異常なほどに重い。


「普通さあ、ミックスでやるよねえ」

「当然だよ、なんじゃありゃ、男子対女子ってさあ。せめて交代枠の数くらい合わせろっての。なんであっちだけ無限にいるんだよ」

「そんなんでゴール決めて、なんでああまではしゃげるかなあ」

「かんっぜんに、本気だったよねあいつら」

「しかも飽きるどころか、パフォーマンスがどんどん派手になってくのね」

「ったく、ガキじゃないんだから」

「ガキ以下だよ」


 わたしが内心思ってたようなことを、夏木フサエと楠見留美子が交互に口にしている。

 尽きぬ文句に唇が渇いたかフサエ、缶コーヒーを一口。


「あんたいつもマックスコーヒーばっかり、一日に何本飲んでんのよ。練乳入りなんでしょそれ? 糖尿病になるよ」

「いいじゃん、今日はあんな動いたんだから。糖分摂取しないと」

「普段はあんな動かないでしょ。ぜーったい糖尿になるわ、あんた」


 健康オタクの楠見留美子。二人の会話はフットサルから離れて他愛ない雑談へ。

 久樹は、ようやくスカートばさばさをやめたかと思うと、ふーーっと溜息をついた。

 惨敗という結果、相当に落ち込んでいるのだろう。

 隣の佐治ケ江も、なんだかうつむいた暗い表情であるが、彼女はいつもこんな感じにおとなしいので、悔しいのか悔しくないのかはよく分からない。


「そんな気を落とさないでよ」


 わたしは歩調を落とし久樹と並び、励ましてやった。


「でもさあ……」


 久樹は、力なく呟く。


「すごい、悔しいなあ。まさか、一点も取れなかったなんて」

「しょうがないって」


 わたしは久樹のちっちゃな背中をばんと叩いた。


「久樹、バー直撃の惜しいのもあったじゃない。ズガンって凄い勢いで、ゴレイロの寺田も全然反応できてなかったよ。そうそう、その前のサジのパスも良い感じだったよ。サジ、やりゃ出来るんだから、この調子で頑張りなよね」

「はい」


 ぽそりとか細い声を出す佐治ケ江。

 佐治ケ江優は一年生。センスも技術も非常にハイレベルなのだが、人を相手にするとどうにも消極的になってしまい、まともにプレーが出来なくなってしまうという致命的な欠点がある。そういう気の弱いところが直って、もう少し体力がついてくれば、レギュラー間違いないんだけど。


「悔しいなあ」


 久樹が、まだいってる。


「だから、しょうがないでしょ。むこう人数いたし、それに、腐っても男子なんだから」


 腐ってるかどうかは知らないけど。


「うん。……でも、腕力比べしているわけじゃないんだし、あたしたちとあいつら、そこまで差があるかなあ」

「まあ……一点くらいは、取りたかったよね」

「取りたかったね」


 わたしは久樹と並び、とぼとぼと歩く。


「練習するしかないよね」

「練習するしかないね」


 久樹は、力なく頷いた。

 ほんと、すっかり落ち込んじゃっているな。

 気持ちはよく分かるつもりだけど。

 久樹の受けた屈辱は、相当なものだろう。

 だって、もう十年以上もフットサルをやっているのだから。

 小さな頃は、ブラジル人の男の子に混じって。帰国してからは、地元の少年フットサルチーム、中学になってからは学校の女子フットサル部で。

 ほんの数年前までは男子の中で、しかも自信を持ってプレーしていたというのに、久しぶりに男子と対戦してみたら圧倒的な体力の差に潰されて、せっかくの優れた技術をまるで発揮することなく終わってしまった。

 悔しいし、悲しいのだろう。

 でも、もう高校生だからな、体格、体力に男女差が出てくるのは仕方ないよ。そのあたりは、陸上をやっていたわたしのほうが現実的に受け止められるところだ。百メートル何秒、ってはっきり数字に出る世界だからね。

 それと――

 数日前の夜のことを思い出す。

 夜の体育館。

 汗まみれでひたすらボールを追う男子たち。

 ぶつかり、倒れ、怒鳴られ、起き上がり……。

 いちおうあいつら、やることはやっているんだよ。とはいえ、やっぱり子供っぽいけどね。


「あ、織絵だ」


 楠見留美子が前方を指差した。らくやまおりが男子と手を繋いで歩いている。


「本当だ。一人とっとと帰っちゃったと思ったら。……あれ、織絵って高橋君と付き合ってんじゃなかったっけ?」

「梨乃、知らないの? 五月に別れたんだよ。で、一ヶ月もしないうちに、今度は三年生と」

「えー!」


 知らなかった。

 織絵と新彼氏は、二人でいちゃつきながらゆっくり歩いているものだから、わたしたちも足フラフラで相当ゆっくりだというのに追いついてしまう。

 しかし織絵ってば、妙に元気そうだな。

 さっきまで一緒に試合してたんだから、わたしたち同様にへとへとに疲れているはずなのに、どこからそんなパワーが溢れてくるんだろうか。もう一試合いけそうなくらいじゃないか。一番死にそうな顔してボール追っていたくせに。

 織絵は、後ろからやってきたわたしたちに気づくが、まったく照れた様子もなくベタベタし続ける。


「いいなー、織絵、彼氏いてさぁ」


 フサエ、ちっちゃな目をさらに細めて、心底羨ましそうな口調。やけ酒代わりなのか、マックスコーヒーを一気に飲み干した。


「なんかさ、彼氏作るようになってから、織絵、色々と変わったよね」


 留美子はすぐ横のフサエに対して呟いたのだが、織絵の地獄耳はその言葉を聞き漏らさず、


「分かるう? 恋するとねえ、女は綺麗になるのよ。まぁ、あんたらも頑張りなさいな」


 ほほ~、と不気味な高笑い。

 織絵と彼氏とは、横道にそれて姿を消した。


「変わったには違いないけど。綺麗には……なってないと思う。織絵には悪いけど」


 思ったことつい呟いてしまうわたし。


「むしろ、ごつく逞しくなったよね。おかげで二年からスタメンになったけど」

「あ、久樹もそう思ってた?」


 織絵は、それほどボール捌きや、体を動かす技術は高くはない。一年の時は体も痩せてて筋肉もなく、レギュラーには程遠い存在だった。

 一年生の冬休みに同じクラスの高橋君という彼氏が出来て、理由は謎だがその頃からどんどん体格が良くなってきて、プレーにも安定感が出てきて、いまやすっかり守備の要へと成長したのである。

 後世に伝わるであろう、我がフットサル部の七不思議の一つといわれている。

 まあ、やることさえしっかりやってくれれば、なにも文句はないけどね。

 それにしても、


「織絵うらやましいなあ……彼氏いてさぁ」


 わたしもつい、フサエみたいなことをぼやいてしまう。


「そう? あたしはもう、しばらくいいや。男なんか」

「え? え? なんだよしばらくって。久樹、彼氏いたの? いつ?」


 フットサルが生涯唯一の恋人だと思っていたのに。


「中学の頃にね。クラスの男子と好奇心からちょっと付き合ってみた。おれとフットサルどっちが大事なんだ、なんていうから、面倒くさくて別れちゃった。三ヶ月も続かなかったよ。単に一緒に登下校しただけだった」

「……そうなんだ。でもそれって女のほうの台詞だよね。あたしと仕事とどっちが大切なのよって。久樹がガサツな性格だから、彼氏が女っぽくなっちゃうんだよ」

「うるさいな」

「景子もいたのかなあ。モテそうな顔だしなあ」

「中学の時にいたらしいよ」

「ええ? そうなんだ。なんかショック……三人の中ではわたしだけか、彼氏いない歴イコール年齢って」


 いなきゃいないで別に構わない、と思っていたけど、いざこうして取り残されてみると、なんだか自分が惨めに思えてくるな。


「まあ、そのうちにさ、素敵な王子様があらわれるって。……などと話してたら、ほら、さっそくきたよ、王子が」


 後ろからやまゆうが歩いてきた。

 疲れきった、気の抜けた表情で、頭はフラフラとしていて、目はうつろ。


「よっ、王子様!」


 という久樹の呼びかけに、まるで夢の世界にいっていたかのような彼女の顔が一瞬にして現に戻ってきた。


「久樹先輩、その王子っていうの、やめてくださいよ!」


 山野裕子は一年生、女子フットサル部の部員だ。髪の毛が、男子のスポーツ刈り並みに短い。

 性格はともかくとして、顔立ちは結構整っており、ぱっと見が美少年ぽいので、久樹が最近やたらと彼女のことを王子と呼んでいるのだ。


「じゃ、その男みたいな髪型やめなよ。この角刈り王子が。あんたがヘディングするとボールが全部破裂しちゃうんだよ。板前ヘディングシュートでさあ」

「破裂するわけないでしょうが! 髪の毛くらいで! いたまえええっシューートッ! こんなんで破裂するくらいなら、不良品ですよ、そのボール。それにね、男みたいではなく、これは女っぽい短髪なんです。短髪イコール男、スポーツ刈りイコール男、という考えが古いんですよ。古いのが好きならフットサルなんかやめて蹴鞠でもやってりゃいいんです、中大兄皇子みたいなカッコしてさあ。シガニーウィバーの坊主頭だって、最高にセクシーじゃないですかあ。神取忍だって素敵じゃないですか。だからこれは女っぽい短髪なんです。あたしほど女っぽい女、世の中くまなく探したって、そうはいませんよ。久樹先輩、分かりましたか? 分かりましたかあ?」


 そう一気に喋りきると、腰を落とし膝に手を当てぜえはあと呼吸を整えている。


「そんなんで息切らしてたら、フットサルどこじゃないだろ。素敵なシガニーの魅力も伝わんないよ」

「シャラップ! そんな程度で息切らしているんじゃなくて、これほどの息切れをさせるほどに、先輩があたしの純真な心を追い詰めているんですよ! 気付けやあああ!」

「分かった分かった。ごめんごめん。ジャージ姿でトイレに入ると女子が悲鳴あげるのも、裕子のエレガントな輝きを見抜けない女子どもが悪い」

「分かりゃいいんです。でもなんか引っかかる台詞だな」


 久樹は、わたしの耳に口を寄せて、ぼそりと、


「ね、裕子からかうと面白いだろ」

「本当だ……」


 わたしと久樹は、どちらからともなく大きな声をあげて笑い出していた。

 裕子、自分でいうほど女っぽくもないのに。

 授業中に居眠りを注意されて、「だったら眠くならない授業やれや!」と先生を怒鳴りつけたという話、有名だ。


「なんか、すげー失礼なんすけど先輩たち」


 ブスーっとむくれっ面の裕子。


「ごめんね、王子様」わたしは謝り、真顔に戻ると、「それで、今日の補習はどうだったの?」

「あ、大丈夫っす。なんとかなりそうです。今日は休んじゃってどうもすみませんでした。明日からはちゃんと出ますから」

「んならいいんだけどさ」


 と久樹。


「そのうちレギュラーになったとして、それで赤点取ったからしばらく部活休みますじゃ困るんだからね、そうならないように、勉強もしっかりやること!」

「はい! 頑張りまっしゅ!」


 久樹の偉そうな言葉に、わたしは堪らず、ぷーっと吹き出してしまった。


「おい……木村君、木村部長、君が笑っていいとこじゃないと思うんだがね」


 久樹が不満そうな顔で、わたしのほっぺをつんつんとつついてくる。

 だって、久樹のくせに、勉強について説教してるんだもの。笑うなといっても、無理な話だ。


「社長、わたしは分をわきまえた発言しかしてませんから」


 などと二人で冗談をいっていると、突然、「ぎゃっ」っという鋭い悲鳴が。

 佐治ケ江優が走り寄ってきて、わたしの背中に隠れた。


「ちょっと、どうしたの、サジ?」

「あ、あれっ」


 わたしの肩越しに、前方を指差した。

 おばあちゃんが犬を散歩させている。マルチーズみたいな、小さな茶色い犬だ。頭に赤いリボン、よちよち歩いていて可愛い。


「あれがどうかしたの?」

「あ、あたし、犬っ、犬が、苦手なんです!」

「でも小さな犬じゃない」


 おばあちゃんは、犬と一緒に真っ直ぐこちらへ歩いてくる。


「うわあ」


 佐治ケ江は泣きそうな顔で悲鳴を上げると、学校へ戻るように、走って逃げていった。

 みんな、その姿を見て大笑い。


「ほんと可愛いな、あいつは」

「一番の体力なしがさあ、なんだ、ちゃんと走れるんじゃん」

「ガチガチで柔軟もろくに出来ないくせに、抱きしめるとふにゃ~っとしてて凄い柔らかいんだよな」

「いつ抱きしめたんだよ。フサエ、あんた、そっちのほうの趣味があったとは」

「久樹、いい後継者がいて良かったね」

「本当。うちの部の次期マスコットはサジで決定だね、久樹」


 みんなの視線を浴びて久樹は、


「そうそう、これであたしも一安心、っておい! 後継者もなにも、そもそもあたしはマスコットじゃないよ!」

「出た、久樹のノリツッコミ!」


 でも、アクシデントとはいえあんな大騒ぎをする佐治ケ江なんかはじめて見たよ。

 いままで地味というか、ちょっと暗いというか、部員たちの輪に溶け込めていないところがあったから、てっきり晶並みに物事に動じないクールな性格なのかなと思っていたのだけど、あんな感じに取り乱したりすることもあるんだな。

 もっとみんなと打ち解け合って、もっと溌剌としたプレーが出来るようになってくれればいいんだけどな。


     3

「だからね、、あたしがいいたいのは、しげと仲良くするなってことじゃなくて、茂美とはこれまで以上に仲良くなって他のみんなとも仲良くなろうねってこと」


 幼稚園の先生みたいなこといわせるなよ。


「分かってますけどお。きっかけも特にないし。それにあたしだけそうなって茂美を残したら、かわいそうじゃないですかー」

「なんで茂美を残すのよ」

「残りません?」


 どうだろう。

 真砂まさごしげは、黙々と真面目に練習している姿が好感持てる一年生だ。しかし黙々の度合いがあまりに酷く、ほとんど口を開くことがない。ここにいる大親友のしのに対してさえだ。そもそも大親友もなにも、亜由美が一人でそうだと主張しているだけで、茂美本人の口から聞いたことはないのだけど。


「残るかも」

「でしょ」

「いや、でも茂美なら別に悲しまないんじゃない? 一人になったって。……あ、もちろん仲間外れなんかにしないよ。そうじゃなくて、茂美はそういうこと気にしなさそうなキャラに思えるっていってるだけ」

「あたしが一人どっか行っちゃったら、メチャクチャ悲しむと思うなあ。茂美の心は誰よりオトメですから」

「オトメかよ。ねえ、茂美ってなんであんな無口なの? 練習の時も全然声出さないし。最初は注意してたけど、なんか事情というか、体質というか、あるのかなと思って。大手術して、実は声帯がないとか」

「なにもないですよ、そんな理由なんて。心の中では、誰よりも熱い雄たけびをあげているんですよ」

「チームの雰囲気ってのもあるんだし、心の中ではなく実際に声を出して欲しいんだけどねえ」

「先輩、あたしの前、茂美だったけど、やりにくかったでしょう?」

「そりゃ、ね。どちらかといえば、一年生からいろいろ意見して欲しい面談なのに、一方的にあたしが喋るだけになっちゃったよ。あの子、相槌も打たないから、まあやりにくいのなんの」


 いまなにをしているのかって?

 一年生を一人一人部室に呼び、面談をしているのだ。

 部の現状に不満はないか、わたしのやり方に問題はないか、二年生たちはどうか、などあらかじめ用意しておいて貰った意見を聞いていく。そして、それについて、わたしと一対一で話し合う。

 部長就任後一ヶ月くらいのタイミングで行う、創部よりの伝統行事だ。

 といっても、まだ同好会時代から合わせて六年の、さしたる歴史もない部だけどね。




 篠亜由美が退出し、次の部員が入ってくる。

 まん丸い顔で、髪の毛は頭の形がはっきり分かるようなぴっちりと張り付いたショート。そして体つきもどことなく丸っこいものだから、第一印象はとにかく「丸い」の一言。

 一年生、たけあきらだ。

 見た目とは裏腹に、驚くほど動作が素早く、体も柔らかい。小学生の頃に空手とハンドボールをやっていたという、ちょっと異色の経歴の持ち主だ。

 面談に入る。

 予想はしていたけど、特に不満もなにもないとのこと。

 自分以外、一年どころか二年にも本職ゴレイロがいないため、レギュラーの座は安泰なわけだし当然といえば当然か。

 ただ、控えがいないのも相当なプレッシャーを感じるそうで、可能ならばもう一人ゴレイロ専門がいると助かる、とのこと。そのほうがやる気も出るし、と。

 確かにゴレイロは二人以上いたほうがいいのだけど、でも、部員が十人ちょっとだから現状では難しいところだ。

 少し前までは、先日引退した小島先輩と晶との二人体制だったんだけど。

 まあ、レギュラー云々ではなく、戦術的にもゴレイロが二人いるのが望ましく、だからとりあえずのところ、わたしと景子が、晶に教えて貰いながらゴレイロの練習をしている。

 紅白戦なんかも、片方は晶で、もう片方はわたしか景子のどちらかがやっている。

 ゴレイロが二人必要というのは、いざという時の控えという意味もあるが、みんな疲労で動けないがどうしても点は欲しいという時に備えてという意味もある。晶は足元の技術が非常に上手なので、FPとしても役に立つからだ。

 と、ある意味では控えが二人もいる状態といえるが、やはり、メンバー表にゴレイロが自分一人だけというのがどうにも不安なのだろう。


「でも正式に二人体制にしたら、もう一人の子、自分が劣って見えて面白くないかもね」

「そんなこと。自分、そんなたいしたことないですよ」

「またまた謙遜しちゃって。晶ほど俊敏に動けるのなんていないよ。見た目から信じられない……あ、ごめん、その、見た目って、そういう意味じゃ……」


 まさにそういう意味でいってしまったのだが、女の子に対して面と向かっていうものじゃない。


「いいですよ。実際、皮下脂肪かなりありますからね。小学生の頃のあだ名、ダンゴムシでしたから」

「うわ、それ酷いな。こんな可愛いのに」


 例えるにしてもジャンガリアンハムスターとか冬のスズメとか、もっと可愛いのがあるだろう。いや、それも失礼か。


「別に可愛くなんて、なりたくもないですけどね」

「あたしも小学生の頃、ゴリラなんて呼ばれたことあったよ」


 いまだに呼ぶバカがいるけど。高木とかミットとかいう奴。


「そうですか」


 嘘でしょ、とか、信じらんな~いとかいえんのか! ダンゴムシってのをフォローしてあげてんだからさあ。

 まあいいや。


「そういえばさ、ゴレイロっていってるけど、女子の場合ゴレイラっていうんだってね」


 昨日本屋で、フットサル雑誌立ち読みしてたら、そんなこと書いてあった。だから、部員みんな間違っていたのだ。


「どっちだっていいんですよ。どっちも俗称であって、日本の公式ルールではサッカーと同じでゴールキーパーなんですから」

「え、そうだったんだ! 全然知らなかった。あたし、部長のくせにダメだな」


 だから、ゴレイロなのに略がGKなのか。

 一つ賢くなったぞお。


「関係ないですよ。細かい名前知ってて強くなるわけじゃないし」


 試合の時以外は、ほんとクールだな、こいつ。

 お、また晶、なんか変な顔してる……

 ジャガイモみたいにコロコロ丸っこくて可愛らしい顔の晶だが、時折、目を細めて唇をタコみたいに突き出していることがある。疲れているとそうなるのか、怒っているとなのか、考えごとをしているとなのか、発生条件がさっぱり分からない。聞くのも失礼かなと誰もが思っているようで、謎のまま、だったのだがしかし、


「ね、なんでそんなタコみたいな口してんの?」


 二人きりなのいいことに、ついに聞いてしまった。


「し、してませんよ、そんな変な顔!」


 リンゴのようなほっぺをさらに真っ赤にして怒り出してしまった。やっぱり自分では気づいていなかったみたい。

 クールなくせに、そこだけは怒るんだな。なんか、ツボがよく分からん。




「失礼します」


 ゆうが入ってくる。

 ピョコ、と深く頭を下げる。長くはないがふわふわとした前髪が、なんだか別の生き物のように、あとから動いて佐治ケ江の顔を覆い隠す。ほんと、もっさりした髪型だ。

 落ち着きのない、おどおどした表情を浮かべている。いつものことなので、別に気にしないけど。


「そこ、座って」

「はい」


 佐治ケ江は椅子に腰を降ろし、机を挟んでわたしと向き合う。

 向き合う、といっても、佐治ケ江は下を向いてモジモジとしている。


「じゃ、始めようか」

「はい……」

「人と話す時は、相手のほうを見る!」

「は、はいっ、すみませんっ!」


 悲鳴のような裏返った声をあげると、膝とおでこがゴッツンしそうなくらい頭を下げ、それからおもむろに頭を上げて、おずおずとわたしのほうを見る。少し下向き加減で上目遣い、しかも泣きそうな表情。なんだか、わたしがいじめているみたいじゃないかよ。


「ええと、なんか考えといてっていってあったよね。どう?」

「あの……いろいろ考えてはみましたけど、なにもないです」

「本当に?」

「はい」

「部のことじゃなく、わたし個人への文句でもいいんだよ。あと、自分はこうしたいのにって要望でもいいんだよ。トレーニングきついとか。試合に使えよ、とかそんなことでもいいんだよ。単なる愚痴でもいいんだよ。……なにもない?」


 佐治ケ江はしばらく考え込むような表情を見せたが、やがて、


「あたし、いまのままでいいんです。ボール蹴ってるだけで、楽しいんです」


 なら家で一人でボール蹴ってろよ、と一瞬思ったが、彼女は予想外の言葉を続けた。


「……誰も、殴らないし……いじめてこないし。みんな、いい人たちばっかりで、そんな中で、あたし、好きなこと、やってられて、本当にいいのかなって……」


 相変わらずうつむいたままの佐治ケ江。体が小さく震えていた。


「前に、いじめられてたの?」


 佐治ケ江は小さく頷いた。

 悪いかなと思いながらも、どういうことをされてきたのか、つい聞いてしまった。辛い過去があるのなら聞いてあげれば楽になるかなという気持ちが半分と、残り半分は単なる好奇心から。時折出る「やけぇ」などの広島弁に興味を持っていたというのもある。

 つっかえつっかえ話す佐治ケ江の話を要約すると、次のような感じだ。


 なんでも、小学校低学年の頃に、些細なことがきっかけでいじめられるようになり、それは中学二年まで続いた。

 悪夢を見たり、吐き気がおさまらなかったりしたらしい。

 街でいじめっこにばったり出くわし、いきなり殴られたことから、その症状は余計に酷くなった。

 パニック障害になり、頻繁に過呼吸による呼吸困難を起こすようになった。いきなり気を失って倒れてしまったことも、何度もあるらしい。

 そんな中、いじめはさらにエスカレートし、いじめっ子が警察に捕まるような事件にまで発展してしまったらしい。

 いくら逮捕されようとも他にいじめっ子はいくらでもいるし、悪夢も収まらない。ならば、という母親の提案により、広島から祖母のいる千葉へと引っ越すことになった。

 そう、いじめが中二まで続いたというのは、単に逃げるように引っ越したから。

 父親だけは、仕事のため広島に残っているらしい。

 一体どんないじめを受けたのか、聞いているうちに気分が悪くなってきた。

 生ゴミ容器の、腐った生ゴミの中に顔を押し込められたり、

 椅子に画鋲置かれたり、

 教科書に落書きされたり、破かれたり、

 トイレにいかれないよう押さえつけられたり、

 生きたゴキブリを呑まされそうになったり、

 髪の毛や制服をハサミで切られたり、

 柱に縛りつけられて大型犬をけしかけられたり……

 ちょっと酷過ぎるよ、それは。

 やっていいことと悪いことの区別もつかないバカな中学生って、本当にいるんだな。

 小さな犬すらも苦手って、きっとそのいじめのせいなのだろうな。この前、みんなで笑ってしまって悪いことしちゃったな。


「悪いのは絶対にそのいじめっ子たちだと思うけど、でも、お父さんお母さんはなにしてたのよ? サジがいじめられているってのに」

「二人とも、わたしのために一生懸命色々としてくれたんです。とても感謝してます」

「そうか……」


 わたしは、それ以上はなにもいわなかった。

 いじめなんて、ゲーム感覚で発生する場合もあれば、絶対的な要因がある場合だってあるだろうし、頑張ればいじめられなくなるわけでもない。先生や両親の対応が非のうちどころのない素晴らしいものだったとしても、それでも子供がいじめがおさまる保証はない。わたしにいえないだけで、もしかしたら佐治ケ江のほうが悪いのかも知れない。

 ここまで話を聞いてしまうと、後は佐治ケ江の心の中にかなり踏み込んでいかなければならない。わたしはそこまでの責任を取れないし、根掘り葉掘り聞いてもしかたない。

 なんのための面談なのだか分からなくなる。

 だから聞くのをやめた。


「でも、それは過ぎたことでしょ。ここには、いじめっ子もいないんだし、もっとさ、みんなの中に入ってきなよ。一年同士、バカ騒ぎしたりしなよ。サジが飛び込んできたら、みんな大歓迎だよ」

「友達、いたことないんで、どうしたらいいのか分からない」

「小さな頃って、なにやって遊んでたの?」

「サッカーボールがあったので、リフティングとか、ドリブルとか、壁打ちとか」

「ずっと?」

「はい。……家にいても誰もいなかったので」

「毎日?」

「はい」

「うわあ、そりゃ上手になるわけだよ」


 妙にテクニックがあると思ったら、そういうことだったのか。


「別に、上手じゃありません。ただ好きだからやっているだけで」

「いやあ、ひさも舌巻いてるよ。技術だけならサジには勝てないって」

「そんなことないです。はまむし先輩のほうがずっと凄いです」


 どこまでも謙遜するなぁ。やまゆうだったら褒められたら即座に「才能っす」なんて自慢気な顔するだろうに。


「まあ、いざ勝負になったら絶対負けない、なんていっているけどね」

「当然です。あたしなんかが浜虫先輩に勝てるはずありません」

「いやいや、技術だけならいい勝負なんだよ。サジさあ、なんであんな個人技は凄いものを持っているのに、人と向き合うとダメなの? いくらずっと一人でやってたからって、中二で千葉に越してきて、フットサル部だかサッカー部だか、入ってたんでしょ? 試合したりしなかったの?」

「……プレーが消極的だって、叱られてばかりで、一度も試合に出してもらったことはありません。練習でも、蹴るだけならなんとかなるんですが、奪い合いとか勝負っぽくなると、なんだか、緊張してしまって……。呼吸が乱れて、胸が苦しくなって……」

「残念ながら、いまもそこは変わっていないよね。消極的で、すぐに畏縮しちゃって」

「……エレベーターに乗ってて扉が閉まりかけてる時、乗ろうと走ってくる人に気づいて、開くボタン押してあげようと慌てて間違って閉じてしまったこと、ありませんか?」

「なによ、いきなり。何回か、やったことある。まあ、あたしこの辺が地元で遠くにも出かけないから、エレベーター自体にあまり乗ったことないけど」

「あたし、必ずそれやっちゃうんです。開けようとしているのに閉じてくる扉に、わけが分からなくなって、階数指定のボタンをガチャガチャ全部押してしまったこともあります。だから最近は、何階だろうとエレベーターは絶対に使わないようにしているんです」


 混雑してるエレベーターだったらヒンシュクものだったろうな。


「フットサルと、根本原因、同じだろうね。あのねサジ、全部、精神的な問題なんだよ。でもさ、さっきもいったけど、誰もいじめてくるようなのいないでしょ。のびのびとさ、楽しんでやろうよ」

「いまでも十分楽しいです。ボール蹴ってられれば、面白いんです」


 こりゃ、根が深そうだ……

 せっかく技術があるのにもったいない。




 最後の一人、たけふじことが入ってきた。

 いつになく暗い表情。佐治ケ江より酷いかも。

 なんだかそわそわしている。

様子がおかしいなと思っていると、不意に手にしていたものを机の上に置いた。

 茶封筒。

 退部願い、と小さな字で書いてある。


「なに……これは」


 尋ねるわたし。

 双方無言の状態が続いた。しばらくして、ようやく竹藤は重い沈黙を破った。


「すみません」


 微かに聞こえるような小さな声で、そう呟いた。


「なんで……」


 わたしの頭の中でなんとも名づけ難い感情や考えがグルグルと回り、意識的にか無意識にか自分でも分からぬままようやく出した声がその一言だった。

 その問いに答えたのか、単に自分の胸の内を吐き出したのか、竹藤の返事は早かった。


「向いて、なかったんです」

「でも、頑張っていたじゃない。竹藤、一番頑張っていたよ」

「辛いだけでした」

「最初は誰だってそうでしょ」

「だから、向いてないんですよ。きっと三年間、この辛さに耐えるだけで……報われない」

「そんなの、やり抜いてみなきゃ分かんないでしょ!」

「ダメだったら……もし、最後まで辛いだけだったら、先輩、責任とってくれるんですか?」

「それは……」


 わたしは言葉を返すことが出来なかった。


「もっと向いている部があると思うんです。もう、写真部の小野先輩と英会話部の安田先輩に誘われています。それぞれ、体験入部して、どちらかに転部しようと思っています」


 深呼吸。

 だんだんと、冷静になってきた。と同時に、だんだんと腹が立ってきた。


「それじゃ、しょうがないよね。まあ、他の部で頑張ってね」


 ここで頑張り切ることが出来なかったくせにどこで頑張れるものか。


「はい。顧問の北岡先生にも、退部願い渡してきます。では、これまでご指導ありがとうございました」


 竹藤は頭を下げた。

 こちらこそ。……その言葉が出なかった。思ってもいない言葉をとりあえず口に出すことが、これほど難しいとは。はいだか、へえだか、自分でもよく分からない言葉を返していた。それが彼女への最後の言葉になった。

 静かにドアが閉まった。


「なんだよ……」


 あの、根性なし。

 時間を無駄にしたくないんなら、金子先輩の時にとっとと退部しときゃよかったじゃないかよ。わたしが部長やっているのが、そんなに気にくわないのか。

 ああ、もうムシャクシャすんな!

 わたしは足元のカラーコーンを手に取ると、思い切り床に叩き付けた。

 なんだ、このやり場のない怒り。

 たかが一人退部しただけだ。

 やる気のない奴が一人いなくなっただけだ。

 なんてことないはずなのに、

 何故こんなに、もやもやとした気持ちになるのだろう。


     4

 放課後。

 今日もいつものように、女子フットサル部は練習メニューをこなしている。まず、学校の周囲をランニング。学校に戻ると、体育館の一角でボールを使用した練習だ。


 久しぶりに、顧問のきたおか先生が姿を見せた。

 先生はまだ五十歳くらいらしいのだが、すでに頭が真っ白髪で、少し腰が曲がっていることから、生徒らには陰でオジイと呼ばれている。

 いつも一人でテレテレとだらしなく歩いてくるのだが、今日は違っていた。いや、テレテレだらしなくというのは普段通りなのだけども、一人ではなかった。後ろから、見たことのない女の子がついてきている。

 みんな身体を動かすことをやめて、そちらを見ている。


「誰だろ」


 なつフサエが、心に浮かんだ疑問符をそのまま言葉にする。

 女の子は制服姿。エンジ色っぽいセーラー服にスカート。この学校のじゃない。佐原南の女子の夏制服は、白いブラウス、グレーのベストにグレーのスカートなのだから。

 非常に体が細く、小さく、顔も可愛らしい。系統がまったく違うけどけいに匹敵するくらい可愛いかも。まだ一年生だろうか。中学生でも通じそうなくらい幼く見える顔立ち。

 少し脱色しているのか地毛なのか、うっすら茶色っぽい髪の毛。ゆるく波打って、肩にかかっている。

 オジイと見知らぬ女の子の二人は、わたしたちフットサル部員のところにやってきて、足をとめた。


「えー」


 オジイが口を開く。喋り方まで年寄りくさい。離れているのに、声に乗って加齢臭が届いてきそうだ。


「新入部員を紹介する」


 周囲がざわついた。

 え……

 わたしの心の中もざわついていた。

 突然のことに、わたしはなにを考えればいいのかすら考えられず、黙って立っているしかなかった。

 オジイにうながされ、女の子はぺこりとおじぎをした。


きぬがさはるです」


 高くて、子供っぽい声。


「父の転勤の都合で、昨日、静岡の学校から転校してきたばかりです。フットサルのルールも全然知らない初心者ですけど、みなさん、よろしくお願いします」


 字にすると、すらすらよどみなく喋っている感じだけども、実際には、なんかまどろっこしい。ブリッコって死語だと思うけど、それ以外にしっくりくる言葉がない。

 部員たちの拍手が彼女、衣笠春奈を包んだ。

 わたしだけ、拍手を送ることをせずに、ただ突っ立っていた。取り残されていた。胸の奥からこみ上げてくる、なんだか分からない感覚に困惑していたから。

 なんだ、この気持ち……

 だんだんと頭が落ち着いてきた。自分の気持ちが分かってきた。「面白くない」のだ。


「北岡先生」


 さすがに面と向かってオジイとは呼べないからな。


「あの、説明して欲しいんですけど、これは、どういうことですか?」


 わたしは、耳元でささやく。


「ああ~、なにがかな」


 このもったりした口調が、こういう時には一段と腹立たしい。


「わたし、なにも聞いてないんですが」

「なにが」

「ですから、新入部員のことですよ。急にこられても」

「昨日こっちに転校してきてね」

「それは聞きました!」

「で、今日、入部を決めたものだから。だからだよ」

「だからだよじゃないでしょう!」


 わたしは湧き上がる怒りを懸命に抑え、オジイの耳元へ口をぐっと近づけ、


「そうだとしても、部長のわたしがみんなと一緒にいきなり知るってどういうことですか! 直前だとしても、こんなふうに耳打ちなり、すればいいじゃないですか!」


 部長がいきなりのことに唖然としているなか、本人自己紹介、なんだかとっくに順応している部員たちは拍手で迎え……そんなみっともない話があるか。


「どうしてだね」

「だってわたし、部長ですよ!」

「いわれなくても分かっているよ。部長だって」


 ダメだ。

 かみ合わない。それはいつものことだけど、事態が事態だけに腹立たしいことこのうえない。別にわたしだって、個人的な自尊心のためだけに、こうまで怒っているわけじゃない。と思う……多分。

 それにしても。

 鈍すぎるよ。

 この先生。

 睨みつけるわたしの視線などどこ吹く風、オジイは汚い手をわたしの肩の上に置き、


「こちらが部長の田村さん」

「木村です!」


 わたしはオジイの手を払った。

 誰だよタムラって! いねえよそんな奴! なんなんだ、このジジイは!

 男女兼任とはいえフットサル部しか担当してないんだから、部長の名前くらい覚えとけよ。


「木村部長、これからスエナガクご指導よろしくお願いいたしまあす」


 衣笠春奈がまた、ぺこりと頭を下げた。


「あ、ええと……こ、こちらこそ、よろしく」


 わたしはいったいどんな表情で、彼女のあどけない笑顔を見ていたのだろう。


     5

 ガリガリと、鉛筆で紙に書き殴る音と、時計のカチカチいう音だけが静かな部屋に響いている。


 ボロ家の二階にある、わたしの部屋。

 六畳間の和室。あまり物のない質素な部屋。畳の上にはいくつかの筋トレ器具が無造作に置かれている。


 わたしは机に向かい、数学の公式を、ノートに書き込んでいる。ガリガリと、とにかくひたすらに書き込んでいる。

 どんな教科であれ、基本、手を動かしまくり書きまくるのがわたしの勉強方法。頭脳の出来が残念ながらあまりよろしくないため、勉強の仕方自体がよくわからない。だから、体を動かし、体で覚えるのだ。

 公式なんかひたすら書いてないで応用問題の一つでも解けよ、と思うこともある。この不器用さ、自分でも嫌になる。そのうち、景子に勉強の方法を教えてもらおう。


 先日発生したカマバロン事件、クラスのみんなが期待する通り、わたしは先生からの集中砲火を浴びることになった。

 指されると絶対に恥かかされる。

 同じ答えられないにしても、サル並みの知能で答えられないのと、ヒトとして答えられないのでは、恥ずかしさのレベルが違う。だから爆撃ダメージを少しでも減らすべく、こうして数学の勉強をしているのだ。

 他の教科の勉強だってしなきゃならないのに。

 カマバロンめ……

 そしてミットの奴め。

 いかんいかん、他人のせいにしてもなにもはじまらない。

 しかしわたしって意外によく勉強しているよな。中学の頃からは考えつかない。

 無理してレベルの高い高校に入ってしまって、下手すりゃ留年なので、やるしかないんだけど。

 フットサル頑張ってご飯が食べられるものでもないので、勉強は勉強で頑張らないといけないのである。……などと、部員のみんなに聞かれたら絶対に減滅されるだろうな。もう部員じゃないけどたけふじことには特に。

 将来なにになりたいという夢があるわけでもないが、漠然とした将来への不安は人並み以上にしっかりとあり、なのでこうして闇雲に勉強しているわけだけど――時折、勉強していること自体がどうしようもなく虚しく思えてくる時がある。不安から逃れるためにやっていることなのに逆に不安になってどうすんだと思うけど、どうしようもない。

 勉強だけしていればいいのか。

 そこそこの大学に入れさえすればいいのか。

 親に迷惑かけないような、そこそこの会社に就職さえすればいいのか。

 そこそこの相手のとこに嫁にいきさえすればいいのか。

 考えてもしょうがないことなのに、すぐ考えてしまう。

 ああもう、なんか頭がゴチャゴチャしてきた。


 勉強中断。

 カマバロンなんかのために、貴重な人生の残り時間を使ってられるか!

 フットサル部の練習メニューでも考えよう。ずっと有意義だ。

 数学の参考書をがしゃがしゃ横にどかし、部長ノートを取り出し、開く。


 しかしあのブリッコ転校生……

 衣笠春奈とかいったな。

 今日入部したばかりで、運動部の経験もないっていうから、体が全然動かないのは分かるけど……にしてもちょっと、体力がなさすぎだったなぁ。

 そもそも体力なんかより、あんなフニャフニャした仕草や言葉遣いじゃあ、運動部なんか無理だよ。「おっねがいしまあす」じゃないだろ、子供じゃないんだから。

 だいたい、経験まったくないどころか見たこともなかったくせに、昨日、ちょっと知った程度で面白そうなんて簡単に考えちゃってさ。

 春江先輩に名前が似ているのも、なんか気にくわないよな。

 先輩と正反対の、根性まったくなさそうな顔して。


「あたし……嫌な奴だ……」


 そう呟くと、がばっと机に伏せた。

 本当、最低だ。わたしだって、中学三年になるまで、フットサルなんて名前すら知らなかったじゃないか。

 たかが一人の後輩に参っててどうするんだ。来年になれば、何人も新入部員が入ってくるかも知れないというのに。

 春江先輩ならきっと、「腕の見せどころじゃん」と張り切るに違いない。

 よし。

 頑張って、鍛え、育ててみるか。

 態度だって、注意すればいいだけのこと。せっかくフットサル部に入ってくれたんだから、大切にしないと。

 とはいえ彼女はまったくの初心者、そして中学の時は文化部だったので体力もない。どんな練習をさせればいいんだろう。

 わたしが入部した時って、どうだったろうか。現在の一年たち、四月や五月はどうだったろうか。

 記憶の糸をたぐりながら、彼女用の練習メニュー案を紙に書いては破り、気づくともう日付は明日になろうとしていた。

 久樹に聞けばいいや。

 お風呂に入って、寝よう。


ひさ、張ってて! あとは戻って、ピヴォ当てで!」

「分かった!」


 わたしの指示に反応して、陣形が変化する。

 ピヴォの久樹は相手ゴールの近くに残ったまま。アラのゆうあぜけいは、少し下がり目になり、ベッキのらくやまおりを中心に浅いVの字を描くような並びになる。

 ポジションについては、なんとなく分かるかも知れないけど、ピヴォはサッカーでいうフォワードのような役割。アラは語弊もあるかも知れないがミッドフィルダーのような役割で、左右両翼がいる。ベッキはディフェンダーだ。

 ピヴォ当てというのは、まずピヴォにボールを預け、そこから展開していく戦術のこと。ピヴォはしっかりボールをキープし、攻め上がるアラやベッキにパスを出したり、ときには反転してシュートを狙ったり、ドリブルで仕掛けたりする。

 景子が華奢ながらも巧みな体の入れ方で、ボールを相手から奪い取った。姿勢を崩しながらも、少し後方に戻すように、織絵へとパスを送る。

 織絵はすぐさま、景子がくるであろうはずの位置へとパス。いわゆるワンツー、ずっと練習でやってきた形だ。

 リターンを受けた景子は素早く、前線で一人待ち構えている久樹へとボールを送る。


「サジ、上がって!」


 佐治ケ江は、わたしの叫び声にどきっとしたように肩をすくめた。慌てて、前方へと走り出す。

 久樹に相手のベッキが迫り、ボールを奪おうとする。しかし久樹は背中や腕を上手に利用して、簡単にはボールの所有権を渡さない。そしてボールは、駆け上がってきた佐治ケ江へ渡った。

 いいタイミングだ!

 久樹の柔らかいパスを受けた佐治ケ江、

 抜け出した!

 相手ゴールとの間には、ゴレイロがいるだけだ。


「サジ、シュート!」


 しかし佐治ケ江は、突進してくるゴレイロに焦ったのか、後ろを向くと、最後列の織絵へボールを戻してしまった。

 先制点の大チャンスが……

 リフティングがどんなに上手か知らないけど、ほんとに実戦では使えない奴だな。

 メンタル鍛えてやろうと、せっかく出してあげたのに。

 体力もあまりないから、もうへたばってきているし。


「王子、サジと交代するよ!」

「ガッテンだ!」


 王子ことやまゆうはわたしのすぐ隣で、男子のような短い髪の毛を左右の手でなで上げた。

 彼女なりの気合の入れ方なのだろう。

 王子は、技術はあまりないけど体力があるし、とにかく負けん気が強いから、こういう時には頼もしい。

 交代ゾーンから、王子はピッチの中へ入った。

 そして佐治ケ江はピッチの外へ。わたしが立っているすぐそばまでくると、床に、足を投げ出すようにして座った。苦しそうに、大きく呼吸している。


「なにがダメだったのか、どうすればいいのか、レポート書いて提出しな」


 わたしは厳しくいう。


「はい……」


 という佐治ケ江の小さな声を打ち消すような、野獣の雄叫び。

 ピッチ上で、王子が気合全開で走り回っているのだ。

 バカ、せめてフォーメーションくらい、意識してくれよ。


「王……」


 わたしが思わず注意しようとした時――百パーセント偶然と思うが――王子が相手二人をドリブルでかわし、久樹にパッと見ではあるが見事なパスが通っていた。

 久樹は、それを受けた瞬間に、振り向いてシュートを放っていた。

 ゴール右上隅、これ以上ない素晴らしい位置への弾丸シュート、ゴールに突き刺さった! と思ったら、なんと相手のゴレイロ、反応していた、左手一本で弾いていた。

 佐原南の選手たちから、口々に落胆の声があがった。

 あれを止めるか。さすが、去年の関サル千葉県決勝大会優勝高校。


 我々はいま、久しぶりに他校への遠征にきている。わたしが部長になってからは、初めてだ。

 目的は、対ばらふじ戦を想定しての練習のためだ。

 対戦相手校は、千葉県立東第三高等学校。男女ともに、優れたチームワークとしっかりした個人技で知られる強豪校だ。

 フィジカルの強さも半端ではないらしいので、茂原藤ケ谷対策に良いかなと思ったのだ。

 まさか試合を受けてくれるとは思わなかったけど。そんな雲の上のような存在が。

 本物と違って、ラフプレーでうちの選手たちが壊されることもないだろうし有り難い。とはいえ、こっちのほうが茂原藤ケ谷より格段に強いのだろうけど。

 試合は、二十分を三セット、最後に十分を一セットで組んでいる。

 現在、一セット目。開始から九分が経過している。

 まだスコアは動いていない。我々が意外にやれるのか、まだ相手が実力を出していないのかは分からない。

 相手が一軍なのか二軍三軍なのかも分からないし。

 我孫子東は、赤いユニフォーム。確か茂原藤ケ谷も同じ色のはずで、想定練習としては願ったりかなったり。

 わたしたち佐原南は全身青いユニフォームだ。胸には長体で「SAWARAMINAMI」の文字、背中には大きく金ラメで背番号が書いてある。

 普段、練習の時はトレーニングウエアを着ているので、こうしてユニフォーム姿になると身も心も引き締まるものがある。


 いまピッチでプレーしている佐原南の選手は、はまむしひさあぜけいらくやまおりやまゆうたけあきらの五人。


 わたしはピッチの外、サイドライン際に立って、選手たちに指示を送っている。

 送っているけれど、


「いけえ、そこですうぅぅ! そうそう、やった、ナイスカット! うまいうまい、織絵先輩最っ高!」


 でも、これはわたしの声ではない。そもそもこれ、指示じゃなくて単なる声援だし。

 叫び声の主は、新入部員のきぬがさはるだ。

 試合開始してからというもの、いや正確には電車移動中からかな、ひっきりなしに腕を振り回しては奇声のような声を張り上げている彼女。

 運動部なわけだし、大きな声を出すのは悪いことではないので注意はしてないけど、ほんと無駄にやかましい。

 しかも器用なことに、ぎゃーぎゃー絶叫しながらも決してガサツにはならず、ブリッコキャラは壊さない。まるで昔のアイドルの運動会だ。


「交代!」


 今度は正真正銘わたしの叫び声だ。


「景子、あたしと交代」


 わたしは交代ゾーンに立った。

 戻ってくる景子。


「お疲れさん」

「まかせたよ、梨乃」

「分かってる」


 パシッ、と擦れ違い様にタッチし、わたしたちは入れ替わった。


「木村せんぱあい、頑張ってくださあい!」


 いわれなくても頑張るっつーの。

 だがしかし……

 入るやいな、わたしの軽率なプレーからボールを奪われて、佐原南はカウンターからあっけなく失点してしまったのだった。

 第一セット終了の笛。


「先輩、ナイスファイトでしたあ。まだ第一セットが終わったばかり。これからこれから!」

「うるさいな!」


 わたし、

 怒鳴ってた。

 さあっと、場の空気が変化していた。

 みんな、わたしの様子がおかしいことに気づいたのだろう。

 ごめん。

 すぐにそう謝れればいいのに。いえなかった。


「春奈、いいよ別に。どんどん声出して、盛り上げてこう」


 景子は笑って、春奈の肩をぽんと叩いた。


「はい!」


 春奈の表情にも笑顔が戻った。

 王子の雄叫びなどもあり雰囲気を取り戻した佐原南だったけれど、でも、わたし一人、おいてきぼりだった。景子の言葉が、信じられなかったのだ。


 え……

 それ、なんなの、

 景子……

 わたしの味方じゃ、なかったの? 親友じゃなかったの?

 いや、分かるよ、分かるけど。衣笠春奈のことをフォローしただけだって。

 でも……。


 自分の心臓の音が、聞こえる。どくどくと、うるさい。


「キャプテン、次のセット、どうするの?」


 織絵がじれったそうに尋ねた。


「……あ、ええと……」


 結局、第二セット、第三セット、わたしはなんら的確な指示を出すことが出来ず、1―9で負けた。

 ちなみに佐原南唯一の得点者は、山野裕子。

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