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「俺、あんまり詳しくないんですけど、……そもそも、どうしてユイン様って離宮にいるんですか?」
随分と大雑把な質問を投げて、デルトが首を傾げる。何故かウォルテールの隣に陣取っているアニナが、訳知り顔で「それはですね」と口を開いた。
(……こいつはどうしてここにいるんだ?)
もはやアニナにつけ回されるのには慣れたものだが、放っておいているうちにだんだん近寄ってきている気がする。――とうとう同席してきやがった。
「ラダーム様、エウラリカ様のお二人と、ユイン様は母親が違うんですよ」
アニナは人差し指を立てて告げた。デルトが眉を上げる。どうやら本当に知らなかったらしい。予想はついていたものの、アニナはどうやら、こうした噂話が好きな質のようだ。生き生きとした顔で語り出す。
「ラダーム様とエウラリカ様のお母様は正妃様で、ユイン様のお母様は……何と言ったら良いんでしょうか、制度上はお妃様だけれど、皇帝陛下は認めておられないんです」
「……よく分からないですね?」
デルトは難しい顔で首を捻った。その様子をちらと見やると、ウォルテールは腕を組んで斜め上に視線を持ち上げた。
……この件は、おいそれと語ることの出来るような単純な問題ではなかった。
「元はと言えば、現在の皇帝陛下が長子ではなかったことは知っているか?」
「それは知っています。その……『愚鈍な弟王子』だったって」
「その言葉は外で口に出すなよ、首が飛ぶ」
ウォルテールはぴしゃりとデルトを叱りつけて、それから頬杖をついた。
「本来皇帝になるはずだったのは、先代の第一王子だ。だが、第一王子は事故で亡くなった。その結果として繰り上がりで皇帝となったのが、現在の陛下だ。その結果、第一王子の婚約者であった令嬢は、第二王子であった現皇帝陛下のもとへ嫁ぐこととなった」
「じゃあ、そのご令嬢は婚約者の弟と結婚したってことですか?」
「そうだな。それが正妃様――ラダーム様とエウラリカ様のお母上だ」
ウォルテールが頷くと、アニナは「乙女心としては、複雑ですよねぇ」と唇を尖らせる。当然のように自分も乙女にカウントしているらしい。ウォルテールは半目でアニナを見たが、アニナは気づく様子なくぶつくさと漏らしていた。
「だって、自分の好きな人が死んじゃって……それですぐに『じゃあ弟に嫁いでね』って決められるの、私だったらすごくつらいと思います」
俯いて指先を絡ませているアニナを見下ろしながら、ウォルテールは少しだけ息を吐いた。この侍女には物事を何でも恋愛沙汰に結びつける悪癖があった。……が、言うことが分からないでもない。
ウォルテールは腕組みをして肩を竦める。
「俺たちにはなかなか分からない世界だな」
「やっぱり大事なのは、血統……ってことなんでしょうか」
デルトが少し眉をひそめて呟く。ウォルテールは曖昧に頷いた。
「それでも何だかんだ仲の良い夫婦だったらしいけれどな」
「正妃様のお兄様が皇帝陛下の乳兄弟だったとかで、幼い頃から親交はあったと噂に聞いたことがあります。小さな頃は三人でよく遊んでいた、幼なじみだって」
アニナの言葉に、ウォルテールは「そうなのか」と思わず体ごと振り返った。正面から視線の重なったアニナは、一瞬呆気に取られたようにウォルテールを見上げ、それからぽんと顔を赤らめる。
ウォルテールは仏頂面で体を正面に戻した。
(……まったく)
やりづらいことこの上ない。素っ気なくすれば無駄に打ちひしがれるし、かといって親しげにしてやるとやたら照れて意味の分からないことを口走る。
「あーはいはい、そういうの良いですから」
デルトは死んだような目で手をひらひらさせた。その反応には甚だ異論があったが、これ以上の墓穴は不要である。ウォルテールは渋面で口をつぐんだ。
ふと、デルトが顎に手を当てて首を捻る。
「そういえば俺、今まで一度も正妃様見たことないですね。式典にも参加されていないし……ご病気ですかね?」
無知もここに極まれり、である。ウォルテールとアニナは思わず顔を見合わせた。それからウォルテールはデルトに視線を移し、ゆっくりと口を開いた。
「正妃様――フェウランツィア様は、エウラリカ様を産んだ半月後に、何者かによって殺害された」
「さつ……がい?」
デルトが唖然としたように口を開いて絶句する。アニナはちらとウォルテールを見た。
「犯人が誰なのかも、何の目的なのかも、何も分かっていないんです。迷宮入り、です」
ウォルテールは重々しく頷く。王家のゴタゴタについて誰もが語るのを嫌がるのは、どこで何をつつき出すか分からないせいもあった。
「フェウランツィア様は何かしらの刃物で胸を一突きされていたそうだ。凶器も下手人もそれを企てた者も、未だに見つかっていない」
絶対に、何者かが、正妃を殺したのである。しかしそれが一体どの勢力による犯行なのか、少なくともウォルテールには見えていない。この件に関する迂闊な発言は身の破滅を招く可能性があった。
「皇帝陛下は新たな妃を娶るつもりはないと断固として譲らず、しかし官僚たちや各地の諸侯たちの要望に耐えかねて、名目上は新しい妃を迎え入れたことになっている」
「それが、第二王子ユイン様のお母様なんです。ユイン様が生まれた直後、皇帝陛下は『責任は果たした』とばかりに、母子揃って離宮へ追いやってしまわれて」
「ほー……なんかすっごい……ドロドロ……」
率直な感想を漏らして、デルトが目を丸くした。
ぽん、と手を打って、デルトが納得したように頷く。
「じゃあ、今巻き起こっているのは、『離宮に追いやられている第二王子とお妃様を帝都に連れ戻したい官僚』対『それを阻止したいエウラリカ様と皇帝陛下』って感じですか?」
「身も蓋もなく言ってしまえばそうだな」
ウォルテールはため息交じりに答えた。デルトは「なるほど」と腕を組んで、難しい顔で空中を睨む。
「でも、ずっと阻止しておけるものですか? こないだ、そのー……左遷された官僚だって言ってたじゃないですか、ことは一刻を争うって」
この部下は、繊細な話題にズカズカと踏み入る癖があった。誰しもが口にするのを躊躇うようなことをツルッと言ってしまえるのは、美徳なのやら軽率なのやら。
「どんなにエウラリカ様がごねたって、やっぱり駄目なものは駄目なんじゃないですかねぇ」
皇帝に聞かれればどうなるか分からないような発言をして、デルトはのんびりと呟く。ウォルテールは曖昧に頷いた。
***
結論から言えば、この争いは官僚たちの勝利に終わった。一年以上に渡って続いた攻防を経て、元より揺らぎつつあった皇帝の権威は、今や地に落ちようとしていた。
もうじき冬に入ろうという頃である。今日は、ユインが母とともに入城する、まさにその日だった。城門前には市民が集まり、城内の人間もユインを迎え入れる準備を執り行っている。
帝国の勢力図がまた大きく書き換わる日である。ウォルテールは警備のために多めの兵を配置し、自身も城門の監視に回っていた。
冷たく乾いた風が頬に吹き付ける。赤くなっているであろう鼻を少し擦りながら、ウォルテールは自分の体を抱くように腕を組む。ユインの到着はもうじきだった。風を避けるように柱の陰に入ったところで、足音が近づいてきた。
「ウォルテール将軍、」
そのとき、男性にしてはやや高めの澄んだ声が、ウォルテールを呼ぶ。変声期を経ても涼やかな響きは失わなかったらしい。
「お、どうした?」
ウォルテールは少し微笑んで、声の主を振り返る。視線を向けた先には、控えめな笑顔を浮かべた少年が立っていた。
もうじき青年と呼ばれるような年頃の少年だった。手足はしなやかに伸び、些かなよやかに軟弱な印象を受ける体躯だが、腰に佩いた剣がか弱げな印象を打ち払っていた。あれが抜かれたら、今の柔和な雰囲気など四散することは知っている。この二年で見違えた。
切るのを面倒がって伸ばしっぱなしになっている黒髪は一つに束ねられ、風が吹くたびに頬に毛先がかかる。
「もうじき、ユイン様が到着される頃かと思いまして」
彼は微笑みつつ、ウォルテールの隣に立って城門を眺めた。もうその横顔に柔らかな頬はなく、端正な輪郭が静かに和らげられている。
「――エウラリカ様の調子はどうだ、カナン」
「んー……すっかりお拗ねになってしまって、部屋から出ていらっしゃいません」
困ったものだ、と言いたげに、カナンが苦笑した。「そうか」とウォルテールも少し苦笑いして、再び城門を見やる。
遠くで歓声が上がった。ユインの乗った馬車が近づいてきているようだ。しかし宮殿にたどり着くまでにはまだまだ時間がかかりそうである。
「晩餐会には出られそうか?」
「どうでしょう、何せ色々あって、大層ご機嫌を損ねてしまっているので……。俺も何とか宥めてはみますが」
カナンは曖昧な返事で頭を掻く。エウラリカに振り回されるのは変わらないらしい。ウォルテールはカナンを振り返った。
「もしもエウラリカ様が出席されないとしても、参加したければ俺に言えば良い。席の一つや二つくらいなら工面してやる」
言うと、カナンはやや驚いたように目を瞬いた。全く考えてもいなかったような様子である。カナンは少しの間、意表を突かれたみたいに沈黙していたが、やがて目を細めて笑い、緩く首を振った。
「いえ、お気遣い頂きありがたいですが……俺は一人でそうした場へ出るつもりはありません。俺はあくまでも、いち従者ですから」
そう言って、カナンは大人びた眼差しで遠くの空を眺める。ウォルテールはその横顔を眺めて、不思議な感傷に駆られた。
……纏う雰囲気が、随分と柔らかくなった。その首元は依然として鈴付きの首輪に飾られていたが、今ではそれがひとつの矜持にさえ見える。恨みがましさが消えた。仄暗い眼差しは鳴りを潜め、今では人当たりの良い少年として城中で可愛がられているらしい。
「カナン、お前は……」
ウォルテールは口を開きかけて、そこで思わず躊躇した。カナンはゆったりと振り返り、「何でしょう」と微笑む。
その姿に、何故だか、どうしようもない哀しさを覚えた。かつて歯を剥き出しにして憎悪を露わにしていた猛々しい少年は、既にそこにはいなかった。
ウォルテールは妙な憂愁を振り切って、話題を戻す。
「お前は、エウラリカ様に仕えていて、不満などはないのか? ……何しろ手のかかるお方だろう」
だいぶ手心を加えた表現に、カナンはくすりと笑った。その目の奥に、一瞬だけ、幼い少年だった頃のカナンの片鱗が見える。
「いいえ。確かに大変なことはありますが、不満などは」
「何故だ? ……言っては何だが、エウラリカ様が主君として優れているとはあまり思えないぞ」
ウォルテールが眉をひそめると、カナンはふと口元に手をやった。くいと持ち上がった口角を覆うように、その指先が顔の下半分に触れる。暗い色をした瞳の底で、何かがちらついた。
二人の間に冷たい風が吹き抜ける。ウォルテールは首筋がざわつくのを感じた。遠くでは喝采混じりの喧噪が渦巻き、近づきつつある。それに紛れるようにして、カナンは低い声で囁いた。
「――俺にしか見せない姿ってのが、あるんですよ」
ふふ、と目元を緩めたカナンが、喉の奥で忍び笑う。
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