傾国の乙女

邂逅

　こちらの言葉では、命乞いはこのようにするのだなと思った。

　剣戟の音、激しい足音、荒々しい罵声が、四方を取り囲んでいる。

　それらが収まった頃、ウォルテールの目の前に、一国の主とその家族や臣下が引きずり出された。

　床に這いつくばり、憎々しげにこちらを睨みつける視線を、じっくりと受け止める。

　間をおいて、ウォルテールは尊大な仕草で顎をもたげた。

「降伏し、新ドルト帝国に下れ。さもなくば、この国は跡形もなく蹂躙され、余すことなく全てを略奪されるものと心得よ」

　ウォルテールの言葉に、床に平伏したままの王が猛々しい唸り声を上げた。耳を傾け、応と答えたのが辛うじて分かった。

　王妃の嗚咽が、静まりかえった部屋に響く。王子らはいずれも顔を歪めてウォルテールを睨み上げているが、その中で何故か、端で膝をついている少年に目が止まった。

（末王子の……カナンとかいったか）

　ウォルテールの視線に気づいてか、その唇が動く。――『殺してやる』。

　長い歴史を持つジェスタ王国の言葉である。

　決して流暢ではないが、ウォルテールも教養程度に学んだことはあった。古代のことを知るためには、新ドルト帝国の歴史と由緒は少々不足している。

（恐ろしい目つきだな）

　男だてらに肩まで髪を伸ばし、うなじの辺りで結わえているのは、こちらの風習だろう。

　結び目はほとんど緩んでおり、顔にかかった黒髪が頬に張り付いている。

「……連行しろ」

　瞼の縁からじとりと視線を差し向ける少年から顔を背け、ウォルテールは短く命じた。

　＊＊＊

　行く手に巨大な城の影が見えたとき、隊列の緊張がふっと緩むのを感じた。

　青空を背景にそびえ立つ白い宮殿を見上げて、ウォルテールの脳裏に一人の少女の姿が思い浮かぶ。

　何を喩えに用いても、彼女の美しさを表すには不足である、と語った者がいたという。

　おいそれと人前へ姿を見せない彼女の姿は、噂話をいくつも介して、市井で幻想的に花開いているらしい。

　疵ひとつない象牙のような肌。雪解けの笑顔、鳥のさえずりのような軽やかな声。

　ある日は真昼の太陽に、またある日は雪原を吹き渡る風として語られ、今や彼女はその肉体に囚われない美の象徴としても掲げられているようである。

（違う）

　ウォルテールは胸の内で強く呟いた。

（あの方は、毒なのだ）

　国を蝕み、傾ける、毒である。

　数多の国を飲み込み拡大し続ける帝国、その皇帝と正妻との間に生まれた唯一の女児。この世のすべてを手に入れた少女である、とどこかの詩人は語った。

　人々に愛され、恵まれた境遇に生まれ落ち、この世の頂点に立つ少女――エウラリカ・クウェール。

「おかえりなさい、ウォルテール！」

　城門近くで捕虜の引き渡しを終え、さて帰還報告をしに参内せねばと歩き出したとき、門柱の影から人影が弾んで飛び出した。

　声が聞こえた瞬間、体が強ばる。

　ウォルテールは背後で控えていた部下に目顔で留まるよう伝えると、足早に声の主の元へ近づいた。

「ただいま帰還致しました、エウラリカ様」

　膝をつき、深々と一礼したウォルテールに、彼女は「かしこまらないでちょうだい」と微笑んだ。

　ウォルテールが立ち上がると、エウラリカは「ありがとね、ウォルテール」と胸の前で両手を組んだ。

「だってわたしね、ずっと、ジェスタが欲しかったんだもの！」

　長い金髪を揺らして言い放った瞬間、ウォルテールは全身が熱を持つのを自覚した。

　無邪気な笑顔でこちらを見上げる顔には、深手を負った兵士への同情や、蹂躙されたジェスタの民への罪悪感といった感情は窺えない。

　半年前のことである。

『あのね、ジェスタが欲しくなったから、わたしがお父様におねだりしたの。頑張ってね』

　出立の直前に告げられたときの、膝の骨が抜けるような脱力感を、未だに鮮明に覚えている。

「……エウラリカ様、」

　ウォルテールは一度強く唇を噛んでから、やっとの思いで静かに呟いた。エウラリカはきょとんと目を見開く。

「兵も私も、長旅を終えたところです。出来るだけ早く休養を摂りたく存じます」

　引っ込んでいろと怒鳴りつけるのをすんでの所で堪えて、ウォルテールはそれだけ告げた。少女は数秒間頬に指先をあてて、それから「分かったわ」と頷く。

「広間では晩餐会の準備をしているみたい。旅の汚れを落としたらぜひいらしてね」

　顎を引いて、エウラリカは頬を染めて微笑んだ。

「本当にありがとう。だいすきよ、ウォルテール」

　最上級のお褒めの言葉である。

　他意のない声掛けだと分かっていても、一瞬、心臓が跳ねる。表情を律するには気合いが要った。

「過ぎたるお言葉でございます、エウラリカ様」

　待たせていた部下たちのもとに戻る。彼らは揃って今しがたの会話の内容を知りたそうな顔をしていたが、ウォルテールが何も言わないのを見て黙った。

　通用口へ向かう道を大股で歩きながら、ウォルテールは拳を握りしめる。

　あの王女をどうにかしなくてはならない。ここ数年ずっと考え続けている。

　新ドルト帝国は、全ての一日において、最大の隆盛を更新し続けている。大陸に版図を拡大し、誰もが相次ぐ勝利に酔いしれている。

　そんな日々に、遠くから影が忍び寄っているのを、ウォルテールは肌で感じていた。確証はないものの、その思いは日増しに強くなるばかりであった。

　結局、エウラリカは晩餐会に姿を現すことはなかった。

　予想はついていたことなので、騒ぎにもならない。

　残念そうにしていたのは兵卒たちである。こうした祝賀会でもない限り、彼らが王女殿下を拝む機会などほぼないに等しい。

（そうして膨れ上がるのが、美しい王女への幻想というわけだ）

　喉にひりつく辛い酒を飲み下しながら、ウォルテールは内心で呟いた。

　会話が聞こえるほどに王女に近づくことの出来る人間は限られている。

　エウラリカは表舞台に出ない。王女として公務に関わることもなく、城の奥で面白おかしく毎日を過ごしている。

　皇帝は、娘が人間を引きつけてやまないことをよくご存知だ――彼女自身にその自覚があるのかは分からないが。

　しかし城内で生活する以上、エウラリカの姿を遠くからでも目にする人間はいる。

　彼らは彼女の噂通りの美しさを口々に喧伝する。それを聞いて、人々は見たこともない王女への幻想を更に膨らませる。

　だから王女の本質を知る者は、ごく一部に留まっていた。

　永遠に隠しきれるとは思えない。誰だって、一度でもエウラリカと言葉を交わせば、嫌でも理解する。

　王女には中身が伴わない。あまりにも幼く、奔放で、愚鈍である。

（あれは、狂っている）

　幼い頃から何不自由なく、甘やかすだけ甘やかされた少女の末路が、あれだ。

　猫が気ままに鳴いているだけだというのに、彼女の言葉には権力と魔力が宿る。

　エウラリカの笑顔に跳ねた鼓動を思い返しながら、ウォルテールはひと思いに盃を干した。

（……俺も、気をつけなきゃいけないな）

　＊＊＊

　エウラリカが揉め事を起こしたのは、次の日のことだった。

　ジェスタ王国の王族と側近の臣下たちが、新ドルト帝国皇帝の前に引き出された。後ろ手に戒手枷を嵌められて床に座している。

　降伏の意志を皇帝に示し、帝国の属国となることを誓わされる場である。断れば一族郎党すべて抹消して、国の頂点をすげ替えるだけの話。ジェスタの王族に選択肢はない。

「ジェスタ王国は、新ドルト帝国に従い、今後、帝国のために、……」

　二月前までは王であった男が、皇帝の前に伏して途切れ途切れに告げる。その後ろでは王族、臣下が床に額を押しつけている。

「ジェスタ王国はすべて、皇帝陛下のものでございます」

　王は血を吐くように呻いた。皇帝は玉座で満足げに頷く。

　無力感に背を押さえつけられているのが見えるようだった。

　ジェスタの王族はこの国に来て何を思っただろう。山のような白亜の宮殿を、整えられた街並みを、道行く市民の明るい表情を、どのように見ただろうか。

　数多の植民地や属国から富を吸い上げ、大陸一の栄華を誇る大都市を目にして、侵略者の強大さを思い知っただろうか。

　新ドルト帝国が国を落としたのち、その国の人間をわざわざ帝都にまで連れてくるのには、実際、そのような目的があった。

　無論、皇帝その人に自ら恭順を誓わせ、どちらが上に立つ者であるかを思い知らせるためでもあるが、反乱などという馬鹿げた考えを抱かせないようにする目的もある。

　ウォルテールが見た限り、その目的は達成されているように思われた。俯く王族の中に、一人の少年の横顔を見つけるまでは。

　――ゼス＝カナン。侵略の際、誰よりも険しい目つきでウォルテールを睨んでいた、ジェスタの末王子である。

　ジェスタから長い旅をして、捕虜として縄を打たれ、皇帝そのひとを前にしても、彼の眼差しは何一つ鈍っていなかった。

　一抹の懸念が胸を過ぎる。間違いなど起こるはずもないと分かってはいても、少年から視線が逸らせなかった。

「陛下、」

　ウォルテールが口を開きかけたそのとき、玉座の脇にある扉が前触れなく開く。

「――おとうさま！　わたし、新しいペットが欲しいわ！」

　鞠が弾むように明るい声が響いた。

　要求が通らないなんてまるで考えていない、甘えきった言葉尻。見るまでもなく、ウォルテールは声の主が分かっていた。

　皇帝のための通用口から、エウラリカが一瞬の躊躇いもなく父の胸元に飛び込む。皇帝はそれを拒むことなく、エウラリカの髪を撫でながら相好を崩した。

「エウラリカ、前から付けさせていた彼では満足できなくなったかい？」

「そうなの」とエウラリカは頭を振った。

「あの子は目を離すと悪いことをするから駄目だわ。別の子が良い！」

　皇帝の膝の上に乗ったまま、エウラリカは唇を尖らせる。皇帝は「おやおや」と甘ったるい声を上げた。

　部屋の中は異様な空気に包まれている。

　跪くジェスタの王族、大勢控えた近衛兵や文官らも、まるで縫い止められたように身動きひとつしなかった。

「あら？」

　エウラリカは振り返ったとき、ウォルテールは嫌な予感に寒気がした。

　皇帝の膝からするりと降りて、絶句しているジェスタの王族を見回す。

「おとうさま、もしかして、わたしのために？」

　端から端まで王族とその家臣たちを見回すと、エウラリカの唇が弧を描いた。

「いや、」

　皇帝は制止する仕草を見せたが、エウラリカは既に動き出していた。

「でもわたし、たくさんの人がまわりにいるのは好きじゃないわ。一人だけにしなきゃ」

　エウラリカは頬に手を当てて悩んでいる。

　そこでようやくウォルテールは、この王女が何を考えているのかを悟った。

　一段高い玉座から床へ、すばやく、軽やかに降りる。

　猫のように音のしない足取りだった。

　状況も忘れて、呆然と見とれているジェスタの王族が数人。厳しい顔つきをしていた兵も、うっかり目を取られている。

「誰にしようかしら。次はとびきりかわいい子がいいわ！」

　足下まである裾が、エウラリカが身じろぎする度に揺れる。

　僅かに覗く足先が何も履いていないのを見つけて、ウォルテールは息を飲んだ。

　足音がしないわけだ――エウラリカは裸足だった。

　一列に並ばされた捕虜の前を、王女がゆっくりと歩く。

　一度気づいてしまえば、目は自然とその素足に吸い寄せられていた。裾から見え隠れする足先と、淡い桃色をした小さな爪。

　こんなことに気を取られている場合ではないのに、ウォルテールは顔を上げられなかった。

　小さな足が踊るように床を踏む。裾が翻る。

　繊細な意匠が凝らされた、金の足首飾りが揺れていた。

　肌に滑らかな陰影を落とすくるぶしと、足の甲に浮かび上がる細く鋭い骨の影が、妙に目に焼き付く。

　エウラリカは唇に人差し指を押し当てた。柔らかい下唇の中心が、指の腹に触れて僅かに沈む。「そうね、」とその唇は弧を描いた。

「――あなたがいいわ」

　呟いて、エウラリカはひとりの少年の前で立ち止まった。

　少年は目を見開いたまま硬直している。

（まずい）

　皇帝の眼前で王女に否やを唱えることはできない。ウォルテールは割り入りたくなる衝動を必死に制した。

　ウォルテールの動揺をよそに、エウラリカは大層ご満悦でその場にしゃがみ込む。

　少年は兵に押さえつけられ、床まで顎を下げたまま王女を見上げた。

「こんにちは。今日からあなたはわたしのペットよ」

　帝国の言葉である。少年は当惑した表情のまま応えない。

　エウラリカは膝を抱えたまま、「放してあげて」と兵に手で合図した。

　兵が転げるように下がると、少年はようやく頭を上げて、同じ高さでエウラリカの視線を受け止める。

　ウォルテールは成り行きを見守るしかできない。

　……ゼス＝カナン。

　これとエウラリカを近づけるのは危険だ。王子の身から捕虜に落とされた少年の心情を慮れるはずもない。

　少年の隣で、臣下が一言ふたこと囁く。

　通訳を終えるより先に、彼は顔色を一変させ、エウラリカを素早く振り返った。

『ふざけるな』

　祖国の言葉で吐き捨て、燃えるような瞳で王女を睨みつける。エウラリカはそれを見て立ち上がり、笑顔のまま距離を取った。

『僕が、お前の、愛玩動物？　……僕に、そのような畜生に成り下がれと言うのか！』

　荒々しい口調に、しかしエウラリカは不思議そうな顔である。

「……何を言っているのか分からないわ」

　唇を尖らせて、背後で両手の指先を絡ませた。

　と、ふいに彼女の視線が自分に向いて、ウォルテールはどきりとした。

　深い水のような瞳が、こちらを見ている。距離は離れているのに、まるで目の奥まで覗きこまれたようだった。

「教えてちょうだい、ウォルテール。この子はいま何と言ったの？」

　狼狽えて皇帝を見やるが、割って入る様子はない。

　エウラリカは答えが出るまで動くつもりはなさそうだ。

　ウォルテールはしばらく躊躇った。少年の言葉をそのまま伝えるのは、流石に憚られる。

「その、……動物扱いは、不服だと」

　それだけ答えると、エウラリカは「あら！」と目を丸くした。

　エウラリカは視線を少年に振り戻した。後ろ手に縛られ、床に膝立ちになっている少年を数秒眺める。

　至近距離での睨み合いに、場の緊張が一瞬にして頂点に達する。

　エウラリカの踵が、床を離れた。そう認識した次の瞬間、白い足が弧を描いて一閃する。

　彼女が相手の頬を蹴り飛ばしたと理解するのに、時間がかかった。

「がっ……！」

　小さな少年の体が横向きに倒れ、床にどうと打ち付けられる。エウラリカは困り眉で少年を見下ろした。

「動物が嫌なら、ちゃんと人間として扱うわ。それならいい？」

　床に転がった少年に歩み寄り、エウラリカは身を屈めて顔を覗き込んだ。

　少年の目が大きく見開かれ、化け物を見るようにエウラリカの顔を見上げる。

　王女の頬に笑みが浮かんだ。

「今日からあなたは、わたしの奴隷よ」

　少年はしばらく蒼白な顔で黙り込んでいたが、王女に微笑みかけられると、弾かれたように顔を伏せた。

　床を睨みつけた横顔の、唇が小さく動く。

『絶対に、殺してやる……』

　エウラリカは小首を傾げた。

　こちらを見て目顔で通訳を要求するが、ウォルテールは首を振って拒否する。エウラリカは一瞬不満げな顔を見せたものの、すぐに頬を緩めて少年を振り返った。

　ふ、と笑い声が漏れる。

「いい子ね」

　芋虫のようにうずくまる少年とはあまりに対称的な、底抜けに明るい笑顔だった。

　＊＊＊

「エウラリカ様！」

　奴隷となった少年を連れて廊下を歩く王女に追いすがる。

　呼びかけると、エウラリカはくるりと振り返って、「ウォルテール！」と目を輝かせた。

「じゃーん！　見て、可愛いでしょう？」

　両手で少年を指し示す、その片方の手には少年を縛る縄の端が握られている。

　まるで犬の散歩のようだったが、とてもごっこ遊びとは言えない剣呑さがあった。

　ウォルテールはやっとの思いで呼吸を整えると、穏やかに切り出した。

「エウラリカ様。本当に、その者をお側に置くおつもりですか？」

「だって……前の子はダメだったんだもの」

　エウラリカは当然のことのように答えた。

　欲しいから手に入れる。それ以外の原理など、この少女には存在しないらしい。国も、人も。

「何かいけないことなの？　ウォルテールがそう言っていたって、おとうさまに相談した方が良いかしら」

　難しい顔をして考えこむエウラリカに、ウォルテールは慌てて首を振った。――そんなことをされては、こちらの首が飛びかねない。

「差し出がましい口をききました。ご容赦ください」

　ウォルテールが胸に手を当てて一礼すると、エウラリカは不思議そうな様子を残しつつも「分かったわ」と微笑んだ。

「ねえ、ウォルテール。ウォルテールは犬を飼ったことはある？」

　エウラリカが一歩近づき、下から顔を覗き込んでくる。

　ふわり、と甘い香りが漂った。なにか香を炊いているようだった。

　煙たく重い香りである。彼女には似つかわしくないような、大人びた香気だった。

「犬、ですか」

　普段とは異なる強い香りに気を取られて、返事が遅れる。

「実家に、数匹の猟犬がおります」

　突然の問いに狼狽えつつ、ウォルテールはぎこちなく答えるた。

　エウラリカは「まあ」と目を輝かせる。

「じゃあひとつ訊いてもいいかしら？」

　ずい、とエウラリカは更に足を踏み出して、ほとんど触れ合うような距離まで寄ってきた。逃げるように足を下げるが、踵が壁にぶつかる。

　誰かに目撃されてはことである。しかし王女を押しのける訳にもいかない。

「な、何なりと」

　何の用件だか知らないが、さっさと済ませてくれ。

　顔を逸らし、ウォルテールは早口に応じる。エウラリカは「ありがとう」と囁いて、すんなりと退いた。

「ウォルテールに教えて欲しいの――言うことを聞かない、かわいいワンちゃんをしつけるには、どうしたらいいのかしら？」

　視界の隅で、縄の端を握られたまま、少年がこちらを睨みつけていた。

　＊＊＊

　ジェスタ降伏から丸ひと月が過ぎたころ、ウォルテールは城内でエウラリカの姿を見つけた。

　小さな手に鎖を握っており、目で追うと、少年の首に嵌められた革の首輪に繋がっている。

　あまりに悪趣味だ。

（嫌なものを見た）

　内心で吐き捨てると、ウォルテールはすぐに目を逸らしてその場を離れた。

　角をいくつか曲がったところで、彼ははたと足を止めた。

　エウラリカとその奴隷が向かった方向と、その先にあるものを思い浮かべる。あの先は塔と塔に挟まれた小さな中庭である。

　かつては炊事場が近くにあり、人の集まる生活空間だったと聞くが、今では殺風景な庭だ。放置されて久しい木々や涸れ井戸、最低限の遊歩道くらいしか、……。

「……いや、」

　ウォルテールは顎に手を当て、中庭の手前にある扉を思い出した。

（近くに、地下牢の裏口がある）

　考えが至ってから、ウォルテールは現在投獄されている囚人を思い浮かべる。それらしきものはすぐに見つかった。

（ジェスタの兵が投獄されているのは、あそこのはずだ）

　周辺国の併合を繰り返す帝国だって、開戦には申し訳程度の理由をつける。

　ジェスタ征服の際に槍玉に挙げられたのが、国境近くの小さないざこざだった。その際に捕らえられたジェスタの兵が、この城の地下牢にざっと八人ほど投獄されている。

（一体、あの王女は何を考えているんだ？）

　……何も考えていない。

　脳裏に真っ先に浮かんだ答えに、ウォルテールは深々とため息をつく。

　短慮で軽率で我が儘な姫君を抑える手立ては、今のところない。

　次の日のことである。

　一人で城内を歩く少年の姿を見つけて、ウォルテールは意表を突かれた。エウラリカはもう新しいおもちゃに飽きたのだろうか？

　長い黒髪に縁取られて、少年の首筋はやけに白々として見えた。

　喉元を横切る首輪の形も、やけに目に焼き付いた。