第2話 呪術師 七夕詩音

 昼頃の新宿、賃貸ビルが乱立している区域を二人の男が歩いていた。片方は青白磁色のスーツを着た20〜30代の男、もう片方は私立御堂法成みどうほうじょう大学付属高校の制服を着た少年だ。


 どちらも大きめのゴルフバッグを肩に担いでおり、手首には銀燭の時計を付けている。


 「矢野さん。その怪異って等級で言えばどれくらいなんです?」

 「そうさな。じょうの中ってところじゃないか?悪くとも上ってところだろ」


 矢野さん、と呼ばれた金髪短髪の男は、黒髪の中に濡羽色が混ざった頭髪の少年の質問に懇切丁寧に応える。彼らが口にした等級、というのは彼ら呪術師にとって非常に重要な存在であり、等級如何によって受注する任務も変わってくる。


 それほど、怪異、と彼らが呼称する存在は恐ろしい。


 ――怪異、それは人に仇なす存在だ。怨念、怨嗟、嫉妬、憤怒といった負の感情が生んだ悪霊であったり、呪術などの異能によって変質した生命体であったり、自ら進んで成るものであったりなど、種類は様々だ。


 根本的に発生要因が人間とその他の生命体であるため、根絶することは難しい。だからこそ、彼ら呪術師と呼ばれる異能使いが食いっぱぐれることはないのだが。


 そんな呪術師である彼らが怪異の脅威度として表しているのが等級だ。上からかみすけ、祐、さかんに分かれており、吏の下であれば一般人でもナイフ一本あれば殺し得る。


 「詩音は確か、副の上、と戦ったことあるんだよな?」

 「ええ。副くらいは倒せないとこの家業、できませんからね」

 「言うねー。まぁそりゃそうだよな。伯とは正直戦いたかねーがな。疲れる」


 詩音、と呼ばれた少年の言葉に矢野こと矢野 淳平はかか、と笑う。自分の技量に自信を持った呪術師は多いが、きちんとした実力を合わせ持っている例は少ない。

 副の怪異を下す、というのはある種の指標として機能するから、というのも理由の一つだ。


 呪術師の間では副を下す、というのは実力者かどうかの目安となっていて、隣の少年はその中でも上位の個体を下している。淳平はこりゃ楽に仕事ができる、と思いながら今回自分達が狩る予定の怪異が潜伏している建物を見上げた。


 外見はどこにでもありそうな五階建ての賃貸ビルであり、レンガ色の外装が特徴的だ。一階は喫茶店になっており、二階から上はなんたら商事だったり、バツバツ事務所だったりと看板が飾ってあった。


 今回、詩音と淳平が用があるのはこのビルの最上階。三嶋不動産という会社が入っている階だ。


 「会社ってのは人間関係が如実に出るからな。恨みだったり、妬みだったりの負のエネルギーを産みやすいから、怪異も寄り付くってもんさ」


 「大抵は『間借り』ですよね?」

 「まあな。今回のもその類だろうさ。万が一”住んでた”としても、このテナントの大きさじゃ祐は超えない、と思う」


 怪異にも種類というものがある。大抵はフラフラと自由気ままに漂って人に悪影響を与えるのがほとんどだが、中には一箇所にとどまるタイプの怪異も存在する。後者はいわば根を下ろしているようなもので、多量に負のエネルギーや人間の生命力を吸収し、凶悪化するケースが多い。


 みんながみんな座敷わらしみたいなのだったらいいのに、と階段を登りながら淳平はぼやいた。それに詩音は苦笑で返す。もし居住型の怪異が全て座敷わらしだったら、こちらの商売が成り立たない。


 「それはそうと、矢野さん」

 「待てよ。言いたいことはわかる。――匂う、だろ?」

 「ええ。これ、血の匂いですよね?」


 剣呑な空気が流れ始める。二人は今四階への階段を登っている最中だったが、それでもなお匂うほどの錆びた鉄の匂いに、顔をしかめた。異臭騒ぎになっていない、ということは匂いがただよい始めたのはここ数時間の間だろうか、と詩音は推測しながら、根源であろう五階を睨んだ。


 怪異が人を襲う、なんてことは当たり前のことだ。本能の赴くまま、人を殺すのだから血の匂いがすることに疑問はない。だが、同時に別の疑問が浮かんでくる。


 「タイミング、良すぎません?」


 「そうだな。というか間借りしてる怪異が栄養源を殺そうとするか?俺が怪異なら絶対に殺さないぞ?」

 「いくら俺らが近づいたからって自分の居場所を晒すような真似、しますかね」


 怪異は基本本能で動くが、バカではない。生存本能とでも言おうか、生き汚さが怪異にはあった。でなければ人間社会で怪異がはびこることなどありえない。


 「なぁ、詩音。ちょっとやってくれないか?」

 「いいですよ。どうせ、入る前にやるつもりだったんで……」


 五階に到着し、部屋のドア前に到着した詩音と淳平はそれぞれドアの左右の壁に背中を密着させる。そんな中、詩音は淳平に促され彼の呪術を行使する。


 彼ら呪術師はその名に冠すとおり呪術と呼ばれる異能を使う。あの世、つまり地獄の瘴気に充てられ、死人に近くなったことで得られる呪術の力は絶大だ。空と飛ぶことも、炎を手の平から出すこともできる。


 しかし無際限に行えるわけではない。

 呪術は使うだけで魂を消費する。魂とは人が消費できるエネルギーの一つであり、命に近い存在だ。生き物によってその大きさ、総量は違い、呪術師の実力はその魂の大きさ、総量に比例する、と言ってもいい。


 そんな身近なものを消費して無事でいられるわけもなく、呪術を行使し続けると心身共に異常をきたしていく。生者と死者の境界が曖昧になっていき、やがて死霊となる。


 一応、ある程度の休養を取れば魂が回復するため、一度に大量の魂を消費しない限りはどうにか生者として生きることができる。

 そんなリスクが高い異能をなぜ使うのか、と言えばその価値があるから、と答えるしか無い。


 詩音は魂を液状化させるイメージで自分の右手へと集中させる。そして呪術の中でも最奥、と言える呪術式を発動させた。

 彼の手のひらを起点として、光が壁の中を走る。光は壁を突き抜け、反対側に一つの目として姿を現した。


 「どうだ?」

 「ちょっと待ってください。……お。……うわ……」


 詩音は室内に出現した目を通して得た中の状況に思わず顔をしかめた。彼の表情からなんとなく状況をつかめた淳平も釣られて顔をしかめる。


 室内はレッドカーペットで満たされ、壁や天井にいたるまで物騒なデコレーションが施されている、と詩音のはなった目は彼に訴えた。凄惨な光景であることは言うに及ばず、乱雑に机や椅子が倒れていることから中に生存者がいるのかを疑う、と詩音はこぼした。


 「とりあえず、中に入るぞ。抜刀しとけ」

 

 淳平にうながされたシドはゴルフバッグを肩から外すと、中から一振りの日本刀を取り出した。身長172センチのシドのために調整された刃渡り60センチほどの短めの刀で、室内などの閉所で戦うことを想定されたことは明らかだ。


 対して、淳平が取り出したのは赤い棒だ。しかし、よく見れば両端に円錐状の突起物があり、つかれれば体に穴くらいは空くだろう、と容易に想像できる。


 ダン、と淳平はドアを蹴り飛ばすと中へと突入する。詩音はそれに追従する形で中へと入った。


 そこで二人は信じられないものを見た。


 趣味の悪いデコレーションをオフィスいっぱいに広げていることは知っていた。だが、そんなものを塗りつぶすほど、むごたらしい山を見て二人もさすがに吐き気を覚えた。


 同時に彼らの視点は山の前で差し込む西日を見つめる男へと向けられていた。


 身長は180を超え、190はあるだろうか。全身を覆うくらいの大きさのマントを羽織り、その下には悪趣味な赤と青のフラックとキュロットを着ている。そして白いパーティーマスクにコロニアル帽子とフランス貴族然とした出で立ちの奇人。


 凄惨な場に似つかわしいと言えば似つかわしく、頭の中にクエスチョンマークを躍らせるには十分とも言える、不思議な男の存在は緊張と安穏を同時に感じさせた。


 「……あんた……、同業者か?」

 

 恐る恐る淳平が聞く。


 呪術師の世界で現場で別の呪術師と鉢合わせることは珍しいことではない。今回詩音と淳平は彼らの上役から任務としてこの賃貸ビルに行け、と言われたが、まるで関係無呪術師がたまたま怪異の存在を察知して乗り込むこともままある。


 仕事泥棒、と本来ならなじるところだが、眼前の光景を前にしては喉も乾いてしまう。


 「遅かったじゃないか、ご同輩」


 仮面男の声はとても高く、しかし男とわかるくらいには低い。妙にリズミカルな印象を覚える独特の抑揚をつけている。


 「ああ、先に言っておくが君達が狩りに来た怪異ならもうここにはいないよ。私と戦っている際に左腕を犠牲にして逃げてしまったからね」


 そう言って男は山の影に転がっていた桃色で毛むくじゃらの腕を指差した。腕くらいの太さはある爪を持つ、巨大なゴリラを彷彿とさせる外見をしている。


 だが、二人の視線はすぐに仮面男の背後の山へと向かう。二人の眉間にしわが寄り、武器をにぎる力が強くなっていく。


 「なぁ怪異が殺したんだよな、そこで積み上げられている人ってのは……!」

 「そうだが?」

 「じゃぁ爪の太さと傷の大きさが合わないのはなんでだ?」


 淳平の怒号に仮面男は始めて彼らへと視線を向けた。仮面の奥の瞳に温かみはなく、また温情をかける価値のある人間ではない、と自身から訴えかけるものがあった。


 「勘のいい術師は大好きだよ」

 「ほざけ!」


 淳平が正面に飛び、詩音は側面から仮面男に仕掛ける。二方向からの攻撃に仮面男は素早く反応する。マントの下に忍ばせた二丁のカスタム拳銃を取り出すと、振り出される攻撃を受け止めた。


 ガキィン、と重低音がテナントの中にこだまする。詩音の刀を、淳平の棒を受け止めるばかりか、弾き返したことに二人は目を丸くした。


 「軽い、軽い。そんな攻撃じゃ私に傷はつけられんよ、呪術師君?」


 仮面男は弾くばかりでなく、体勢を崩した二人に向かって引き金を引く。その小ぶりな見た目とは裏腹に腹の奥底から響く重低音が轟いた。二人は互いに床を蹴り、銃弾が発射される前に射線から外れた。


 その時始めて詩音は仮面男の手に握られた拳銃の正体を目視した。蒼と朱。右手に蒼く塗装されたベレッタカスタム、左手には朱く塗装されたマカロフカスタムを握っており、また両銃には塗装と同色のサバイバルナイフが装着されていた。


 中〜近接戦闘を想定した武器選択、距離を取らずに戦う方が有利、と二人の本能が訴えかけていた。


 まず体勢を先に整えた淳平が下段から棒を振る。仮面男が振られた棒を跳躍してかわすと、正面には詩音が突きの構えでいた。


 繰り出すのは『七夕式斬術一の型十二番、砂尽さじんつむぎ』。彼の繰り出せる突き技の中で最速のものだ。繰り出した突きを仮面男はナイフで強引に押しのけ、詩音のみぞおちに蹴りを食らわした。


 息がつまる、と詩音は腹を抑える。動くまでに数秒だが支障をきたすほどの一撃だ。動きが止まった詩音目掛けて仮面男が引き金を引こうとした矢先、鋭い突きが仮面男のベレッタカスタムを撃ち抜いた。


 一瞬だが仮面男は詩音から注意をそらし、自分のベレッタカスタムを打ち据えた淳平へと視線を向ける。淳平はそのまま、仮面男の残ったマカロフカスタムを破壊しようと、渾身の力で棒を振った。彼の繰り出した『夜神楽式斬術二の型三番、我陰峰・槍式』は吸い込まれるように仮面男のマカロフカスタムへと向かっていった。


 だが、一歩足りなかった。

 男はフリーになった手で棒を受け止めると、マカロフカスタムのナイフで淳平の腹を鮮やかな手際で裂いた。ぽぅくりと血だまりを生み、激痛となって淳平を襲った。


 「ふふ、見事な一撃だ。私のベレッタが壊されるとは思わなかった」

 「クソ……。てmぇ……」


 仮面男が賛辞のつもりで送った言葉は淳平の神経を逆なでする。痛みをこらえて淳平は立ち上がろうとするが、仮面男は無慈悲に彼を蹴り飛ばした。ガタン、と机の上に淳平の体が打ち据えられた。彼が動かないのを確認して、仮面男は踵を返し部屋を出ていこうとする。


 刹那、仮面男は強烈な殺気を肌で感じた。

 はっとして振り向くが、何もない。安堵し立ち去ろうとした直後、風を切る音が聞こえた。


 間一髪。


 背後から繰り出された斬撃には殺意が込められていた。まともに当たっていれば左肩ごと持って行かれていただろう、と仮面男は感嘆符をこぼした。


 見事なまでの大振り、上段からの縦一文字の一刀は仮面男の人間離れした反射神経がなければ、致命傷を与えていた。


 「……いや?」


 ピス、と小さな血の噴水が仮面男の左肩に現れた。

 本当に間一髪だったな、と肩口を抑えながら仮面男は思った。刀は当たっていなかった。だが刀が起こした風圧は当たっていた。


 「いい、いいね!君達の潜在能力には見惚れてしまうよ!」

 若干ハイになっている仮面男に刀を振り下ろした詩音は幽鬼のような冷めた視線を送る。その視線に触発されたのか、肩を震わせ仮面男はいつわりのない喜びを表現した。


 「お名前は?」

 「七夕……詩音……」


 「七夕……、なるほどね。お友達の名は?」

 「言うと思ってんのか?」


 それもそうだ、と仮面男は肩をすくめた。すでに血は止まっており、並々ならぬ治癒能力を有していることがわかる。そして男が徒手格闘に優れている、とこれまでの戦闘で詩音は理解していた。今はまだ捕らえられない、と。


 「あんたは何なんだ?」

 「私は求道者。また会おう、七夕君」


 仮面男は正面玄関から悠々と出ていった。

 扉が何事もなく閉じたことを確認して、すぐに詩音は淳平に駆け寄った。


 「矢野さん……怪我は……」

 「問題ねーよ。バッグの中に救急セット入ってっから取ってこい」


 問題は大アリだが、詩音は淳平の指示に従い、彼のゴルフバッグの中からパック詰めにされた救急セットを取り出した。淳平はそれを受け取ると手際よく消毒や止血を行っていく。

 その間、詩音は改めてテナント内へと視線を送った。


 積み上げられた山は十人ばかりの死体から成り、そのどれもが非常に薄い刃物で刺されたような跡や、切り傷が目立つ。中には弾痕も見られた。明らかにさっきの仮面男がやったのだろうが、なぜ、と詩音は疑問に思った。


 戦闘に巻き込まれたから、とは考えにくい。いくつかの傷は明らかに即死を狙っていたから、というのもあるが、何より山の近くで転がっている左腕でつけた、と思しき傷がないからだ。


 とすれば考えられるのは一つ。


 「矢野さん。これってひょっとして……」

 「言うなよ、詩音。一般人が人質になるよかマシ、とか考えたんだろうさ」


 だが気に入らん、と淳平は吐き捨てる。仮面男の思考が斜め上にズレていることは理解できた。殺人を救済、と考えるタイプの人間であり、根本的に自分達と相容れない存在だということを。


 今回にしたって、理解したくない。

 怪異を狩るための足手まといになるから足かせを取っ払うだなんて、外道のやることだ。


 「とにかく処理の人達呼びますんで、矢野さんは安静にしていてください。――その辺の血がついていないところなんてどうです?」

 「そうさせてもらうさ。現場の監督は任せるよ」


 はいはい、と応えて詩音はスマホで『処理班』へと連絡をかけた。

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