夜隠百鬼夜行

賀田 希道

第1話 焔の中

 熱い。熱い。熱い。

 鼻先だけじゃない、体全体で感じるほど熱い。全身を刃で貫かれている、と錯覚してしまうほどの熱量は少年のちんけな意志を吹き飛ばし、彼に抗うことを一切許さない恐怖をねじ込んだ。


 それは黄金の焔の法衣を身に包んだ巨大な入道であり、身の丈は三メートルを超えていることだろう。一般人でなくとも恐怖を感じるほどの圧倒的な強者の佇まいは、まさに圧巻の一言しか思いつかせない。


 時間は夜。場所は小さなホテルのロビー。大きな音がしたから来てみれば、ロビーにこいつがいた。少年は入道が鋭い眼光をぶつけただけで逃げる勇気を失いその場にへたりこんで今にいたる。


 ――ああ、こんなことなら『あの家』から出なければよかった……。

 今年で四歳になる少年は後悔は後から来るものだ、と今さっき知った。へたり込む彼の思い出としてこみ上げてくるのは無数の『あの家』での思い出。

 優しい兄。生まれたばかりの妹。厳しくも優しい父と母。いつも書斎にこもっていて時々顔を出す祖父。お手伝いさんがいっぱいいて、いつも和やかだった七夕家にはもう戻れない。


 きっかけは些細だった。

 偶然、少年が祖父と父、いや義祖父と義父の話を聞いてしまったことがきっかけだった。

 「あのとき、詩音しおんを拾ったときと同じくらい私は感動していますよ、父さん」

 「砂厘さりんか。アレはいい。優秀だと、俺が保証してやる」


 義祖父と義父が何を言っているのか、四歳の少年にも理解できた。自分は捨て子で、これまでずっと騙されてきた。温かい生活もすべては嘘で、彼らの浮かべた笑みはすべて虚像。

 十代の若者でも戸惑うだろうし、まだ一桁の少年には酷な話だ。捨て子でも、温かい家庭があればいいや、と割り切ることはできない。――できてたまるものか。


 その日から少年は人間不信を強めていった。しょっちゅう偽兄や義父、義祖父につっかかるようになった。彼らは最初不思議そうな目で少年を見た。やがて、少年が自分が捨て子なのか、と聞くと彼らは目を丸くした。――少年は勢いにまかせて、家出をした。

 そして今に至る。


 回想を終え、少年は目の前の死を受け入れようとしていた。


 目の前の入道が何かを理解している分、死ぬことに対する恐怖は薄らいでいた。ただ存在に対する恐怖だけがそこにはあった。


 「じょうってところか?木っ端怪異にしちゃ、中々のものじゃないか」


 入道の左腕が少年の体を握りつぶそうと迫ったときだ。少年の目の前でその拳は止まった。一切少年は目を離すことはなく、つぶさにその光景に見入っていた。


 入道の拳をただ一本の刀が止めている。刀の持ち主と入道の身長差は倍近くあり、物理の法則が仕事をしていれば運動エネルギーの関係上、受け止めるようとすれば全身がひしゃげるはずだ。

 だが、刀の持ち主は動じることなく受け止めている。彼は微動だにせず、ただの膂力だけで自分の身長ほどもある腕を受け止めていた。


 老齢ではあるが、まだ髪の毛は生えそろっており、威厳のある白ひげを携えた活力に満ちた老人。藤色の着物越しでもわかるほど鍛え抜かれた肉体は年による衰えを一切感じさせないだろう。

 七夕家前当主、七夕 迅一郎はするどい目つきで眼前の入道を睨みつけていた。迅一郎の殺気を感じ取った入道はすぐさま拳を引っ込めると逃げの姿勢を取ろうとする。しかし、迅一郎は逃げる暇を一切与えず、入道の首を切り飛ばした。断末魔の雄叫びすら上げることなく、ロビーの惨状をつくりあげた化け物は断罪された。


 崩れ去る入道の体を尻目に迅一郎は未だに腰を抜かしたままの少年を見つめた。失禁はしていないが、恐怖で麻痺した足は震えることを止めることはない。――だが、大局的に目は死んでいなかった。心は恐怖に屈していた。しかし、彼の魂は死んではいなかった。


 「――屈するな。恐怖を殺せ」


 それは義祖父から始めて送られた厳しい言葉だった。少年の心はただ一つの方向へと定まった。


 そして13年後……。

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