第6話/反転

朝。目を覚ます。

瞳。に映るものは変わらない。

見飽きた天井だ。

光。零れる明かり。を求めてカーテンを開ける。

鏡。私を映すもの。……酷い顔。

目の下に深々と隈が刻まれている。昨夜はあまり眠れなかった。年甲斐もなくはしゃいでしまった。

 今日は待ちに待ったシンのライブの日。ただ、ライブだけを楽しみにしていたわけではない。

 外に出る。今日の私はクロバネだ。誰にも何にも縛られない。私はありのままとしてのクロバネでいればいい。想像するだけで心が浮き立つようだ。一度も会ったことがないのに、私を知られているという実感。それは甘美な調べとなて脳裏にこべりつく。

 掲示板でシンについて書いている人は幾らかいる。その中で私を選んでくれた。その事実がきっと何よりも嬉しい。それが、嘘偽りのない私であるのなら尚更だ。

 今日会う、彼もしくは彼女は、コトブキという名前だった。確か目印に黄色の星を身に付けているはず。私はクロバネに因んで、黒羽があしらわれた帽子を被っている。

 しばらくしてライブ会場に到着する。シンはインディーズということもあって、ファンの気質は熱狂的なものが多い。ニワカお断りみたいな風潮もあって、正直、苦手な部類だ。ネットの投稿を見る限り、コトブキさんはそういう手合いではなさそうだけど。実は滅茶苦茶コアだったら、まあ、それはそれで面白いだろう。多分。

 辺りをキョロキョロしていると不意30代前半ほどの男性と目があった。男性はこちらに近付き、鞄からある物を取り出した黄色い星だ。

「間違いだったらすみません。クロバネさん…ですか?」

「あ、はい。えっと、コトブキさん、ですか?」

「はい。そうです!…良かった。人違いならどうしようかと」

「すみません…分かりづらいですよね。コレ」

 そう言って、頭の羽根を指差す。黒が基調の帽子に黒い羽根だから、実際問題分かりにくいのだ。

「そんなことないですよ。クロバネさんらしいじゃないですか」

「…ありがとうございます」

 らしいという言葉は普段なら得意ではない筈なのに、今は少し恥ずかしいと感じていた。妙に照れ臭くて、顔を逸らす。こんな風に思ったのは何も私の気分だけが原因ではない。コトブキさんの雰囲気が、彼の持つ優しさが私にそんな気持ちを抱かせる。彼からは、私が他の人から感じる白々しさが受け取れない。彼はコトブキであって、それ以上でもそれ以下でもないんだと。それが私の率直な感想だった。

「どうしましょう。開演までまだ時間ありますけど」

「じゃあ、物販行ってもいいですか?Tシャツ欲しくて!」

「良いですね。行きましょう」

 物販で並んでいる間も、開演待機をしている時も、私たちはずっとシンの話で盛り上がっていた。いつから好きなのか、どうして好きなのか。そういう話題は湯水のように、文字通り尽きることはなかった。一番面白かったのは好きな曲を一つだけ挙げる話になったときだ。一つだけというのは凄く難しくて、お互い結構な時間、頭を悩ませていた。数分経って、せーので言い合ったとき「プロローグ」とハモってしまった。流石にそれは声に出して笑った。考えることは同じなんだなって思った。コトブキさんも「プロローグ」がシンの最初の曲で、ライブの鉄板だと知っているからきっと一番に挙げたのだ。言わなくても通じあっている気がして何だか嬉しかった。

 そうこうしている内にライブが始まった。掴みはやっぱり「プロローグ」だ。

「さあ、みなさん。今からぶっ通しの2時間ワンマン。出し惜しみなんて無しでお願いしますよ。明日の用事なんて、次の曲なんて

ないって勢いで掛かってきてください。一曲一曲、魂こめて歌います。皆さんも一緒に燃え尽きましょう!!」

 歓声とも叫び声ともとれる大合唱。会場の熱ははじまりからして最高潮だった。

 私もその群衆の一人となり声を上げた。

 音楽が私の一部となって染み渡る。

 どうしようもない私を叫ぶ歌。

 私を、これから始めるための歌。

 詞が、旋律が、声が、全てが私の五感を刺激する。

 これでもかという程に響き合う私達。

 プロローグは最後のサビを迎えるところだった。


 ――悲しい歌。届かなくていい。

   優しい歌。聞こえなくていい。

   私の声も。見つからなくていい。

   ただ言わせて。生かして。

   命を。

   たった1つの私たち。


 会場に轟くのは、私たちの歓声。1人1人の命を歌うシンに対する、私たちの答え…のようなものだと思っている。

 一曲目なのに、シンはもう汗だくだった。滴る汗が照明に反射して、輝く海のよう。とても、綺麗。

 昔から何かに全力な人は好きだった。俳優、女優、タレント、モデル、歌手、スポーツ選手、何でも良かった。平凡とは一線を画す彼らに見入り憧れた。俳優さんとかは物語嫌いの関係で今はそうでもないけど、以前は凄かった、らしい。あまり覚えていない。

 ともあれ、私は彼らが好きだ。あの人たちはみんな全身で生きている気がしたからだ。いきる喜びを噛み締めていると思ったからだ。

私もそうなりたいと思っていたのはいつのことだったか。もう随分と過去のことのように感じる。平凡な生活から抜け出すのは非凡な人間にしか出来ない。そう諦めたのはいつだったか。それももう覚えていない。


………。

……。

…。


ライブは大盛況のまま幕を閉じた。ずっと曲に合わせてジャンプやらなんやらしていたので、私も大分ヘトヘトである。それはコトブキさんも同じようで、二人とも疲労困憊だった。

 それでも私たちはまだ話し足りず、帰りがけに一緒にご飯を食べることにした。足りないというよりもライブでさらに継ぎ足されたという方が適切だろう。火に油、鬼に金棒、話に終わりなんてないのである。私たちは時間ギリギリまで近所のファミレスで話していた。門限なんて無ければいいのにとこの日以上に恨んだことはなかった。

ファミレスを出て、それぞれの帰路につく本当にきょうはシンの話しかしていなかった。楽しくて楽しくて仕方がない一日。それももうすぐ終わる。あまり深く考えずに決行してしまった今日だけど、結果としては大正解だったコトブキさんに会えて良かった。心の中がそんな感慨に満ちていた。

――ピリリリ

突然の着信音。鞄から携帯を取り出す。もしものために母から持たされているものだから、基本的に両親からしか掛かってこない。母だろうか。門限はまだ過ぎていないのだが…。

「はい。望月です」

「あ、もっちー?」

 一瞬切ってしまおうか本気で悩んだ。なんで凛がこの番号を知っているんだ。

「いや、何かね、家にかけたらお母さんが今日は遅くなるから、急用だったら、番号教えましょうかって」

 なるほど。犯人は母か。普通に不用心だと思うんだけど。

「いいなー携帯。私もほしーい」

「…それで、用件って?」

「あ、そうそう。いきなりなんだけど明日の夜合コンすることになって、もっちーにも来てほしいなって」

 全くもって、欠片も、絶対に急用じゃない。その連絡、明日でも良かったよね?合コンに興味ないし…何を考えているのか。ああ、いや、この子基本的に何も考えていないんだった。

「どう?」

 どうって言われてもな…乗り気でもないし、行ったところでどうなんだってところでもある。適当に理由をつけて断ろうと思ったとき、さらに凛が口を開いた。

「実は、もっちーも来るよってことで、じゃあ行くーって人もいてさ…来てほしい……な?」

 また、勝手な約束をしてくれたもんだ…

 普段なら、凛の自業自得だし、その発言は逆効果なんだけど。

 そこで私は思い違いをしてしまった。一日クロバネでいたからだろう。私自身が求められている気がして、嬉しくて、合コンに行くことを決めていた。

 それは後から思えば、随分と検討違いな思い込みだった。だって凛はなにも知らない。これまでのことも。今日のことも。そのことに私は気付けなかった。それが私にとって取り返しのつかない決定だったことも。

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