第4話/孤独のバレリーナ
朝。目を覚ます。
瞳。世界を写すもの。
ああ、変わり無い天井だ。
光。差し込む明かり。を嫌うようにして起き上がる。
鏡。私を写し出す。というのが一般的だ。
酷く、曖昧な輪郭だ。私を見ている気がしない。
声。私の名前が聞こえる。らしい。きっと母だ。
そろそろ、起きないと。
「朝ごはんの時間よ」
扉が開き、母がやって来る。
「今、行くよ」
部屋の外には母が待っていた。二人でリビングへ向かう。朝食は8時から。5分前には席に着くことになっている。時計を見やる。7時57分。2分遅刻したみたいだ。
「もう少し余裕を持って起きなさい」
「本が面白くて、少しだけ夜更かししたの」
「熱心なのは良いことだけれど、やりすぎは身体に毒よ」
「気を付けます」
「いい子ね。じゃあ、いただきましょう」
「うん。いただきます」
朝食で交わされるやり取りは今日の予定だ。
どこに行き、何をするのか。いつ帰るのか。今日を確認。ないし確定する日課。
因みに今日は大学が終わったら真っ直ぐ帰ってくる。明日に備えて今日は早く寝たいのだ。そもそも家には門限があるので、夜遊びはできないのだが。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした」
食べ終わり、外出の支度を整える。朝は時間がないことが多いので、片付けも母が済ましてくれる。だから私はその姿を見ることは少ない。きっと美しいのだろうと思うだけである。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
母は私が見えなくなるまで、外で待ってくれている。たまに振り返ると母は家の前から私を見つめていた。世間的に見たら過保護ということになるのだろう。加えて父の仕事的にお嬢様ということになるだろう。私は偽らざる箱入り娘というわけだ。
そのことが原因で苛められたことはない。とはいかない。自覚があるだけでも5回はある。辛くなかったと言えば嘘になるけど、そういういじめは劣等感の投影でしかないと気付いてからは、悲しむというよりは憐れむようになった。みんな、自分の弱さを誰かに仮託して、向き合うことなく慰めているのだ。そんな人に起こったり悲しんだり傷ついたりする方が間抜けだ。心だけは負けないようにと私は必死に歯を食い縛った。好きなだけ扱き下ろせばいい。好きなだけ蔑めばいい。そうやって見下ろす程に、自分自身を貶めるんだ。いつか自らと対峙したとき、その弱さにはきっと耐えられない。それを思うと私は憐れまずにはいられない。
「もっちー、おはよー」
取り留めのない思考は、いつの間にか私を大学にまで連れてきた。凛に声を掛けられなければ、気付かなかったかもしれない。
「おはよう」
「今日も今日とてクールだねー」
「ありがとう」
「いえいえ」
褒められているとは毛ほども感じないけど、褒めているつもりみたいだから、お礼は言っておく。クールってただの印象を表す言葉であって褒め言葉では絶対にないと思う。
「講義、めんどいなぁ」
「そんなこと言ってると単位落とすよ」
「でも、あの教授、レポート出せば単位出るらしいよ」
「それとこれとは話が別」
「真面目ちゃんだ」
「…凛は大学に何しに来てるのよ」
「だって、この講義はつまんないじゃん?」
「それはね」
講義開始の鐘が鳴る。けれど、ざわついた講義室にはさして変化はない。それを意に介さぬようにして、教授は語りはじめる。
講義中、教授に意識を向けない人はままいる。寝ている人もいるし、何か別の作業をしている人もいる。聞く気がないなら、出なければいいのにと思わなくもないけど、出席点重視の講義だから仕方ないのかもしれない。
ただ、まあ、私の斜め後方に座っている人たちは本当に理解できないかな。何が楽しくて講義を聞いている私に視線を浴びせるのだろう。感じてしまったからには無視することも出来ないので、整然とした佇まいで受講する羽目になった。噂によると「静謐の姫」と呼ばれているらしい。一々、私に変な期待をしないでほしい。静謐はまだしも姫の方は何とかならないのだろうか。合わせるのもそんなに楽じゃないんだから。
ここまで来たら癖というよりは病気のような気もしてくる。色々な役割を演じている私だけど、疑問がないわけではない。端から見たら、私の人格はちぐはぐなのではないか。そういう話が出てこないのが私にとっては不思議である。
こんなことを考えている辺り、自分も講義を聞いていないのだなと思う。事実、聞いても実にならないのだから仕方がない。90分の時間は、今日もその通り過ぎていった。
凛はようやく解放されたと言わんばかりに、大きく伸びをして立ち上がった。
「終わった終わった。よーし。ご飯食べよ」
「うん」
食堂に向かって歩きだす二人。
いつもは大体、さっきの講義が如何につまらないかを解説してくれる凛なのだが、今日はどうやら違うみたいだ。ふと、思い出したように凛は呟いた。
「それにしても、もっちーはモテモテだよね」
「急にどうしたの?」
「え、気付いてないの?」
と、辺りをきょろきょろしてから、言葉を続ける。
「講義中とかさ、今だって、結構視線向けられてるじゃん」
勿論、気付いている。が、それを自白するのは意識過剰だと思うので、ここは流すことにする。
「そうなの」
「冷めてるなー」
「あんまり興味ないもの」
「勿体無い…分けてほしい……」
「そんなに?」
「彼氏ほしい…」
「そう…」
項垂れたかと思うと、急に起き上がって目を輝かせる。まるでジェットコースターみたいな乱高下。凄く、楽しそうだ。
「私的イチオシは高橋くんなんだけどね」
「…誰?」
「もう、ホントに興味ないのねー。高橋くんはあそこのグループの右から二番目」
「ああ。好きなの?」
「好きっていうか…イケメンじゃん?」
「そういう…」
イケメン。美女。私はそういう言葉を嫌悪している。広く褒め言葉として使われているだろうそれらは、むしろ何の意味も持たないと感じるからだ。外見の差異は先天的にもたらされるものだ。当人がどうしようと変えることの出来ないものだ。それに対して優劣をつけようとする。そのこと自体がおかしいとどうして思わないのだろうか。評価すべきなのはもっと別の、努力によって為し得たことではないのか。
だから私は分からない。恋をするということが。
内面の美醜も知らないのに、見た目だけでどうこうする。その意味が理解できなくて、私はまだ恋という経験をしたことがない。人は一体、何を以て好きだと言っているのだろう。理由は人それぞれだろう。だけど、付き合う理由も別れる理由も大して変わりがないのは何故なのか。優しいからという理由で付き合い、性格が合わないからと別れる。同じ口から発せられるその言葉は果たして同一人物なのだろうか。
誰もその問いには答えてくれない。
「どうすれば仲良くなれるのかな…合コンでも企画しようかな」
「仲良くなるには、話すのが一番…あ」
凛の話を聞きながら、その高橋くんとやらを見ていると目があってしまった。彼は「イケメン」らしく爽やかな笑顔をこちらに向けてきた。
「えっ、何今のかっこいーっていうかうらやましー」
「ただの挨拶じゃない」
「うらやましいものはうらやましいの」
「羨ましい…かな?」
「あーどうしたら……」
自分の世界に没入していく凛。こうなってしまったら、後は話を合わせて相槌をうつしかない。こんな風に自己主張出来る人はそんなにいないだろうと感心するばかりである。
あーでもないこーでもないとうんうん悩む凜を適当にあしらう内に、今日も一日が終わっていく。
明日もきっと高橋くんの話を聞かされるのだろう。そうやってまた、一日が終わっていく。
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