第29話 嘘
そして二人は、再び跡地へ――
もう、ジンバル村に監視の目が無い事はわかっている。ジンバル村を糊塗したレックはもういない。今も村の開発が続けられているのは、クラインの名を祭り上げるために、皇帝が指示を出し続けているだけの話だ。
貸し馬車がジンバル村中央の広場に到着すると同時に、二人はさっそく小屋の跡地へと向かった。
計算して発ったので、陽はまだ高い。
以前は白樺の紅い葉を踏みしめながら跡地に向かったものだが、今は下生えの新しい葉を踏みしめて進む。
下り坂になるので、二人は注意しながら歩を進めた。そんな注意が果たしてスチュワードには必要なのかどうか――しかし、ヨーイングは考えることを止めている。
今はただ――クラインの死の理由がわかるならば。
その一念だけで、交互に脚を動かしている。
「やはり……ある事がわかっていれば、この場所へと向かうことも可能なんでしょうが、容易には発見できない。まずこれを確認したかった」
「それは……確かに」
そして、今まで行われていた取材のように――人間同士のように――二人は言葉を交わす。それだけが救いであるかのように。
「ということは、無理にここに手を加える必要がない」
「いや、しかし……」
あまりに大胆なスチュワードの仮説。ヨーイングはそれを反射的に否定した。実際に今、二人の目の前には焼け跡になってしまった小屋があるのだ。
動かし続けていた二人の脚は、問題無く二人を目的地に運んではいたのだが。
――そう。この場所が二人の目的地だった。
「実はレックという人物――その
「順番?」
「ええ、まずこの跡地。何処かで見たことはありませんか?」
え? ――と、意表を突かれたヨーイングは声を上げた。
もちろん、跡地そのものに覚えは無いか? ということではないのだろう。つまり、この小屋が焼け落ちる前は……
「……ああ! そうか! クライン邸の用具小屋と同じなんだ! ここがベッドで……二部屋! あの造りが倉庫にしては変だとは思ってたんですが」
「そうです。クライン邸のあの小屋は、この小屋を模したものでしょう。恐らくは魔法に掛けられた曖昧なままで尚、クラインはこの小屋を欲したのです。一種の依存なんでしょうが、レックは恐らくそれを弁えていたはず」
「それで、残したに違いないと?」
「――それもあります」
そう返すスチュワードの頬には寂しさが浮かんでいた。
「では、考えてみてください。何故この小屋が燃えてしまったのか? それを行ったのは誰か?」
「そ、それは……」
この小屋がレックの手によって残されたと仮定するなら、後になってから、その小屋を燃やすことが出来るのは、たった一人……
「これもおかしな話でした。過去を封印するために、この小屋が燃やされたというなら、その過去の象徴である文献は何故残されたのか? 封印を指示したのがレックなら、文献の存在を知らないはずがない。焼くとなれば、必ずそれも焼く」
「確かに……それに火元はこちらの部屋では無かった。過去を燃やすなら、こちらの部屋が火元であった方が、蓋然性が高いはず」
ヨーイングがスチュワードの推理に賛同する。それに気をよくしたのか、スチュワードは、こう続けた。
「――ちなみにですが。恐らく、本を集め、それに因って知識を積み重ねて自分のものとしたのはレック。そしてクラインはそんなレックに対抗心を燃やして、躍起になって本を読んでいたのでしょうね。それがホギンさんがよく見ていた風景の正体」
「対抗心?」
「ええ。レベッカさんも言っていたでしょう? レックに対する対抗心があったと。そしてその理由は……」
「ニナ、ですか……」
だんだん、ヨーイングにも、この部屋の過去の風景が見えてきた。
もう匂いまでも感じることが出来る。子供達の声まで聞こえてくるようだ。
しかし、ヨーイングは大人だった。
だからこそ、そんな無邪気な風景に違和感……いや、漠然とした恐怖を感じてしまう。
スチュワードが解き明かす、過去の風景。
それに説明を添えようとするなら――それは決して“無邪気”なだけでは説明出来なくなる。
「さて、私はもう一度レベッカさんに会いに行っていたんですよ」
突然始まるスチュワードの告白。それだけに反応が遅れたヨーイングだが、それに構わずスチュワードは話を先に進めた。
「私は彼女が笑みを見せたタイミングに、どうにも違和感がありました。違和感というなら、彼女がずっとあの家に閉じこもっていたことにも、違和感がある――そこで、私は仮説を立てました」
「仮説? それは?」
「何度も使い回すようで申し訳ないんですが――レックです」
スチュワードは、本当に申し訳なさそうに鷲鼻を掻いた。
「デザイナーという自称は、やはり的を射ていたんでしょうね。レックは自らの周り全てを“デザイン”していたのです。自分に好意を寄せる女性達の心さえも」
「――! ではレベッカさんも!?」
「そう。私が確認したかったのは、まさにそれ。そして結果は――彼女は未だにレックに言われたことを守り続けているんですよ。自分の愛を証明するために。愛されているという実感を得るために。東の果てでずっと」
考えてみれば……それは当然の“現象”では無かったのか?
「つまり、彼女は弟の――クラインの事などに興味が無いのです。そして彼女が喜んだのはクラインに恋人が出来たことでは無く、ニナに恋人が出来たこと」
その「レックの美貌に惹かれぬはずが無い」という当然の“現象”は、次にレベッカが笑みを浮かべた理由までも説明してしまった。
即ち――
「ニナもまた、レックに……?」
認めたくない。
そんな想いが、ヨーイングを殊更慎重にした。
「そう考えれば、色々なことに納得の行く説明が可能となるのです。レベッカさんについてもそうですが『エレニックの奇跡』に見られる不思議な光景……ニナはレックの要望で、その場にいたのでしょう。クラインを英雄として操るためには、クラインがニナに抱く恋心を操るのが効率的ですから――ニナの恋心をレックが操ることに因ってね」
しかしスチュワードは、容赦しなかった。
悪魔であるからか……しかし「悪魔」という呼称に相応しいのは一体誰なのか?
「その、ニナの恋心を操ったレック――いや、ハッキリ言いましょう。クラインに愛を囁いたニナは、この小屋でレックと褥を共にしていたんです。そして、魔法の影響が弱まり、正気に戻ったことでこの場所にやって来たクラインは、それを理解せざるを得ない“証拠”を見つけた。そしてそれを焼くために――」
「――ベッドを燃やした……ああ」
全てが説明出来てしまう。
それに対して、嘆息することしか出来ないヨーイング。
「私は、そういった証拠の中には毛糸のマフラーもあったと考えているんです。以前の捜索で見つけた毛糸はその一部。何故このような推測が出来るかというと――」
「クラインが、そのマフラーで首を吊ったからですね。レックの瞳と同じ色のマフラーで」
ヨーイング自身が罪を犯したように、スチュワードのあとに続いた。
「そう。下着姿だったのも恐らくはレックを告発するつもりがあったのかも知れません――だが、それを真っ正直に告発することは出来なかった。告発した場合……彼は自分自身で認めてしまうことになる。自分の人生が、まったくレックに操られるままの愚かなものであることを。ニナという女性にいいように弄ばれた自分を認めてしまうことになる」
そこで、ヨーイングは気付いた。
「もしや……レックは、それをクラインに見せつけるために?」
「はい。まるで自らのコレクションを誇るように、この小屋を残したのでしょう。縁深い女性も一緒にね。これと同じ事がアールシュートでも行われていますし……ロゼリアンヌ様についてはさすがの気丈振りだったようですが」
――将来、自分が表舞台に出るためだったかも知れませんね。
そう付け足したスチュワードの言葉にどれほどの意味があるのか。
だがこれで――
「これで、クラインが死を選んだ理由に関してははっきりしました。全てを知ってしまったクラインにとっては、生き続けることが、もはや苦しみでしかなかったのです。友と恋人に裏切られ、陰で嘲笑われ、周りには自分を知ろうとする者が誰も居ない――さすがにこれは。ですが――」
――クラインの死についての謎は確かに解明されたのである。
しかし、スチュワードの声は止むことがなかった。
「……クラインが死を選んだのは、自分がそのように扱われていることを薄々気付いていたからでしょう。クラインは自分に嘘をついて、それを無視してきた――これだから人間とは面白い」
「面白い? 面白いですって?」
反射的にヨーイングが声を上げるが、それを迎え撃ったスチュワードの表情には、淀みが無い。
「ええ。レベッカさんも、弟を心配する姉を装った。アグバーさんも親切にクラインに接したことでしょう。それらの動機は同じです。“自分を守るため”。アンニャロが唯一神に祭り上げられたのも、根本には“それ”があるからです」
「そんなこと!」
「ヨーイングさんもそうではありませんか。気付いておられるのでしょう? 自分が信じたものがまやかしであることに」
叫び続けるヨーイング。しかしスチュワードは平然と続けた。
「あなたがクラインに魅了されたその時、彼はアグバー親娘の魔法に掛かり、良いように操られていた時期です。そのクラインを信じることは……一体、何を信じることになるのか?」
ヨーイングは、そのスチュワードの問い掛けに答えることが出来ない。
だが確実なのは、自分がまやかしのクラインに魅了されたこと――そしてそれを
つまり、ヨーイングも――自分に嘘をついた。
自分を守るために……
「それでは、私はお
「それ……は……」
「私はこれでも、ヨーイングさんの事は友人だと思っているのです。ですから、これも教えて差し上げます。アブドです。近いうちに攻めてきますよ」
スチュワードが放った言葉の意味を、ヨーイングが理解するまでしばしの時間が必要だった。
「攻めてくる……
「ええ。そういうことになるかと。ですからクラインの死の謎について、改めて知らしめることに意味があるのか……」
「アブドは、もしかしてクラインの仇を討とうと?」
縋るように、ヨーイングは尋ねる。それに対してスチュワードは翡翠の瞳を輝かせた。
「面白い! やはりそんな風に考えるんですね人間は!」
「だ、だって……」
「確かにアブドはクラインの事を知りたがりましたよ。ただそれは、今自分の勢力が伸び悩んでいることが理由です。そしてクラインの死を知り、それを理由に軍を動かす事を思いついたんです。とにかく戦わせておかないと、危険な連中ですから。ああでも、ヨーイングさんの指摘も当たっているんですよ。アブド自身も、友情のため、なんて言葉を口にしていますからね――自分に嘘をついて」
それでは、魔族も人間と同じ――そう魔族と人間は……
この目の前のスチュワードに比べれば……
ヨーイングがそう思ったときにはもう、彼は一人、クラインが死を決意した場所にとり残されていた。
今はただ、湖面を撫でる春の風だけが、やさしくヨーイングに語りかける。
――その先に、鉄騎の響きと血の臭いが漂っていたとしても。
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