EP13 メシアの娘(前編)
ヒステリックな叫び声に、その場にいた軍人達の鼓膜が破裂の危機に陥り、目の前からはかなりの速さでガラス片と木片が吹っ飛んでくる。
部屋にあったはずの数少ない家具は、能力の暴走からか全部打ち壊されており、それらも全て飛び道具となってリーア達に襲いかかった。
【
彼女が叫ぶ度に何か物が飛んでくるが、全部四方八方、無秩序に飛んで来るから軌道が読めない。このままでは反撃は愚か、声をかけることもままならない。口を開ければ最後、中にガラス片が数枚入ってきそうな勢いだったからだ。無論下の階から増援も呼べない。
結果、リーアはひたすらに飛んでくる物体を避けて、チリエ自身が力尽きる、もしくは彼女が自ら物にぶつかって自滅するのを待つという選択肢を選んだ。いや、それしか選べなかった。
そしてリーアの腰ホルダーには、両側共に今だに銃が格納されたままだ。別に取り出しても良かったのだが、万が一照準が狂った時に大惨事になるのと、エンドレスに四方八方から物が飛んでくるこの状況では、何らかの方法で破壊される未来も想定出来た為、取り出すに取り出せなかった。
従って今、リーアは手ぶらである。一番身軽かつ潰しの効く状態だが、その分無防備とも言えよう。現に彼女の頬には、浅い切り傷が一つ、既に出来てしまっていた。部屋を覗き込んだ時に吹っ飛んできた木片にやられたもので、多少血は滲んでいるが、大した痛みはない。
「増援呼んできま――」
判断を誤った別の一等兵の口に、早速ガラス片が入り込んでくる。黙って行けば良いのに何故わざわざ喋ろうと思えたのだろうか。口の中を案の定切ったらしい彼は、血混じりにガラス片を吐き出していた。
そんな彼を他所に、リーアは今だに物を避け続けていた。散々、壁や天井や床に打ち付けられてきたからか、だんだん一つ一つの欠片が小さくなってきた分、更に避けづらくなってきている。加えてチリエの声もだんだん枯れてきて、身体もだんだんフラフラしてきていた。あれだけ大声を出し続けていたら当たり前のこととはいえ、もうリーアにはこんな惨事は見ていられなかった。
――仕方ない、アレに変わろう。覚悟を決め、一歩踏み出す。
飛んできた角材を避け、その弾みを利用して右目を隠していた長い前髪に手をかけ、左目を隠すように動かす。そして前髪をそのまま素早く整えると、彼女は懐から小さくて薄いが十分身は切れる護身用ナイフを取り出した。晒された紅い右目はキリッと細まり、体力の限界が近い少女を睨み付ける。
そんなリーアと目が合い、チリエは恐怖心から一瞬怯んだ。
その隙を、少女一等兵の第二精神は見逃さない。女子のそれとは思えぬ速さでチリエの背後に駆け回り、床に落ちていた眼帯を左手で素早く拾うなり少女の右目に当て、そして右手のナイフを彼女の首元に向けた。
その瞬間、空中で好き勝手飛び回っていた木片やガラス片がその場で静止し、すぐにその全部が重力に倣って、一斉にガラガラとその場に落下してきた。……もう部屋の中も廊下もぐっちゃぐちゃだ。
「だ……誰?」
「黙れ。さもなくば殺す」
「ひっ」
「黙れと言ったはずだ」
小さく悲鳴を上げたチリエを脅す、同一人物のそれとは思えない、少年のような低い声。恐らく今、目を塞がれたチリエのみならずこの場にいた誰も、この女のことを、カリト陸軍の少女一等兵リーア・ヴォストであるとは認識出来なかったはずだ。この場の混乱どうこう関係なしに、彼女の印象は左目のみの時のそれとはまるで正反対に変わっていたのだ。
廊下で縮み上がっている情けない男の一般兵達を睨みつける、血のように紅い瞳。子供相手に慈悲も遠慮も容赦もなく刃を向けるその性格。そして先程の低い声。
これがリーア・ヴォストの右目に宿る第二精神……通称アヴォストの実態だ。
「動くなよ」
念には念を押して脅すと、リーア――いや今はアヴォストとした方が的確か――はナイフを一旦床に置き、眼帯をちゃんと着けてやる。
チリエは疲れたのか、その場でぺたんと女の子座りをした。無論彼女はされるがままなのだが、不気味なことに黄色の左目には生気が宿っていなかった。眼帯を着け終わり、アヴォストに肩を叩かれても微塵も反応を示さない。
「おい、生きてるか?」
耳元で話しかけたのに、返事は無い。確かに「動くな」とは言ったが、「意識を閉ざせ」とは一言も言っていない。にも関わらず、目の前の少女はまるで、糸の切れた操り人形のように固まっていた。
アヴォストはため息をつくと前髪をいつもの通りに戻す。左目が晒されると同時に、身体の制御権はリーア精神へと引き渡された。
「チリエ?」
いつもの高い女性声に戻ってもなお、チリエは一切の反応を示さなかった。
一方で、廊下で一部始終を見届けていた一般兵は、不気味そうな目でリーアを見ていた。しかし彼女はそれを意にも介さない。彼女からしたら、あの一般兵からの視線もよくある反応だったからだ。
それはさておき。
「……よし」
チリエが暴れないのなら好都合。このまま抱き上げて保護すればいいことに気付いた彼女は、そのまま少女を横抱きしようとした。
が、その時だった。
「……お父様」
チリエの口から、抑揚のない声と共にその言葉がこぼれたのは。
「……お呼びですか?」
「チリエ?」
リーア以外の誰も声を発していないはずなのに、チリエは譫言のように誰かと話し続ける。明らかに、昨日までと違う挙動だった。しかも、「お父様」というのは、いつだったか彼女自身が「クソ親父」と罵っていた自分の父親のことだと思われた。真偽は定かではないが、もし真だとしたら凄まじい手のひら返しだ。軍が突入するまでの数時間の間に一体何があったのだろう。
「……分かりました。今すぐ向かいます」
しかし、考えている時間はそう残されていなかった。
限りなく棒読みに近いその言葉と共に、のそりとチリエは立ち上がる。操り人形よろしく、上から吊り下げられた紐に繋がれているかのような、あまりに不自然で、不気味なその光景に、リーアは軽く腰を抜かしてしまった。
そして、リーアが一番恐れていた言葉が、少女の口から突いて出てくる。
「メシア様の、仰せのままに」
――アヴォスト精神とリーア精神は、別精神とは言いながらも記憶は共有される。発言内容や感情までは共有されなくとも、ただ事実だけは、両精神の間でやりとりがされる。
アヴォストはあの時、チリエの左手首にある痣に気がついていた。たまたまケープの下から出てきていて見えたのだが、彼女はそれをはっきり覚えていた。
それが打撲痕なのか、はたまた注射痕なのかは彼女には判断がつかない。だがどちらにしても、あのたかが数時間の間に、既に少女の身にはロクでもないことが起きていたのが見て取れた。こうなったのは不可抗力とは言えども、彼女の頭の中には後悔の念が渦巻き始めている。
「……待って」
リーアが喉奥から絞り出したその声に、チリエは微塵も反応を示さず、そのまま部屋を出ようとする。部屋の外で一部始終を見届けていた一般兵も流石に動き、チリエの肩を掴んで止めた。
「誰?」
振り向きざまにキッと一般兵を睨みつけるチリエだったが、すぐにその表情は緩み、淡々とこんなことを言い始めた。
「……もしかして、入信者? お父様に会いにきたの?」
「いや、ちが――」
一般兵が否定しようとするが、それに被せるように彼女の言葉は続く。
「なら連れて行ってあげる」
困惑し、変な妄想でもしたのか青ざめる一般兵。そんな彼の肩をリーアは軽く叩くと、何か耳打ちする。一般兵は一瞬だけはっとした表情を浮かべた後、すぐに頷いた。そして今自分が肩を掴んでいる少女の方に向き直ると、笑顔を繕いながらこう言ってのける。
「本当か? ありがとう、お嬢さん」
「いいよ、貴方はもう私の仲間だから」
虚な瞳のまま、微かに笑みを浮かべながら、一般兵の前に立って先導するチリエ。そんな少女に、やや緊張しながらもついていく一般兵。
そしてリーアはというと、そんな二人をこっそり尾行する。
廊下には人気はなく、むしろ下の階の方がうるさい。どうもまだ教祖たちの居場所は割れていないらしい。
しかし、ちょうど階段の所で、登ってきた人とチリエ達の目があってしまった。一瞬ビックリしてしまったが、よく見ると相手も紺の詰襟姿だ。――階段の手すりに軽く触れながら、着崩しが過ぎるストックは口を開く。
「てめえら何してんの?」
「え、ええっと……」
どう説明すればいいのかわからない一般兵は言い淀む。案の定中尉の目つきがキツくなったが、それでは余計に一般兵の肝玉が縮み上がるだけだ。さらに畳み掛けるかのように声を発しかけたストックだったが、しかし、それはあっけなく遮られた。
「あなたも入信者?」
あまりの雰囲気の変わりように、ストックも一瞬声の主が誰か分からなかったらしい。チリエを視認した彼はかなり驚いた表情を見せていた。
そしてそれを、リーアは二歩ほど下がった位置でハラハラしながら見ている。部屋に残って証拠を回収すると一般兵に伝えた手前、この会話には関われないのだ。無論、証拠品など部屋には一切無かったから、こういうことが出来るわけなのだが。
「付いてきて。お父様に会わせてあげる」
吊り上がったオッドアイの瞳がさらに見開かれる。彼からしたら予想外の展開だろう。
「……どんな話の巡り合いだ?」
それはこっちが聞きたい。リーアは物陰からストックに「取り敢えず乗ってください」と念を送る。気づくか気づかないかは彼次第だ。
「どうするの? お父様を待たせてる」
チリエは淡々と急かす。ストックは二回ほど瞬きした後、小さく頷いた。念は通じたようだが、同時にリーアの存在もバレている。その証拠に、ストックの左手は小さく手招きしているように見えた。しかもチラリとこちらを見ている。
「良かった」
少女がうっすらと浮かべる微笑みは、第三者からしたら不気味以外の何物でもない。やや表情が引きつる軍人三人だったが、教祖の居場所が分かるのならそれに越したことはない。取れる手段が少ない今、背に腹は変えられぬのだ。
「付いてきて」
そう言って、チリエは真っ白な壁の一角を徐に押す。
轟音と共に、隠し階段が目の前に現れた。
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