EP2 出会いは突然に

 日没後。中心街の片隅の飲み屋街がいよいよざわつき始め、夏至以降日毎長くなっている夜が始まる。


 そんな都会の喧騒を尻目に、リーアとジャックスは通りを一本挟んだ住宅街にいた。二人が提げている灯油ランタンが、煌々と石畳の道路を照らす。この住宅街には、まだガス灯が整備されてない場所が点在しているからだ。


「今回はこの地区なんですね」


 巡視の開始兼終了地点は、決まってその地区にあるモニュメントと定められている。そのモニュメント――今回は広場の噴水だ――に付けられたプレートに書かれている地区名に見覚えがなかったリーアがそう零すと、すかさずジャックスが問い返す。


「ここに来たことはあるか?」

「いえ……実は一回もないです」


 その部下の発言は想定内だったのか、彼は几帳面に畳まれた古い地図を軍服の胸ポケットから取り出すと、それを彼女に手渡した。どうやらこの地区とその周辺の地図のようだ。


「ありがとうございます」

「終わったら返してくれよ」

「はい」


 なんだかんだいって彼も優しいんだよなぁ、と頭の片隅で思いながら、リーアは上着の腰ポケットに地図を入れ、ベンチに一旦置いていたランタンを持ち直す。

 それから間髪入れずに鳴る、午後八時の鐘。市の中心にある時計塔のものだ。

 その鐘の音を合図に、二人は他のメンバーと共に巡視を始める。


 首都であるトルプ市内でとして軍独自に指定されているモニュメントは十ヶ所ほど。そのそれぞれに、中隊のメンバー百人ほどが均等に分配される。

 ……今のところリーアら下等兵が把握出来ているのはこの辺りまでだ。指揮官階級である尉官や佐官は、この隊の中ではジャックス含めほんの数人しかいないのだが、彼らはどうやって連絡を取り合っているのか、彼女の中では今だに謎のままである。いつか聞こうと思ってはいるが、なかなかタイミングが掴めていない。


 そうこうしているうちに、静まり返ったとある一角へと辿り着く。この周辺にある小さな商店は皆閉まり、煉瓦造りの家の雨戸の隙間から、ランプの仄かな光が漏れている程度だ。今日が新月なせいもあり、正直なところランタンの明かりもどこか頼りない、そんな中。


「はぁ……はぁ……」


 何処からか微かに声と革靴らしい足音が聞こえてきた。四つ角の手前で、二人の足が同時に止まる。どうやらいつのまにか二人きりで行動していたらしい。周辺に迷惑をかけないよう、小声でやりとりが始まる。


「……何だ?」

「誰か出歩いてるんですかね?」

「でも声が幼いぞ。女の子か?」

「え? ちっちゃい子がこんな時間に普通一人で外にいますかね?」

「……確かに変だな」

「その女の子を探しましょうよ。もしかしたら何か大変なことになっているかもしれませんし」


 部下の言葉に、少佐は一つ頷く。


「そうだな。――リーア、別行動をとっても大丈夫か?」

「大丈夫ですよ。万が一のことがあったら叫びますから」

 何とまぁ、迷惑を顧みない発言か。思わず彼の表情が引きつる。

「さ、叫ぶのか……こんな夜中に」

「それ以外に方法が浮かびませんから」

「はぁ……分かった」


 そのやり取りの最中、遠くの方で誰かの叫び声が聞こえた。だが、何を言っているかまでは聞き取れない。

 リーアは護身の意味も兼ねて腰のホルダーに格納してあるピストルの場所をチラリと確認すると、シアンの左目に真剣な光を宿らせる。


「行きましょう」

「何かあってもなくてもここで再集合な」

「了解です」

 そして二人は、お互い正反対の方向へ歩き始めたのだった。



 捜索開始から十分も経たずして、リーアは呆気なく、声の主であろう少女の姿を見つけた。

 狭い路地裏、まともに掃除もされていないその場所に一人、息を切らしながらうずくまっていた彼女は、リーアの鳴らした靴音に敏感に反応し、ばっと顔を上げる。


「だ、だれ……?」


 怯えたように見開かれる、黄色い左目。右目を覆う包帯は少し汚れ、右サイドテールにまとめた薄ピンク色の髪も乱れていた。近づいてくる少女兵に恐怖し逃げようとするも、足を痛めているのか、すぐにバランスを崩して尻餅をついてしまう。リーアの差し出しかけた手はあと一歩間に合わなかったが、その代わりに彼女はランタンを持つ手を少女の方に差し出して屈み、優しく話しかけた。


「私はリーア・ヴォスト。軍人よ」

「ぐん……じん……。……え、兵隊さん?」

「ええ、そうよ。ねぇ、どうしてこんな所に――」


 彼女が言い終わる前に、少女が立ち上がってリーアの上着の裾を掴んだ。縋るような目で彼女を見つめるその目は、安堵しているようでまだ何処か怯えている。そして、震える小さな唇から吐き出された言葉は。





 幼い少女が吐露した、妙に緊迫感が宿るその言葉に、シアンの瞳がほんの少しだけ見開かれる。だがそれもほんの一瞬だけで、すぐにいつものような優しい目つきに戻ると、裾を握りしめたまま震える小さな手に、自分の手を重ねた。元々の体温が低いのか、風に当たったからなのか、その手は冷たく震えている。


「大丈夫よ、もう怖がらないで。貴女は私が守るから」

「……本当に?」

「本当に本当。あ……ここにいてもあれだから、少し移動しようか。まだ歩ける?」

「……うん」


 リーアに腕を引かれて歩き始めた少女だったが、足が痛いのか時々呻く。

 この時彼女は、アンクルベルト付きの茶色い革製の靴を履いていた。しかしあの息の乱れようからして、恐らく直前まで走っていたのだろう。明らか運動向きではないこの靴では、足を痛めるのも当然のことだ。


 何がともあれ、一人ぼっちの少女は見つかった。あとは無事に保護して戻るだけ。そう思っていた矢先。


「おいそこの軍人!」


 路地を出てすぐ、リーア達は白いロングケープを纏った謎の人達に進路を塞がれてしまった。一部はこちらに銃やナイフまで突きつけている。

 しかし護身用ナイフならまだしも、一般市民の銃の所持は、大陸戦争以降禁止されている。一応ライセンスを取得していれば話は別なのだが、男達の銃の構え方からして、彼らがライセンス所持者とも考え難い。

 れっきとした法律違反を目の当たりにし、リーアの目つきが一気に険しくなる。


 一方、リーアの背後に隠れる少女はその声にビクリと体を震わせ、そのまま彼女の手を強く握りしめる。

 そして進路妨害組のうちの一人が、高らかに声を続けた。


「ドーター様をこちらに渡せ! そちらの意思など関係ない、何があろうと強引に明け渡してもらうぞ!」


 両手が塞がっている上に、こういう時に指示を出す指導役の不在というこの状況。


「――どうすればいいの?」


 身勝手な行動は出来ない。まだまだ軍の中では新入り扱いであるリーアは、白ケープ軍団を睨みながら、密かに下唇を噛んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る