第15話 名前

「――ただいま」


 誰にともなくそう言うと俺は、くつを脱ぎ、部屋に上がる。


 いつもならここで、座敷ざしきが先回りをして出迎えてくれるのだが、今日は俺の他に付きいとして第三者がいるという事で、前方から声が聞こえてくる事はなく……。


「お、お邪魔しまーす……」


 代わりに背後からおずおずとした声が俺の耳へと届く。


 振り返り俺は、来客を出迎える。


「まぁ、狭いとこだけど、遠慮せず上がって」

「はい! なんのお構いも出来ませんが」

「いや、それを言うのは、俺の方だから……」


 初めて二人で出掛けた時もそうだったが、意外と日高ひだかは緊張しいのようだ。


 日高が部屋に上がるのを待って、俺はキッチンの方に向かう。


「適当に座って。あ、飲み物、麦茶で良かった?」

「うん。ごめんね。なんか、逆に気つかわせちゃって」

「全然。気にしないで」


 建前でも気遣きづかいでもなく、本当にこれぐらい面倒でも何でもないし、むしろ日高をこうしてウチで出迎えられているというこの状況に俺は、喜びとうれしさを感じているくらいで……。


 たいした事はなかったとはいえ、一応、怪我けがをしたという事で、今日の部活は大事を取って休む事にした。俺としてはそのむねを伝えて一人で先に帰るつもりでいたのだが、日高が怪我人を一人で帰すわけにはいかないと言い出し――今にいたる。


 コップを二つ用意して、そこに冷蔵庫から出した麦茶をそれぞれ注ぎ入れる。


「はい、どうぞ」


 麦茶の入ったコップの一つを日高の目の前に置くと、俺もコップを片手に日高の真向かいに腰を下ろす。


「ありがとう」


 手に取り、日高がコップを口に運ぶ。

 それを見て俺も、自身の口に同じくコップを運ぶ。


「「……」」


 なんだろう、この感じ。


 やはり、プライベートルームに二人きりという状況が、お互いの心情に大きく影響を与えているのだろう。そういうつもりでなくても、いやが応にも色々な事が頭に浮かんでしまう。


「じれったいですね」


 うるさい。分かっとるわ。


 心の中で、おそらくは俺にしか聞こえない声に言い返す。


「あのさ!」

「はい!?」


 呼び掛けた俺の声も確かに大きく強めなものだったが、日高の返事は俺のそれを更に上回る大きさと強さだった。


 どうもお互い、必要以上に相手を意識し、緊張しているようだ。


 深呼吸を一度し、気持ちを落ち着かせる。


 よし。もう一度、仕切り直しだ。


「あのさ、俺達、付き合い出してからもあんま以前と変わらないっていうか、結構今まで通りだよね」

「うん? そう、かも……」


 俺の発する言葉の意図が分からなかったのか、日高が不思議そうに小首をかしげる。


「で、提案なんだけど、呼び方、変えてみない?」

「!」


 瞬間、日高の体がびくりと震える。


 しかし、そのすぐ後に日高は、うなずき、俺の提案を了承りょうしょうしてくれた。


「じゃあ、言い出しっぺの俺から……。桜子さくらこ

「!」


 初めて俺から下の名前で呼ばれた事により、日高の体が先程より強く震える。


 その顔は、ほのかに赤く染まっていた。


「なんか照れるね」


 言いながら、日高が自分の顔を右手で仰ぐ。


 かくいう俺も、顔が熱い。


「では、今度は私が……」


 こほんとわざとらしく咳払せきばらいをした後、日高がゆっくりと時間を掛けて口を開く。


遼一りょういち、君」

「ッ」


 日高――いや、桜子に名前を呼ばれた瞬間、俺の体の中に何か熱いものが走ったかのような衝撃が生まれた。


 当然、呼んだ方の顔も赤く、二人でしばし、うつむき加減に黙り込む。


「まったく。これだから、バカップルは……」

「誰が、バカップルか――あ」


 ツッコミを入れてから、自分の失態に気付く。


 座敷の声は桜子には聞こえないというのに、何やってんだ、俺は。


「いや、今のは――」

「え?」


 遅まきながら弁解べんかいをしようとする俺だったが、桜子の視線はそもそも俺には向いておらず、その後ろに向いていた。


 振り向き、彼女の視線の先を追う。そこには座敷の姿が……。


 姿? そもそも声こそ聞こえていたが、座敷の姿は俺にもこの数時間は見えておらず、それだけでもこの状況に違和感を覚えるわけだが……。


 まさか、見えてる?


 視線を再び、桜子に戻す。その顔には、動揺と未知なるものへの恐れが見て取れた。


「え? 女の子? でも、さっきまで……」

「あれはその、別に悪いものではないと言うか。おい、なんで人前に姿現してるんだよ」


 前半は桜子に、後半は振り返りながら座敷に言う。


「知りませんよ。私もわざと姿を現したわけでは……」

「遼一君は知ってるの? この女の子」


 こうなってしまっては仕方ない。到底信じてもらえそうにない話だが、正直に全てを話す他ないだろう。


「実は――」


 俺は桜子に、今日までのいきさつをつまんで話した。


 彼女が座敷わらしと呼ばれる妖怪である事、姿を見せる相手や声を聞かせる相手を選べる事、押入れで出会って今日まで一緒に暮らしてきた事……。


「座敷わらし? あの子が?」

「えぇ。私は座敷わらし。いわゆるひとつの、妖怪です」


 聞かれた俺の代わりに、座敷が自ら、桜子の言葉を肯定こうていする。


「座敷わらし……。本当にいるんだ……」


 桜子が座敷を見て、しみじみと言った感じでつぶやく。


「信じて、くれるのか?」

「信じるも何も、実際にこうして目の当たりにしてる以上、信じるしかないじゃない。それに、遼一君はこんな事でうそくような人じゃないでしょ?」

「桜子……」


 にこりと微笑ほほえみ、そんな事をさも当然のように言ってくれる桜子に、俺は思わず感極かんきまってしまう。


「あのー。私の事、本当に見えています?」


 見つめ合い、二人の世界を作り掛けた俺達に、座敷があきれた様子で声を掛ける。


「……ところで、どうして急に、見えるようになったんだ?」


 気を取り直し、最初の疑問に戻る。


「分かりません。先程も言ったように、私もわざと姿を現したわけではありませんから……」


 もしかしたら、これも座敷の体調不良と関係した現象なのだろうか?


「まぁ、原因究明はともかくとしても、当分は外に出ない方が無難だろうな」

「はい……」


 暗い声でそう言い、肩を落とす座敷。


 今回の件はさすがに、彼女の身にこたえたらしい。




 玄関先で桜子を見送った俺は、きびすを返し、すぐに座敷のいる居間に戻る。


 暗い雰囲気を身にまとい、ぼんやりと虚空こくうを見つめる座敷のその姿は、誰がどう見ても落ち込んでおり、一瞬、彼女に声を掛ける事を俺に躊躇ちゅうちょさせた。


「さて、どうしたものか」


 今の座敷になぐさめの言葉を掛けても、上辺だけの安っぽいものになりそうだったので、俺はあえて、大きめのひとごとを呟き、彼女の前に腰を下ろした。


「どうしましょう……」


 そう言って俺の方に視線を向けた座敷のまゆはハの字になっており、それが俺に、彼女の内心を雄弁に語っていた。


「うーん……」


 その顔を見て、何とかしてやりたいという感情が俺の心の中にあふれる程に芽生えたが、打開策どころか原因すら分からない今の状況ではやれる事はなく、まさに八方はっぽうふさがりの状態だった。


「お困りのようね」


 悩む俺の耳に、ふとそんな聞き慣れない声が聞こえてきた。


 声の主は女の子だろう。また、どこか自信に満ち溢れた印象を受けるその声からは、彼女の性格が少なからず見て取れた。


「誰だ!?」


 辺りを見渡すも、俺と座敷以外に室内に人影はなく、声の主の姿は今の俺の目には映らない。


 姿を現さない=悪者ではないが、少なくとも警戒する理由の一つには当然なる。


「うふふ。慌てちゃって可愛かわいい」


 声と共に、座敷の背後、押入れを背にした状態で、少女が姿を現す。


 年は座敷同様、十歳前後――に見える。格好かっこうもこれまた座敷同様、着物を着ており、二人の間に何らかの関係があるのは、言われるまでもなく容易よういに想像が出来た。


 とはいえ、髪型がポニーテールである事と、着物の色がピンクである事に加え、不敵に笑うその表情から、二人が初対面の相手に与える印象は大分違う。


 座敷の印象を夜にひっそりと咲く月見草とするなら、少女の印象は太陽の光を浴びて輝くひまわりといった感じか。どちらがより妖怪らしいかと言えば、当然前者だろう。


「驚きのあまり、声も出ないようね」


 確かに俺は、彼女に対して驚きの感情を抱いているが、そこに畏怖いふや警戒といったニュアンスは全くといっていいほど含まれておらず、おそらく彼女の期待には添えそうになかった。


「君は?」


 とりあえず、少女に名前をたずねる。


 多分、俺のかんだが、自ら話を進めていかないと、この場は永遠と停滞ていたいしていくような、そんな気がした。


「いいわ。特別に教えてあげる。私の名前はモモ。見ての通り、立派な座敷わらしよ」

「なるほど」


 自分でも何に対する納得なのかは分からないが、自然とそんな言葉が口を突いて出た。


「てか、やっぱり、座敷わらしにも個人個人、名前ってあるんだな」

「何、当たり前な事言ってるのよ。そこにいるユキと少なからず一緒にいたなら、今更、そんな疑問持つ必要ないでしょ」

「「ユキ?」」


 少女――モモの言葉に、俺と座敷が同時に疑問の声を口にする。


「何よ、アンタ達。その、ユキの名前を初めて聞いたみたいな反応は……」

「いや、みたいも何も、実際、初めて聞いたんだから仕方ない」


 というか、座敷は初め、俺に対して座敷わらしに個人個人を識別する固有名詞はないと言っていたはずだ。


 もしモモの言葉をそのまま鵜呑うのみにするとしたら、座敷は俺に嘘を吐いた事になる。


 お互いの言葉に矛盾が生まれた場合、どちらの言葉を信じるかの判断は本来なら簡単なはずだが、そこに別の情報が混ざったら、話はまた変わってくる。


「やっぱりお前、記憶喪失だったんだな」

「……はい。すみません。黙ってて」

「え? どういう事?」


 一人蚊帳かやの外のモモが、戸惑いの表情をその顔に浮かべ、俺と座敷の顔を交互に見る。


「実は、私には遼一さんと出会う数時間前より以前の記憶が、すっぽり抜け落ちてしまっているのです」

「な!」


 座敷の告白に、驚きの声を挙げたのは俺ではなく、モモの方だった。


 正直、俺はすでに予想していた事だったので、それほど衝撃は受けていなかったりする。


「考えてみれば、おかしい事だらけなのよね。ユキが私を見ても何の反応もしなかったり、自分の名前に疑問を持ったり、アメがユキの側にいなかったり……」

「アメ?」


 新たに出てきた名前に、今度は俺が一人で疑問の声を挙げる。


「アメはユキの双子のお姉さんで、二人はいつも一緒だったの」

「双子のお姉さん……」


 そう言われて思い浮かぶのは、夢の中でみたあの少女の姿。はっきりと顔こそ見ていないが、雰囲気は座敷に似ていたし、まず間違いないだろう。


「とりあえず、状況を整理するわ。記憶にある範囲でいいから、今日までの事を全て私に教えなさい」


 言われるまま、俺と座敷は二人が出会ってから今日までの事を、モモに必要そうな所だけを選び、話した。


 その中でもモモが特に気になったのは、夢のくだりだったようで……。


「お屋敷って、あの街外れにあるあのお屋敷?」

「あぁ。確証はないけど、多分そうじゃないかなって」

「確かに、あのお屋敷からは嫌な気配がただよっていたけど、それとユキの記憶喪失が関係しているのかしら。他に何か気になる事はない?」

「すみません。それ以上は……。どうも、夢の内容を必要以上に思い出そうとすると、頭が痛むというか、思考にもやが掛かってしまって……」

「そう……」


 ちなみに、俺が座敷と同じ夢を見た事は、今のところ、まだ言っていない。


 それをこの場で告げてしまうと、座敷が上手く思い出せないと言っている夢の内容を、俺が彼女に教えなければいけなくなってしまうからだ。


「また何かたら、その時は真っ先にモモに話すよ」

「……えぇ。そうしてくれると助かるわ」


 どうやら俺の意図は、ほぼ正確にモモへと伝わったらしい。


「じゃあ、私は少しお屋敷の辺りをぶらついてくるから。ユキは当分、りょーいちにはかず、この部屋で大人しくしているのよね」

「はい。そのつもりです」

「そう。一時間もしない内に戻ると思うけど、その間、ユキの事お願いね」


 最後は俺に視線を向け、モモがゆっくりとその姿を消す。


 後に残されたのは、俺と座敷だけ……。


「可愛らしい方、でしたね」

「どうも、お前の知り合いっぽかったけどな」

「です、ね……」


 当然ながら、何も覚えていない、と。


「すみません。記憶がない事、ずっと黙ってて」

「いや、薄々気付いてたから」

「そう、だったんですね」


 なんとなく次に発すべき言葉が見つからず、お互い、視線をらし黙り込んでしまう。


「ユキって言うんだな。お前の本当の名前」

「まぁ、と言われましても、記憶がないので実感はありませんが」

「これからは、そっちの名前で呼んだ方がいいのかな?」

「いえ、今まで通り、座敷と呼んで下さい。少なくとも、記憶が戻るまでは……」


 記憶が戻るまで……。


 果たして記憶が戻った時、俺と座敷の関係は何か変わるのだろうか。それとも……。

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