第3話<出会いは風と共に>

神崎幸はしばらく歩き、風柳学園の校門前に立った。辺りに人の気配はない。それも当然だ。


 僕は始業チャイムが鳴るギリギリの時間に学校に着くようにしている。それに、始業式を行う今日みたいな日は、僕みたいなひねくれ者以外は早い時間に登校する。ひねくれ者の僕は学校をただの収監施設のようなものだと考えていたから、早朝に登校する同級生の気が知れない。


 街中も酷い落書きの嵐だったが学校内は更にであった。


 電視はストレスフリーな社会の実現を目的に開発されたのかもしれないが、中高生の間では、その利用目的は違っていた。


(学校なんて大嫌いだ)


 僕は鞄を後ろの方に投げ、肩にかけて風柳学園の校門をくぐった。


 目の前の校舎が牢獄のように見える。これは僕の学校への印象から電視が演算してARで見せているのか、それとも実際に落書きが折り重なり黒々としていたからなのか。まあ、どっちでもいい。そんな事、本当にどうでも良い事だ。


 現に、校内や校外には落書きが溢れている。進学校はストレスの宝庫だから仕方がないと言われればそれまでだが。それにしても酷い。


 とても遅い紹介になってしまうが、普及している電視とは違って僕のデバイスはだ。特別、この言葉は正直、正しい言い方じゃない。僕は他人が電視で非表示にしたものをなぜか見ることが出来る。つまりは不良品。


(これじゃあ、電視を持っている意味がないだろ)


 僕はここ何年間も擦り続けてきた愚痴を心の中で吐いてみる。他人が非表示にした物は大概が見苦しかったり、醜かったりする。僕の心に不条理が染みる。


 まあ、シガレットを舐めている間だけ、ある問いに対して、周りの情報を収集、解析し、結果を高速演算をすることが出来るという、確かにたる追加機能はある。例で挙げるとすれば、僕は学校に到着するまでの間、頭の中で


「学校まで最短で行く方法は?」


 という問いを繰り返していた。電視は周りの人の行動、電車の運行状況、信号のタイミングまでを予測。僕の目には他人の行動予測線が表示され、自分が進むべき、踏むべき道が示される。しかし、そんな事をして楽しかったのは最初だけ。今となっては、その機能を使うワクワク感も消えている。


(特別である事をうらやましいと思うかもしれないが冗談はよして欲しい。予測出来る人生、見たくないものが見えてしまう人生のどこが楽しいんだ)


 これまた、遅い紹介になるが僕の両親は電視の開発者である。特別製っていうのを親のひいき目とは僕は考えない。実の息子を実験体にしたのだから。普通、倫理とか、そこらへんに引っかかるだろうに。親はなぜ僕のだけが特別製なのか、教えてくれなかった。


(まったく酷い話だ)


 僕の名前である「幸」だって、調べたら、由来は手かせを示す象形文字らしいじゃないか。「処刑されず手かせで済んで"幸せ"」という意味らしい。僕は生まれた時から親という名の手かせをはめられていたのかもしれない。僕は募る不満を押し殺して階段を上がった。そして、廊下を歩く。その間に昨日送られてきたクラス分け表を視界内に表示させ、自分のクラスを確認する。


 僕は所属するクラスの扉の前で深呼吸をした。教室の内側からはガヤガヤとした話し声が聞こえた。


「今日から2年生か……」


 また、つまらない学校生活が始まる。さっき吸い込んだ息を溜め息として吐き出す。


(なぜ、世の高校生たちは楽しい青春が謳歌出来るんだ。こんなつまらない世界、救いようがない理不尽な世界でよく生きていける)


「まあ……行くか」


 始業ベルのギリギリに教室に入ると自分以外の生徒がそろっていた。自分の後に担任教師が来た。


「おい、早く席につけ。ホームルーム始めるぞ」


 担任教師が気だるそうに言うと、立っていたクラスメイトたちがぞろぞろと席に座った。既に、このクラスにはグループが出来上がっていることが分かった。


(皆さん、早朝からご苦労なことで……)


 僕は少し皮肉った顔で、鞄を机のフックに引っ掛けて席に着いた。


「日直……はまだ新学期だから決まってないか。じゃあ、出席番号一番の淡路、号令を」


「起立―気をつけ―礼」


「「「おはようございます」」」


 皆が号令に合わせて朝の挨拶をした。僕も普通に挨拶をして、座ろうとした。その時だった。ふと、見た窓側。教室のカーテンが揺れた。何気なく視線を向ける。


「……」


 僕は固まり、息を飲む。初めは幻かと思った。壁際の席に一人だけ読書を続けている女子生徒がいる。この空間において彼女だけが異質だった。


(今はホームルーム中だぞ、なんで誰もおかしいと思わない?注意しない?)


 清楚に着こなした制服。美しく長い絹のような黒髪。文字を読む優しい目。ページをめくる指は白く透き通っている。そして、それらを消し去るほどに他者を近寄せない凛とした雰囲気。クラス内の黒々とした壁、空気と対比されるその様に、もう一度、息を飲む。


視界内に映し出された、自分の心拍数が上がっていく。


 僕の電視に他人を自分好みに補正する機能など付いていないはずだ。だからこそ、僕は自信を持って言える。これは俗に言う”一目惚れ”。僕の衰退した心にまだそんな青い感情が残っていたなんて……。だが、どうしてだろうか。どこか懐かしく思っている自分がいる。


(昔にどこかで会ったかな……)


「おい、神崎。早く座れ」


担任がいぶかし気に僕を注意した。


「あっ、はい」


 僕は視線を彼女に奪われたまま、糸の切れた人形のように席に座った。それから、ホームルームが終わるまでの間、僕の世界から、彼女以外の情報は消えてなくなっていた。



「よお、サッチ―また同じクラスだな」


 ホームルームが終わり、僕の隣の席の「立花たちばなまこと」が暑苦しく後ろから抱き着いてきた。その身体的刺激でようやく、僕は我に返った。


「なんだ、マコかよ。驚かすなよ。ってか、また同じクラスだな。小学校から8年連続で同じクラスとか、なんか運命感じるわ」


 誠の方を向くことなく、興味なさげに棒読みで僕は言った。サッチーと僕を愛称で呼ぶのはマコだけだから、振り向く必要がなかった。我に返っても、僕の視線は例の彼女に奪われている。


「気持ち悪いこと言うなよ。あーあ、そのセリフ、可愛い女の子なら大歓迎なんだけどなー」


マコはこの学校での唯一の友達だが、今は構ってやれない。


「ところでお前、誰もいない方を見てどうした?確かその席って「霧島きりしま知里ちさと」の席だよな。彼女、一学期初日から休みか。まあ、仕方ないか。あんな事があったんじゃな」


「霧島知里……」


 僕は彼女が霧島知里という名前であることを知った。そして、僕は噛み締めるかのように、口に出していた。


ちょっと待て、誠は今さらりとおかしなことを口走ったような気がする。僕はここで初めて彼女から目を離し、誠の方を向いた。


「彼女がいない?いやいや、いるだろ―」


 と言いかけた。


(もしかして……)


 僕はすかさず、鞄からシガレットを出して咥えた。


「おいおい、こんな所で使うなよ」


 誠が僕の肩を掴んだ。


「うるさい」


 誠の制止を無視し、手を振り払う。口の中に甘いシガレットの味がした。そして、高速演算が開始されたことを意味する水色がかったスローモーションの世界が視界内に展開された。


 僕は辺りを見回す。周りの席の奴らがクスクス笑っているのと口の動きで会話を読み取り理解した。数秒も経たないうちに、演算結果が目の前に表示される。


どうやら彼女は『死んで』しまったらしい。今の彼女は言うなれば、透明な水。誰にも見えない純粋な水の塊。


 現在、中高生の間で電視がイジメの道具になっている事は知っていた。この風柳学園のような進学校ではなおさらである。非表示機能を利用していじめたい人を消すのだ。

 その人に対しての非表示件数が20を超えると電視利用者全員の視界からその人は消えてしまう。それは電視の普及しつくした山梨の電視装着者社会において『死を意味する』。ストレスフリーの世界では簡単に人が死ぬ。

 時間が経つと最終的に、その人の存在、その人間を構成する情報が消えてしまう。人間をただのデータの集合体だと考えているのだ。それを中高生の間では『に死ぬ』略して『死ぬ』と表現する。


 僕が彼女から感じた「誰も寄せ付けない雰囲気」の正体は彼女独特のものではなく、『死人』の雰囲気だったのか。


 教師を含めて世間はこの事を知らない。それが皆の頭から『死人』の情報が消失してしまった事によって問題にされないのか、それとも何者かが隠蔽いんぺいしているのかは分からない。


 僕は今まで自分の特殊能力を忌み嫌ってきた。だがこれがなければ、彼女との出会いは有り得なかっただろう。僕はどこか自分にしか見えない彼女に対して、独占欲に似た何かを感じた。


 僕は知らなかったけれど、彼女はいじめられていたらしい。その話は風柳学園内では有名だったそうだ。


 僕は学校自体が嫌いだったし、友達はマコだけで十分だったから、話に乗れていなかった。彼女がいじめられた事だって、能力を使って初めて分かった。


知っていたら、止められたかもしれないと後悔した。僕の演算ならすぐに主犯の尻尾を掴めただろうに。


なにぶん、『死人』を『死人』として見たのは人生において初めてだった。なぜなら、自分の目は「生きている人」も『死人』も同様に存在している者と認識するからだ。


(この不良品め!)


 今まで、自分が見逃していただけで僕は『死人』とすれ違っていたかもしれない。みすみす、見逃して、何人もの『死人』を本当に殺してしまったのだろう。


 僕の頬に嫌な汗が流れる。罪悪感とか、変な正義感による責任感が心臓に流れ込んでくる。


 そんな僕を無視して


「確か、うちの学園内でも相当、力を持っているグループのトップに目をつけられたんだったかな。理由は今や有耶無耶うやむやになったけどな」


 とマコは語った。


 当の本人、霧島知里はあまり気にしていないようだった。授業が始まれば、教科書を開き、ノートをとっている。僕は彼女の行動一つ一つに目を奪われた。


 その日、僕はノートに一文字も書かないというを達成した。


 僕はどうしても話がしたいと思い、クラスの皆が帰っても教室に残った。霧島さんは帰ってしまわないだろうか、と僕は心配していたが、彼女はボーッと頬杖ついたまま、外を見ながら、椅子に座っていた。それはどこか諦めに似た心ここに在らずといった感じがする。僕は緊張しながら彼女に近づいた。


「霧島さん。ちょっと、いいかな」


 彼女はギョッとしてこちらを見る。それもそのはずである。彼女は周りの人から見えないはずだからだ。これが彼女とのファーストコンタクトであった。

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