十四章

「君達のお城へ招待を受けたその少し前、ウィーンではナチ党の幹部と私のような元々ハプスブルクに仕えていた貴族との親睦を深めるためのパーティーが催され、私もそこに参加していた。


といっても私も含めた主だった貴族は皆親衛隊であったから、むしろ幹部の連中が私達貴族が好き勝手しないように自己の権力を見せつける場であったのは言うまでもないことだ。


とはいえパーティーそのものはとても絢爛豪華でね。毎夜毎晩、場所を変えては豪勢な宴を催したのだ。


その中でも印象的だったのは、私の、そして君の旧友でもあるカールスフェルド伯爵……今や大将だが、彼の屋敷ときたらそれは煌びやかでな。この世の贅がここに集っているのではと思ったくらいだよ。



そして、私の悲しみの始まりとも呼べるその夜は仮面舞踏会が開かれていた。


彼の敷地に植えてある木々には沢山の電飾が施され、それは昼間のように明るかったのだ。


盛大に打ち上がる花火と、素晴らしい楽団の最高の音楽。ウィーンのオペラ座で演奏する最高の楽団を連れてきていて、私もその調べには酔いしれたものだ。


辺りの暗さと屋敷の宴の灯が見事な明暗を作り出していてね、ふらふらと屋敷の中庭を歩いてみれば、それはまるで夢の中にでもいるような、それは幻想的な光景であった。


花火が全て打ち上がった頃、遂に舞踏が始まった。流麗なダンスを披露するために私達は開放されていた見事な広間に戻っていた。


しかし仮面舞踏会というものは、一見すると怪しげなものに見えるが中々どうして、いざその場に立ってみると、それは壮麗なものだった。


私のベルタはとても美しかった。その夜は仮面をつけていなかったが、日頃とは違った賑やかな夜が彼女の美貌を引き立てていた。


私はベルタがどこか遠くへ行かないように、また妙な虫が付きやしないか目を光らせるために、なるべく彼女を視界の端に置いていたのだ。


そこでふと、私は優雅な立ち振る舞いをされる一人の令嬢に目が止まった。


その令嬢は仮面をつけておいでだったが、どうやらベルタにただならぬ関心があるように見受けられた。


というのも、その令嬢を見かけたのはすでに一度や二度ではなかったからだ。大広間でも見かけたし、私達が広間に通ずる外へ張り出したテラスを散歩していた時も、すぐ近くを並んで歩いていたようだった。


令嬢のすぐ側には華麗なドレスを見に纏った上品なご婦人がいて、恐らくはお目付け役だろうが、身分が高いお人なのだろう。女性でありながらあれほどまでの威厳に満ちた方はそうはおるまい。


私がその令嬢がベルタに目をつけていたかどうかをその時に確信を得られなかったのは、彼女が仮面を付けていたからであるが、今なら断言しよう。ベルタはあの夜あの場所から狙われていたのだ。


さて、ベルタは舞踏に混ざって楽しんでいたがしばらく踊っているうちに疲れを覚えたのだろう。


私達は人のない応接室を見つけると、ベルタは壁際に置かれた椅子に座って休み、私はその近くで立っていた。


すると件の令嬢とご婦人が入ってこられ、令嬢はベルタの隣に腰を下ろした。


ご婦人は私のとなりに並び立つと、なにやら令嬢に小声で話かけられると、それから私の方を向いた。


ご婦人は仮面をつけており私はこの方がどなたか知らなかったが、ご婦人はと言うと、さも私の古くからの知り合いのように親しく私の名前を呼び、そして話しかけてきたので私は非常に興味を唆られた。


ご婦人は私を過去に見かけた場所をずらずらと列挙された。そのほとんどは私の記憶の奥深くへと沈み忘れていたと言っても差し支えのないものであったが、ご婦人に指摘されると確かにそんなこともあったなという具合に、私は思い出していった。


この私をよく知るご婦人の正体を確かめてみたいと幾度もなく探りを入れてみたのだが、雄大こそ華麗に流れるあのドナウ川のように、私の探りを流してみせた。


ご婦人が私のことをよく知っていることが私からしてみれば不思議なことであったし、ご婦人は私が困り果てている様子をそれは楽しまれているようであった。


ご婦人の連れの令嬢といえば、ご婦人と同じように上品であり、そして優雅にベルタと気さくに言葉を交えている。


どうやらこのご婦人はこちらの令嬢の母親のようであり、時折言葉を交わしては『ミラーカ』という珍しい名前を呼んでいた。


ミラーカと呼ばれた令嬢は、恐らくベルタと年頃も近い者同士気が合ったのだろう。令嬢はとても見識があり、そして機知に富んでいた。様々な話でベルタを笑わせては、その様子を見て自身も笑っていた。


短い間で二人は仲良くなると、令嬢は仮面を外して驚くほどの美貌を露わにしたのだ。


その美しさは息を飲むほどで、美しくもありそれでいて妖艶であった。私達二人はこの顔に見覚えはなかったが、一目見ただけで人の心を奪っていくような、そんな魅力があった。


ベルタはすっかり彼女に魅了され、そしてまた彼女もベルタに惹かれているようだった。


令嬢も仮面を外され、そこまで親しく会話をしていたご婦人にも私は仮面を外すようにお願いした。


私ばかりが何もかもを知られているというのに、ご婦人は一向にご自身のことを話してくれないものだから、どうか同じ場所に立って話をしようとそう言ったのだ。


『戦争というものは、攻める側と守る側の二つがございますでしょう? 今ここで例えるならば将軍は攻め手でわたくしが守り手といたしますと、勇猛果敢な歴戦の将が攻めに掛かったとならば、この仮面はいわばわたくしの要塞なのでございます。将軍の軍隊は過去に二度もフランスの要塞を攻め落としておいでですが、私が将軍を最後に拝見したのはもう何年も前でございます。仮にわたくしのこの要塞を突破しようとも、きっとわたくしの顔はその時とすっかり変わってしまっているはず。ですから将軍にはお分かりいただけないでしょう』


『ははは、面白い。確かにあなたの言う通り、要塞を落としただけでは戦争は終わりません。ですが、目先の要塞……その鉄の仮面を突破しなければ、戦いは始まりもしないのです』


『それは大変お勇ましい。ですがわたくしは、やはりこの優位性を手放したくはないのです。わたくしも女でございますから、過去の将軍の記憶のわたくしと、今のわたくしとを比べられたくはございません。将軍にご慈悲の心がございますのなら、どうかこの哀れな年増の僅かばかりの尊厳を守らせてはいただけないでしょうか』


『なるほど。そうと言われれば攻め手を変えなければなりませんな。一つ伺いたいのだが、ご婦人のご出身はドイツですかな? それともフランスか。この貴族と軍人ばかりの場において、あなた流暢にどちらもお話になる』


しかしご婦人は上品に笑い、またしても優雅に流してしまわれた。


私はどうしたら彼女から言葉を引き出せるものかと思案していたが、やがて黒いお仕着せに身を包んだ一人の男がやって来た。


その男の顔は驚くほど青白く、身に纏っているお仕着せなどは大層立派であったが、よほど不健康な暮らしをしているに違いなかった。


ただ礼節は弁えているようで、私達に深々と頭を下げてから、男はご婦人に声を掛けた。


『ご歓談中申し訳ございません。奥様、至急お耳にお入れしたいことがございます』


それを聞いたご婦人は私に『少しの間失礼いたします』とだけ伝えると、お仕着せの男と共に部屋を出て、それから人混みに紛れてしまった。


その間も私は記憶を遡り、あのご婦人がどなたであるか思い出そうと試みて、遂には思い出すことも叶わず、私は親しげに会話する二人の中に混じって、ご婦人がいない間に令嬢から素性から何からまで聞き出してしまおうと画策した。


しかしご婦人は私の予想より遥かに早く戻ってきたのだ。


『それでは奥様。車の用意が出来次第お呼びいたします』


一緒に戻ったお仕着せの男はそう言うと深々と一礼し、再び人混みに紛れた。


『ご婦人とはしばしの別れとなりますな』そうご婦人に告げると、ご婦人は『その再会がいつとなるのか。本当にしばしか、それとも数週間か……。本当に間の悪いことでございます』と言われた。そして続け様にこう言うのだ。


『わたくしのことは、思い出していただけたかしら?』


『いいや、まだだ』


『そうですか。それではまたいずれ、次の機会には必ず自己紹介するとお約束いたしましょう。大丈夫ですよ将軍。わたくし達はあなたが思っている以上に古くからの友人でございます。それでも今名乗ることが叶わないのは止むに止まれぬ事情がございまして。このご時世でございますから、将軍のお立場なら理解してくださるものと信じております。ところで、確かわたくしの記憶が正しければ、将軍はとても素敵なお屋敷に暮らしておいででございましたね。いえ、もちろんわたくしとて、流石に将軍のご自宅の招待までは受けておりません。でなければ将軍は、わたくしのことを一目見ただけで思い出すことでしょうから。けれども今夜の再会を祝しまして、どうぞわたくしをお屋敷に招いてください。わたくしは三週間後にちょうどお屋敷の近くを通り掛かりますので、その時にわたくし達の旧交を温めましょう。わたくしときたら、将軍を思い出すたびに様々な思い出が蘇りますの。それを語るのが今でない理由はわたくしに突然の報せが届いたからでございます。わたくしはこれから何百キロという長い道のりを経まして、大至急とある場所に向かわなければならなくなりました。些か戯れが過ぎたようで、将軍に名前を伏せている手前申し上げることができませんでしたが、実は将軍にお願いがあるのです。わたくしの娘はなんと不運か、先日家族で狩りの見物をしていたところ、鉄砲の音に驚いた馬が暴れ出し、その上に乗っていたミラーカは落馬してしまったのです。怪我は大したことはなかったのですが、その時に怖い思いをしたせいでしょうか。当分の間、お医者様にはあまり無理をさせないようにと申し付かっておりますの。そういう訳でございますから、本日もここへ来る際は慎重に車を動かして、あまり速度を出さないようゆっくりと来たのです。ですがこれからわたくしが向かわなければならぬ場所は急ぎの用、人様のお命にも関わる重大なことでございますから、昼夜を問わず走り続ける車の揺れに娘が耐えられるとは思えないのです。ですからどうか、三週間の間。わたくしの命より大事な娘を預かってはいただけないでしょうか? 無理を言っているのはもちろん承知しておりますが、三週間の後にわたくしがあの子を迎えに来たその時に、将軍にはわたくしのこの用を含めて、包み隠さずお話することをお約束いたします』

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