気分転換

「――おはよう」

「……おはよう。あんまり眠れなかったみたいだな?」

 まだ日が上るまでかなりあるが、明里新宮あけさとしんぐうの本宮三階リビングに鬼頭優里きとうゆりは姿を現し、少し重い表情でソファーまで歩み寄って智明の隣に座った。

「モアもやろ? 昨日のあれは何やったんやろ。夢とかやなかった、やんね?」

 力なく笑いながら優里は智明に確かめるように聞く。

「そう思う。夢にしてはリアルだったし、会ったこともない修験者しゅげんしゃの女の子が出てきたり、最後は真まで出てきたからな。ホントに混線みたいのだったのかもしれない」

 優里の表情が冴えないことを気にして、智明も神妙な顔になる。

 それが分かるからか、優里は尚更気分が沈んでしまう。

「夢とは違う。でもテレパシーとも違うかった。キミさんやっけ? 精神世界に混線したって言うてはったね」

 以前の買い出しで優里が買ってきたお揃いのスウェットを着ているが、ここ何日かのはしゃいだ感じは全くない。

「混線って言葉の意味で言うと、そうかもって思うけどね。……どちらかといえば無線とかの『混信』に近いのかもって思ったよ」

「混信?」

 語感が似ているので『同じ意味じゃないの?』と目線で問いかける優里に、智明は一つうなずいてから答える。

「うん。俺のイメージだから間違ってるかもだけど、混線て聞くと古い電話の方を思い浮かべちゃうんだよね。それよりはさ、ラジオとか警察無線やタクシーの無線の方がしっくりくるんだよ。だから混信かなって」

「無線通信の方なんや」

 厳密にはスマートフォンやラジオや警察無線・緊急車両の無線は、周波数の大きさや強さで分けられている無線通信なので、これらが混信してしまうことはない。

 また、2050年頃から警察・消防・救急車両の無線は専用のアンテナが設けられ、、個人情報や機密保持の暗号化されたインターネット回線と併用で通信を行っているため、ラジオやアマチュア無線との混信は起こりにくくなっている。

「そう。警察無線やH・Bハーヴェーやスマホはネット上で暗号化してるし、アプリで聞けるラジオもネット発信だから混信って起こらないんだけど、アンテナで放送電波を拾ってるラジオとかアマチュア無線って、まだ混信するらしいよ」

「そんなこともあるんやね」

 こういうところは男女の興味の違いなのだろう。智明の説明に対しての優里の反応は小さい。

 特に、優里はH・B化していないし、ラジオ放送を日常的に聴取もしていないのでなおさらだ。

「それで考えたら、昨日のアレは、意識が開きっぱなしのとこに周波数があっちゃって、変なとこで混信したんじゃないかって思うんだよ。アマチュア無線とかは仲間同士で周波数や時間を合わせて無線でやり取りするわけだけど、その約束を知らない人が合わせちゃって『アレ?』ってのがよくあるらしいんだ」

「意識が開きっぱなしかぁ」

 優里はソファーの背もたれにもたれて、少し遠くを見る。

「テレパシーってどちらかといえば意識が開いてる状態だと思うんだよね。ほら、リリーに買い出しに行ってもらった時、俺の意識が閉じてて、テレパシーが届かないってのがあったろ?」

 優里の雰囲気を気にして智明は明るく話したが、優里にとってはまだ外苑が生まれた経緯は消化しきれていない事で、表情は沈んだままだ。

「ああ、……うん」

「あんな感じだと、昨日みたいな混信にはならないと思うんだよな。こう、テレパシーも

 そうだけど、遠見とおみとか共有とかも、意識が開いてないと出来ない気がする」

 優里の反応は思った通りイマイチだったが、智明は同調してしまわないように無視して説明を続けた。

 智明まで気持ちを萎えさせてしまったら、また優里に負担をかけてしまうし、二人きりの時間が暗くなってしまう。

 このタイミングでそれは避けたい。

「……そういえば」

 何かを思い出したのか、背もたれに体を預けていた優里が起き上がってくる。

「なんだかんだで、いつの間にか色々使えるようになってるね」

「そうかな? そうか、俺の出来る事はほとんどリリーに教えたっけ」

 洲本市街地への買い出しの際には伝心テレパシーで連絡を取り合い瞬間移動テレポートで移動した。買い出しの後には遠見ビジョン探知サーチで意識を飛ばして鬼ごっこをしたし、物質再構成リコンストラクションを用いて爆発跡を修復したりした。

 その他にも念動力テレキネシス転送アポートといった能力も、優里は身につけている。

 もっとも、智明も優里も普段の生活ではこれらの力を多用せず、これまで生身で行ってきた作業や用事に能力を使うことは少ない。

 以前にも智明が感じたことだが、能力の行使は生身の体力と同様に疲労するし、すぐに空腹を感じさせる。

 どのような作用で体力や精神力が人智を超えた能力を発現させるのかは分からないが、運動や思考を永遠継続できないのと同じように、能力を使い続けることが出来ないことは分かっている。

「ホンマにな。……ほとんどいうことは、まだ教えてもらってないモンもあるん?」

 話題が変わったことで気分も変わったのか、優里は智明に体を寄せるようにする。

「ああ、うん。……まあ、ありきたりに体の治癒力を高める治癒ヒーリングとか、空気とか水とか火とか電流とかを操る精霊操作エレメンタルとか、金属を溶かしたり固めたりする錬金術アルケミアとか、まだ完全じゃないけど幻影を作る虚像ゴーストとか――」

「もうええ、もうええ! ほとんど言うてメチャメチャあるやんか!」

 優里は智明の食い違いをツッコみ、勢いよく智明を押した。

「おわっと! ごめんごめん。『一般的な』ってのが抜けてたね。最後らへんのは俺のオリジナルだし、使うタイミングを選ぶから教えないけどね」

「その前に、ネーミングが中二病やから覚えたくないわ」

 優里に弾き飛ばされた体を元に戻した智明に、再び優里は体をぶつける(今度のはソファーに倒れるほど強くない)

「何気にショックな発言だな」

 智明自身もセンスの良いネーミングとは思っていないが、試して表れた効果に相応しい言葉が思い付かず、ゲームやアニメやライトノベルからそれっぽいセンテンスを拝借したのだ。

 黒魔法っぽくならなかっただけ健全と思う反面、自身の語彙力のなさは反省点とも思う。

 前日のように演説をする日は増えるだろうし、政治家や企業の社長や役員と会談する機会もあるかもしれないと思うと、海千山千の大人達に笑われない態度や語彙を持たねばとも思うからだ。

 そんな智明の内情など気にも留めていないのか、優里はまた智明に体を引っ付けて要望を口にする。

「その中やと治癒、覚えたいな。戦う感じより治す方がなんぼか心持ちがええから」

「うん。確かに他のは戦いとか、地形変えたり何か建てたりとかの能力だしな。治癒はリリーっぽいとは思う」

 もとより優里を戦場や争いの場に置くつもりはなかったが、改めてその意志を示して一応の肯定はしておく。

「そんなに難しい仕組みじゃないから、覚えてもらえたら助かるけど」

「けど?」

 智明の危惧が語尾に出てしまい、優里はそれを聞き逃さずに指摘する。

 少しバツの悪い表情ながら、智明は理由を告げる。

「うん。……リリーの性格的に相手も治しちゃいそうだからな。いや、もちろんこっちは命を大事にするつもりだし、人の命を奪うようなことはしないんだけども。治癒するにしてもタイミングって大事だから」

「……やっぱり、あかんの?」

「そうじゃなくてね」

 智明の言いように優里は少し悲しそうな顔を見せたので、智明は慌てて取り繕う。

「決着がつかないうちに誰も彼もを治して回ってたら、やめ時ってものが見えなくなっちゃうだろ? そうなったらこっちもあっちも長く戦い続けないといけなくなる。ただでさえ暴力的なのに、終わりが見えないと殺気立っちゃって、どんどん過激になっちゃう。それは、きっと良くないことだと思うんだよ」

 生まれてこの方、他人と争ったことのない智明が、戦いや戦争の何を語るのかというところだが、長期化した戦闘が人間の感覚を麻痺させることは間違いない。

 与える暴力と与えられる暴力の狭間には興奮と等量の恐怖があり、精神がどちらによってもストレスや負荷が判断能力や平静を奪っていく。

 現に智明は急造の門の前で警察官に囲まれ、銃弾を受け、大勢に組み付かれて自失し、能力を暴発させて大地もろとも八人を消し去ってしまった。

 状況の優劣に関わらず、人間はいともたやすく過ちを犯してしまうことを知ったのだ。

 智明の言葉にそのことは表れてはいなかったが、優里はすぐに察し、智明から少しだけ体を離した。

「そんなこともあるんやね」

「……うん。あ、けど、あれだぞ? 決着がついたあとなら、全然構わないと思うよ。こっちも向こうも命が大事なのは同じはずだから」

「……ん、分かった」

 智明の考え過ぎということはないにしても、優里の想像が及んでいないことだったので、優里の表情は重く暗い。

 だから、というわけではないが、智明は優里の気持ちを汲むような付け足しをし、優里も一応の納得ができたようだ。

 形だけでも優里が笑顔を見せたので智明も少しだけ口元を緩められた。

 と、数秒の間を開けて優里が智明に抱きついてくる。

「どした?」

「言葉にできんかったから抱きついてみた」

「なんだそりゃ」

「ええやん」

「まあ、うん」

 リアクションに困る智明に構わず、優里は抱擁を強め、背中にくっつけていた顔を、智明の耳のあたりへ伸ばしてくる。

「……やっぱり、髪の毛切ろうよ」

「そうか?」

「これから人前に出る機会、増えるやろうし。切ったげるで」

「い、今からか!?」

 優里が耳に息を吹きかけるように囁いて笑ったので、智明はくすぐったがりながら頭をよけると、優里は抱擁を解いてソファーから立ち上がった。

「私好みのカッコイイ彼氏でいてほしいんやもん。準備するな」

 歩み去りながら言い放って、優里は智明の返事も聞かずにリビングから出ていってしまう。

「……ま、いっか」

 髪型や服装を優里の好みにすることで、優里の機嫌が良くなるなら受け入れても良いと思えた。

 間もなく明里新宮はこの先の命運をかけた戦闘に入る。

 浮くも沈むも読むことができず、何が運命を左右するか分からない状況が迫っているのだ。

 些細なことに気を取られないためにも、優里や自身の覚悟を貫き通すためにも、機嫌や心持ちを保つことはきっと必要だろうと智明は思った。

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