プライベートアイ

 ――これは一体、何の時間なんや――

 黒田は三宮センター街にあるファミリーレストランのドリンクバーで、ホットコーヒーを注ぐ合間に今更ながら自分の現状に疑問を呈した。

 熱々のカップを慎重に運んで席に戻ると、同席している播磨玲美はりまれみがニッコリと笑いかけてくる。

「なんか、変な感じやな」

「そうですか? デートじゃないんですから気兼ねしなくていいんですよ。それともデートにしちゃいますか?」

「そうは、いかんやろ」

 すでに食事は済ませたが、遺伝子科学解析室を出てからここまで、当たり障りのない会話をしてきてのこれである。

 野々村美保が播磨玲美を評した『あからさま』という一語に思わず納得してしまう。

 淡路島に戻ろうとする鯨井孝一郎くじらいこういちろう柏木珠江かしわぎたまえに筋を通しに行ったまま戻らず、玲美に『飯でも食っててくれ』とメールした結果、黒田と玲美はファミリーレストランにいるわけだが、玲美と黒田が一緒に居る必要はないはずだ。

「私じゃお嫌かしら」

「そうは言ってない。色っぽい女医さんと飯を食う機会なんかないから、なんか落ち着かんだけや」

「あら。お世辞でも嬉しいわ」

 終始にこやかな玲美に、黒田は完全に主導権を握られてしまっている。

「いやいや。アンタは綺麗やと思うし、魅力的や。けど俺はそういう気になれない。それは先に言うとくよ」

「鯨井先生のことを気にされてるの?」

 先制パンチを決めたつもりだったが、玲美の方が強烈なカウンターパンチを放ってきた。

「それもあるが……」

 実際はほぼそれしかない。

 付け加えるなら野々村美保を抱いた後という、後悔とも未練ともつかない感情がわだかまっているからだ。

 黒田としては、昨日の今日でホイホイと違う女を抱けるだけの胆力もなければ、女性と相対する余裕もない。

「私と鯨井先生は、厳密に言えば何の関係性もありませんよ。野々村さんのように婚約しているわけではないし、柏木先生のように子種を残している訳でもないです。そりゃあ、昔は色々ありましたけど、今の私と先生には愛情や好意といったものはありませんよ」

 玲美の弁明とも言い訳ともとれる言葉に、「そうなのか」と理解できても、黒田にとっての障害はそこではない。

 純粋に、昨日まで玲美を抱いていた男が誰か分かっている事が問題で、なおかつ黒田が昨夜野々村美保を抱いたことが問題なのだ。

 鬼頭優里きとうゆりや野々村美保と関わったことで堅すぎる生き方を変えねばと自覚しても、まだまだ黒田は純粋な恋の始まり方を好み、期待しているのだ。

「いや、今のでハッキリしたよ。播磨センセの何かが問題で踏み切れないんじゃなくて、俺の方に問題や課題があるんやわ。今から数時間抱き合うだけの関係であれ、一生を添い遂げようと付き合い始めても、俺の中に変なわだかまりがある。これは……やめといた方がええ」

「……それは貴方のため? 私のため? それとも、お互いのため?」

 玲美の表情に怒りや疑いはない。むしろ微笑みをたたえたまま何かの確認をしている様子だ。

 なぜだか恋人同士の別れ話の様相に苦笑しつつ、この際だからと本心を語ってしまおうと思う。

「七対三で俺のためやな。ハッキリ言って俺は子供で馬鹿なんや。体から始まる恋に気持ちがついて来ん。なのに、女々しく抱いた相手を思い出してまう。それは後々播磨センセに迷惑をかけるだけや。だから、やめといた方がええ」

 うつむき加減の黒田に向けて、小さく笑ってから玲美が返す。

「子供と言われてしまうと私も子供ですよ。バツイチで元夫に子供を任せてるくらいです。……鯨井先生もそうですけど、しっかりしてるけど根っこが子供の人が好きなんです。私のすることに同調してくれたり、叱ってくれたりするから」

 真っ直ぐに黒田を見つめたあと、玲美は残り僅かになったアイスティーに視線を落とす。

「でも黒田さんは大人になりたがっているみたい。女から求めた時くらいいいじゃありませんか。恨みっこなしですよ」

 つい数時間前に似たような殺し文句を聞いたばかりなのに、黒田の心臓はドキッと跳ねた。

「……俺は、刑事やぞ?」

「知っています。私の身元、汚れてなんかないですよ?」

「それは、知ってる。……このあと俺は、警察を辞める方向で動くし、変な話やが世界は変わるかもしれん局面や。そのど真ん中のアワジでチョコマカするつもりや」

 黒田は玲美のアピールから逃れるため、仕事の話へとすり替える。

「……具体的にはどのように?」

「う、ん。……まずは馴染みの新聞記者に話を聞いたり、高橋智明と関わっている暴走族の関係を詰めたいと考えとる」

「そう。……忙しくなる、ということですね」

「おそらくは……」

 純粋に黒田を案じるような、悲しげで寂しげな玲美の瞳に黒田は胸が痛くなる。ここまで女に弱い自覚はなかったが、先程の拒否が大きく揺らぐ。

「…………鯨井先生はしばらく柏木先生を手伝ってからアワジに戻るようです。私には、病院に戻れと仰ってます」

 鯨井からの連絡があったのか、玲美の急な話題転換に黒田は黙ってしまう。

「淡路島までお送りしましょうか?」

「それは、助かるが……」

「最初はどこへ向かいましょうか? 黒田さんが決めてくださいな」

 女盛りの艶っぽい笑みで誘う玲美に、黒田は遂に取り込まれてしまう。

「……俺は下手で荒っぽいが、ええんやな?」

「ふふ。その時は注文をつけます」

 黒田はコーヒーを飲み干してゆっくりと立ち上がった。


 滋賀県大津市。

 言わずと知れた日本最大の湖・琵琶湖の西岸から南部に広がる地域だ。

 もともとの南部の市街地に加え、琵琶湖大橋周辺の商業施設が密集した区画とそれを囲むように広がる住宅地、そこから北には牧歌的な田園地帯が広がるという、広大な面積に様々な表情を持つ土地だ。

 琵琶湖畔の四季折々の表情も風光明媚であるが、琵琶湖を囲む山々もその表情は豊かだ。

 大津市には比叡山から北北東に向かって連なる比良山地があり、北比良・南比良・奥比良・リトル比良と分けられるほど沢山の山々が連なっている。

 四季を通じて登山が楽しまれ、滝の名所や湿地帯へ訪れる者も多く、冬期には雪深さゆえスキー場も開く。

 その山々の一つ、比良山の頂きに城ヶ崎真じょうがさきまことの一行が居た。

 今日も七月の太陽が照りつける中、本田鉄郎ほんだてつおの指示で早朝から起き出し、比良山地最高峰の武奈ヵ岳ぶながたけの登山道入り口となるイン谷口までバイクで移動し、現在は廃止されている比良ロープウェイの索道跡を登って比良山へと踏み入った。

 イン谷口には新たな同行者が三人待ち構えていて、ワゴン車で運んで来た大きなプラスチックケースを一人一つずつ背負っての登山となった。

 テツオや真を始めHDハーディー化した五人は息が上がることもなく頂上まで登ることが出来たが、同行者の逞しい大人達が呼吸を荒げていたのを見ると、HDは確実に少年たちの身体能力を高めている事が分かった。

「本田くん、この辺りで、いいだろう……」

「そうっすね。おーい! 集合!」

 同行者のリーダー格であろうサングラスに口ヒゲの中年が、背負ってきたプラスチックケースを降ろしながら息も絶え絶えに提案し、テツオが了解して真らに声をかける。

 比良山の頂上は自然の山らしくなく、コンクリートの基礎や廃屋が所々に伺えるほど開けていて、それでも雑草が腰まで背を伸ばして所々に木も生えている。サンサンと差し込む日光のせいか、辺りは草木の青臭い香りに満ちている。

「なんか、人の手が加わってそうだな」

 荷物を置きながら紀夫がつぶやくと、同行者から説明が飛んだ。

「ここは大昔にスキー場だったんだよ。その辺のコンクリの土台はリフトの支柱の名残りなんだ」

「一時期は所有者が転々としてたけど、今回のことで我々の所有地になったのさ」

 リーダー格の中年の隣りに居た、長身の二十代の男が説明すると、その後ろに居たやや小太りの男が言葉を足した。

 少年達は答えようもなく「へぇ」と返すしかなかった。淡路島では冬場でも積雪は珍しく、ウインタースポーツよりもマリンスポーツの方が馴染みがあるし、未成年の彼らが土地の所有に興味があろうはずもない。

「ここまでくれば監視の目もないだろうから、ちゃんと紹介しとかないとな」

 テツオが登山用に人数分揃えておいた長袖の紺のジャージに付いた草や虫を払いながら真たちを振り向く。

「詳しくは言えないけど、とある企業で研究開発をされている方々で、名前は明かせないということで俺も聞いていない。だから仇名あだなになるんだけど、こちらから大佐。大尉。軍曹と覚えて欲しい」

 テツオはまずサングラスに口ヒゲの中年を指し、次に背の高い二十代の男を指し、最後に二十代の小太りの男を指した。

「うっす」

 真を含め、田尻も紀夫も納得いかない顔ではあったが、一応頭を下げて挨拶をした。

 テツオに紹介されるまで地面に屈んでいた大佐が立ち上がり、揃いのグリーンの登山服の胸を張る。

「やましいことはないんだが、何分、事情が事情だ。名前や身元を隠すことを許して欲しい」

「我々は軍隊や警察とは無縁だけど、本田君の野望と利害が一致してね。たまたま準備していた商品を試してみようという話になったんだ」

「HDだっけ? ここまで登ってくるだけでもそのポテンシャルは興味深い。ぜひ君達の目的に役立てて欲しい」

 大佐に続いて大尉と軍曹が口上を述べると、テツオは真らを紹介し、今日の段取りを説明し始めた。

「俺も含めてだけど、まずHDでどれだけ身体が強化されたかを調べようと思ってる。その対比ってわけじゃないけど、大尉の身体能力を基準にしようと思って来てもらってる。その後は、大きな声じゃ言えないけど、大佐が研究してる商品を智明と戦うための武器に転用できないかってのを試してみるつもりだ」

 テツオの説明に田尻は苦い顔をする。

 HDの効果は確かなもののようだと認めてはいるが、実験台のような扱われ方にはまだわだかまりがある。

「もしかして、マシンガンとかレーザーガンみたいなのっすか?」

 少し前のめりに紀夫が聞く。

「はっはっはっ。そんな違法なモノは持ってきてないよ。期待を裏切って申し訳ないが、普通に使うなら合法なモノしか用意していない」

「だけど、面白いモノだから後のお楽しみだね」

 大佐の否定に落胆した紀夫だが、軍曹の含みのある言葉に少しだけ気分を持ち直す。

 一方で、真は急激に増してきた緊張感に生唾を飲んだ。

 テツオがさらっと言ってのけた『智明と戦う』という言葉が、テツオの手配によって実現しようとしていると実感し始めたからだ。

「大尉、まずは基本的なところからやってみようか」

「そうですね……。では、あの辺りまで駆け下りて、また駆け上がってくるというのはどうでしょう?」

「ジャンプ力とか、何か投げたりとかもしたいっすね」

 テツオを含め大佐と大尉が身体能力を計る方法を相談し始めると、不意に真の肩が叩かれた。

「は、はい?」

「あんま固くなるなよ。まだテストだからな?」

「ありがとう、ございます」

「な! 武器って何だろうな? やっぱり銃かな? それとも剣かな?」

「ここまでリラックスしたらただの馬鹿だからな。程よくな?」

「ハイ!」

「こら、真! そこはハイじゃねーだろ!」

「す、すんません」

 気遣ってくれる田尻とハシャギ気味の紀夫に挟まれながら、真は『もっとしっかりしなければ』と自らを戒めた。

 目の前で水素爆弾を爆発させてみせたり、鬼頭優里をさらわれたりと、真は智明にずいぶんと差を付けられたように感じている。しかし、テツオに助力を求めたことで身体をナノマシンで強化し、武器と思しき力を授けられようとしている。

 この緊張を勇気と自信に変えねばと強く意識した。

「おーい。始めるよー」

「うぃっす!」

 長々と続いていた田尻と紀夫の口論はもはやじゃれ合いの域で、その証拠に瀬名の呼びかけにアッサリと口論は切り上げられている。

 そればかりか二人の表情は一瞬で引き締められていて、真も自分で自分の頬を叩いて気合を入れた。

 まずは単純に、斜面を百メートルほど駆け下りて反転して駆け上がってくるというのをやることになった。

 なんでも大尉は陸上競技の有名選手だったそうで、十種競技の日本記録も出したことがあり五輪強化選手にも選ばれたことがあるそうだ。

 180センチ以上ある身長と均整の取れた肢体も相まって、走・跳・投を全て極めなければならない十種競技の記録は確かなもののように見えた。

 だが結果は真たちHD化した少年達の圧勝だった。

 大尉のタイムも、本来なら驚異的な数値のはずだが、ゼエハアと呼吸を整える大尉に対して、半分近いタイムで走りきった少年達は息も乱していない。

 中でもテツオが群を抜いて早く、下りで折り返し地点をオーバーランしたのに、一番で駆け上がってきたくらいだ。

 テストはさらに続き、俊敏さを計るための反復横飛びでは瀬名が計測が追いつかないほどの回数を叩き出し、ジャンプ力を計ろうとすると紀夫が10メートル近い木を飛び越えてしまい、腕力を計ろうとして落ちていたコンクリート塊を投げると田尻が頂きの向こうにまで投げ飛ばしてしまった。

 どれもこれも大尉の記録を置き去りにしてしまう結果となった。

「これはすごいな……。彼はうちで一番身体能力が高いのに……」

 大佐は、力を出し尽くしてズタボロになって大の字で寝転がっている大尉を眺めながら、驚きのあまり言葉が出てこないようだ。

「例のハーディー、でしたか? ずいぶん個性というか、個人差が出るようですね。走力では本田君。ジャンプ力では紀夫君。瞬発力では瀬名君。投擲とうてき力では田尻君。……ただ、総合的には本田君と真君のバランスが良いですね」

 全員の計測と記録を行っていた軍曹が総括してくれた。

「さすが!」

「やっぱテツオさんが一番かぁ」

 テツオを囃し立てる田尻と紀夫の後ろで、人知れず真が落ち込んでしまう。

「おいおい。なんで真はオチてんだよ? 田尻や紀夫や瀬名より評価は高いんだぞ?」

「そうっすけど……」

 弱々しく答える真を見かねてか、テツオは田尻と紀夫の尻を叩く。

 真に見えないところでアゴをシャクって『元気付けろ』と合図もした。

「そ、そうだぞ真! お前は一番年下なのに総合二位なんだぞ」

「そうだな。一芸よりも総合の方が良いに決まってる」

「真くん。バランスって大事なんだぜー? テツオの何がすごいって、コソコソ筋トレしてるとこだ。そのテツオに筋トレしてないお前が一歩差なんだぜ? 胸張っていいんだぞー」

 田尻と紀夫はともかく、しれっと秘密をバラした瀬名に舌打ちしつつ、テツオは相変わらずの瀬名の口八丁に感心する。総括では二位だが、『一歩差』というデータは誰も明かしていない。

「僕からも、一言……」

 ようやく呼吸が整った大尉が体を起こし、真の方を真っ直ぐに見て話し始める。

「今のテストは単純な体の能力を計ったに過ぎない。しかも君と本田君には筋力の差に加えて、体格の差もある。つまり、基礎的な筋力を鍛えていない君には計り知れない伸びしろがあるんだ。そして、一点集中型よりもバランス型の方が、様々な状況に対処しやすい。瀬名君の言うように胸を張っていい成績だよ」

「あ、あり、ありがとうございます」

 大尉が手放しで褒めたせいか、照れや恥ずかしさでどもってしまったが、真はなんとか礼を言った。

「……さて。これでHDとやらのだいたいの基礎体力が分かったな。軍曹、まずはアレから見せてあげてくれ」

 話の切れ目を埋めるように大佐が仕切り、軍曹が置きっぱなしになっていたプラスチックケースの一つを開いた。

「お! お、おお? ……オモチャ、かな?」

 走り寄らんばかりに注視していた紀夫は、軍曹が取り出した物体に肩透かしを食った。

 派手な蛍光色のパーツが組み合わされた安っぽいプラスチック製の水鉄砲にそっくりだったからだ。

 テツオもこれは聞いていなかったらしく、「大佐?」と確認するように呼びかけていたくらいだ。

「待て待て。これは他社のオモチャに間違いないが、ここから説明せんとウチの商品を理解出来んのだ」

 両手を前に出して弁解してから、大佐は軍曹に合図を出す。

 すでに軍曹はオモチャの水鉄砲のタンクに注水済みだ。

「このタイプの水鉄砲は、ポンプを引くことでタンクから砲身に水を引き込み、同時に引き金を押し戻すことで銃床にフタをして空気を圧迫する仕組みです。ポンプを引いたまま引き金を引けば、圧迫された空気を抑え込んでいたフタが無くなり、空気が水を押し出すと同時にポンプを押し返して銃口から出るしかない水が放出されます」

 解説の通りに水鉄砲を操作して、草むらに水流が一線した。

「はあ、はい」

 何年前かの海水浴を思い出しているのか、田尻が気のない返事をした。

「この仕組みをそのまま銃に置き換えれば、水は弾丸、空気は火薬、ポンプはスプリングなどの反発を加えるものとなります」

 軍曹はもう一度水鉄砲を撃った。

「……はい」

 紀夫は少しだけ期待が蘇ってきたようだ。

「だが、銃は火薬という強力な作用に対して、衝撃や摩耗や破損という反作用を生む。なおかつ重い。威力を求めると反作用も大きくなるし、より重くなって弾数も限られてくる」

「ははあん……」

 腕組みをしていた瀬名が先読みをしたのか、アゴを上げて納得顔だ。

 全員に注目される中、軍曹は水鉄砲を脇に置いて新たな物体を取り出す。

「それらのマイナスを改善して試作したのが、これ」

「でもオモチャっすか!」

 軍曹が取り出したのは、明らかにポリカーボネート樹脂製の光沢を放つ『戦隊もの』っぽい見かけのオモチャだった。

 思わず田尻は頭に両手をやって残念そうにする。

「話はまだ途中だから」

「よく聞いてくださいよ」

 大佐がとりなし、どこか楽しそうに軍曹は話し始める。

「重さの改善を最大限に考えた場合、銃自体の素材が軽くて丈夫であり、なおかつ弾丸の射出の反動を抑えて火薬や薬莢もなくなれば、実現できるんじゃないか? そのコンセプトで弾をフタ代わりに使い、ポンピングで引き金まで空気を圧縮しつつ、銃床からもスプリングを引き寄せて加圧します。引き金を引けばポンプのストッパーが外れて弾が射出され、反動はスプリングが戻る力だけになる」

「んんん?」

 そろそろ真は軍曹の説明についていけなくなってきた。

 だがテツオは一言で片付けてしまう。

「空気鉄砲だね」

 ああ、と全員が納得した。

 素通しの筒の片方に棒のついたフタをして、もう一方に弾となるフタを詰めて、棒を突き出せば圧迫された空気によって弾が飛び出すオモチャだ。

「ままま。ここまでは子供だましだから」

 軍曹は少し引きつった笑いを浮かべながら、一応引き金を引いて「ポンッ」と音を立てて弾を発射して二台目を脇に置いた。

 テツオに原理を一言で済まされたことに傷付いたのか、軍曹の名誉のためなのか、大佐が前に出て間を繋ぐ。

「まあ、ここまでは我が社の玩具部門の試作だ。君達に使ってもらうのはここからだ。普通に使用するならば護身用というところだが、弾丸やダーツを装填すれば武器になってしまう本格的な物だ」

 軍曹の準備が整ったのを確かめ、大佐は軍曹のために場所を開ける。

「お待たせしました。先程の空気鉄砲の原理を追求した、本物の空気銃。名付けるならば空気の弾丸『エアバレット』」

 軍曹の構えたシルバーの光沢に、少年達は感嘆の声を漏らした。

 50センチ程の薄い板状の砲身が篭手の様に前腕部に装着され、手甲の辺りから銃口と思しきノズルが二本並んで突き出している。

「スッゲー!」

「軍曹、コレコレ!!」

「大佐、なんかデザインが中二じゃない?」

 田尻と紀夫は快際を叫びながら軍曹に走り寄り、テツオは金属製だが『戦隊もの』っぽいデザインを不満そうに訴えた。

「ちょっと待って! ちょっと待って! 触るのは説明を聞いてからだって!」

「一応、防具としての機能も考えたんだよ。セット売りも狙ってるんだ」

 田尻と紀夫の食い付きから逃れようとする軍曹の横で、大佐はテツオが呆れるほどの商魂を垣間見せていた。

「それ、普通に使えば護身用って言ってましたよね? どのくらいの威力なんですか?」

 一人冷静な真が軍曹に問いただした。

「……今、一番弱い強さに設定してあります。あの木を見ててくださいね」

 軍曹は田尻と紀夫に、自分から離れるように手で示して、5メートル先の樹木をエアバレットで狙う。

 シュッ

 手甲の砲身から炭酸のペットボトルを開けた時のような小さな音がしたかと思うと、狙っていた樹木の幹の一部がぜた。

 大佐と大尉は軽く拍手を送っている。

 だがテツオは現実的な質問をする。

「今のが人間に当たったらどんくらいのもんなのかな」

 真だけでなく田尻や紀夫も同じ事を考えていたようで、軍曹の試射に歓声が上がらなかったのはそのためのようだ。

「ううん……。骨折まではいかないが、ヒドイ打ち身か骨にヒビは入るくらいかなぁ……」

「そうですね。護身用という運用ではその程度かな、と」

 言葉を選んだ大佐に追随するように大尉も控えめな表現しかしない。

「今ので一番弱いんですね?」

「お、おお、うん」

 煮えきらない大佐達に業を煮やしたのか、瀬名が直球の質問を浴びせ、さらに大佐が言いよどんだ。

「一番強いので試してもらっていいかな?」

「そ、それは危険だ! これまでの試験でレベル3までは試したが、その時点で人の命を奪いかねない威力だった! やめたほうがいい!」

 テツオの淡々とした要求を聞いた途端、軍曹は慌てだした。

 大佐たちが思っている以上にテツオ達の目が真剣な事に気付いたのだ。

「何もテロをやろうってんじゃない。普通の武器でやっつけられない化け物を懲らしめるために使うんだ」

 やや声のトーンを落として歩み寄るテツオは、先程までの飄々とした雰囲気は皆無で、大佐達は気圧されそうになる。

「テツオ」

 呼ばれて振り返った先には瀬名が居て、プラスチックケースから取り出したテツオの分のエアバレットを投げて寄越した。

「お、おい!」

 慌てる大佐をよそに、真も田尻も紀夫も瀬名も、それぞれエアバレットを右手に装着していく。

「3が普通の人間にはヤバイんだっけな」

 目に怪しい光を宿しながらテツオは軍曹が狙った樹木に砲身を向ける。

「気を付けて扱ってくれよ……」

 祈るような声でつぶやいた大佐を一瞥し、テツオは狙い定めて引き金を引いた。

 シュバッ

 先程の軍曹の発射音より幾分大きな音がしたあと、樹木は乾いた音を立てた。ベニヤの様な薄板を割ったような音だった。

「テツオさん! 貫通してるっすよ!」

「うわ、これはヤバイわ」

「使えるっすね」

 幹には直径3センチ程の穴が穿たれ、工作機械で彫り抜かれた穴よりも綺麗な断面に、少年達は沸き立った。

「大佐、マジで危険だね」

「だから言ったじゃないか。本当に危険なんだ」

 冷や汗を流している大佐に、テツオは冷めた気持ちで問いかける。

「でもこれじゃ足りないかもしれないんだ。全力をやってみていいかな?」

「お、君達は、何と戦うつもりなんだ!?」

 テツオの問いに対して軍曹は逆質問を返した。

 それほどテツオ達が強い力を求めているように見えたのだろう。

「いや、逆に何と戦ってる想定でこれ持ってきてくれたの?」

 さらなるテツオの逆質問に大佐たちは言葉に詰まる。

 彼らはあくまでレベル1の『護身用』を商品にと考えているのであって、人間にも通用するからと警察や軍隊に売り込むつもりはないのだ。

「く、熊とか、猪とか?」

 絞り出すように答えた軍曹に対し、テツオは大笑する。

「あっはっはっはっはっ! それならレベル3で充分だよね! ……でも俺らは化け物退治に使うんだよ。機動隊を手も使わずに追い返すような化け物だよ」

 大笑から一転して怖いくらい真剣な顔で言い放ったテツオに、大佐たちは黙ってしまう。

「テツオさん。10まで上がらないっすよ」

「そうなのか?」

 紀夫の残念そうな声に応えると、軍曹が小さな声で解説を始めた。

「さっきの原理を思い出して下さい。空気を弾丸にするためにスプリングを強く引き上げる原理です。だから、威力を高めるためには予め強い力を溜め込まなければいけないんです」

 空気鉄砲で考えると、弾をギチギチに詰めて反対側から強く押さなければ威力は上がらない。

「そこも空気鉄砲と同じ理屈なわけねー」

 早々に理解した瀬名は、力を込めてエアバレットのレベル調整を行い、ほぼ力づくでレベル10へ入れ込む。

「はい、どいててよー」

 軽い注意を発しながら、先程から的にされている樹木を狙う。

 バシュッ!

 射出音というよりも破裂音の様な強烈な音を発したあと、幹には先程よりも大きな穴が穿たれ、幹からも破裂音が響いた。どうやら衝撃が強すぎたためか穴が開くだけではなく、穴から上方に向かって裂け割れて、ゆっくりと股裂きのように開いていった。

 発射前の瀬名の軽さも相まって、予想以上の結果に全員が言葉を失ってしまった。

「…………使える」

 静寂を終わらせたのは意外にも真で、その目は闘志とも狂気ともつかない真剣さで、田尻や紀夫はかける言葉が思い付かないほどだ。

「ここまで来たら後戻りは出来ん。大尉、もっと安全に使ってもらうためにアプリやクーリングの説明をしてあげてくれ」

 少年達の本気を感じたのか、それとも人殺しや事故を起こさせないようにと考えたのか、大佐は腹をくくった言葉を口にしつつも、大尉に安全策の説明を始めさせた。

 まずは各々が装着しているエアバレットのQRコードを視覚を通してH・Bに読み取らせ、三つのアプリケーションをダウンロード後にH・Bとエアバレットを連動させた。

 一つは、視覚野にターゲットスコープをAR拡張現実表示させるアプリケーション。これによって砲口がどこを向いているか、発射すればどこに当たるかが明確になる。

 二つ目は、エアバレットのクールダウンを管理するアプリケーション。空気を撃ち出す銃ではあっても内部構造はそれなりに複雑で、連射や連続使用を行うと内部に熱が篭ってパーツの歪みや破損を生んでしまう。そのためにクールダウンを必要とし、一定時間のクーリングを行わなければならない。その管理は見た目では判断できないためアプリケーションに頼らざるを得ない。

 三つ目は、バランサーとクリーナーと呼ばれるアプリケーション。空気と一言で言っても、濃度・密度・含まれる気体のパーセンテージは地域や高度によって変化する。もっと言えば天候によって湿度や埃なども変化してしまう。バランサーはそれらを検知して発揮できる出力を教えてくれる。クリーナーはその名の通りメンテナンスの可否を通知してくれるアプリケーションで、威力や効果を変えるためにゴム弾やダーツ弾や水弾も使用できるエアバレットには必要不可欠なアプリケーションとなる。

「スゲーな! 多機能過ぎてガキみたいに撃っちまいそうだ!」

「俺、見えないのって不安だから、ゴム弾の方が性に合ってるかもだな」

「クーリングタイムあるのが難点かもだな」

 紀夫はハシャギ気味に、田尻は道具を自分に合わせようとし、テツオは懸念点を忘れまいとアプリを調整していく。

 と、レベル1の発射音が断続的に鳴り始める。

「右の角。……左の角。……真ん中のへり。……奥のコンクリート……」

 狙っている場所をつぶやきながら黙々とエアバレットを発射し、真が次々と宣言どおりに命中させていく。

 その様子を眺めていた大尉が、手にしていたペットボトルを空高く放り投げる。

「真君! 上!」

 指示された真は即座に天を振り仰ぎ、ペットボトルが視野に入ると即座に大尉の意図を理解し、エアバレットを撃つ。

 丁度上がりきったペットボトルが落下に入ったタイミングで命中し、再びペットボトルは斜め上方へ跳ね上がった。

「落とさないで!」

 大尉は短的に指示し、真も忠実に実行した。

 二度……三度……四度……と命中してペットボトルが跳ね上がると、周りで眺めていた全員から感嘆の声が漏れた。

「そのまま続けて!」

 大尉はそう口にしながらも、傍らに置かれていた軍曹のペットボトルを手に取る。

「マジか……」

「もう一個だ!」

 軍曹は信じられないことをすると思いながら大尉の暴挙を素通しし、自分の飲み差しのペットボトルが宙に舞う様を見守った。

「え、ちょっ! キッツ……」

 ターゲットが二つに増えた事に慌てつつも、真はなんとかエアバレットを撃ち続け、三回ずつ命中させた。

 四回目は狙いが甘かったため、当たりはしたが木の向こう側に飛んでいってしまった。

「うわ! 惜しい!」

 そこで集中が途切れてしまったのか、もう一個のペットボトルも命中させられず、地面に落ちてしまった。

「大尉、急に二個はキツイっすよ」

 余程集中していたのか、荒行を強いた大尉に恨み言をこぼしつつ真はその場に座り込んだ。

「真、やるじゃないか」

「そんな才能があったんだな!」

「射撃は真が一位だな」

「見事だ! 真君!」

 口々に褒められ、真は疲れもあって照れ笑いを返すしか出来なかったが、悪い気はしなかった。

「ちょうどいいや。そろそろ昼だし、飯食って一服しよう。なんかさっきからメール来てて落ち着かないしな」

 テツオの言葉に少年達は歓声を上げ、大きな日陰を求めて走っていく。

 一番乗りして雑草を踏みつけて指定席を作るためだ。

「……大佐、乗りかかった船だから、今日一日は付き合ってもらいますよ」

 微笑みながら告げるテツオだが、やはりどこか大人達を圧迫する迫力が伝わってくる。

「仕方ないよな。もうすでに君らの手にエアバレットは渡ってしまっている。となれば、我々は安全で上手な運用を説くしかない」

 諦めなのか自分に言い聞かせているのか、大佐は溜め息混じりにテツオの言葉を受けた。

「よろしくどうも」

「まあ、午後はミリタリーオタクの大尉の本領だからな。怪我はしないでくれよ」

 手を振りながら木陰に歩いていく大佐に向けて、テツオと瀬名はやたら恭しくお辞儀をした。

「テツオさーん! ここ、涼しいっすよー!」

「早く食べましょう!」

 休憩となるとやたら元気になった紀夫と田尻に呆れながら、テツオと瀬名も木陰に入って簡単な昼食を始める。

「……お! そうだ! この後は戦争オタクの大尉に、戦場での動き方とか生き延び方を学ぶんだけどな……」

 テツオは大仰に語っているが、大尉の戦場はガスガンやエアガンで戦うサバイバルゲームのフィールドの事だ。

「別荘に戻ったら助っ人が来る予定だ」

 やたら嬉しそうに話すテツオに、田尻と紀夫はハテナ顔になる。

 この四日間、テツオと瀬名は本名や会社名を名乗らない大人達と極秘に会うようなやり方で事を進めてきている。それなのにこのタイミングで『助っ人』と言われても見当がつかない。

 WSSウエストサイドストーリーズのメンバーの誰かか?とも考えたが、HD化していなければ役に立たないし、智明に通用しそうな武器は今手に入ったはずだ。

「誰なんですか?」

 田尻や紀夫が我慢した質問を真は臆面もなく問うた。

「へへ。目には目をってやつだよ」

 結局、テツオは答えを明かさないまま食事を終えて昼寝を始めてしまった。

 消化不良のままだったが、田尻と紀夫に誘われて廃屋の方まで登って行ってタバコを吸い始める。

 その頃には真は気分を入れ替えていて、頭はH・B化され、体はHDとなり、強力な武器エアバレットを手に入れた事でかなりの自信が付き希望が湧いてきた。

 ――智明、待ってろよ。もう、お前だけが特別じゃないからな――

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