恋人たち

守人の眼

「このあたりのはずよね?」

「……ハイ」

「大阪って都会の割にゴチャゴチャしてて、住所で探すのが大変ね」

「……は、はい」

「? キミ、大丈夫?」

「は、は、恥ずかしいので、サッチン、あまり動かないで!」

 頬を赤らめて藤島貴美ふじしまきみ鈴木沙耶香すずきさやかが体の向きを変えるたびにその背中に隠れようとする。

「まだ慣れないの? 恥ずかしがってる方が目立っちゃうよ。堂々としてたら誰も見ないから」

「な、なんだか足がスースーするのだ」

 ――そりゃあ、フリルスカート風のショートパンツだからねぇ――

 出会った時に着ていた修験者しゅげんしゃの装束と比べれば、太ももから下を丸出しにしているショートパンツは恥ずかしいのは当然かもしれない。

 しかし周囲の視線を集めてしまうのは貴美が恥ずかしがるからだけではない。

 身長が170センチ近くあるサヤカが腰の上まである栗色の髪をストレートに流し、ノースリーブの白ニットにヒップと脚のラインにフィットした真っ赤なレザーパンツという出で立ち。

 身長150センチ弱の貴美が腰下まである黒髪をツインテールにし、白地のプリントTシャツに少し大きいブルーの半袖ボタンシャツを羽織り、白地に黒ドットのフリフリ付きショートパンツ。足元は透け感のある黒のニーソックスという出で立ちだ(ショートパンツには黒のドロワーズ調の中生地がついているタイプだ)

 この二人が地下鉄本町駅から地上に上がってすぐの交差点で、地図アプリを展開して迷い人風にしているのだ。

 平日のビジネス街では目立って仕方がないことにサヤカも気付いていない。

「それより、検索が間違ってるのかなぁ? 私が聞き間違えたのかなぁ?」

「サッチン、は、早く……」

 緊張や恥ずかしさからなのか、小学生のようにせっつく貴美に少々苛つきつつ、サヤカは昨夜電話確認した時のメモと地図アプリを照らし合わせてみる。

 彼女らが向かおうとしているのは貴美の伯父おじにあたる藤島法章ふじしまほうしょうが加盟している『ADアドVICEバイス』というオカルト集団の事務所兼道場だ。

 中央区西心斎橋にある店舗に照会したところ、藤島法章の今日のスケジュールは中央区船場中央の事務所兼道場で講習を行っているとのことだった。

 交通アクセスも聞いておいたのだが、『地下鉄本町駅すぐ』という割にはそれらしい建物も看板も見当たらない。

「困ったな……」

「サッチン。あそこに地図がある」

「キミ、ナイス!」

 交差点脇の雑居ビルの植え込みに周辺地図を認めて歩み寄る。

「……そういうことね」

 どうやら地下鉄の出口を間違えた上に見ていた地図の方角もズレていて、目的地の事務所兼道場は単独の建物ではないらしい。メモの住所を周辺地図で調べた結果、船場センタービルという長大なテナントビルが目的地で、道場はその中にテナントとして存在していることが判明した。

 ――アワジもこんな感じにゴチャゴチャしちゃうのかな――

 キミを引き連れて目的地へと歩きながら、サヤカは見上げるほど背の高いビル群と狭い空を見てそう思った。

 サヤカの住む洲本市街地は、淡路島ではビルやマンションや商業施設の多い地区だが、大阪市内ほどのギュウギュウ詰め感はない。

 三原平野や洲本平野をツーリングしていると、通るたびに田畑の面積は明らかに減っているし、マンションや工場が乱立し始め建設予定地にはフェンスが張られている。それでもまだ見上げるまでもなく空があって、海を感じ、山の緑が望め、牛や玉ネギの香りが漂う。

 それらが損なわれていくことが都市化であり首都の姿だと言うなら、新しく手に入るものの価値と手放してしまうものの価値は等しいのだろうか?

 バイクを乗り回し都市化に馴染んでいる自分と、山に篭り自然の中で自らを鍛えている貴美は、何が同じで何が違うのだろう?

「……サッチン、どうかしたか?」

「ううん。なんでもない」

 不安そうに見上げてくる貴美に、笑顔で答えてサヤカは前を向いた。

 ――私はテッチャンに付いていく。そこだけブレなければ大丈夫――

 先程の交差点から十分も歩いた頃、高架下を埋めるように建っている建物が見えてきて、個性的な入り口に船場センタービルの表記を見つけた。

「アレね」

「良かった」

 ようやく七月の日差しから逃れられると思って自然と二人から笑顔がこぼれた。

 信号が変わるのを待って建物に入り案内板を見ると、目的の事務所兼道場は地下二階の一番端っこにあると分かった。

 細いエスカレーターを乗り継いで地下二階へ下りると、少しばかり照明が暗い。

「なんか、不気味ね」

「ここだけ人通りが無いのは気になる」

 あまり流行っていないのかな?というサヤカの感想は『そりゃそうか』と即座に自己肯定されてしまう。

 西心斎橋にある店舗は、通称アメリカ村と呼ばれる人気スポットのど真ん中にあり、若い男女が集まるために周辺にも商業施設や流行りのショップが溢れ、『ADアドVICEバイス』も占いや人生相談の人気店として認知されているそうだ。

 対してその道場となると、いわゆる占い師や霊能者の養成所という形態だから胡散臭くて人が近寄らないのだろう。

 事実、サヤカが昨夜電話をした時は、用件を伝える前から『素養のない方への講習はお受けできない規則で……』と限りなく排他的な対応だった。

 店舗でも使った奥の手で、旧洲本市市議会議員の父鈴木洋一すずきよういちの名前を出し、『ミスティHOWホウSHOWショウに是非占って欲しいんです』と掛け合ってようやくスケジュールとこの道場を教えてもらったのだ。

「…………ここ、よね?」

「看板がある。間違いない、はず」

 薄暗い通路の突き当り、ありふれた鉄製のドアの横に白のシンプルな地に黒字の達筆で、『霊視占術指南所』と書かれた看板が控えめにかかっている。

 事務所兼道場が実在するのかの不安が、怪しい集団の根拠地なのでは?という不安に変わる。

 サヤカは何度か右手をドアノブに伸ばしたが、頭の隅で鳴り響く警報のために躊躇してしまう。

「……開け申す」

「う、うん」

 サヤカの逡巡に我慢しきれなくなった貴美が、意を決してドアを開いた。

「いらっしゃいませ。講習のご予約の方ですか?」

 ドアのすぐそばのデスクに受付らしい四十がらみの女性が座っていて、口調は丁寧だがどこか投げやりに声をかけてきた。

「あの、昨日お電話させていただいた鈴木洋一の使いの者ですが、ミスティホウショウさんとお話をさせていただこうと――」

「ああ、ハイハイ。そこで待ってて」

 サヤカが言い終わらないうちに受付の女性は壁際のパイプ椅子を指差しながら、固定電話の受話器を取る。

 何か腑に落ちない態度だが、貴美と共に椅子に座って待つ。

「――はいはーい。……すぐ来るから待っててねー」

「はい、すいません」

 大阪の人々は人懐こくって情があると聞いているが、それとは違う馴れ馴れしさというか見下され感に、サヤカは微妙な気持ちになった。

 もしかすると政治家の名をかたって会いに来た未成年のファンに見られたのかも?と、尚更微妙な気持ちになってしまった。

 しばらくすると奥のドアが開き、公務員っぽい白色ワイシャツにベージュのスラックス姿の男性が顔を出した。

「ミスティホウショウをお訪ねの方は?」

「あ! こちらの方々ですぅ」

「どもども。講習室へお連れしますので、こちらへどうぞ。どうぞ」

 どことなく流れる変な空気に混乱したサヤカは貴美を見たが、貴美も小首を傾げて違和感を感じている様子だ。

「……お願いします」

 とりあえず他に手段がないため、相手の誘導に従って奥のドアを通って男性に付いていく。

 ドアの向こうは安っぽいカラオケボックスか貸し会議室のようになっていて、本来はある程度の広さのホールであろう空間を間仕切りで仕切って小部屋に見せているようだ。

『目』の字に通路が配され、一番奥の列の六つ並んだ小部屋の一番奥へ誘導された。

「こちらです。ホウショウさん、お連れしましたよ」

「はい。どうぞお掛けください」

 公務員風の男性がドアを開けると、男性の低い声が返ってきたので、まずサヤカが入室し続いて貴美が入室した。

「失礼します」

「……失礼いたします」

 小部屋は三畳ほどの広さで、入り口付近に荷物を置くための三段ボックスがあり、真ん中にテーブルがあってその向こうに男性が座っていた。

 衣装は白い合わせの衣に紫のはかまを身に着け、まるで神官か売れない演歌歌手だ。顔立ちは男前でも不細工でもなく平凡だが、白髪混じりのセンター分けの髪型と『へ』の字に引き結ばれた口元が占い師っぽい。

「ようこそ。どうぞお掛けになって。……淡路島の、市議会議員さんと伺ってましたが、女性の方ですな? それもお若い。代理の方かなにかですかな?」

 サヤカと貴美がテーブルに据えられているパイプ椅子に座るのを待って、ホウショウ氏はまずそう問いかけてきた。

 おや?とサヤカは少しだけ違和感を感じた。

「法章様。貴美にございます」

「キミ? ……貴美か! 真に久しい……」

 ――この人、目が見えてない?――

 サヤカが感じた違和感は、ホウショウ氏が目を閉じたまま会話をしていたことだった。

 そして貴美の来訪を知って驚き、まなこを開いたホウショウ氏の焦点は合っていなかった。

「お久しぶりでございます。あの、法章様、目をお悪くされたので?」

 遠慮がちに貴美が問う。

「ああ、うん、そうだな。御山を出て占いをしたり、テレビに出たりしたが、年齢とストレスのせいか視力が落ちてね。今ではぼんやりと人影が分かる程度なのだよ」

 他にも事情がある雰囲気を漂わせながら、ホウショウ氏は元のように閉じたまぶたを軽く擦った。

「ところで、貴美が議員さんの代理なのかい? それとももう一人の女の人がそうなのかな?」

「すいません。アレはミスティホウショウさんに会うための嘘なんです。地位のある人が会いたいと言えば会わせてもらえると思って……」

 自己紹介もせずに慌ててサヤカが説明すると、声に合わせてホウショウ氏はサヤカの方を向き、一瞬確かめるようにしてから笑顔で答えた。

「どうりで。……若い女性が付ける甘い香水の香りがしていたのでね。要するに、貴美を私に引き合わせるために芝居をしたというわけですな。……あ! めいの手前、ミスティホウショウは少々恥ずかしい。法章で結構ですよ」

「あ、どうも」

 目が見えないとその他の器官が鋭敏になると聞いたことはあったが、サヤカがそういった人物と対面するのは初めてだったので、目の当たりにして感心してしまい、目を閉じている相手にお辞儀をしてしまって変な感じになってしまった。

「さて。では、本題は何かな? まさか今更御山に帰れというわけでもないのだろう?」

「その気持ちもないわけではありませぬが……。何かお感じにはなっておりませんか?」

 貴美は少し前のめりになり、法章の能力を試すように問いかけた。

「……ふぅむ」

 しばし腕組みをして唸っていた法章は、小袖から数珠を取り出して胸の前で握りしめて再び唸る。

「……貴美の身の回りのことではないか。……ならば天災か? …………これは?」

 ピクリと片眉を跳ね上げた法章は、左手で握った数珠に力を込め右手で印を切るように緩く振る。

「御山の近くでおかしなモノがあるな。これのことかい?」

「ハイ」

 堅い表情でうなずく貴美の隣で、サヤカは軽く驚く。

 サヤカも気休めや暇潰しや興味本位で星占いを読んだりするが、霊視や気功などの類は半信半疑だった。テレビのオカルト番組も見ることはあったが、『霊や超能力は存在した!』と煽られても、実際にはサヤカに一切の影響はないため『へえ、本当なんだねー』くらいの関心しかなかった。

 しかし、何の前情報もなく貴美に促されただけで法章は貴美の要件を言い当てた。同時に、法章にそうやって促したということは、貴美にも同等の能力があるということも知った。

「なるほど。もしやご贔屓さんからの依頼で対処せねばならない、ということだな?」

「左様でございます。加えて、先日、防衛大臣が淡路島に建設された皇居防衛のための演習という名目で、近日中に自衛隊を淡路島に向かわせると発表しました。このタイミングで、ということはご依頼者様の思い過ごしではないということかと……」

弘章こうしょうもそう判断したわけだね?」

 弘章は貴美の父親の名で、法章の弟にあたる。

「ハイ」

 何やら込み入った話のようだが、サヤカには何がどう繋がるのか分からなくなってきた。

「ふうむ。……先月の国会で自衛隊を防衛軍へと組み替える法案が出されていたと聞いたが、少々……いやかなり物騒なことになっているようだな」

「なるほど、確かに」

「どういうこと? 何の話をしてるの?」

 貴美と法章は通じ合っているようだが、サヤカからすれば先程の『御山のおかしなモノ』と繋がらず、思わず口を挟んでしまった。

「ごめんなさい。サッチンは知らない方が良いかも――」

「いや、このお嬢さんは面白い物を持っているから、知っておいた方がいいかもしれないよ」

「どういうことです?」

 貴美は加持祈祷かじきとうを執り行う大前提として、依頼者の守秘義務を守らなければならないと厳しく教えられたし、そうしなければならないという思いも強い。しかし法章はそれを横に置き、今回の件はサヤカに知らせるべきだという。

「詳しくは言わないが、彼女の人生に関わるからね。……お嬢さん、今回貴美に隠密の依頼をしてきたのはとある政治関係者なのだよ。以前、私が貴美と同じ立場だった時に贔屓にしていただいていた方だ。その方は政治の表舞台では目立たない方だが、日本の将来をとても憂えていてね。先程の自衛隊の一件のように、決して表には出ず警察やマスコミですら糾弾できない危険な方向性を正されようとしている方なのだよ。今回で言えば、自衛隊に関わる法改正の足掛かりや前例にもなりかねない不自然な派遣をやめさせたいのだろう。もしくは、日本の脅威ともなり得る強大な力を持った能力者を排除したいのだろう」

 説明されたはずなのに、サヤカにはいまいちピンと来なかった。

「難しいお話ですね」

「そうでもない。すごく距離をおいて見渡せば、至極単純な派閥争いや権力争い、強い言葉で言えば手段を選ばない攻撃となるかな。もっと言えば民主主義の闇の部分となるが、さすがにスパイ映画やドラマのようになってしまうから少々幼稚だね」

 飛躍した解説を恥じたのか、法章は苦笑いを浮かべた。

 しかしサヤカには分かりやすくなったようだ。

「あん。陰謀論とか裏工作とか、そういう舞台裏の攻防ってことですね? ニュースになるのは会議の内容だけだけど、こっちの政治家がズルイやり口を企てて、そっちの政治家が貴美や法章さんのような霊能者を使って正してるって……ことかな?」

 途中まで自分なりの言葉で要約してみたが、断言するのが怖くなって思わず貴美に確認してしまった。

「大丈夫。大体合ってる」

「ははは。お嬢さんにはそちらの方が分かり易かったようだね」

「ど、どうも」

 サヤカを肯定するように貴美と法章が微笑むので、サヤカは照れてしまうが、ふと違和感も生まれた。

「でも、アレですよね? 自衛隊の在り方を変えるという考えが正しい場合もないですか? 例えば、戦争を仕掛ける事はないけど『守る』っていう制限に収まらないこととかあるだろうし。確か自衛隊の英訳はフォースで『軍隊』を意味してますよね? その差を埋めるだけの話という可能性もありえませんか?」

 学校の授業などで得た情報を頼りにサヤカが問いかけると、法章は楽しそうに微笑みながら答えた。

「英訳については仕様がないところだろう。『隊』という日本語は前に付く言葉次第でとても意味が広くなる。言葉の通りのチームでは規模が小さく見えるし、自警団みたいになってしまうからね。……前半は、お嬢さんの感じたとおり、攻撃された場合の防衛というスタンスから逸脱することを許されず、緊張状態でも対処行動を取れないという危険性はある。だが『軍』という組織に組み変わることで自衛隊よりも制限が取り払われ、『自衛』という先制しないスタンスまで取り払われてしまいかねない。……少し観念や思想や主義というものの話になってしまったが、日本国内で百五十年ばかり議論されてきた懸案だから、何が正しく、どちらが間違っているかを決めきれない問題ではある。……だからお嬢さんの言いたいことはとても分かるし、貴美や私が行ってきた事の善悪を気にしていることも分かるよ」

 言葉にしていなかったことまで答えられてしまい、サヤカは恐縮してしまう。しかし、法章の微笑みの理由が、貴美の行いの正しさを案じた自分への感謝だと伝えてくれたことは、少し嬉しかったし安心した。

 昨晩、貴美から法章が大阪に行ってしまった経緯を聞いてはいたが、何年も離れていても親族の絆が途切れていなかったことに感動もした。

「サッチン、ありがとう。私たち守人は、依頼者の心根を少なからず読んでいる。今回の自衛隊に係る依頼も、依頼者が正義と信じているがゆえに私は行動している。法章様のお話にもあったように、この件はどちらが正しいか判断の難しいもの。けれど、だからそこ裏の、影になった所で決定してはいけないという判断もあり申す。そこまで説明もせず、この様な席に付き合わせて申し訳なかった……」

 サヤカの方に体を向けてまで話し、サヤカの手を握る貴美の目はわずかに潤んで見えた。

 サヤカも真っ直ぐな貴美の言葉に胸が苦しくなり、貴美の手を握り返して答える。

「何言ってるの。友達でしょ? 友達の安全と幸せは、いつも考えているから友達なんだぞ」

「……承知した」

 貴美の返事が堅すぎて笑ってしまったが、サヤカは貴美の心からの笑顔を見ることができた気がした。

「ん、オホン。……感動的な場面に水を差して申し訳ないが、もう一つ懸案事項があるのを忘れていないかい?」

「あ……」

「はは」

 法章の指摘に、サヤカと貴美は照れ笑いを交わし合ってから法章へ向き直り、意識を切り替える。

「おかしなモノ、でしたよね?」

「そうでした。依頼に基いて遠目ですが観察しておったのですが……。私にはかのモノの実態が分かりませなんだ。ただ一つ、強大な力を備えているというのは知りましたが……」

「ほお? 貴美は実際に目にしたんだね。どのくらいの期間、観察を?」

「依頼を承ったのが一週間ほど前。そこから昨日までになり申す」

 貴美の返答に法章はしばらく考え込む。

「あの方は、何をキッカケにして依頼をしてきたのだろう……。聞いているかい?」

「もちろんです」

 貴美は大きくうなずき、頭の中で整理してから続ける。

「十日ほど前の病院への襲撃事件が事の発端とのことでした。同日中に爆発音が轟き閃光が瞬いたのも同一の者の仕業と見られているようでした。他にも何件か傷害や殺人といった関連性のある報告から類推し、依頼されたそうです」

 貴美の答えに法章は腕組みをして聞き入り、何事か分析や考察をしている様子だ。

「では、貴美はどんな物を見たのかな? 何が起こっていた?」

「はい。……実は、依頼を承ったのは一週間前なのですが、十日前の病院襲撃事件の次の日に、新しい皇居で刺々とげとげしい波動を感じ取りすぐさま向かい申した。そこには今までになかった巨大な窪地ができ、穴の底には少年が一人倒れていただけ。しかし、いつの間にか少女が現れて少年と共に消え去り申した。その後に依頼が参りましたので、やはりアレは異常なことなのだなと認識した次第。……その後は警察が機動隊を派遣するたびに見ておりましたが、少年らは姿を現すことなく、不可視の壁や衝撃波などで撃退するのを見聞し申した」

 法章は、貴美が話し終える前から感心したり驚いたり考え込んだりと、様々な表情を表した。

 サヤカからすれば、貴美の話は漫画かアニメのような現実離れしたものに聞こえたのだが、貴美の話しぶりと法章の反応は至って真面目だった。

「……先程の遠見とおみでも感じたことだが、かなり異質な能力だな。我々に備わった霊力や神通力といった類とは全くの別物のようだ。……あまりオカルトな話に振りたくはないが、エスパーや超能力と呼ばれるものに近いかもしれないが……」

 サヤカには全て同じグループに思えたが、専門家が違うというのだから違うのか、と一応納得しておく。

「法章様が感ぜられたように、私も波動を感じましたゆえ、超能力なるものとは別物と考えておりました。『気』を練っておりませぬゆえ気功ではありまぬし、『印』や『まじない』も見受けられませなんだゆえ陰陽道の『式』とも違うはず。よもや悪魔憑きかとも疑いましたが、それにしては邪気を感じませぬ」

「私が『おかしい』と表現したのはそこだよ。身振りや呪文がないのならば魔術や精霊を使役したものでもなかろうし……」

「ああ、そういえば大地を隆起させて壁や門をこしらえたり、自動車を金属の門扉に変じる芸当も目にし申した」

「なんとな!? ……それは、もう、神の領域ではないか!」

 途中からサヤカはついていけなくなったが、創作やオカルトマニアやファンタジー愛好者が想像し語り継いできた人外の異能力のどれにも当てはまらないらしい、ということはなんとなく理解した。

 ――さすがに神様引っ張り出すってどうなんだろ……――

 サヤカを含め、一般的な日本人は地域のお祭りや冠婚葬祭などで神仏に触れる機会はある。十代で毎日仏壇にお線香を上げている者は少ないだろうが、初詣でや合格祈願、ふとしたピンチに神や仏に祈り手を合わせ呼びかける者は多いだろう。

 だが、実際に神が現れたと聞いた時、にわかに信じることはできないはずだ。敬虔なクリスチャンであればその限りではないだろうが、しかしそれが少年と少女の姿であったならば、疑いはせずとも戸惑うくらいはするだろう。

 正しく今のサヤカの様に困惑して半信半疑の引きつった顔になるのかもしれない。

「いや、すまない。年甲斐もなく興奮してしまった。オホン! ……これはなかなかに厄介だ。貴美、今後はどのように行動するつもりなのだ?」

 なかなか動揺を収められない法章は、言葉こそ平坦だったが、衣装を直したり姿勢を正したり汗を拭き取ったりと落ち着かない。

 対して、問われた貴美は深呼吸をしてから答える。

「まずはどのような手合であるか会ってみたいと考えております。会って話してみて、人々に害を為すと認めた場合は……依頼に基いて排除するつもりです」

 前半こそ落ち着いていた貴美であったが、言葉が進むにつれ目の見えぬ法章にも伝わるほどに不安な声音へと変わっていった。サヤカは貴美のヒザの上で握られた手が、ギュッと力むのを見て貴美の心情を察した。

『排除』とは恐らく戦って殺すことを意味していることも察したし、自分と同い年の少女がその覚悟を貫くのは並大抵のことではないとも、分かった。

 まがりなりにも洲本走連というバイクチームのクイーンの立場にいるサヤカだ。チームを守るために公道レースやケンカも行ってきた身だ。

 恐らく、貴美は初めて他者と戦うのだろう。

「……経験は?」

「…………ありませぬ」

「私が完調であれば、代わってやれるのだが――」

「いえ!」

 後悔や同情を口にした法章に対し、貴美は強く否定した。

「これは私のお役目。私がやり遂げねばならぬこと。……ただ、私はその術を知りませぬ。ですから、ここへ参ったのです」

 断固として強い意思を示す貴美に、法章は腕組みをしてしばらく考え込む。

「法章様。私に戦い方をお教え下さい!」

 貴美の強い訴えと真剣な表情に、隣で見ていたサヤカは思わず生唾を飲んだ。

 昨日出会ったばかりの同い年の少女と、同級生ノリで友達ぶって大阪まで出張って来たが、平坦な話し方と動かない表情からもっと淡白な性格だと思い込んでしまっていた。

 バイクの後部座席でスピードにおののいていたり、着慣れない洋服に恥じらったりしていた貴美からは、想像できない心の強さを見た気がした。

「分かった。しかし、私はもうこの目だ。実際に動いて見せることは叶わず、貴美の動きを見て教えることもまた叶わない。口伝えできるものでも無い。……同調にて授けるよりないが、それで構わないか?」

 法章が貴美に問うたが、またサヤカの知らない単語が出てきた。

「問題ありませぬ。物心ついてよりの十数年、修行と鍛錬を怠った事はあり申さん」

 答えると同時に、貴美は精神統一するように姿勢を正して呼吸を整え始める。

 その様子を感じ取った法章はサヤカの方を向く。

「お嬢さん。今から私と貴美の感覚を同調させる。そのままイメージや感覚を映像として共有していく。精神集中を要するので、しばらくお静かに願えるかな?」

「あ、はい。黙っていればいいってことですよね?」

「そういうことです」

 サヤカの確認にニッコリと笑い、法章はテーブルに両手の平を上向けて差し出した。

「準備は良いか?」

「お願いします」

 貴美は自身の手の平を法章のそれへ重ねる。

 貴美の返答のあと、二人は呼吸を合わせるように深呼吸を繰り返し始め、ピタリと揃うとサヤカには判別不能の文言をつぶやいて黙り込んでしまった。

 どれほどの時間が経ったろうか……。

 サヤカがジッと貴美の様子を伺いながら待っていると、法章と貴美が大きな深呼吸を始め、何事かをつぶやいて重ねていた手を引き離した。

「……ありがとう、ございました」

「うむ。いきなり全てを伝えるのは負担が大きいゆえ、基本的な体の運びや、力の使い加減、それと初歩的な応用を伝えた。すぐさま使いこなせるわけには行くまいが、どこか広い場所で試してみるといい」

「はい。……試して、みます」

 やや呼吸の乱れている貴美の様子をサヤカは心配したが、サヤカには何もしてやれないのがもどかしい。

「時に、お嬢さん」

 汗を拭いながら法章がおもむろにサヤカを呼んだ。

「はい。何でしょう?」

「どこか、運動のできる広い場所に心当たりはありませんかな? できれば余人の寄り付かない、山や野原がいいのだが……」

 急な問いかけにサヤカは困惑した。

 初対面のサヤカが、なぜそんなだだっ広い広場に心当たりがあると思ったのか、見当がつかなさ過ぎてどう答えていいのかも分からない。

「えっと、あの……。うーん……」

 返事の出来ないサヤカを見て貴美が助け舟を出す。

「法章様。御山ではいけないのですか?」

「構わないが、例の少年達に気取られるのはよろしくない。あと、修得できたかの可否も計らねばなるまい? そう、格闘技の組手のように相手がいると丁度良いのだがね?」

 瞼を閉じてはいるが、法章は明らかにサヤカに期待するような視線を向けてくる。

 ――そんな無茶ぶりないわぁ……。だだっ広い山みたいなとこなんか知らないって。しかも組手の相手を用意しろとか……。あれ? 待てよ?――

 唇を尖らせて拗ねていたサヤカだが、一つだけ思い出したことがあった。

「あ、あるかも……」

「サッチン? 本当に?」

 半信半疑で聞き返す貴美に、サヤカはハッキリと答える。

「ある! テッチャンが滋賀県の山で修行するって言ってた! そこに合流したら、組手の相手も居る!」

 サヤカは貴美の役に立てそうだと確信して嬉しくなり、貴美はサヤカの明るい表情を見て嬉しくなった。

 手を取り合って喜び合う二人に、法章は静かに告げる。

「それは何よりだ。……貴美。戦うすべというものは両刃の剣。自然のことわりに背いては強力な破壊となり得る。決して、自然を断ち切らず、己のために振るってはならぬ。己のために振るった力は、己を破壊する力となって返ってくる。ゆめゆめ忘れるでないぞ」

「明暗一対、在界終生。心に刻んでおります」

 貴美は深々と頭を垂れる。

「では、気をつけてな」

「ありがとうございました」

 もう一度頭を下げた貴美に倣ってサヤカもお辞儀をし、小部屋から退室する。

 帰りがけに受付の女性に礼を言い、サヤカと貴美の二人は七月の太陽の下に舞い戻った。

「暑っ! 温度差、すごっ!」

 船場センタービルを出て開口一番、文句を言いながら右手を目元にかざすサヤカを見て、貴美は朗らかに笑う。

「なんか勢いで滋賀県に行くことになったけど、貴美、大丈夫? またバイク乗らなきゃだよ?」

 サヤカはキョロキョロと視線を彷徨わせながら貴美に問う。

 淡路島から大阪に向かう間、文字通りサヤカにしがみついていた貴美に、もう一度バイクでの移動が平気かは聞いておかねばならないだろう。

 かなりの怖がり方をしていた。

「た、多分平気。バイクを怖がっていたら、体術も修得出来ない気がしている」

「それもそだね。んじゃ、お昼食べたら早速向かいますか」

「ハイ」

 貴美の元気の良い返事を聞きながら、サヤカはテツオにメールを送り、テツオと同じ車種HONDAVF750マグナを預けているモータープールの場所を地図アプリで確認しておいた。

「何食べよっか?」

「私は、修験者の教義で生物なまものや動物の肉は食べれぬから……」

「マジで? じゃあ、お蕎麦とかおうどんかなぁ?」

「鰹節は大丈夫」

 一気に十七歳らしい会話をしながら、二人は大阪の街を歩いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る