カフェタイム

 黒田が門を潜るとさっきの少女がポツンと立っていて、自然体で真っ直ぐ黒田に向いているさまに戸惑った。

 てっきりサクサクと先に歩いてしまっていると思っていたからだ。

「ありゃりゃ? お嬢ちゃんが案内してくれるんやないんか?」

「はい。ちょっと待ってて下さい」

 黒田が思ったままを口にすると、少女はぎこちない笑顔を浮かべながらさり気なく右手を差し上げた。

「なんだ?」

 少女が目を閉じた刹那。黒田の後頭部に殴られたような衝撃が走って目の前が真っ暗になった。

「いててて……。あんれ?」

 なんとか両足を開いて踏ん張り、転倒したり意識を失うようなことはなかったが、視界が蘇ってくると景色が一変していた。

 門を潜った時にはあったはずの舗装路とその両脇の青々とした山林はどこかへ行ってしまい、コンクリートの真っ白なアプローチを有した立派な玄関の前に立っていた。

「着きましたよ」

「ようこそ。刑事さん」

 移動が完了したと告げた少女の隣には、いつの間にか少年が立っていた。

「お前は、高橋智明、だな?」

「そうです。……話なら中でしませんか? 暑いし、考えがまとまらないでしょ?」

「お、お、うん」

 黒田の考えを見透かしているかのように高橋智明は黒田を促し、恐らく皇居の玄関と思しき大扉を開いて黒田を招いた。

 智明に続いて黒田が玄関を潜り、最後に少女が入って玄関は閉じられた。

「どうぞ」

 先に立って歩く智明に追従しながら、黒田は辺りの観察と警戒を怠らなかった。

 玄関ホールの左右に等間隔で配された扉の向こうに気配がないかを気にしたり、階段の影や二階のバルコニーに気が向いてしまう。

 刑事の職業病と言ってしまえばそれまでだが、捜査じゃない時くらいは壁にかかった絵画を見てもいいだろうにと軽い自己嫌悪が生まれる。

 その甲斐あってか、正面の巨大な一対の絵画が目に止まった。

「イザナギとイザナミか。……なるほど、俺は今、皇居に居るんだっけな」

 二階へと続く階段のそばに立ち止まって辺りを眺め回して、黒田は変な感動と緊張を感じた。

 それを見て取ったのか、先行していた智明が振り返って声をかける。

「こっちにはもっとそれっぽい物があるよ」

「ほお?」

 黒田が再び歩き始めたので、智明は階段を潜って一階の奥へと続く通路へ入っていく。

 人が三人は並んで通れる通路だが、その両側の壁にも日本神話をモチーフにした絵画が飾られている。

 通路を抜けると開けた空間になっていて、ガラス製のコレクションボードが壁際と部屋の中央に据えられていた。

 本来ならこのコレクションボードには、他国からの贈り物や記念品などが納められるはずなのだろうが、天皇が移られる前なので中身は空のようだ。

 智明はだがそれには触れずに左奥の重厚な扉へと向かって歩み、両開きの片側を開いて黒田を招く。

「こっちだよ」

「ん。失礼する」

 智明が開いた扉を潜り室内へ入ると、まず部屋の広さに驚き、数歩踏み入ってグルリを見回してしまった。そして部屋の中央にある毛足の長い手織りの絨毯と革張りのソファーセットが目に入り、次いで立派な花瓶と花台が目に止まった。

「これは、天皇陛下が取材や会見の場で使用する部屋か?」

「恐らくね。端っこに見たことのある一人掛けのソファーもあるからね」

 智明に促されて目を向けると、なるほど確かに国賓と会談する際に使用されているソファーと似たものが二組、部屋の端に置かれていて、他にも記者会見で記者にあてがわれるであろうスタッキングのチェアーが二山ほど置かれていた。

 壁や柱の装飾も凝っているし、黒田のような素人が見ても材質の高級感と仕上げの技術の高さが分かった。

「落ち着いたら座ってよ」

「あ? ああ」

 黒田が部屋の奥のはりに施された彫刻に見入っている間に、智明はソファーセットの上座に腰掛けて、黒田の反応を楽しむように眺めていた。

 相手が中学生なのを思い出してミーハーな自分が恥ずかしくなり、黒田は咳払いをしながらソファーに歩み寄って腰を落ち着けた。

「失礼します」

 先程の少女がトレイを抱えて入ってきて、コーヒーを人数分配って智明の隣に腰を下ろした。

「あ、悪いね」

「一応、ちゃんと訪ねてきてくれたお客さんだからね。変な物は入ってないから、どうぞ」

「う、うん。いただきます」

 少し相手との立ち位置や態度の取り方に戸惑いながら、黒田はカップを取ってコーヒーを啜った。

「……ほう、旨いな。インスタントじゃないのか」

「そんなそんな。コーヒーマシンですよ」

「そうなんか? 缶コーヒーばかりやと味覚が落ちるんかな」

「缶コーヒーばかりやから分かるんかもしれませんよ」

「確かに」

 不思議とまったりした空気が流れ三人ともに笑顔が漏れる中、黒田は改めて目の前の二人を観察してみる。

 高橋智明の顔は捜査資料で顔写真があったので知っていたが、全体的に平凡な印象は変わらないが、写真より少し目元がキツイように感じられる。妙に落ち着き払っていることと合わさって、大人びて見えてくる。

 白地のプリントTシャツにジーパンという服装が見た目の年齢に幅を持たせているのかもしれない。

 智明の隣に座る少女は、三十半ばの黒田が見ても容姿の整った可愛らしい顔をしていて、男女ともに好かれる明るい笑顔が好印象だ。ハッキリとした眉だがパッチリとした瞳が魅力的で、スタイルも悪くない。今は白地に袖だけボーダー柄のロンTと水色のふんわりしたロングスカートで、容姿以上に清楚な雰囲気を感じる。

「改めて自己紹介さしてもらうと、国生こくしょう警察の刑事をやってる黒田だ。高橋君で、いいんやな?」

「ああ。高橋智明だよ。で、彼女は鬼頭優里きとうゆり

「鬼頭優里です」

 ヒザの上にヒジを乗せて前屈みに尋ねた黒田に対し、智明はソファーにもたれたまま答え、優里はソファーから背を浮かせたまま軽く会釈した。

「鬼頭、優里さんね」

 珍しい名字に黒田の記憶が刺激されたが、今は後回しにした。

 せっかくここまで入り込むことができたのだから、本懐を遂げねば諸々の規律違反が元も子もなくなってしまう。

「なんというか、ここまで入り込んでもてなしまでされて言うことじゃないんやろうけど、よく刑事の俺と話す気になったな?」

『話がしたい』と訴えたのは黒田だが、なんと切り出していいか迷った挙げ句にそんな言葉が出た。

 智明はソファーにもたれたままこともなげに答える。

「純粋に話がしたいってことなら拒んだりしないよ。スキを突いて捕まえようって企んでたら応じないしね」

「顔も合わせてないのにそれが分かったと?」

「ああ。刑事さんはもうこの件から外れているし、俺を逮捕することよりも動機とかキッカケを知りたいだけみたいだしね。こっちとしても誰かに意思表示したいタイミングだったのもあるよ」

 黒田は少なからず動揺した。

 中島ちゅうとう病院襲撃から続く騒動や事件は、警察内部で高橋智明単独の犯行と考え足取りや動機などの捜査が続けられてきたが、新皇居占拠に至って機動隊が幾度も奪還に失敗したことで管轄は自衛隊に移ろうとしている。首謀者が少年であり、舞台が皇居ということもあってこのことは世間には報道されていない。

 ――なんでそんなことを知ってるんや? どっかから情報が漏れてるんか?――

 そこまで考えてから黒田は頭を振ってゼロから考え直すことにする。

 ――鯨井くじらいのセンセが言うとったな。警察よりも上の組織が『無いこと』にするような事件やってな。となると、『誰か』ではないところから情報は漏れとるな――

 そこまで思い至って黒田はハッと気付いた。

「俺の心を読んどるんか」

「明確に一字一句じゃないけどね。騙そうとしたり、こっそり企んでるな、くらいは分かるよ」

「ごめんなさい。身を守るためやから……」

「君もか!?」

 智明が自身の能力を匂わせていることには気付いていたが、大人しく智明の隣に座っていた少女までが、そういった能力を備えているとは想像の埒外だった。思わず少女の全身を上から下へと何度も見やってしまう。

「そんな目で見やんといて下さい」

「あ、ああ、すまない。高橋君が変わった力を持ってるってのは聞いとったが、まさか優里ちゃんまでとは考えんかったから」

「急な優里ちゃん呼び」

「ちょっと! 笑わんといてよ! ますます照れくさいやんか」

 思わず黒田の口から出た呼び方に智明が笑いだし、優里が照れ隠しも含めて智明の腕を叩いて抗議する様は、黒田に学生時代の教室を思い出させた。

「いいじゃん。可愛いじゃん」

「年上の男の人からチャン付けされるの、慣れてないねん」

「すまない。俺も娘ほどの女の子との接し方が分からないから、つい」

「あ! いいですいいです! モアが笑うんが悪いんです」

「俺のせいかよ」

 なおも続くイチャイチャに黒田は咳払いをして話を変える。

「オッホン。……つまり、智明君も優里ちゃんも超能力みたいな力が使えるっちゅうことやな?」

「ああ」

「そうです」

 黒田の問いに智明も優里も黒田に向き直ってしっかりと肯定した。

「なぜ、そんな力が手に入った? その力でしたことの重さを分かってるか?」

 相手が未成年ということを意識して、なるべく取り調べや捜査中のような凄みを持たせない声で質問してみた。

 一足飛びだが、黒田にとってはこの一点がためにここまで来たのだ。

「なぜこんな力を持ったかは、正直分からない」

「分からない?」

「それはホンマです。モアにはキッカケのようなものがあったらしいけど、私に関してはモアと一緒にいるうちにいつの間にか使えている感じやから」

「いつの間にか? ……なるほど」

 智明と優里の表情や態度から、黒田は一応本音であると信じることにした。

 演技や嘘の可能性は否定できないが、能力を得た経緯を黒田に偽ったところで誰にもメリットはない。

 先程のような学校の休み時間のノリさえも演技であるならば、黒田としても話の筋道を変えて本音を聞き出さねばならないが、智明にも優里にも質問に対して真摯に答えようという態度はちゃんと表れている。

 当惑や迷いのある表情でなければ疑ってしまうところだ。

「優里ちゃんはいつの間にかだったけど、智明君にはキッカケのような出来事はあったわけだ?」

「あったよ」

「どんな感じやろ?」

 とにかく情報を引き出したくて、智明にたくさん話させようと黒田は間を開けずに質問を重ねていく。

 意地の悪い芸能記者の気分だが、性に合わなくとも今は耐える。

「そうだな……。病院から逃げ出した日の前の晩……。あれ? 朝早くだったから六時間前とか八時間前とかかな? 眠れないとか盛り上がったからっていう理由でツレとアワイチしてたんだ」

『アワイチ』に黒田の右眉が一瞬跳ねたが、話の腰を折るまいとスルーした。自転車や自動車でも淡路島一周は行われるが、智明が無免許でバイクに乗っていた事は捜査の過程で判明していたし、未成年の深夜徘徊も補導なり注意なりの対象だ。

「その途中くらいから気分が悪くなってきて、頭痛がして、熱が出てきて、ツレに病院へ連れてってもらった時には朦朧としててよく覚えてない」

「それで?」

 話を進めるように促す黒田にうなずき、智明はソファーから体を起こしてヒザの上にヒジを置く。

「診察とか検査を受けた覚えはある。……半分以上夢の中みたいな薄っぺらい記憶だけど。……ちゃんと目が覚めたのは逃げ出す直前かなぁ。体中が痛かったし、相変わらず気分が悪かったし、知らない部屋に寝かされてて怖かった」

「だから逃げ出したのか?」

 黒田は変わらずに問いを投げかけるが、智明はコーヒーを啜って当時の記憶や感情を整理するように間をとった。

「死ぬとか、殺されるとか、そんなことを考えて怖くなった気がする。自分が自分じゃなくなっていくような感じもあったな。……体の表面が裂けて、ペロンと内側と外側がひっくり返っちゃうみたいな、自分がプラモデルやオモチャみたいに作り変わっちゃう感じ。……分かんないよね」

 智明は自嘲気味に笑いながら、カップをテーブルに戻してソファーにもたれた。

 優里が気遣うように智明の左手に自身の右手を重ね、顔を向けあって見つめ合う。

「なるほど。……確かに俺にはそんな経験はないが、人間生きてればそういった感覚に見舞われる時はある。成功や挫折、気にもしてなかった絆や信頼を感じた時なんかによく聞く話や。……身体的やなくて精神とか感情の方やけどな」

「内面の方がしんどそうだね」

 知ったふうなことを言う智明に苦笑しながら、黒田もソファーの背もたれに体を預ける。

「まあ、そうだな。心・技・体というからな。完璧な人間なんかそうそう居るもんやないし、おったとしても何かが飛び抜けてたりどこかが欠けてるもんや」

「刑事さんも?」

「モア」

 黒田の言葉を即座に切り返した智明を、これまた間を開けずに優里がたしなめた。

 智明の態度を虚栄や見栄とは思わないが、大人ぶったり何かを達観したふりをしていると見ていた黒田だが、智明をたしなめる優里の頭の回転の速さは本物だと感心した。十代の女子は同年代の男子より生育が早く、知恵や情緒は男子よりも大人びてくるものだが、こういった対応はそうそう出来るものではない。

「いや、構わんよ。欠点や短所なんか無い方がおかしいんだ。刑事は法の番人みたいに振る舞うもんやが、ヤクザな仕事やからな。人として欠けてるもんはあると自覚しとるから」

「すいません」

「優里ちゃんが謝ることはない。議員さんの娘さんとはいえ、品があってお姫様みたいやけど、今のは謝らんでええやつや。なあ? 智明くん」

 黒田の言葉に優里は恐縮した様子から一気に表情を固くした。黒田が優里の出自を察知していると気付いたからだろう。

 対して、問いかけられた智明は困ったふうを装いつつ、苦笑いを浮かべている。

「そうだね。話を逸らそうとしたけど、逆に核心に向かっちゃったよ」

「そうなん? それこそ私のせいやんか」

 重ねていた手を握る優里。その手を返して智明は握り返す。

「ぜんぜん。俺が優里をさらって来たんだから、何もかも俺が原因だよ。さっき刑事さんが言ったように、俺の考えや行動に欠けたモノがあったんだ。……これからする事にも恐らくそうゆうのがあるしな」

 智明と優里にだけ通じる会話なので黒田は置いてけぼりを食ってしまった。

 しかし捜査で得た情報や状況とは違う関係が繋がってきたし、ここに来て黒田の欲するものと智明が成したいことがリンクしてきた。

「じゃあ、話を進めよう。……その力でしたことをどう思ってる? どう感じてる? これからどうするつもりなんや?」

 黒田は再びソファーから背中を離して前のめりになり、ヒザの上にヒジを乗せて真っ直ぐに智明を見た。

「…………正直なところ、最初の方は自分に何が起こったのか分かってなかったし、他人に怪我をさせたり命を奪ってしまったかもっていう恐さはあるよ。一瞬だけ力におぼれてしまって、バカもやったけどね」

 ゆっくりと伏し目がちに話す智明を、黒田と優里が見守る。

「……便利な言い訳だろうけど、不可抗力だと思ってる。殺してしまった人に対して、何にも思ってないわけじゃないし、意識や自制の働く範囲じゃかなり気を付けて力を使ってる。さすがに機動隊を五回も追い返すのは疲れたよ。……精神的な意味でね」

 智明が言葉を切ると、優里がなんとも言いがたい表情で黒田に向き直った。

 まるで智明の苦悩や葛藤を共有したかのように、悲哀と慈愛を混ぜ込み、憂慮を訴えてくる。

「まさかとは思うが、優里ちゃんも関わったのか?」

「いや。バリア作ったり壁で押し返したり、そういうのは全部俺だ。リリーに人を傷付けるようなことはさせないし、させたくない」

「当然、関わってます。警告を発したり風を吹かせたり枝を落としたり、誰も怪我しない程度のことやけど、私もやりました」

 厳しい目で主張した智明を遮るように優里は告白し、全ての罪を被ろうとした智明に向き直って二度ほど首を振った。

 智明は体を起こして優里を引き寄せ、なだめるように優里の肩を抱く。

「俺に……俺達に罪はある。分かってる。けど、俺達にもここに至るまでの原因があったし、こうなってしまってから『本当はこうなんです』なんて手段は思い付かない。古臭い言い方でダサいんだけど、侍ってアレだろ? 刀を抜くってか鯉口を切ったら後戻りできないんだろ?」

 優里を庇うようにする智明から『侍』などという単語が出てきて、思わず黒田は笑ってしまった。

 ――そこまで大袈裟なことかいな――

 十五歳そこらの子供が、武士や侍のような信念や忠義や思想や主義をもって行動しているとは思えず、黒田はこっそりと小馬鹿にした。

 しかしすぐに思い直す。

 ――ちゃうか? これからしようとしてることに大層な主張があるんか?――

 侍は問答で事態が収まらなくなると刀での勝負を挑む。左足を引き腰を落として右手を刀の柄にかける。

 一般的にはここから刀を抜いたが最後、どちらかが斬り伏せられるまで勝負を止めることはできないと思われがちだが、実際にはさやを掴む左手親指でつばを押し上げて鯉口を切る音がした時点で切り合いは始まり、勝負は後戻りできない局面となる。

「俺も色んな容疑者と話してきたが、そういう言い回しは初めてやな。つまり、いつの間にか刀抜いてしもてたから何かしらをやり切るってことやろ? それはちょっと横暴で自己中心的やないか?」

 智明の真意を引き出すため、黒田はあくまでも一般論と思えるものをぶつけてみる。反抗的な子供を煽る『普通』や『常識』の類だ。

「状況はそうだけど、ちょっと違うかな。多分だけど、こんな力を持ってるのは俺達だけじゃないと思うし、これまで事件や騒動が起きなかったのは、普通の人間として鳴りを潜めて目立たぬように生きてるからじゃないかと思うんだ。それがまともな考え方とも思えるけど、その人にとって楽しい人生か疑問に思うんだよね。もちろん、安易に世界征服とか叫んで暴れるより健全で真っ当だとは思うんだけどね」

 黒田には少し理解出来る。

 刑事という仕事をしていても規律違反もするし、時と場合によっては法律スレスレの言動を叩き付けたこともある。日常生活においても暴言や反社会的な悪意が頭の中をよぎることはある。だが理性や常識や法律や社会的通念に照らし合わせて、そうした邪気を振り払って生活するのが良識というものだ。

「君らのような能力を持つ人らが、我慢しながら一般人として生きてる可能性は、分かる。可能性の話やからな? ……インターネットの開放で個人の特技や能力ってのは専門家以上のケースなんてザラにあるし。幸いなことにそういうのは世界征服には繋がらんが、犯罪は頭ん中の悪意にそそのかされる場合もあるっちゃある。その、そういうポテンシャルを秘めたまま暮らしてる人間がおるというなら、じゃあ、君がしていることは能力をもっとひけらかして世界征服しようということか?」

 黒田の飛躍した問いかけに智明は笑ってから答える。

「違う違う。そんなだいそれたことは考えないし、第一そんなことをしても裏切られたり寝首をかかれて死んで終わりでしょ。この前、盛者必衰ってのを習ったとこだよ」

「まあ、歴史を勉強したら分かるわな。……じゃあ、どうしていくつもりだ?」

 さすがの黒田も力が入ってしまい、食らいつくように智明を睨む。

「国を作ろうと思う」

 いともあっさりと宣言され、驚きも呆れもなく黒田は智明を見つめる。

 少し黒田の予想と違ったので真偽を計る時間が欲しかったからだ。

「俺が思ったんとちょっと違ったな」

「そお?」

「うん。自分らを縛る法律がないから、新しい人種とか存在やと認めさせて、法律や基準を作らせたいんかと思った。ある意味、自分へのリミッターとか抑制装置みたいな感じのやつな」

 ヒジをヒザから離して身振り手振りで説明する黒田を、智明と優里は楽しそうに聞き、抱擁を解いた二人は一瞬目線を合わせて笑い合って黒田に向き直った。

「それ、私らも考えましたよ」

「そうなんか?」

「けど却下になったよ。アメコミか安っぽい近未来SFの世界観だからね」

「そ、そうか」

 二人の指摘に黒田は恥ずかしくなって声が小さくなった。

 黒田はアメリカンコミックやSF映画に傾倒しているわけではないが、刑事ドラマや特撮ヒーローから正義や英雄への憧れを得たと言っても過言ではない。これらに登場する犯人や悪党は、子供や一般的な視聴者が見て分かる悪役でなくてはならないために、子供っぽい言い分や考えで行動したり常軌を逸した凶行を取りつつある。

 そうしたイメージを十代から切り捨てられ、己の想像力の浅さが恥ずかしくなったのだ。

「それで、国なのか?」

「だからこそ国なんだよ。まあ、日本人だけなら特区みたいのでもいいんだけどね。それじゃあちょっと突飛なことを喋ってる政治家みたいになっちゃうからね」

「ははは。中学生が言うんかよ。ましてや優里ちゃんのお父さんは市議会議員やろ?」

 また黒田は大人としての恥を感じたが、話題を変えることで流すことにした。

 国政であれ地方政治であれ、子供が聞いて呆れるような形態を作ったのは何百年も前の政治家であり、現職の政治家と投票した国民であるから、黒田一人が背負い込みたくないからだ。

「そう、ですけど。だからこそって感じもあります」

「なるほど。いろいろあるわけか」

 優里の微妙な表情と曖昧な言い回しから、形容し難い家庭環境やら家族間の関係性などを察して、黒田は深い追求を避けた。今は鬼頭優里が、旧南あわじ市市議会議員の鬼頭優作きとうゆうさくと料理研究家おかのまりの娘だと分かっただけで充分だ。

「中坊が法律作ってくださいって皇居を乗っ取ってる時点で相手にされないからね。少し大きいことを言わないとダメだと思ったんだよ」

 智明の追加の説明に黒田はなるほどと思った。

 恐らく彼らは本気で自分達の国を作ろうと考えているのだろうが、最悪の場合の妥協点として特区や自治区のような居場所が手に入ればいいと考えているのだろう。法律の改正や新しい法律を施行させる難しさも知っているのかもしれない。即時性のある形態としては、特区や自治区より新しい国の方が彼らの意向に沿うとも言える。

「まあ、夢や目標がデカイってのは悪いこっちゃない。野望やと困りもんやが。……とはいえな、これまでにしたことが帳消しになるわけやない。これからすることにも、人の命や人生がかかったことにはそれ相応のもんが付いてくる。……どう考えとる?」

 すでに黒田は刑事という立場を切り離して少年と少女の話を聞いていた。

 世界征服や人類抹殺のような悪巧みであればまた違った対応になったはずだが、金銭や権力などの欲にも塗れていないとなれば、黒田の権限からは外れていると思えた。

 だが彼らが傷付けたり奪った命に対しての罪は無視できない。

 その一点は彼らの作る国でも変わらぬ真理であるはずだ。

「もちろん考えてる」

 姿勢を正して座り直し、真っ直ぐに黒田を見て智明が断言した。

 優里も座り直して両手をヒザの上で重ね、大きく一つうなずいた。

「何時間も、何日も、二人でずっと話して考えてました」

「今までの事に、すごい後悔がある。簡単に償えない罪だと思う。それに、これからしばらくの間、罪を重ねることになると思う。それについても償う気持ちがあるし、まず最小限にという思いもある」

 黒田は聞き漏らすまいとじっと二人の弁に耳を傾ける。

「ただ、全ては国を作ってからか、俺が駆逐されて断罪されてからからになる。その順序は譲れないし、そんなことをしたら意味も意義もない最低の殺人だ。それは本当に償いようがない」

 黒田が黙して耳を澄ませる中、智明は内なる怒りに震えすらしている。もしくは良心の呵責かしゃくさいなまれているのか、己の過ちに恐怖しているのか?

 黒田には判別がつかないが、智明の隣で涙ぐむ優里に嘘はないと思える。

 と、鼻水をすすり指先で涙を拭う優里に、智明がどこからともなくハンカチを取り出してそっと手渡した。

 どうやら二人の主張はそこまでのようなので、黒田は体の力を抜いて一つ大きな深呼吸をした。

「……そのことを俺に話したかった、と?」

 なるべく誤解を与えないように問うたが、少し乾いた言い回しになったことを黒田は後悔した。

 圧倒的に彼らの立場に立ってしまいがちな気持ちを抑えすぎて、興味を失った大人がしがちな淡々とした口ぶりになってしまったのだ。刑事という立場上、せめて中立の態度をとってやりたかったが、口から出た言葉はもう引っ込められない。

「もう一つある」

「なんやろ? 俺に出来ることか?」

 今度は圧倒的に協力するような言い回しになってしまい、黒田が反省する前に智明が小さく笑ってしまう。

「はは、察しがいいね。さすが刑事さんだ」

「いやいや。で?」

 黒田は今更になって智明と優里が他人の心を読めることを思い出し、一人で勝手に言い回し一つで慌てふためいていたことが恥ずかしくなった。

「えっとね、分かる範囲でいいんだけど、病院のこととか新宮しんぐう周辺で亡くなった警察官の身元とか連絡先を教えてほしい」

「どうするんだ?」

「もちろん、謝りに行ったり償いをするためだよ。一般人じゃできないでしょ?」

「まあ、確かに」

 正直、黒田は困ってしまった。

 間もなく捜査の権限は警察の元から離れてしまう。その最中に被害者の氏名と住所や連絡先をまとめて、容疑者に渡すなど言語道断の振る舞いだ。捜査資料は無関係な一般人に見せることすら禁じられている。

「なんとかお願いします。時間が経つほどできなくなるはずやから」

 ハンカチをヒザの上で握りしめながら頭を下げた優里に黒田はあっさりと降参した。

「分かった分かった。今このタイミングしか出来んことやから、やるだけのことはやってみる」

「ありがとう」

「ありがとうございます」

 子供らしく顔をほころばせながら頭を下げた二人に、黒田は頭をかきながら一応の言い訳もしておく。

「ただ、アレやぞ? 今すぐレポート提出とはいかんぞ? モノがモノやし、状況が状況やし、俺の立場もあるからな」

 黒田の言葉に智明は微笑みながらうなずく。

「もちろん。黒田さんの人生を狂わせるつもりはないよ。そういうタイミングになったらこっちから連絡するつもりだよ」

「ん。よろしく頼む」

 思わず黒田から右手を差し出し、智明と握手を交わした。

 しまった、と思ったのも一瞬で、すぐに思考は切り替わった。

 ――俺の人生、この事件に関わった瞬間にとっくに狂ってしもてる。今まで通りか、こいつ等に付き合うか。二択やったらこっちやろ――

「よろしく」

 黒田の心を読んだのか、智明がニンマリと笑いながら一瞬力を込めて握手をし、ゆっくりと手を引いた。

 黒田も自然と笑顔を浮かべ、カップをとってすっかりぬるくなったコーヒーを飲む。

「良かったね」

「うん。ちょっと胸のつかえが取れたかな」

 見つめ合う少年と少女に、微笑ましさと羨ましさを感じつつも、黒田は雑談のように切り出す。

「しかし警察の情報もいい加減や。こんなに可愛い優里ちゃんを少年いうて報告されとるくらいやからな」

「それは、そういう風に誤魔化そうとしたんだよ」

「なんやと?」

「さっきも言ったけど、全部俺がやったんだよ。俺一人が立て籠もってるはずなのに、似た背格好の奴が何人も居るように見せかけたんだ」

「それが失敗しちゃったんです。モアの見当違いやったんですよ」

 訳が分からず黒田はカップを持ち上げたまま固まってしまう。

「幻覚とか変装をやってみたんだけど、結局、俺だったっていうね」

「な、なるほど」

 よく分からないが、黒田は納得したふりをして、話を少しシリアスな方へ向かわせる。

「なんにせよ、警察の権限が外れて自衛隊の出動が要請されようとしとる。法律で制限されとるから強行策はとらんやろうけど、機動隊のようにはいかへんぞ?」

「ああ。情報は聞いてるよ。戦車とかヘリコプター出してこられたら怖いけど、初っ端からそこまでするかな、とは思ってるよ」

 ほう?と黒田は少し感心した。

 智明が黒田の心を読んだ可能性もあるが、どうやら黒田以外の仲間のような存在から聞いたような智明の言い回しに、彼らの頭の良さや根回しの良さを感じ取ったからだ。

「俺以外にも協力者が居るみたいやな。銃を怖がってないんは大したもんや」

「苦手なことは得意な人にやってもらおうってだけだよ。黒田さんへのお願いと大差ないよ。それに、銃は怖いけど防ぎようがあるってだけで、戦車や戦闘ヘリは破壊力があるから怖いというよりも、破壊したり制御不能にしちゃうと死人が出るからね。対処に困る方の怖さだよ」

 智明の言いようにとうとう黒田は呆れ始めたが、決定打は智明の言葉に真剣にうなずいている優里を見たことだ。

 黒田はソファーに身を沈め、一旦間をとって彼らの真剣度を計らなければと思い直した。

 彼らが無抵抗・無関係な命に暴力的になることはないだろうが、向けられた暴力に対してどこまで冷静であるかは、その場になってみなければ分からないからだ。

「とりあえず、今日こうやって話せたのは良かったかな。もしかしたら歴史の1ページに立ち会ったのかもしれん」

「それは黒田さんを警視総監で迎えたらそうなるかもしれないね」

 会談を締めくくろうと冗談めかした黒田に、智明はもっと質の悪い提案をぶっこんできた。

「勘弁せえよ。そんなガラやない」

「ならいっそ独占ルポでも書いて下さいよ。今日の話、無血開城よりも歴史的な瞬間ですよ」

「優里ちゃんまで何言うてんの。オジサンをからこうたらアカンよ」

 優里からの意外な提案に慌てつつ、黒田は立ち上がって簡単に居住まいを正す。

「刑事さんよりよっぽど向いてる思うんやけどなぁ」

「確かにね」

 智明と優里も黒田を追うように立ち上がる。

「分かったよぅ。君らの国が出来たら、俺の転職も考えるわ」

「やった!」

「その代わり、君らの行いを褒め称える文章にするさかい、一発目のネタは君らの独占取材にさせてくれよ? 優里ちゃんキッカケで転職するんやからな」

「もちろん! ええよね?」

 ややはしゃぎ気味の優里は智明にせっつく感じで確認を取る。

「そうだな。……そっちの意味でも、よろしく」

 再び智明は黒田に握手を求め、成り行きに戸惑いながら黒田も智明の握手に応じた。

 また黒田の後頭部に軽い衝撃が訪れ、視界が蘇ると、三人は機動隊輸送車や放水車が放置された門の前に立っていた。

「便利やけど、礼儀は必要やな」

「ごめん。もうすぐ仲間が来るみたいだからちょっと急いだんだよ」

 黒田の苦言に智明は子供っぽい言い訳を返し、握手を終わらせた。

「まあええわ。王様とお后様は、いつも勝手に瞬間移動で俺を振り回すって書いとくわ」

 黒田は冗談を言いながら舗装路を下り始め、片手を振る。

「ありがとうございました!」

 智明の左手を腕組みしながら大きく手を振る優里に視線を向け、もう一度手を振って黒田は山を下りた。

 山林を抜け大日川ダムが望める頃になって、ようやく黒田は緊張を解き、今日一日のまとめをし始めた。

 鯨井とのやり取りで警察権力にしがみつく空虚さが、ここに来て吹っ切れてしまった気がした。

 刑事としての使命感はまだしっかりと胸の内にたぎっているのだが、犯罪を暴く労力よりも、一般人が誤魔化されてしまっている真相の究明はとても魅力的に思えてきたのだ。

 高橋智明の心象や経験を、鯨井孝一郎や柏木珠江かしわぎたまえに伝えたらどうなるだろう? 鬼頭優里の状況をどう解釈するだろう?

 そういった興味が溢れてくると、優里の勧めにのってルポライターに転職するのも悪くないと思えてきた。

「? ……なんや?」

 もう何分か歩けば麓まで下りきるというあたりでバイクのエンジン音が耳に入ってきた。

 しかも一台ではなく、二十台から三十台。いやもっとか?

 この舗装路への侵入は警察が封鎖しているはずなのに、バイクの集団はそこを突破して皇居の方へと上がっくる気配だ。

「こりゃいかん」

 黒田は急いで林の中へ駆け込み、木の影から成り行きを見守ることにした。

 程なく、大型バイク一台が爆音とともに駆け抜けて行き、少し間が開いて様々なバイクが舗装路を駆けていく。

「コイツらが智明の仲間か?」

 上り坂が幸いしてか、通り過ぎていくバイクの詳細を見定めて黒田は驚いた。

 特攻服調の揃いの衣装に、暴走族っぽい鉄パイプやバットなどの武装が垣間見え、皆一様に旅支度のようなリュックやボックスを装備していた。

淡路暴走団アワボーとはな……」

 ざっと数えて四十台以上のバイクが通り過ぎ、緊張を解いた黒田は思わず呟いていた。

 旧南あわじ市西淡に住む高橋智明と、淡路市岩屋・東浦界隈を縄張りにする淡路暴走団との繋がりが意外だったからだ。高橋智明の身辺調査でもバイクチームとの関わりは一切見られなかった。

「まだおるんか?」

 淡路暴走団が通り過ぎて一分近く間を開け、再びバイクのエンジン音が聞こえ始めた。

 再び木の影に身を潜めた黒田の目の前を、今度は赤いライダースジャケットの一団が皇居へと駆け上がっていく。

空留橘頭クルキやと!?」

 派手にエンジンを吹かしながら通り過ぎるバイクの一団に毒付きながら、黒田はさすがに動揺した。

 淡路暴走団と空留橘頭クールキッズは淡路連合という形で不戦としつつも、隣り合った縄張りで時には睨み合う関係にあるはずだ。

 その2チームが、WSSウエストサイドストーリーズの縄張りに集まろうとしている。

 おおよそ五十台近いバイクが通り過ぎてから、たっぷりと時間をとって後続がないことを確信してから黒田は舗装路へと戻った。

「自衛隊よりこっちの方が問題あるな」

 黒田はバイクが向かったであろう皇居の方を見上げ、想像を超えた事態に戸惑いを覚えた。


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