明里新宮
そこにあるモノ
「黒田さん! どこ行くんですか!」
「ションベンくらいかまへんやろが! どのみち電話回線はパンクしとるし、電話つながらへんかったらメールが溢れてサーバーダウンするだっきゃろが」
黙って退室しようとした黒田を呼び止めた増井の表情も切迫していたが、増井を怒鳴り返した黒田もギリギリの表情だった。
今朝の
やれ化物が通り過ぎただの、突風で窓ガラスが割れただの、奇妙な咆哮がして気持ち悪いだの、工事中の現場が原因不明の倒壊にあっただの、とりとめのない通報が間を開けずに山ほど寄せられたからだ。
関連があるかどうかハッキリしていないが、リニア線の高架下で変死体を発見したという通報を確認に行った巡査二人が、その死体に圧殺されたという再通報もあり、事態の収集に駐在から交通課や公安まで動員してなんとか対処にあたってきた。
そのかいあってか、午後三時を過ぎて署内の回線も復帰し、110番も通常運転に戻った。
やれやれと遅い昼食や休憩に取り掛かった午後四時過ぎ。
今度は原因不明の閃光が瞬き半径五キロ圏内から爆発音が聞こえたという通報で再び回線がパンクした。雨中にも関わらず数キロ離れていても目を焼くような強い光だったことと、石油備蓄基地が爆発したか火山の噴火かというほどの爆音が数キロに渡って轟いたために、交通事故が各所で発生したり家屋の損傷も多く、何より光と音という誰でもが体感できる異常は人々の不安を煽り、遭遇した人数が膨大であるために通報が集中してしまった。
電話回線がダメならとメールも山ほど送りつけられ、淡路島に割り当てられていたサーバーは秒でダウンしてしまっていた。
そうなると今度は直接進言に向かってしまうのが人の心理で、仮設署の正面玄関は警官と住民との押し合いの真っ最中だ。
「ったく! 忙しい時に余計な手を煩わせているとか考えんのか!」
黒田は小便器にツバを吐きつつ鬱憤を晴らし、手を洗ってから最上階の奥の喫煙室へ逃げ込む。
当初は建物の裏口に設けられていた喫煙所だったが、年々高まる嫌煙運動の賜物で、公務員の喫煙が人目に触れると激しく批判される時代なのを考慮し、四階の奥の物置を整理してそちらへと移された。
とはいえ、黒田もヘビースモーカーというほどの愛煙家ではなく、捜査中や職務中に喫煙室に滞在することは少ない。
よほど集中したい時かリラックスしたい時にしか利用しない。
「件数が多くてまとめきらんが、午前中の奇っ怪な突風やら遠吠えみたいなもんは、中島病院から一直線にリニアの高架下まで線を引けるな。病院の破壊跡を見たら、高架下で巡査二人が柱にめり込むほどの衝撃で殺されとったんも、おんなじ奴の仕業やと考えてもええやろ」
先程まで自分のデスクでまとめていたデータを検分しながら、二本目のタバコを取り出す。
「気になるんは、病院関係者が目にしたマル疑と高架下のマル疑の証言が合わんこっちゃな。どっちも身長は一六〇センチから一六五センチやけど、病院の方は骨とか内蔵とかが露出しとって全身が血で濡れとるのに、高架下の方は人形か宇宙人みたいに真っ白けの肌やっちゅうねからなぁ……。二時間か三時間で素肌とか皮膚を着たみたいに印象がちゃうなぁ」
タバコに火を着け一息つく。
「素っ裸で暴れ回るんやさかい、ええ趣味とは言えんしな」
黒田は煙を吐きながら、午前中の一件のデータを横に流して、今度は夕方の一件を呼び出す。
「……キーポイントはここやな」
まずは脳内に旧南あわじ市西淡地区の地図ニ枚を据え置き、左側に閃光に関する通報者の目撃箇所を赤い点でポイントし、右側に爆音に関する通報者の目撃箇所を青い点でポイントする。
二つの地図に描き出されたのはとても相似していて、西淡地区から三原地区、さらには五色地区と南淡地区の一部にまで同心円状に点描されている。
黒田は国生警察仮設署の刑事なので、本来ならば仮設署の担当区域から寄せられた通報のデータしか閲覧できないし、情報として持つことはできない。夕方の閃光と爆音に関係する通報の大部分は南あわじ署の管轄になる。
しかし、三原地区神代に置かれた仮設署でも閃光と爆音を感知した者はたくさん居て、黒田は即座に緊急通報統括センターに連絡をとって、回線がパンクする前に光と音に関する通報のデータをすべて仮設署にも同期してもらえるように要請していた。
結果黒田の予想以上の通報が集まってしまって、統括センターが通常より早く電話回線とサーバーが落ちてしまったのだが、捜査の的を絞る検分には充分すぎるデータが集まっていた。
「ホンマは広域の案件やよってん、合同捜査の手続きせなあかんとこやけど、そこが仮設の脇の甘さじょの」
とても現役刑事のセリフとは思えない独り言を言いながらタバコを消し、二つの地図に描かれた赤と青のドーナツの中心をメモリーしておく。
「確か、高橋智明の付き添いで、西淡湊に住んでる男と西路に住んでる女がおったはずや」
脳内の地図をまた横に流して、ここから先は増井が持っているデータに頼らなければならないので、黒田は立ち上がって喫煙所を出る。
「ちょっとめんどくさなってきたな」
ズボンのポケットに両手を突っ込みながら黒田は階段を駆け下り、H・Bで車の手配を行った。
田尻は自分の勘を頼りにバイクを走らせていた。
真が智明からの電話を受けて自宅に戻ると言い出し、赤坂恭子を送迎する紀夫と別れたあと田尻は真の自宅近くのコンビニ前で待機していた。
真からなにかあった時の備えの意味で頼まれたというのもあるし、バイクチーム
智明が乗っていたバイクは、田尻と紀夫によって洲本市街地から中島病院に移動させていたから、智明がそのバイクで現れる可能性は低かったが、他に身を潜ませる手頃な店もないため、淡路サンセットライン沿いのコンビニでの待機となった。
田尻が智明を見かけた場合は真に連絡する手はずで、田尻が気付かぬうちに真の前に智明が現れた場合は真から田尻に連絡が来る手はずだった。
しかし、待てど暮らせど智明らしき人物は通らず、真からの連絡もないまま、前触れなく雨雲が唐突に晴れ、目玉が破裂しそうなほどの眩い光に襲われ、直後にハンマーで打ち抜かれたような衝撃が音となって全身に感じられ、田尻は意識を失った。
どれほどの時間気を失っていたのか定かではないが、田尻はフルフェイスヘルメットを被っていた幸運に感謝した。
目を焼かれた際に本能的に回避行動をとり、頭をコンビニのウインドウにぶつけていたし、耳をやられてうずくまった所へ爆音の衝撃で割れたガラスが降り注いでいたからだ(田尻は気付いていなかったが、ヘルメットによって鼓膜へ届く音が幾分軽減されていて、鼓膜が破れずに済んでいたのが最大のラッキーだった)
田尻は何が起こったのかは理解出来なかったが、しかし直感的に真と智明が引き起こしたことだろうと判断した。
中島病院で遭遇したゾンビか怪物みたいな生物が智明だとするならば、脈略なく巻き起こった超常的な爆発も、恐らく智明がやったのだろうという憶測だ。
ただこの辺りは田尻の活動している地域ではないため土地勘がなく、コンビニから見上げた方角だけを頼りにバイクを走らせなければならないので、なかなかに骨が折れる。
一旦晴れた雨雲も元に戻ってしまって、雨で視界が悪いうえに濡れた坂道というのはバイクにとってフラストレーションが溜まっていく一方だ。
何度か進んでは戻り、行き止まっては戻りを繰り返し、やっとそれらしい場所に出たと悟った。
田畑の間を縫って山へと登っていく地道なのだが、谷を走る道の両側の山の稜線が不自然に削られて見えた。
先へ進むと木々が一方向になぎ倒されており、雨中にも関わらず蒸気のような煙のようなモヤが立ち上っている。
遂には倒木と土砂で道が塞がれ、バイクでは通れなくなってしまい、仕方なく田尻はバイクを停めて徒歩で進む。
「なんだ、こりゃ!?」
一層濃くなったモヤに黒い影が横たわって見えたのだが、どうやら崩壊してしまった溜池の
なんとか斜面をよじ登って堰きに登ってみると、溜池の周囲が奇麗な円形にえぐられていた。
「なんか、爆弾でも爆発したみたいな光景だな……」
戦争モノの映画だっけ? バトルモノのアニメだっけ?
田尻の頭の中に月のクレーターの様な画像がいくつか浮かんだが、元ネタはハッキリと思い出せなかった。それよりも本来の目的を思い出し、そんなことはどうでもよくなっていた。
「まことぉぉぉぉぉっ!!」
姿が見えないのでとりあえず名前を呼んでみる。返事なり体を動かした気配なりがあれば、真がここにいる証拠になるから捜索する意味がある。
が、目にしている景色が景色だけに、一瞬だけ『死んでたら返事はないよな』と不吉な考えがよぎり、田尻は慌てて頭を振ってマイナスイメージを捨て去ろうとする。
「……そんなのはさすがにお断りだからな」
あえて口に出して否定し何度か真の名前を叫びながら、目を凝らし耳を澄ませる。
「ん? ……あれは?」
右手側の斜面から小石が転がり落ちて来たので目を向けると、倒木や土砂の影に水色の布切れがあるように見えた。
「真! 真だよな?」
ほうほうのていで斜面を進み木々の間を縫って近付いていくと、茶髪にライトブルーのボタンシャツにジーパンを履いた人影が倒れているのがハッキリと見て取れ、田尻は名前を呼びながらさらに近寄っていく。
〈紀夫! 真がヤバイことになってる! GPS辿って俺んとこまで来てくれ!〉
足が滑ったり手を泥だらけにしながら田尻は紀夫にメッセージを送り、倒木を乗り越え、さらに近付く。
茶髪の人影はうつ伏せに倒れているのでまだ顔は確かめられないが、背格好からみて真に間違いないと思えた。
「真! 生きてるな? 死んでないよな? おい真!」
ようやっと傍まで辿り着き、人影を仰向けにさせると、目を閉じ苦悶の表情を浮かべた真だと確かめられた。
田尻は絶えず声をかけながら真の頬を叩き、首に手を当てて生きていることを確かめていく。
「……う、うう……。田尻、さん?」
「真! 良かった。生きてた! なんでこんなことになってんだよ!」
体を揺さぶって頬を叩くうちに、ようやっと目を開けた真に問うが、まだ真は意識が朦朧としているのか苦しそうな声を漏らすだけで明確な返事はない。
「とりあえず、下まで運ぶからな。痛くても我慢してくれよ」
田尻は真に声をかけ、足場が悪い中で真を抱き起こし、紀夫に電話をかける。
――看護師とヤッてる最中でも、さすがに今日は急いで来てくれよ――
中島病院の看護師・赤坂恭子とのセックスの邪魔をすると分かっていても、今の田尻は紀夫を頼るしかなかった。
「美保ちゃんは、マンションで待っててくれると助かるんだがの」
鯨井は助手席のシートベルトを装着したものの、後部座席に乗り込んだ美保を同道させることをためらい、もう一度声をかけた。
「そうよ野々村さん。状況はかなり異常なのよ。安全なところに居る方が絶対に良いわ」
播磨玲美も鯨井と同じ考えのようで、鯨井の軽自動車のエンジンはかけたがまだ発進しないでいる。
「クジラさんが怪我したまま出歩く方が心配だもん。一緒に行きます」
バックミラー越しに玲美を見つめる美保の目は、さながら浮気相手に挑みかかるように厳しい。
――こういう時、女同士って面倒ね――
過去に鯨井と肉体関係があったとはいえ、思わず玲美は苦笑を漏らしてしまったが、自分が美保くらいの年齢の時に同じ状況なら美保と同じ気持ちだったろうと思うと許容せざるを得ないとも思った。
しかし事態は美保が思うよりも異常で危険であるのは間違いなく、病院内で激烈なパワーを垣間見せたあの生物に関わるのだから、美保を安全な場所に遠ざけたい気持ちも確かにある。
なにより、美保はあの生物を見ていないのだから、鯨井と玲美の思惑がきちんと伝わらないことがもどかしい。
「しかしなぁ……」
「危険ならなおさらクジラさんと離れていたくない」
「……鯨井先生」
最終的に玲美は美保の女の部分に共感できてしまったので、鯨井に笑顔を向け、男の負けであることを示した。
「……しゃあないなぁ。その代わり、俺が逃げろって言ったら俺を置いてでも逃げてくれよ。美保ちゃんを道連れになんかしたら、師匠に顔向けできん。……播磨ちゃんもそれでええな?」
「私には大人として、医者としての使命もあります」
「播磨ちゃん。頼むよ」
さすがの鯨井も、ここで女を出さないでくれと玲美に苦笑を見せる。
「分かりました」
「……分かった」
玲美が了承したので、美保も渋々了解したようだ。
なにはともあれ出発の準備は整ったので、玲美はサイドブレーキを押し下げて軽自動車をスタートさせる。
「……まずは、赤坂さんの所へ向かえばいいのね?」
「ああ。例の高橋君だったっけ? 彼の所へ向かうと言ったまま連絡が無いのは気になるからの」
「もう、何かあったと思ってるの?」
「まさか」
玲美も鯨井も赤坂恭子の人となりは把握しているつもりなので、連絡がなくとも無茶なことはしていないだろうと信じてはいる。出発前に玲美も釘を指したのだし、彼女もあの生物と遭遇した被害者の一人なのだ。
ただ、鯨井と玲美が気になっているのは、夕方に瞬いた強烈な閃光と轟いた爆音の発生源が、中島病院から見て西側、つまり赤坂恭子の住む西淡地区の方角だということだ。
玲美の心配を否定した鯨井だったが、医者の悪い癖なのか、最悪の事態をついつい考えてしまう。
「……ところでクジラさん。神戸の研究所にはもう連絡したの?」
「んあ? いや、してないよ」
「え、そんな悠長なことでいいの? 著名な研究者さんなんでしょ? 会えなかったらどうするのよ」
「野々村さん、その心配はないわ」
ちょっと窮屈そうにハンドル操作をしながら、玲美が肩越しに美保をたしなめた。
「柏木先生は研究一筋の情熱に溢れた方だから、結婚もなさらずに研究室で寝泊まりされるばかりか、家政婦を雇って文字通り研究室から一歩も出ない生活をされているのよ」
玲美の説明を聞いて美保は思わず偏屈そうな頑固ジジイを想像してしまい、来なければよかったかもと少し後悔した。
「失敗したかな……。研究一筋の偏屈ジイサンはおじいちゃんだけで充分なんだけど」
「どうかした?」
「いえいえ何も!」
思わず漏らしてしまった本音を笑ってごまかしつつ、美保はもう一つの疑問を口にする。
「でもなぜその先生のところなの? 分析や解析なら中島病院でも事足りるんじゃない?」
「そりゃあ、設備が違うからの。アイテッ」
運転を玲美に任せられるからと、鯨井がリラックスして座席に足を上げたので玲美に容赦なく太ももを叩かれた。
「よいしょっ。……病院と研究室にある機器は確かに最新鋭だけんど、それは病院と大学の研究室レベルの話なわけだ。付け加えるなら、機器と連動させているスパコンもレベルが違うからの」
「スパコン? パソコンじゃなくて?」
パソコンは言わずもがなだが、スパコンことスーパーコンピューターは一般には馴染みが薄い機器かもしれない。
名前の印象から、パソコンの上位機能が付加された高額なパソコンと思われがちだが、そもそもの使われ方からして違うコンピューターである。
パソコンのように画面がアプリのショートカットで埋め尽くされていないし、使用目的は至ってシンプルに演算とデータ解析のみになる。データ解析に特化したものはスーパーAIなどと呼ばれたりもするが、演算に特化したものは未だにスパコンと呼ばれている。
ではなぜ研究施設にスパコンが連動され、H・B化の成った時代でもスパコンが使用されているかというと、扱える桁数と解答までにかかる時間とその精度ゆえ、ということだ。
医療関係の研究室では二百桁の計算などまず必要ないが、物理学や天文学などでは二百桁以上の計算はざらに行わなければならない。
これを人の手と頭で行っていく時間がもったいないし、人の計算能力ではミスも起こるし繰り上げ・切り捨ては大きな誤差に繋がってしまう。
そしてスパコンが大学の研究室や病院に導入されない最大の要因は、性能に見合うだけの値段と場所が必要になる点だ。
精度が高く処理速度の早いパソコンが高額であるように、スパコンも高性能な物は何億という金がかかってしまう。さらに、薄さが売りのパソコンが高額になるように、スパコンも非常に場所を取る。これは処理速度を保つためにパーツの冷却装置を備えなければならないためで、スパコン本体と冷却装置とでサッカーコート一枚分は必要になってくる。
とても企業や財団などが運用できるものではないのだ。
「そ、スパコン。日本で最新鋭のスパコンを使ってるとこなんか三ヶ所くらいしかないからの。そのうちの一番高いやつがあるとこに行かにゃならんわけ」
「それが、神戸なの?」
「そういうこっちゃ」
ナノマシンが骨折の治療を補助しているとはいえ、鯨井は手術から十時間ほどしか経っていない左足を持て余しているようで、しきりに態勢を変えている。
「筑波や京都にも研究施設はあるんやが、そこらへんとはちょっと面識がないし、研究内容もお堅いでの。遠いし時間も惜しい。諸々の点で神戸の柏木センセのとこ一択だわ」
「ふーん……」
堅くない研究内容ってなんだろう?と訝しがりながら、一応美保は相づちだけは返しておいた。
美保の祖父・野々村穂積もそうだったが、医師や学者はあまり同じ分野の専門家と交流することを望んでいないフシがあるように感じてしまう。同じ脳外科の医師同士でも視点や考察に違いがあれば互いに刺激しあえるのだろうが、稀に自論こそが真理であるように突き進むタイプとは、どうしても諍いや溝が生まれてしまう。それを避けようとするとどうしても同分野よりも他分野へと目が向くのかもしれない。
「でも、てっきり鯨井先生ご自身が分析をされると思ってたのに、柏木先生を頼られるのはちょっと意外でしたよ」
美保が黙ってしまったので、玲美が間を埋めるように口を開いた。
「そうかな?」
「そうですよ。ものすごい剣幕で細胞と血液の採取を命じてましたもん」
玲美の言葉につられて美保は後部座席に積まれているクーラーボックスに目をやる。
「そうだったかな? 必死だったから忘れてもうたな」
鯨井は外の景色を眺めながらアゴ髭をボリボリとかいた。
「でもまあ、とりあえずわけのわからんモノを見たから、後で調べたり研究するために咄嗟に思い付いただけやと思うよ。警察だけに任してしもたら、本当のことは俺らの耳目に入って来んからの」
「警察が隠しちゃうってこと?」
興味深そうに美保が助手席に乗り出すようにして聞いてきた。
「警察が科学的にとか医療目線で調べたりはできんよ。だから警察は解明してくれるであろう機関に委託するんよ。そうなると情報は委託されたトコから親分さんに公表の是非を問うわけやな。つまり、大事なことを隠すんは警察やなくて、その親分さんちゅうこっちゃ」
「…………」
鯨井の返答に、玲美は視線だけで批難するが、鯨井は気にした様子はない。
「警察より上の親分さんって何よ」
「決まってるだろ。……国だよ」
「あん、もう。急に安っぽい映画みたいなこと言わないでよ。だから令和世代はって言われちゃうんだよ」
以前に古い映画でも視聴して損をしたことがあるのか、鯨井の芝居がかったタメが気に入らなかったのか、美保は呆れて後部座席に体を戻してしまった。
「そんなにつまらなかったか? ドキドキワクワクするトコだろうよ?」
「そういうとこ、クジラさんとはジェネレーションギャップを感じるよ」
美保の痛烈な批判に思わず玲美は吹き出してしまっていた。
「ふふ。ごめんなさいね」
玲美にまで笑われたことで鯨井はふてくされてまた外の景色に目を移した。
車はちょうど西淡地区の志知川から西路に入り、川を越えて淡路サンセットラインを走っているところだ。
「このあたりのはずだけど……」
サンセットラインから南に折れて脇道に入ったまではよかったが、赤坂恭子の住むマンションの特定には至らず、低速で路地を進んで行く。
「播磨ちゃん!」
鯨井の大声に視線を向けると、交差した路地からバイクが飛び出してきて、玲美もバイクも慌てて急ブレーキをかけてギリギリで接触を免れた。
「あ、あっぶねーな」
「大丈夫か? 当たってないか?」
「……アレ?」
「あら?」
鯨井が窓を開けてバイクの操縦者に声をかけると、操縦者にしがみついていた女が変な声を出した。
その声に驚いて玲美も変な声をあげた。
「鯨井先生? 播磨先生も?」
「赤坂ちゃんこそなんでそんなことになってんだ?」
「恭子、ちょっと」
「あ、そうだね。ノリクンは先に行ってくれていいよ」
事情を確認したい鯨井と玲美に対して、バイクにまたがった少年は気焦りしているようで、赤坂恭子をバイクから下ろして玲美に片手で挨拶をしてさっさと走り去ってしまう。
「なん、なんやなんやなんや?」
「今朝会った少年のようだったけど?」
「事情を話しますから、私を乗せて彼を追ってください」
何が何やら誰が誰やら分からないままの美保に向けて、恭子は窓ガラスをノックしてくる。
「美保ちゃん、頼む。播磨ちゃん、追いかけれそうか?」
「えっとえっと、どうぞ」
「流石にちょっと……。赤坂さん、ナビ出来る?」
「すいません。はい。とりあえず大通りに戻って湊に向かってください。その間に地図を送りますんで」
クーラーボックスを退けたところに恭子はお尻を突っ込み、ドアを閉じシートベルトを掛けてテキパキとメール送信を済ませる。
「……赤いのが目的地で、青いのがさっきのバイクね?」
「そうです」
信号待ちを利用して、玲美は恭子に確認を取り、恭子は明瞭に答えた。
「で、なんであんなに急いでたんだ?」
鯨井が問う。
「今朝の騒動の彼が、付き添いで来てた子と落ち合うという話だったんですけど、どうやらまた変なことになったみたいで、田尻君からノリくんにSOSが来たんです。あ、ノリクンはさっきのバイクの彼で、田尻君ていうのは朝の子の付き添いの一人です」
同じ付き添いなのにノリクンと田尻君の扱いがずいぶん違うな、と少し引きつつ美保は黙って話を聞いていた。
話している間に車はまた路地へ入り、川べりから住宅地を抜けて山あいに向かって緩い上り坂を進んで行く。
「軽で来て良かったのか悪かったのか」
「もっと道が細くなりそうだ。播磨ちゃんの車よりこっちで正解だよ」
鯨井は小回りが利くとか外装の修理代が安く済むことも含めて言ったつもりだったが、玲美は単純に上り坂を上っていかないパワー不足を嘆いただけだ。
「あ! バイクが停まってる!」
両側が上りの斜面しかない細道を進んで行くと、バイクが二台停まっていて、ちょうどノリクンがバイクから下りたところだった。
玲美はバイクから少し距離をとって車を止めると、恭子は無言でドアを開いて駆け出していく。
それにつられるように玲美も車から下りる。
「野々村さんはここに居て!」
ドアを開けて下りようとした美保を、珍しく玲美が命令口調で押し留めて走り出した。
「あ、そっか。クジラさんは行っちゃダメだよ。怪我人なんだからね」
「お、おおう」
今まさにドアを開けようとしていた鯨井は、美保からの先制パンチで行動を封じられてしまった。玲美の思惑通りだ。
それでもバイクが停められている場所より奥を観察しようと、鯨井は態勢を変え頭を動かしてそわそわして見える。
「クジラさん、落ち着いて」
「いや、怪我人がいるみたいだ」
「播磨先生が居るから大丈夫でしょ」
「そうなんだが。……美保ちゃん、さすがにぼっとしてられんよ」
遠くで蠢く人影にとうとう鯨井は我慢できなくなって、車のドアを開いた。
「しょうがないか」
医者としての本分が働いたというよりも、鯨井の研究者としての好奇心が勝ってしまったと美保は理解し、仕方なく鯨井を補助するために車から下りた。
美保に肩を貸してもらいながら地道を歩くのは、左足にギブスを施している鯨井には難儀なことだが、ゆっくりと進むうちに前方の様子を観察することもできた。
斜面と斜面の谷間に渡された堤防か堰きに、両側から肩を支えられながら少年が運ばれてきた。恭子と玲美が駆け寄って寝かせるように指示したようで、少年はその場に横たえられる。
少年達が場所を空けると、すぐさま玲美は少年の状況把握を始める。
「大丈夫か?」
さすがに左足を骨折した状態で堰きによじ登ることはできず、玲美と少年たちを見上げる形で鯨井が問うた。
玲美は一瞬呆れた顔を見せたが、すぐに医者の顔に戻る。
「ええ。擦り傷と打撲が目立つけど、命に別状はないわ。少ししたら立って歩けるようになるはずよ」
「そりゃ良かった。しかしここで悠長に目覚めるのを待つわけにもいかんしな。君らの知り合いに車を出してもらえないなら、救急車を呼んだほうがいいぞ」
「命に別状ないんだろ?」
ノリクンとは違う少年が聞き返してきた。恭子の説明からすれば恐らく田尻君だろう。
「ああ。それでも病院で精密検査を受けるに越したことはない」
「体に異常が出てなくても、打ちどころとか当たりどころというものがあるのよ」
「真くんの無事を確実に確かめるなら、なるべく早くちゃんとした検査をするべきだよ」
鯨井の助言には顔をしかめた田尻だが、玲美と恭子からも諭されたので一応の納得はしたようだ。
「紀夫、そんなアテあるか?」
「チームの誰かに連絡付けばいいけど、俺らは今クビ食らってるからなぁ……」
彼らには彼らの事情があるようだが、鯨井にも予定と用事がある。彼らとゆっくり話したいところだが、そうもいかない。
「播磨ちゃん、赤坂ちゃんが彼らに付き添ってくれるなら、俺らはここを離れてもよかろう。彼らに聞きたいこともあるけど、話ならまた後で連絡取り合って会えばいいし」
「そうね。赤坂さん、落ち着いたらみんなに聞きたいことがあるから、また会ってもらえるかしら?」
鯨井の焦れた様子を察して、玲美もやや飛躍した言い方になったため、恭子は少し警戒した。
「それくらいはみんなも協力してもらえると思いますけど……。何か急ぐんですか?」
「ああ。ちょっと急ぐんだ」
「……あんた、どっかで会ったことないか?」
恭子の問いに鯨井がぶっきらぼうに答えると、真の傍で屈み込んでいた田尻が何かを思い出したように顔を上げた。
「気のせいじゃないか? 美保ちゃん、車に戻ろう」
「あ、うん」
剣呑な声を出した田尻に、鯨井は面倒を避けようと美保を促して車に戻ろうとする。
「ちょっと待てよ! お前、昨夜ぶつかりかけた車のオッサンだろ!」
記憶が呼び起こされた田尻は怒鳴りながら立ち上がって、堰きを飛び降りて鯨井に駆け寄ろうとする。
「なんのことだ? 知らんよ」
田尻の言葉で鯨井も記憶を蘇らせていたが、今ここで話をこじらせるのは得策ではないと考え、シラを切る。
「ちょっと顔見せろよ!」
「何するのよ! 怪我人なのよ!」
鯨井の腕を掴んで振り向かせようとする田尻に、美保が金切り声を上げた。
と、鯨井は周囲の変化に気付いて、そちらに注意を向ける。
「おい、アレはなんだ? 君らの友達か?」
「ごまかすな!」
「田尻、やめろ」
「鯨井先生!」
鯨井と田尻を引き剥がそうと走ってきた紀夫と玲美が叫ぶ中、鯨井の軽自動車の向こう側に停まったワンボックスカーからスーツ姿の男が二人現れ、鯨井達に近寄ってきた。
「警察や! こんなとこで何しとんや!」
警察手帳をかざしながら歩いてくる二人に、鯨井は小さく舌打ちをした。
「面倒だな」
「ヤバイな」
意外なところで同じ感想を漏らした鯨井と田尻は、顔を見合わせたがとても協調しようという雰囲気ではなかったので、美保は小さくため息をもらした。
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