第12話 五月になると彼は




 今ぐらいの時季って、何を着て外に出かけたらいいのか、わからなくなる。

 インナー代わりのTシャツに薄手のシャツだけ引っ掛けて出たら、思ったより涼しい。というより肌寒い。


 もう五月だっていうのに。


 イヤフォンの中で鳴っている曲は、あえてそうしてるんだろうけど、ドラムの音がやけにぐしゃっと汚く聴こえる。悲壮な決意を秘めた女テロリストが、荒涼とした街をひとりさまよい歩いていた映像の一シーンを思い出す。あの場面にはハマっていたけれど、今日みたいに真っ青に晴れ渡った空にはあんまり合わなかったかも。


 今日みたいな日は、どんな恰好をして、何を聴いていればよかったんだろう。


 Tシャツの上にはジャケット? そんなの持っていない。

 それともパーカ? 手近にあるのは冬用のもっさりしたヤツばかり。

 たまには服でも買いに行こうか。


『ヒロは明るい色が似合うと思うよ』ってあの人はよく言ってくれた。

 それなのに、うちのクローゼットにあるのは、黒とかグレイとかこげ茶とか、あと二十年ぐらい経ったら申し分なく着こなせそうな色あいの服しかなくて。


 二年前の誕生日にあの人がプレゼントしてくれたブルーのデニムシャツだけが、今でも目立ってしまっている。

 わざわざ大げさに箱に入れてリボンまでかけてもらって、僕がそのリボンをほどいた後に、『今度の俺の誕生日には、そのリボンを手首に結んで、「僕をあげる」って言ってよ』って笑ってた。


 残念だけど、それは実現しなかった。

「残念だけど」なんて、セリフみたいに言えるようになったんだな、と思う。

 それなのにこんな空を眺めていると、無性にあの人に逢いたくなる。


 冬でも夏でも必ずシャツの袖を二回折り曲げながら、「暑いんだよな。でも半袖は似合わないんだ」って。

 たまにピアノを弾いて聴かせてくれた時の後姿がとても凛々しくて、まっすぐに伸びた背中をいつまでも眺めているのが好きだったし、その背中にギュッと腕を伸ばして抱きつくのも好きだった。


 いつかふざけて隣に座って、弾けもしないのに連弾でもするように躍らせた僕の指を、両手で包んで唇を寄せてくれたことがあった。


 ずっと前に読んだあの小説みたいに、そのままピアノの前で抱かれてもいいと思った。もう、何年前のことだっけ……。……




「……てる? ヒロトくん、聞こえてるかな?」


 ハッと顔を上げて我に返った。

 頬杖をついた姿勢のまま、いつのまにか回想の海を漂ってしまっていた。

 この人の前で、頬杖をつくなんて、そんな失礼なことをしてしまうとは。


「申し訳ありません。もう一度、お願いできますか」


 ちょっと、考え事をしていました。と、理由にもならない言い訳をする。けれどその人は、穏やかな笑みを崩さないまま、大丈夫ですよと言って僕の顔の前に手を差し伸べた。


「もうおしゃべりは十分ですから、そろそろベッドに行きましょう」



 貴方がいなくなった五月になると、僕はこんなふうに夜を過ごすことがある。

 何日か。何日も。

 こんな僕を、貴方は許してくれるだろうか。

 今日みたいな夜は久しぶりに、とても貴方に逢いたい。




 End




 ★お題『凛』『許して』(『呼気』『凛』『許して』のうち二題使用)


 タイトル「五月になると彼は」は、サイモン&ガーファンクルの曲名をヒントに。

 文中でイヤフォンから聴こえてくる曲はキリンジの「アルカディア」でした。たしか。



 ♯一次創作BL版深夜の真剣60分一本勝負 2017年5月参加作

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