~千年恋歌~ 奇譚 大江山鬼草子

丹下ステラ

プロローグ 【焔の行方】


 万寿ニ年 (西暦1025年)。

 丹後国と丹波国の国境、大江山千丈ヶ嶽──過去、三度もの鬼退治が行われた山。


 闇に包まれる木々の間を、一人の少女が駆け抜けていく。肩に刻まれた裂傷からは止めどなく血が流れ落ち、時折痛みからその表情を歪めながらも、少女はその疾走を止めることはない。


 少女の名は、名雪なゆき

 源頼光四天王の一人 渡辺綱の綱の養子にして、京の夜を守る者──“検怪異使けがいし”の一員だ。


――――――――――――――――――――――――――――――


 事の発端は、近隣住民の間に広がった噂話だった。


 『大江山に鬼が隠れ潜んでいる』


 取るに足らない流言だと思えたそれは、住民の失踪事件の発生とともに確かな異常として京へと伝わった。

 報告を受けた検怪異使は、組織内でも手練として名高い名雪に調査を命じ、数名の部下ととも大江山へ送り出した。

 

 『大江山の実情を探り、必要とあれば再調査や改めての討伐を行う』


 そのような意図による、言わば事前調査に過ぎない容易な任務。


 だが、大江山に到着した彼女たちを迎えたのは、鬼達による“奇襲”だった。


――――――――――――――――――――――――――――――


 木々の間を走り抜けながら、名雪は先程の光景を思い出す。


 山中、突如として巻き起こった暴風雨。驚愕する部下達は姿の見えない“敵”の攻撃で、次々と殺されていった。

 ただ一人名雪だけが、不可視の斬撃を避け切り、暴風雨の外へ飛び出すことが出来た。


 強敵から切り抜けたという小さな達成感と、部下を助けられなかったという罪悪感。相反する感情を噛み締めながら、都に向けて走り続ける。


 ──伝えなくてはならない。大江山に救う鬼の存在を。


 この事実と情報を、都へと届ける。それができなければ、この場で散った部下達の死も、無意味なものに成り果ててしまう。

 検怪異使の優秀な後輩達──明葉あきはや“今晴明いませいめい”と謳われる玉響たまゆら──が協力してくれれば、あの鬼達にも対抗できるかもしれない。

 

 (とにかく、今は生きて都に辿り着かないと……!)


 そのように抱いた希望を、進むべき道を。ふたつの影が妨げる。


 「──ッ!」


 泥濘んだ地面を蹴り、疾走の勢いを殺す形で影たちと向かい合う。

 

 ひとつ。褐色の肌、全身に入れ墨を彫り込んだ小柄な少女。

 ふたつ。白磁の肌、波打つ黒髪の大柄な女性。


 そのどちらにも、頭部に人外を──“鬼”を表す角が屹立していた。

 

 鞘から刃を抜き放ち、鬼の出方を伺う。

 鬼達は名雪を感情の読み取れない目で見据えながら、厳かに名乗りを上げる。


 「大江山四悪鬼おおえやまよんあっきが一角、酒呑童子しゅてんどうじ


 「……同じく、茨木童子いばらぎどうじ


 「酒呑童子に、茨木童子だと……!」


 思わず声が上ずる。酒呑童子も茨木童子も、三十年前に名雪の養父達が戦った大江山の悪鬼──討伐されたはずの鬼の名だ。


 「悪鬼め、地獄から黄泉還ったとでも言うのか!」


 「ああ。ゆっくりと眠っていられるほど、現世コチラは静かでもなかったのでな」


 名雪の恫喝にそう嘯きながら、酒呑童子が一歩前へと踏み出す。

 

 「抵抗はやめろ。歯向かわぬのなら、殺しはしないさ」


 「……ほざくな、鬼!」


 後方に控える茨木童子の言葉を切って捨てながら、思考を巡らす。

 敵は二人。そのうえ、どちらも今の自分が遠く及ばない正真正銘の怪物オニ。勝算は欠片ほどもなく、逃走すらも困難であろう。


 (──渾身の一撃を叩き込み、相手が怯んだ隙に突破するほか道はない)


 深く息を吸い込み覚悟を決めて、右手に持つ刀、その刃の上に左の指を走らせる。僅かな痛みとともに、流れ出た血が刀身を赤く染め上げ


 ──その血が、油のように燃え上がりながら刀身を炎で包む。

 

 “焔太刀ほむらだち”。

 

 名雪の異名であり、切り札。養父 綱から学んだ剣技と、自ら研鑽を重ねた陰陽術の融合。幾体もの鬼を滅し、京の闇を払ってきた絶技。  


 「検怪異使“焔太刀”の名雪──参るッ!」

 

 地を滑るような疾走。焔の尾を曳きながら、酒呑童子の懐へ飛び込む。酒呑童子の視線が名雪を追従する。

 ──だが遅い。

 酒呑童子の体勢は、両の腕を身体の横へと下ろした無防備なもの。そのような構えでは、こちらの斬撃に間に合わせることなど出来はしない。


 「貰ったッ!」

 

 踏み込んだ鬼の懐。裂帛の気合とともに、焔の斬撃は鬼の胴に叩き込まれ


 ──鈍い音とともに、その表面で刃を止めた。


 「──ぁ」

 

 驚愕とともに固まる思考、そして伸び切ったまま動きを止めた名雪の身体。必殺の斬撃を受けたはずの鬼は、無造作に名雪へと拳を振り上げ


 ──肉と骨が砕ける音が、響き渡った。

 

――――――――――――――――――――――――――――――


 数刻後。


 平安京 羅城門らじょうもん

 朱雀大路の南端、平安京における正門──三十年前の暴風雨により倒壊し、再建されることもなく放置された廃墟。その僅かに残された礎石に、名雪は背中を預けるようにして座り込んでいた。


 「ぁ、ぐっ……」


 腹部には深い傷口──否、それは傷と呼ぶにはあまりも大きすぎる。下腹部は大きく抉られ、血と肉の間から砕けた肋骨の欠片が顔を覗かせていた。

 

 (胴体が千切れなかったのは幸運だったな……)


 あの後、酒呑童子の一撃を食らった名雪は致命傷を負いつつも戦場から離脱。追撃を振り切ったものの、京の目前──この羅城門で力尽きたというわけだ。


 流血で意識が揺らぐ。先程まで辛うじて動いていたはずの脚は、僅かにも動かせないばかりか、その感覚すらも失われている。

 もはや、自分はどうあがいても助かりはしないだろう。だが、そんな自分にも出来ることが──やるべきことが残っている。


 周囲に広がる血溜まりに指先を浸し、近くの壁石に押し当てる。震える指先の軌跡は、やがて血で記された文章として完成する。

 大江山の調査隊の末路。遭遇した鬼達の名前、その能力。ここで死に逝く自分に代わり、あの鬼達と戦うであろう者への“遺書じょうほう”が。


 しばらくして、辛うじて動いていた右腕は、その力を失って血溜まりの中へ墜落する。視界は既に暗く、自分が目を開けているか閉じているのかすらもわからない。

 徐々に薄れゆく意識の中で、脳裏に浮かぶのは大切な家族の姿。


 厳しくも優しい養父。

 真面目で騙されやすい義妹。


 二人の、笑顔。 

 

 「ちち、うえ……、なゆき、は……」


 伸ばした手の先、二人は優しく微笑んで──




 ……、……、……。



――――――――――――――――――――――――――――――


 翌朝。羅城門の近くを警邏していた検非違使けびいしの一団が、礎石に刻まれた血文字を発見した。

 内容は大江山に潜む鬼の一団についての詳細な報告書。情報は検怪異使の幹部へ届き、各所への連携・対応が行われる切っ掛けとなった。


 血文字の側には、複数の野犬の足跡と血まみれのが残っていた。

 

 ──決死の覚悟で大江山の情報を遺した少女の死体は、ついに発見されることはなかった。


 程なくして幕を開ける『大江山四度目の鬼退治』──その数日前の出来事である。

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