第26話

皆で手分けして効率良く作業を進めたおかげで、それから1時間程で稲刈りは終わった。


手を洗い終えたライオネル王が、私の前に立ちはだかる。

目の前に見えるのは、王の逞しい胸板で・・・。


何故だか目のやり場に困ってしまった私が、視線を下にそらすと、今度はそこに、ゴツゴツとした大きな手が伸びてきた。


「な・・あ、ごくろうさまでしたっ」と私は言って、濡れた手と汗を拭くタオルを、ライオネル王に渡した。


・・・そう言えば私、タオルを持っていたんだった。

と言うより、命綱のように握りしめていた!


私は、ニヤニヤするライオネル王の顔から、引きはがすように視線を外した。


「あのっ。貴方のおっしゃる通り、稲刈りは私には無理です・・・あ。あった。はい、ブラウス。今すぐ着てくださいっ!」

「暑い」

「風邪を引きますよ」

「俺は頑丈だ」

「それは・・・見れば分かりますが・・・でも筋肉は減らさなくても、そのままで十分・・・」

「何だ?クイーン。聞こえんぞ」

「いや別に!」と慌てて言いつつ、「実は聞こえていたくせに」という意味を込めて、私はまだニヤニヤしているライオネル王を一睨みした。


「ちゃんと汗を拭いてくださいね。えっと、あなたのブーツは確かこの辺りに・・・あーっ!!」

「どうした、ディア」

「ぃやっ、そのっ・・」


咄嗟に手を伸ばした私よりも、ライオネル王の方が素早かった。


ライオネル王は、左右両方の爪先が見事になくなった自分のブーツを目の前に掲げ持つと、それをしげしげと眺めた。


これができたのは、いや、これをしたのは、もちろんしかいない・・・!


ライオネル王は、そのブーツを無造作に地面に落とすと、いつの間にか私たちの傍に来ていたウルフを、すぐさま抱き上げた。


右手だけで。


この人、ウルフの粗相に怒っているのよね。

まさかとは思うけど、この場でウルフを「処刑」するつもりじゃ・・・!


眉間にしわを寄せ、無言でウルフをじーっと見るライオネル王は、正直言って怖かった。

ウルフもそう感じているのか、最初は嬉しそうに尻尾をふっていたけれど、今は耳も尻尾もだらりと下がった状態で、キューンと小声で吠えながら、怯えた上目で王を申し訳なさそうに見ている。


和気藹々と話していた周囲は、シーンと静まり返っていた。

自分の鼓動が、誰かの固唾を飲む音までもが聞こえてきそうだ。


その時ライオネル王が、空いていた左手を、ウルフの方へスッと伸ばした。

私は阻止するように手を伸ばしたけれど、またしても王の方が早かった・・・。


どうしよう・・・。

それでもライオネル王を止めなければ!


「やめて・・・っ!」

「・・・どうやらブーツは噛んだだけで、食べてはいないようだな」

「・・・え」


ライオネル王は、左手でウルフの首、ではなく、口を開けて中を見ていた。


「もし食べていたら、吐き出させないといけないだろう?」

「え・・・えぇ、そう、ですね。でもこの子は、ブーツは食べ物じゃないと分かっているようで・・・どうやら貴方のブーツが気に入ったようです」と私が言うと、ライオネル王はハッハッハッと豪快に笑った。


その瞬間、周囲にホッとした空気が流れ出す。


さっき、ウルフの口を開けていた手つきもそうだったけれど、「狙い噛みか?ん?」とウルフに聞くライオネル王の声も、ウルフを見る王の目も、限りなく優しくて。


何故か私の胸の鼓動がドキドキと忙しなく、早く響いて、鳩尾周辺がキュンと疼く。


「だが毎回俺のブーツを噛まれるのも困るしな・・・クイーン」

「あ・・はい?」

「小犬専用の噛む玩具というのはあるのか」とライオネル王は聞きながら、ウルフをそっと下ろした。


ウルフはキャンキャン吠えながら、ライオネル王と私の足元を、ウロウロ歩いている。


「うーん、そうですね・・・骨、とか?」と私が言うと、「枝も良いですよ!」と周囲から声が上がった。

そこから、「これも良いのでは?」「今から創りましょうか?」と、方々から意見が飛び交う。


その場をまとめる十分な威厳を持ち、大柄な体躯ながら、とても繊細で優しい触れ方をされて・・・またしても、ライオネル王の意外な一面を見せられた気がする。


私は密かにフゥとため息をつくと、ウルフを殺そうとしたのではないかと、一瞬でも疑ってしまってごめんなさいと、心の中でライオネル王に謝罪した。














「・・・何だ、マーシャル」

「いやいやっ!犬に噛まれたサンダルみたいなブーツ履いてても、ライ王にはじゅーぅぶん威厳ありますから!」

「それにしてはさっきから笑いをこらえているようだが」

「しょーがないっしょー?俺の視界にバッチリ入っちまうんすよー」とマーシャルが言ったとき、隣に座っているレイチェルが、さりげなくマーシャルに肘鉄をした。


「ぐわっ!いででで何すんだよアダムスッ!」

「ほんの1分でいいから、おとなしくしてよ」


二人がまた言い合いを始めそうになったので、すぐさま私は「もしサイズが合うのなら、喜んで私のブーツを貸したのですが」と言った。


すると、私の向かいに座っていた二人は、言い合いをピタッと止めただけでなく、ギョッとした顔をした。

しかも、隣に座っているライオネル王も、何となく・・・一瞬だけ、そういう顔をしたような気がする。

一体何故・・・?


理由が分からない私は、キョトンとした顔でライオネル王を見た。


「たとえサイズが合っても、俺がおまえのブーツを履く事はない」


そう言ったライオネル王は、怒っている様子はなく、むしろ・・・笑っている。

そして、王の大きな右手は、馬車に乗った時からずっと王の膝上にいるウルフを、優しく撫でたまま。


「そうっすよ王妃様。そんなことしたらライ王死にますよ!」

「・・・え?」

「 やはり王妃様はご存じないのですね。ロドムーンや近隣諸国区域では、“他人の靴を履く者は、近いうちに死ぬ”という迷信がありまして」

「まあっ!」


・・・それで誰も「ブーツを貸しましょう」と言わないどころか、貸そうともしなかったのか・・・。


「ごめんなさい!もしそのことを知っていたら、私も“貸しましょう”なんて言わなかった・・・」

「分かっておる」とライオネル王は言った後、私に顔を近づけた。


そして、「相変わらずおまえには殺気が無いからな」と、私の耳元で囁く。


思いきり体がビクンと跳ね上がった私は、それをなだめるように、自分の胸に左手を当てると、抗議の意を込めて、ライオネル王を睨み見た。

そんな私の視線を、王は涼しい顔で、容易く受け止める。


「王妃様の国では、その迷信ないんすか?」

「ええ、ない・・と思う。私、今初めて聞いたから」

「あれはグルドとキセロ族に伝わる迷信よ」

「あぁそっか」

「今回の件は、“いざという時の備えを怠るな”とこいつが教えてくれた。次回からは予備の履物を持って行く事にしよう。だが、靴や服は二度と噛むなよ」とライオネル王が言うと、ウルフはそれに答えるようにキャンと一吠えした。


そんな光景を見聞きしながら、つい私の顔に笑みが浮かんだ矢先。

隣のライオネル王がふと体を揺らした。

途端、ウルフが私の膝に移動するのと同時に、またしてもライオネル王が私の肩に頭を預け置いた。


「眠りますか?」

「ああ。重くないか」

「いえ、大丈夫です。私は起きていますので」

「王宮に着くまで30分程・・・」


きっと稲刈り作業で体を動かしたから疲れたのだろう。

最後に「寝る」言った時にはすでに、ライオネル王は眠り始めていた。


「王妃様はお眠りにならないのですか?」

「ええ。眠くないし」


・・・仮に眠たくても、馬車内で眠らない方がいい。

だって今眠ったら、夜ぐっすりと眠れないから・・・。

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