第11話
「・・・だと思うか?マイ・ディア」
「・・・え」
一歩後ずさった私は、どことなく腰が引けた状態のまま、瞬きを何度かしながらライオネル王を仰ぎ見た。
やはりこの人、大柄で威圧的・・・でも恐怖心を感じないのは、王から優しさを感じるから・・・?
「グルドの男が皆、大柄で屈強な体躯をしているわけではない」
「そ、そう、ですよねっ。でも、貴方様はその・・何故魔王と呼ばれて・・・」
意外にも、ライオネル王は、端正なお顔をニヤニヤさせながら、「そのうちおまえにも分かるだろう」と言った。
・・・言いたくないのかしら。
それにしては、何かこう・・面白がっている表情を浮かべているような・・・。
まさかこれも戯れ?!
それとも・・・この人は、本当に人間ではなくて、“魔王”なの?!
そんな不安が、思いきり顔に出てしまったのを、ライオネル王が見過ごすはずがない。
王はニヤニヤしていた顔を引き締めて真顔になると、私をひたと見据えた。
不意にライオネル王が、私の方へ手を伸ばしてきた。
なす術もない私は、ただ首を竦めて両目をつぶる事しかできない!
あぁ!ここで私は殺されるんだ・・・!
「目を開けろ」
「・・・え」
低く落ち着いた、ライオネル王のいつもの声音に安堵した私が目を開けると、目の前には真摯な面持ちをしている王の顔があった。
ライオネル王は、「俺が怖いか?マイ・ディア」と私に聞きながら、止めていた手を伸ばして、そっと私の頬に置いた。
私は目を開けたまま、そして王から視線を逸らさずに、王の手を頬に受け止める。
大柄な体に繊細な動き。
そこには相手に対する気遣いがある。
たとえライオネル王が「魔王」と呼ばれていても、安易に人を殺すような御方ではない。
いつの間にか私の中に、王に対する信頼感が芽生えていた。
「いいえ。怖くはありません」と言葉で答えてはいないものの、私の態度を返事とみなしたのだろう。
ライオネル王は、フッと笑って親指で私の頬を優しく一撫ですると、私から手を離した。
「己の我欲を膨らませ、邪な考えに取り憑かれている“魔者”は、確かにこの世に存在するだろうが、所詮そ奴らとて人間であることには違いない。当然ながら俺もれっきとした人間だ。大体、この世に“魔王”など存在せぬ」
「あ・・・そ、うですよ、ね・・」
至極もっともな論をライオネル王に言われた私は、あっさりと納得した。
王ってすごく賢い人なのかも・・・いや、実際賢い人に違いない。
賢くなければ、この若さで大国の王として君臨する事はできないだろうし。
「まだ肖像画を見たいか?」
「え?ええ。はいっ」
「では行こう」
何事も無かったかのように歩き出したライオネル王の大きく広い背中を追いかけるように、私も歩き出した。
「この御方はもしや、貴方様の御母様では?」
「ああ。バーバラ・クレイン前王妃。俺の母上だ」
さっき私がモデルになっていた時と同じようなポーズで、かすかに微笑みを浮かべているバーバラ様の胸元には、ライオネル王から頂いたブラックオパールのネックレスが描かれている。
それだけではなく、バーバラ様のお顔立ちは、レオナルド様程ではないけれど、どことなくライオネル王に似ているから、王のお母様だとすぐに分かった。
「こげ茶色の髪に琥珀色の瞳・・・バーバラ様はとても綺麗な御方ですね」
「ああ。母上は、香水をつけていなくても、花の香りが漂うような女性だった。植物、特に花が好きだった母上は、庭園の花壇の手入れをすることに至福の喜びを感じていた。花に話しかけている嬉しそうな様子は、母上が亡くなって10年経った今でも鮮明に思い出すことができる」
「そうですか・・・」
バーバラ様の肖像画を見つめながら話すライオネル王の横顔は、母親を懐かしむ気持ちと、寂しく思う気持ち、どちらも現れているように、私には見えた。
ライオネル王は、母親だけでなく、父親も亡くされているのだ。
私も母を亡くしているし、父は・・・生みの父親は、“魔者”のような人だから・・・育ての親であるフィリップが、私にとっては父親で。
フィリップはまだ生きているけど、それでもフィリップに会えなくて寂しく思う気持ちはある。
悲しみを共有したくて、気づけば私は、逞しい王の腕に、そっと手を添えていた。
「どうした、マイ・ディア」
「あ、の・・・貴方様のお気持ち、お察します」と私が言うと、ライオネル王はフッと笑った。
そして、「俺が“魔王”でもか?」とからかい口調で私に聞き返す。
「強そうな見かけをしている男性も、親を恋しがったり寂しく思う時はあります。それに、貴方には優しさがありますから。少なくとも貴方は、無感情で冷徹だから“魔王”と呼ばれているのではないと私は思います」
ライオネル王には分かってほしくて、つい必死な口調で自分が思っていることを言ってしまったけれど、そんな私を王は邪険に扱うこともなく、口元に笑みを浮かべた。
「俺がこの見かけによらず、意外にも優しいのは、キセロ族である母上のおかげかもしれん」
「え?・・と言いますと」
「キセロの外見は、グルドと区別がつかぬほど似ているが、グルドよりも温厚な性格の持ち主が多いと言われている。だからと言って、グルドの者全員が冷酷だと言うわけでもないんだがな。この辺りの国の者は、グルドとキセロの2種族が大半を占めている。だから俺のように2種族の混血者も多いし、そいつらの中には、俺より優しい心の持ち主もいれば、俺より冷酷な奴もいるだろう」
「結局のところ、性格は民族ではなく、人それぞれ違うと言うことですよね」
「ああ。そうだな」
・・・“意外”ではなく、ライオネル王は本当に優しいと思う。
王の低い声音を聞くと安心するし、今みたいにニッコリした笑顔を向けられると・・・ドキッとするし・・・良い意味で。
そんなことを思っているなんて悟られたくなかった私は、ライオネル王におずおずと微笑みかけた。
ライオネル王は、こげ茶色の瞳で私をじっと見ている。
その視線はまるで射抜くように鋭くて、静かな空間の中に激しさがあるようで。
この場が急に狭くなったような、蜜な空間にいるような・・・ここにいるのは、王と私の二人だけなのだと、急に意識せずにはいられなくなった。
「おまえは・・・」
「はい?」
私の方へ手を伸ばしたライオネル王は、その手を止めると、また歩き出した。
何かをふり切るようなその仕草のおかげで、私たちの間に出来ていた空気が、悪い方向に変わったような気がする。
何となく近寄りがたい雰囲気を感じた私は、ライオネル王の一歩後ろをついて行くように歩いた。
「俺が幼少の頃、領土をめぐる争いが世界中で繰り広げられていた」
「え?あぁ・・・確か20年程前まではそうでしたね」
この人は一体、何を言いたいのだろう。
王の低い声音は相変わらず落ち着いているけど、今はどうしても恐怖を感じてしまう。
「大戦は20年前に終わったが、その後もこの辺りでは、まだ小競り合いが続いていた。そういう
そう言ったライオネル王がクルッと私の方をふり向いたので、余計驚いた私は、胸元に両手を置いて、ハッと息を呑んだ。
「おまえに一つ、助言をしてやろう」
「な、なん・・・」
私の方へグッと身を乗り出したライオネル王に怯むまいと、その場に踏み留まったものの、私の両眼は恐怖で大きく見開かれ、体は小刻みに震えているのが、自分でも分かる。
あぁ、私は・・・王から「助言」を聞いた後、ここで殺されるんだ・・・!
「おまえには王妃としての資質や気品が十分あるが、おまえは他人になりきれていない上に殺気が足りぬ。と言うより皆無だ。おまえより・・サーシャと言ったか?ラワーレからついて来た侍女。本当にあの女が“侍女”なのかは非常に怪しいが。とにかく、おまえよりもサーシャから殺気を感じるくらいだからな。そんな事ではこの俺を殺すことなどできんぞ」
・・・私がジョセフィーヌ姫ではないとバレていた。
それだけではなくて、私がライオネル王を殺そうとしていることも、王はとっくに見抜いていた!
やはり私は、今すぐこの場で殺されてしまうんだ・・・!
無意識に後ずさっていたけれど、ライオネル王との距離は全然縮まらない。
結果、肖像画と反対側の壁に追いやられただけだった。
せめてもの抵抗・・・にもならないけれど、私は両目をつぶった。
でもそうすると、顔の両側に置かれた王の手や、屈強な体から発せられる熱や息遣いを、余計感じるだけで・・・あぁ!それでも目を開けるのは、怖くてできない!
「おまえが何者なのかは調べればすぐに分かる。だがそれはつまらぬ。それに俺は意外にも優しいと、さっき言ったばかりだ。よって、もう暫くの間はこの“ゲーム”につき合ってやろう」
「・・・へ・・・」
恐る恐る目を開けた私は、すぐ間近にいる王の顔を見た。
そのお顔は「その“ゲーム”、受けて立とう」という楽しみ?そういう表情を浮かべているように見える。
とりあえず、私は今すぐこの場で殺されることはない、のよね・・・?
ホッとしたのも束の間、ライオネル王がニヤッとした表情のまま、さらに私に近づいたので、私の心臓がドッキーンと跳ね上がった。
「俺を殺したければ、まずはサーシャに殺されないよう、気をつけろよ。マイ・ディア」
「はっ・・そ、そん、な・・滅相もない。貴方こそ・・殺されないよう、気をつけてくださいね」
「助言に感謝する。マイ・クイーン」
ライオネル王は、私から離れると歩き出した。
そして、2・3歩歩いたところで止まると、「ここを真っ直ぐ歩いて右に曲がれば庭園に出る」と言って・・・今度はそのまま歩いて行ってしまった。
今でもライオネル王を殺す機会はあったと思う。
それより私がライオネル王に殺される機会の方が、たくさんあったはずだ。
どちらにしても、あの屈強な王を殺すなんて・・・いや、フィリップの言う通り、人を殺める事自体、やっぱり私にはできない!
コツコツと響くライオネル王の靴音を聞きながら、私は泣くのを必死にこらえて、出口へと歩き出した。
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