第46話 恥じらいもなく愛を語ろう
ただ、ジュンが古依の膝に手を置いた時。
そっとその上に自分の手を重ねてあげた。
「どうぞ。インタビューを進めてください」
顔を上げ、ジュンの方から
「では・・・ジュンさん。あなたにとって『小説』とは?」
「はい。わたしが頂いたささやかな文学賞の授賞式でスピーチした通りです。ごく普通のひとたちの個人的な苦悩を決して切り捨てずに、必ずそれを小説によって救う。それがわたしにとっての小説です」
「できるの?」
「できます」
ここへ来て
「甘いですね」
「と言うと?」
「だって、全員が全員才能あるわけじゃないでしょう?読者一人一人にしても社会で仕事のデキる人とデキない人が居るわけでしょう?」
「確かにそれは現実としてそういうことがあるかもしれません。でも、考えてみてください。田辺さん、あなたは相当仕事がデキる女性だと思いますが、違いますか?」
「さあ。どうですか、片瀬さん?」
「田辺クン。キミは間違いなくウチの編集でトップレベルの有能さだよ」
「ありがとうございます。だ、そうですけど、ジュンさん、それで?」
「田辺さん。もしあなたが認知症になったら、それってどうなんですかね」
「は?」
「あなたがもう少し年齢を重ねて、それで認知症になったら・・・あなたはそれでも『仕事がデキる人』なんですか?」
「詭弁よ」
「いいえ。事実でしょう。それとも田辺さんは歳を取らないとでもおっしゃるんですか?」
「・・・取りますよ。でも、わたしは認知症には多分ならないわ」
「なぜ」
「常に努力してるからよ」
「なんの努力ですか?」
「仕事のために常に情報を仕入れ、分析し、記憶し、作家さんたちの創作の手助けをしてるわ。才能に満ち溢れた作家さんたちに決して負けないような、わたし自身が才能を持って編集の仕事をしているという自負があるわ」
「それと認知症にならないことと因果関係がありますか?」
「片瀬さん!」
田辺はジュンに対してではなく、上司である片瀬に甲高い声を上げた。
「やめましょう、片瀬さん。本当に真性の中二病で根っこからのアンダーグラウンド小説家だわ」
「論破できないキミの方が頭が悪いってことだ」
『頭が悪い』という片瀬の一言で田辺の顔面が蒼白になる。
ブルブルと頬の筋肉が痙攣している。
その田辺を放って置いて片瀬はジュンに語りかけてくる。
「ジュンさん。あなたは頭がいい。ウチの田辺を言い負かすとは」
「わたしは頭が良くはありませんし、わたしの考えを言っているわけでもありません。事実をそのまま言っているだけです」
「諸行無常に生老病死か。あなたは仏教徒?」
「特にそういうわけではありません」
「ふうん。まあ、死ぬか死なないかって言われたら全員死にますわなあ。それを言われちゃ議論にもならない」
「議論するつもりはありません」
「・・・ジュンさん。甘くみて貰っちゃ困るよ。あんたが発信した短編小説によってウチの会社が推してる文学賞が著しく権威失墜の憂き目に遭いそうで迷惑してるんだよ。どうしてくれんだよ」
「わたしはそのまんまを書いただけです」
「それが迷惑だ、ってんだよ。文章書いて生きていくつもりならそれなりの振る舞い、ってもんがあるでしょうが」
「おい。片瀬さん」
「なんだ、古依さん」
「文学の話でもなんでも無くなって来たから俺も発言していいですか?」
「いいよ。聞くだけ聞くよ」
「この取材の企画、破棄したらどうでですか」
「ほう・・・自ら負けを認めるんだな」
「何言ってるんだ。不利になってるのはそちらじゃないですか」
「文字を起こすのは、我々だ」
「あんた・・・」
「お前みたいな小僧にあんた呼ばわりされる覚えはない」
「・・・あんただって俺のこと『お前』って・・・」
「古依くん」
混沌とする男女四人の場を制したのは、けれどもやっぱりジュンだった。
「古依くん、ありがとう。来てくれて本当に嬉しい。片瀬さん」
「なんですか」
「・・・さっきわたしが田辺さんに言ったこと、あれはわたし自身も恐れてることなんです」
「ふん。だから?」
「わたしも今はこうして文章が書けています。でも、わたしにしたって来月には20歳になって、その内に30、40、50歳となって・・・『人生僅か50年花に譬えて朝顔の露より脆き身を持って・・・』」
「それ、あんたが考えたの?違うよね。受け売りだよね」
「はい。わたしなんかでこんなこと到底考えつきません。わたしが以前取材させていただいたケアマネージャーさんが教えてくれました」
「ケアマネ、ね」
「その人は大勢の人を救い続けています。でもその人でさえ自分は無能だ、って悩み苦しんでおられるんです。介護の現場で本当にこれでよかったんだろうか、って。そしてご自身もいずれ体が動かず、脳も動かず、っていう風になっていくだろうって」
「それで最後は死ぬ、と」
「その通りです、片瀬さん」
「俺らだって分かってるさ。俺にしたってガキの頃から小説読んで育ってるんだ。あんた、大江健三郎の小説好きなんだろ?俺も学生時代に貪るように読んださ。決して傍観者になどなるものか、と決意したさ」
「なら、どうしてそういう作品にチャンスを与えないんだ」
「古依クンよ。だから甘い、って言うんだよ。俺だって賞に応募してくる小説読んで、こいつは凄え、って思う奴いっぱいいるよ。本気で命賭けて書いてるって思う奴いっぱいいるよ。でも、それが果たして売れるのか?ええ?俺らの食い扶持稼げるのか?そいつの小説でよ?」
「知るか。それをやるのが編集の仕事だろう?」
「お前はやっぱり青臭え学生だよ。ジュンさんもそうだよ。いっぱしの小説書いてるつもりかも知れねえが、誰にも届かないよ、そんなもん」
「いいえ。届けます。必ず」
ジュンは、ひとことそう言うと、自分の手に重ねて置かれている古依の手に指を絡めて、溢血しそうなぐらいに硬く握った。
「わたしは隣に居る古依くんが好きです。恋人、ってだけじゃなくて、わたしの伴侶だと、同志だと思います」
「・・・言ってて恥ずかしくねえか?乳繰り合ってんのか?」
「片瀬さん。微塵も恥ずかしくありません。だってそもそもわたしは小説を書いて、それを皆さんに読んでいただいているんですよ?わたしの愛する人に愛してる、って真正面からストレートに言うことぐらい、まったく恥ずかしくありません」
「ふうん・・・そうかい。で?どうするんだ、アンタらふたりは?」
「古依くんさえよければ結婚したい、って思っています」
古依はジュンの顔を見る代わりにジュンの指が千切れるぐらいに握り返した。
片瀬が、はあっ、と大きな息をついて、レコーダーを止めた。
「分かったよ。勝手にしろ。勝手に生きて結婚でもアングラ小説でもなんでも書けばいい。取材は無かったことにする」
「それじゃあ困ります、片瀬さん」
今度こそ古依はジュンの顔を見た。
目を開いて、ジュンの横顔から見える唇の動きの続きを追った。
「わたしは今の取材の中で、自分の小説の核心となる事項をいくつか述べました。是が非でも掲載していただかないと困ります」
ジュンはそう言って取材用に着ているスーツのポケットからヴォイス・レコーダーを抜き取り、テーブルの上にことり、と置いた。
片瀬は音声ならばいくらでも本人ではないと主張できると胸算用した。だが、ジュンは更にもう片方の掌で、自分の肩の後ろを指し示す。
その先にあったのは、パーテーションのボードにくっついた金属製の小さな突起だった。
「カメラも、動いてます」
会ってから初めて片瀬の表情が変わった。ジュンはそれでも淡白に続けた。
「授業料分だけは、大学はわたしを守ってくれるみたいです」
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