第43話 最大公約数と闘おう

 ジュンはそういう意図は全くなかったのだが、ジュンのフォロワーたちによって神輿に担がれてしまった。

 主に神保町で黒木くろきからまるでブローカーから密輸品を買うようにして時間当たり幾らで小説を買う神保町の住人たちがそれだった。


 ジュンは神保町の住人たちのために短編を書いた。


 タイトル:リアリティのカケラも無いのか

 作者:ジュン


 玉子が一個、台所のステンレスの天板の上に転がっている。

 これを介護が必要な実母と肉体的介護は不要だがメンタル面での介護、つまり老人性うつに対する介護が必要な姑との両方の朝食を作るに当たっての二者択一を迫られていた。


 どちらを玉子抜きの朝食にするか。


 玉子のストックを切らした自分が悪いのは十分承知しながらも、そもそも両方の旦那ども、つまり実父も舅も自己実現のための社交か女遊びかという理由はもはやどうでもよいが、とどのつまるところは酒をかっくらい不摂生であったという点では両者とも50歩100歩の男どもが死によって早々と自分の配偶者の下の世話や食事の世話といった扶養義務を離脱し、残された実母と姑の両方ともを娘であり嫁である自分が、施設も使わずに在宅で、介護しなくてはならないのは姑に関しては100歩譲って義務だとしても、少なくとも実母に関しては自分よりも扶養義務履行の優先度が高いはずの兄夫婦が「自分たちは10年前に父さんと母さんを山にあるホテルへ泊まりがけで連れていった時に出した宿泊代やレンタカーの費用なんかで孝行して扶養義務の履行はもう終わってるから」と?????????????????????????????????????????と疑問符を無限につけ続けなくてはならないような神コメントをされたので、もはやどうどもいいと思い自分は介護を自動的にやってる。


 まさしく、血縁でも義理の親子でもない家政婦がプロとして職業としてやるような気概で彼女らに仕えている。


 神に仕える巫女と同じぐらいに奉仕の精神に溢れているであろう。


 その、一個の玉子をヴォリュームが少ないために目玉焼きにして、半分にして、羊腸ウインナと同じフライパンで焼いたそれを添えて食わせようと思っていたその時に、老婆ふたりして観ているテレビにそれが映った。


『塵山賞、曲草賞の受賞者おふた方のインタビューです!』


 塵山は男、曲草が女だった。


 もはやさしてクオリティ面では重要な賞でも無くなった二賞の受賞者の「世界観」とやらに胸糞が悪くなった。


「芸人としてリアルな笑いに向き合った私自身の経験を吐露しました」

「執筆のために島に移住し、島のひとたちとのリアルな繋がりを描き尽くしました」


 長閑なことだ、と思った。


「さて、暴力的に繁殖したアジサイを鋸で切らなくちゃ」


 わたしは庭に出た。

 ハンディ・タイプの鋸を持って目にはホームセンターで購入したDIY用のゴーグルをかけて。


 実母が「部屋に光が入らなくて嫌だ」と言う瓜科の雑草というかほぼ木のように既に植えてある樫の木に巻きついて太っとくなってる寄生植物みたいなそれを鋸で切ってやり。


 アジサイは花が咲いてようが咲いてなかろうが、花を花と思わずに傍若無人な他者を押し除ける人間を断罪するようなつもりで切り。


 枝やら葉やらは土に置いて朽ちるまでに任せる。つもりだった。だが、近所の目というものがある。虫がわいたり枯れる前にドロドロとヘドロ状になってしまったらクレームされかねない。


 わたしが。


 市の衛生課に連絡してゴミ収集をお願いするか、あるいは休日でも持ち込みならば処理してもらえる焼却場へ持っていくか、あるいは溜まってしまってどうにもならなくなった場合は最後の手段として民間の処理業者の工場まで車に積んで持っていくか。


 そこで、積載したままに車ごと乗れる計量器で重さを測定し、その後ゴミを荷下ろしした空の状態で車重を計測することによってゴミの重さを測り、「3,000円だよ」とたとえば指示を受けるままに料金を支払うようなそういう処理方法があり、わたしは、三番めのやつを選んで業者の工場に来ている。


「ほい、どうぞ。向こうの処理場までそのまま車で進んでくださいねー」


 工場の構内を本来なら貨物ではない人間を乗せるバックシートを倒して、乗せたくない汚物たるひとやまのゴミを乗せて匂いがついちゃうなあと詮無い愚痴を思いながら仕分けエリアに入った。


「お嬢ちゃん、でいいかい?」

「そんな年齢でもないですけど。既婚者ですし」

「俺より若ければ坊ちゃん、嬢ちゃんさ」


 その仕分け係の髭を生やした職員はわたしに気安く語りかけてきた。口も動かすが作業する手も止めない。


「お嬢ちゃん。俺の友達の話を聞いてくれるかい?」

「いいですよ」

「優秀な奴だった。学校の先生になりたいって言ってね。随分と色んな本を読んでたよ。小説でも本屋の平台に積んでるような奴じゃなくてもう誰も何年も触ってないぐらいに背表紙が色あせちまってるやつなんかを」

「へえ・・・」

「『人間を勉強しないと』って言ってたな。ただねえ、そいつはプレゼンが下手だったのさ。あるいはディベートが下手だった」

「プレゼンにディベート」

「ほら、今じゃあどこの企業も社員を採用する時に集団討論みたいなことやらせるだろ?先生の試験でもどうやらそういうのがあるらしいんだよなあ・・・」

「自分を売り込むんですよね」

「そうそう。そいつは真面目に考えちゃうんだろうなあ・・・自己評価をほんとうに真剣にしたら『40点です・・・』ぐらいに見積もって遠慮しちまうんだ。だから結局先生にはなれず仕舞いさ」

「今どうしてらっしゃるんですか」

「小説を書いてるよ。売れないけどね」

「・・・それで生活できてるんですか?」

「無理だわな。アルバイトしてるよ。まあ独り身だから」

「まだ先生の夢は」

「夢?」

「はっ、はい」

「夢なんてものはほんとの夢うつつだろう。そいつは頭がいいから俺はそいつの文章をよく理解できないが、ネットに載っけてる短編を読んだらすごくいいことが書いてあったよ。『虚構がリアルを救うんだ』とな」

「どういう意味ですか?」

「お嬢ちゃん。俺に解説を求めるのは酷というもんだろう。ただ、俺なりにああそうかな、って思ったのは、この世の現実ってのは誰かが自分の都合に合わせて作り出したものだ、ってことさ。だってそうだろう?神さまは今みたいな世の中を理想の世界だなんて思うはずが無いだろう?」

「そ、ですね」


 そこまで話して作業は終了した。わたしは彼に別れを告げて車を再びさっきの計量場所に向ける。


「はーい。3,650円になりまーす」

「どうも」


 支払いを終えてゲートを通過し、車を家へと向ける。


 嫌だ。


 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。


 帰りたくない。


 無意識と有意識でもって駄々をこね続けてきた老婆たちの元に戻りたくない。自分も歳を取るということを無視できるのならばとうの昔に介護を放棄していただろう老婆たちの元に戻りたくない。


 わたしは右折ではなく左折した。


 車を海に向けた。


 海に着くと、先客が数台あった。

 運転席に座りドアウインドウも下ろしたままで目の前の海を、ハンドルにもたれるようにして見ている男性。


 車から降りて砂浜をローファーで歩く女性。


 それぞれの経済的背景や社会的属性などには全く興味がないが、この夕暮れの時間帯に海に来ている、というだけで連帯を感じる。なにがしか同じように不遇に喘ぐわれらなのだというシンパシーを抱く。


 わたしは砂浜を歩いてみた。


 できるだけ波が引いた後の固まった部分を歩き、スニーカーのソールに砂が付着しないように気を配った。車の床を砂だらけにしたくないから。それは姑をバックシートに乗せて老人性うつの受診のために病院へ向かう時にクレームされないようにするための配慮だった。


 海の波は小高かった。


 見上げると丘の上に立つ灯台には既に灯りが点っている。


 家を出てくる前に見た文学賞授賞式の映像が思い出された。


 消えろ。


 本気でそう思う。


 文学賞も言わば本を売るためのプロモーションであり、小説家のお仲間内で好きに選んで勝手に褒め称えあってもらっていればそれでいいのだが、問題は自作のプロモーションが他作が読まれる機会を押し除けているという事実だ。


 知ったことではない。


 それがこの文学賞を演出する関係者たちの言い分だろう。自分の書いたワナビ小説がもっと人に読まれるようにしたいのならばもっともっと優れた小説を書けばいいだけの話だと言うだろう。


 一理あるさ。

 でも、二理も三理も摂理を無視している。


『競争とはそれをジャッジする側が完全に公平で忖度の余地を持たぬ人間たちでないと成立しない』


「あーあ」


 ため息ひとつ。


「あーあ。あーあ」


 ふたつ。


「あーあ。あーあ。あーあ」


 みっつ。


「あーあ。あーあ。あーあ。あーあ」


 よっつ。


「あーあ。あーあ。あーあ。あーあ。あーあ」


 いつつ。


 そこまで数えてわたしは最後に海に向かって呟いた。


「死んでしまえ」


 ・・・・・・・・・・・・・


 ジュンのこの短編は、全く売れていない月刊文芸誌の末尾に近いページにひっそりと掲載された。神保町の一番大きな書店にすら並ばないような文芸誌なのに、ネットニュースで大きな反響を得た。


 両文学賞の関係者たちによってディスられて。

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