第35話 文学的な恋をしよう
母親との子供の頃からの約束だったのでジュンは正直に報告した。
「お母さん。明日、男の子と出かけるんだ」
「あら」
「多分、『デート』ってやつだと思う」
「あら!あら!」
ジュンは幼稚園の頃に母親からこうからかわれた。
「ジュンが初めてデートする時、ちゃんとお母さんに言うのよ」
ジュンはにこにこしながらこう答えた。
「もちろん」
夕飯前から母子はなんとなく浮かれていた。
「ジュン。ちょっと明日着て行く服、見せて」
「いいよ、そんな」
「なに言ってるの。うんとかわいくしていかないと」
ジュンはくしゃっ、とした白のブラウスにEDWINの黒のスリムデニム。
それをサスペンダーで吊るして上にやっぱりダーク・グレーのジャケットを羽織るコーディネートを披露した。
「かわいくない」
「大丈夫。これ被るから」
ジュンが、くるん、と手のひらで反転させて、髪に乗っけた。
「ベレー帽?」
「そう。ラズベリーの」
ジュンの母親は知っていた。
ラズベリー・ベレー というその美しい響きを。自分たちの青春の年代に、王子のようなファンタジーのようなアーティストが奏でた、同じ名前の曲があったのだ。
「足下もちゃんと見せなさい」
「じゃあ・・・」
ジュンはおろしたてのスニーカーを床に置いて履いて見せた。
「さくら色の、コンバース」
「あら」
母親が、うっとりする。
「きれいね」
だが、母親は更に妥協しなかった。
「ソックスは」
「へへ。裸足」
「・・・エロティックね」
翌日曜日のお昼近い時間帯。
それぞれの家の方向が真逆なので、ふたりは現地集合した。
「
「おはよう、ジュンちゃん」
どこか遊びに行こう、と誘ったのは古依から。
じゃあ、ここにしない?と提案したのは、ジュン。
「まさか三渓園とは」
「でも、横浜だし、いい選択でしょう?」
横浜の本牧にある広大な日本庭園、『
10代終わりのふたりがデートの場所として選ぶにしては渋いかな、とジュンも思ったが、せっかく古依とふたりになるのだったら、静かに話せる場所の方がいいな、と思ったのだ。
『どんなひとか改めて観察したいし・・・』
そういうかなり現実的な思惑もジュンにはあった。
けれども、古依の最初の一言でジュンのクールな姿勢はいっぺんに崩されてしまった。
「ジュンちゃん・・・そのベレー帽とピンクのコンバース・・・すごくかわいいね」
「あ・・・ありがとう・・・」
自分の頬が、さくら色を通り越してラズベリーほどの赤さにも染まるとは思ってもみなかった。
そして、古依がとてもストレートに、自分の今日魅せたいポイントを褒めてくれたことにも好感を抱いた。
けれども、黙ってしまう。
本当は古依のひととなりを把握するつもりで自らセッティングしたこの場所を活かしきれない自分。
『ダメだダメだダメだダメだ。沈黙しちゃダメだ。なにか話さないと、嫌われちゃう・・・』
「ジュンちゃん」
「へっ?」
「小説のこと、話してよ」
古依の促しにジュンは堰を切ったように語り出した。
自分が子供の頃に触れた文学の世界。
思春期になってからは人間というものを深く考えるきっかけとなったこと。
その内に、大切なひとへ向けて語りかけるように小説を書き始めたこと。
高校生になって『書かずにはいられない』という思いが強まり、文学部へ迷わず進学したこと。
今は前衛文学論の担当教授である三谷の小説をひとつの目標としていること。
しっかりと頷きながらジュンの語る言葉に耳を傾ける古依。
息を吸い込んだ時、思い出したようにジュンは言った。
「ご、ごめんね。わたしばっかり話ちゃって」
「いいよ。楽しいよ」
「ねえ、古依くん。訊いてもいい?」
「なに」
「古依くんの好きな小説は?」
見る見る顔を赤らめる古依。どうしたのだろうとジュンが思っていると。
「ジュンちゃん。笑わないでね」
「うん。笑わない」
「俺の好きな小説はね・・・黒柳徹子さんの『窓ぎわのトットちゃん』」
好意から恋に変わった。
一瞬にして。
『素敵・・・』
ジュンは古依の返答にココロから感動した。我慢しないと涙すらこぼすかもしれなかった。
このひとだ、そうジュンは強く思った。
「ジュンちゃんは?」
「じゃあ、ブレンド」
「オーケイ」
古依がテイクアウトのコーヒーを買いに行ってくれた。
木立を歩き疲れてベンチに座るジュン。文学部らしく常に持ち歩いている布製のブックカバーを施した文庫本を開いた。
カシャ、と音がした。
『あ。写真、撮られた?』
外国からの観光客の男性ふたり組がスマホを覗き込んでいる。
おそらくジュンの画像を確認しているのだろう。
黒の上下にラズベリーのベレー 帽。さくら色のコンバース。
そしてチェック柄のブックカバーの文庫本を手にしていれば、おそらくアニメか何かの『文学少女』そのもののキャラに見えるだろう。黒縁のメガネでもかけていれば中二病レベルだったろう。
不用意な自分をしまったと思いながらも、見ず知らずのSNSに自分の画像が拡散されてしまうのではないかという恐怖が一気に募った。
「Excuse Me?」
男性ふたりの背後からコーヒーを両手にした古依が語りかけている。そのまま英語で話し続ける。
「すみません。他意はないと存じ上げています。けれども、彼女は自分の写真を撮られることに多分抵抗があると思います」
「けれども彼女はコスプレしてますよね?」
「いいえ。コスプレではなく彼女のごく自然なファッションなんです」
「そうですか。なら、尚更わたしたちは彼女に興味を抱きます。とても美しいコーディネートだ。写真を撮って日本のかわいらしい女性を紹介するのは差し支えないでしょう?」
「いいえ。ファッションを不特定多数の人に『魅せる』ことを前提にコスプレしているひとたちと彼女は違います。どうか、ご理解いただけませんか」
「ふうむ・・・分かりました。残念ですが」
男性ふたりはジュンの画像を削除する操作をした。
その様子を見てジュンはショッピング・モールのフード・コートでストーカー男から助けてくれた高校生男子のことを思い出していた。
『あの子が大きくなったら、きっと古依くんみたいになるんだろうな・・・』
言葉は途切れがちだったけれども、一日中ふたりははにかむような笑顔を途絶えさせなかった。
そして、古依が『そのこと』をジュンに告げたのは、夕日が差し込む帰りの電車の車内でだった。
がらん、とした電車で並んで吊革につかまりながら言った。
「ジュンちゃん。一年生の頃からずっと好きだった。付き合ってもらえませんか」
「はい」
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