第25話 忙しさにかまけよう

 ルーシーが繁盛している。


「ジュンちゃん!バイトの日、増やして!」


 唐沢からさわからこんなことを言われる日がまさか近未来で実現されるとは思っていなかったジュンは、しかしちょうど創作課程の課題小説提出の締め切りが迫っており、一旦は躊躇した。


「ダメかあ・・・」


 ため息とともにつぶやく唐沢。

 決して他人に対して無理難題を言わない唐沢がここまで切迫するほどにお客がのべつまくなしに来店していた。


 ジュンは、30秒考えた。


「マスター。出ます」

「おおっ!」


 しかしお話に入る前にどうして万年人払いの悪霊にでも憑りつかれているかのような純喫茶ルーシーにお客が急激に増えたのか。それを皆さんにお伝えしなくてはならない。


 街の導線が劇的に変化したのだ!


 本来ジュンたちの大学の文系キャンパスがあるこの私鉄線電車の駅は、対角線上に位置するモノレールの駅に完全にこの街のアクセス権を掌握されてしまっていたのだが、なんとモノレールのその駅が急行・準急行の通過駅となってしまったのだ。

 モノレールに急行・準急があるのもおかしな話なのだが、どうやら長らく赤字が続いていたらしく、目ぼしい施設といえばこの東京の外れの外れにあるジュンたちのマイナー大学だけなので、実質的に通学に使える運行数が激減してしまったのだ。


 かくして乗降客が極小だった私鉄電車のさびれた駅をジュンたちの大学の学生や、家賃が極めて安いこの街に根城を構える勤め人たちが突如乗降するようになった。


 その結果、


「しょうがない。ここでコーヒーでも飲んでくか」


 と、我らが純喫茶ルーシーがとうとう日の目を見ることとなったのだ。


 ところがジュンは大いに不本意だった。


「あれだけ売上増加策を講じて、結局外的要因で集客アップとは・・・」


 だが唐沢にしてみればそれはどちらでもよい話であって、むしろジュンが色々と動き続け、川の流れが淀まないようにしてくれたことで運を貰えたと感謝していた。


「あ。ジュン!」

「いらっしゃいませー」


「お、ジュン!頑張ってるなー」

「いらっしゃいませー。キミも頑張ってねー」


 学友たちがどんどん来店する。


「あ。ジュンさん。ここでアルバイトしてたのね」

「三谷教授。いらっしゃいませ。まさかお越しいただけるとは」

「少し書かせてもらっていいかしら」


 おお!とジュンは興奮した。


 三谷は知る人ぞ知るという作家ではあるものの、紛れもなくプロの小説家だ。


 小説家が喫茶店で執筆する。


 ジュンは三谷にねだった。


「三谷先生。もしご無礼でなければ、色紙を書いていただけませんか?」

「あら。わたしのなんかでいいの?誰も知らないと思いますよ?」

「そんな!三谷先生、この店は『純喫茶』です。きっと三谷作品の好きなコアなファンの聖地にすらなりますよ!」

「ありがとう。ではかわいい教え子のためですからね」


 三谷は青インクの万年筆でサインしてくれて、律儀にも『ルーシーさん江』と古式ゆかしい作法に則ってくれた。


「おーい、ウェイトレスさーん。こっちはブレンドとココアとアイスティーねー」

「はーい」

「こっちはアイスミルクとアメリカン。それからミックスサンドに焼きそばねー」

「はーい」

「おー。ジュンちゃん。繁盛してるね」

「上野さん、いらっしゃいませ・・・すみません、混み合ってて相席ならなんとか座っていただけるんですけど・・・」

「いいよいいよ。先客さんが嫌がるだろ。ここは常連の俺が我慢するよ」

「ほんとにすみません」


 いつも麻雀ゲーム機に興ずるサラリーマンも。


「混んでるね。じゃあ、また今度来るね」

「申し訳ございません」


 競馬新聞を読む老紳士も。ちらっと、店内を覗いていっぱいだと諦めて帰って行った。

 深々とお辞儀するジュン。


「マスター。繁盛はいいんですけど、常連さんがちょっとゆっくりできない感じですね」

「うーん。仮に座れたとしても常連さんが却って気を遣ってくださって早々に席を立っちゃうもんなあ・・・申し訳ないことだ」


 ただし嬉しい悲鳴であることは間違いなく唐沢はアルバイトをもう一人雇用することも考え始めていた。


「ジュンちゃん。男子と女子とどっちがいい?」

「どちらでも。わたしと同じ日にかぶるってことはないでしょうから」

「いや、それがさ。ウチはアルコールも出してるからさ。『ゼロ次会』の飲みに使うサラリーマンのお客さんが結構出てきてさ」

「『ゼロ次会』?」

「ほら。仕事帰りで駅にたどり着いたひとたちが居酒屋に行く前に一杯だけ軽くひっかけていくのにちょうどいいみたいで」

「うわー。お酒飲みって嫌ですねー」

「まあまあ。そしたらやっぱり平日の夜でもそれなりに忙しくて。アルバイト二人体制にしないといかんかもね」

「わかりました・・・でもずっとこんな感じですかね」

「うーん。まあ、経営者としてはそれを望むんだけど」

「マスター」

「はい」

「もし恒常的にこんな感じだとしたら、わたしの代わりに二人雇っていただいた方がいいかもしれません」

「えっ・・・」

「書けてないんです。小説が」

「ああ・・・そうだったね・・・」

「マスター、ほんとにすみません。勤務時間も色々融通していただいてたのに、わがままなことだってわかってるんですけど」

「いや・・・わがままじゃないよ。だって文学部で創作課程のバリバリ現役なわけだから」

「バリバリのワナビです」

「わかったよ。これ以上ジュンちゃんに負担かけるわけにはいかない」

「マスター。ほんとうにすみません。ありがとうございました」


 短い間だったが、ルーシーでの色々な思い出をココロに浮かべて、ジュンは潤む目を月を見上げることを言い訳にして電車に乗り込み、家路に着いた。


 一ヶ月過ぎた。


「えっ」


『急行・準急も当駅の停車を再開しました』


 モノレールの運行会社がそう発表した。


 ルーシーの売上が伸びるのと比例して、ライバル鉄道である私鉄電車の乗客数が極端に伸びたことに焦りを感じたモノレールの運行会社が、判断を翻したのだ。


 再びさびれていく私鉄電車の駅。


 再び閑古鳥が鳴き始める純喫茶ルーシー。


「マスター。暇ですねえ」

「小説書いてていいよ」

「いえいえ、勤務中にそんなわけには・・・あ、珍しくお客様が」


 ぐでー、としていたジュンが慌てて立って迎えるとそれは意外な客だった。


「三谷先生!」

「こんばんは、ジュンさん」

「三谷先生・・・どうして?モノレールは復活しましたよ?」

「ふふふ。わたしも物書きの端くれですからね。私鉄電車沿線の方が情景描写をそそられる風景が多いことに気付いたの」

「うわあ・・・素敵です!」

「それにこのお店も執筆意欲をそそられるわ」

「ほんとに嬉しいです!ウチの唐沢も喜んでおります」

「あら、ジュンさん。マスターに無礼ですよ」

「いえ、いいんです先生。ほんとにこちらこそ光栄ですから」


唐沢もカウンターの奥から愛想を振る。三谷は言った。


「それからねえ、ジュンさん」

「はい」

「もしあなたさえ嫌でなかったらあなたの書いたものを少し添削とかさせて貰ってもいいかしら」

「え!」

「偉そうで申し訳ないんだけれども・・・あなたが小説サイトに投稿している短編、いくつか読んだの。興味深いわ」

「あ、ありがとうございます!光栄です!是非お願いします!」


 その時、唐沢が顔を上げてもうひとりの来客に、いらっしゃいませ、と声をかけた。

 ジュンが驚く。


小寺こでらちゃん!」

「やあやあ、ジュン、頑張ってるね。三谷先生、こんばんは」


 こんばんは、と小寺に返す三谷の隣でジュンが小寺に問う。


「小寺ちゃん。こっちの駅だと遠回りだよ?」

「いやー。毎日は無理だけど、新宿とかに寄り道する時はこっちの方が便利だからさ。たまにお邪魔させてもらうね」

「ありがとう」


 続けて見知った常連たちの顔が何人も続けて入ってきた。


「あ。空いてますね。よかった」

「いらっしゃいませ」

「こんばんは。ひさしぶりですね」

「いらっしゃいませ。お越しをお待ちしてました」

「お。ジュンちゃーん。やーっとゆっくりできるよー」

「上野さん、こんばんは。色々ご不便おかけしました」


 なんとなく、みんな戻ってきてくれたことに感激したジュンは思わず言った。


「お帰りなさいませ、お客様」


 ぽかん、と間が空いて、それから上野が言った。


「ジュンちゃん。メイド服着なよ」

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