タンスの裏には

桜川 ゆうか

第1話

「明美! おばあちゃんが遊びに来ないかって」

「あ、うん。行く!」

 お母さんに呼ばれて、私はお母さんの携帯を借りる。

「もしもし、おばあちゃん?」

「ああ、明美ちゃん? 今度の15日と16日が、商店街の盆踊りだから、よかったらいらっしゃいよ」

「うん、行く!」

「早紀ちゃんも来るって言ってるから」

 早紀お姉ちゃんは私のいとこで、今は大学生。小さいころにたくさん遊んでもらった、大好きないとこだ。

「わあ、早紀お姉ちゃんにも会えるの? 楽しみ!」

「じゃあ、待ってるから、いらっしゃいね」

「はあい!」

 私は電話を切ってお母さんに返した。

 中学校に通い始めて、今は夏休み中。部活の合宿が8月の終わりにあるけれど、あとは宿題以外にすることもない。みんなはきっと、塾に行ったり、家族と旅行に行ったりするのかもしれない。でも、うちはお父さんが忙しすぎて、旅行の予定が立たない。要するに、自由研究を考えるのに頭を悩ませている点は別として、ほとんど暇で仕方ないのだ。

 おばあちゃんの家は、あまり遠くない。家から電車で2駅くらい。たいした距離じゃない。駅を出ると、坂道をずっと上らないといけないけれど、小さいころと違って体力がついてきたから、歩くのは別に苦じゃなかった。

 暑いので、家の近くで買ったペットボトルのコーラを飲む。炭酸がぱちぱちとはじけて、少し舌が痛い。味は好きだけど、最近、少し炭酸が気になるようになってきたから、今度は違う飲みものにしようかな。

 おばあちゃんのお友だちの家の前を数軒通り、ようやく目的の家の前に着いた。玄関のベルを鳴らすと、インターホンから声が聞こえる。

「待ちなさいね、今、開けるから」

 おばあちゃんの家の玄関のドアは、昔ながらの木の家らしい、木製のドアだ。ただ溝がある、普通のデザインなのに、なんだかおしゃれな感じがするのは、ニスがつやつやしているからかもしれない。

 カチャカチャ、と鍵が回る音がして、ドアが半分くらい開く。

「こんにちは」

 家から持ってきた紙袋を渡そうかと思ったけど、おばあちゃんがドアを押さえていたので、私は居間まで持っていくことにした。靴箱があって、その上に置きものがいくつか乗っている。そこにいったん、袋を置くと、私は靴を脱いでそろえた。スリッパは履かない。というのも、おばあちゃんの家は、いくつかの部屋が畳で、居間も畳だから。

 紙袋を持って上がる。おばあちゃんは、ピンクっぽい紫の、明るい服を着ていた。化粧はあまりしていない。ウィッグはつけているみたいだ。

 おばあちゃんがウィッグをつけるのは、最近知った。黒と灰色のパーマで、もじゃもじゃと膨らんで派手なんだけど、ぺったんこよりも若々しく見えた。

 廊下のつき当たり、左のふすまを開けると、炬燵と畳の部屋に入る。ここが生活の中心になる。私は紙袋とリュックサックを置くと、いったん奥へ入って、洗面所で手を洗った。

「さて、学校の成績はどうだった?」

 私はリュックから通知表を出して、おばあちゃんに渡した。学期が終わるといつも、お母さんに「通知表を持っていきなさい」と言われるから、必ず入れてくる。

「数学が3、国語は4、英語が4……」

 成績は普通だと思う。特に悪くはない。

「まあまあだね。数学はもうちょっと頑張ろうか」

「うーん、難しいんだよね」

「問題をたくさん解けばいいんだよ。わからなかったら、お父さんが教えてくれるよ」

「うーん、そうなのかなぁ」

 私は通知表を眺める。もう少し、か。

「できないと思わないで、できると思ってやってみなさい」

「はあい」

 アドバイスをもらったので、一応、素直にうなずく。

 そのとき、玄関のチャイムが鳴った。

「早紀ちゃんかな?」

 おばあちゃんがインターホンの画面を確認する。私はぱっと立ち上がった。画面は見えないけど、たぶん早紀お姉ちゃんだ。

「待ってね、今、開けるからね」

 やっぱり! 私はお姉ちゃんの顔を見に、おばあちゃんについて玄関に向かった。

 早紀お姉ちゃんは、長い髪をポニーテールにまとめていた。和装も似合いそうだな、と思う。

「やっほー! ヨーロッパ行ってきたから、お土産あるよ!」

 お姉ちゃんが持ってきたお土産は、チョコレートとペンダント。ペンダントは大きくて、なんだか貴族みたいで、私には合わない気がした。

「まだ明美ちゃんには早かったかな。まあ、そのうち似合うようになるよ」

 早紀お姉ちゃんは笑って言う。海外なんて、そんな頻繁に行く機会もないから、大人になって使えるお土産でも、悪くないかもしれない。

「ありがとう!」

 きれいな写真をスマホで見せてくれた。テレビや写真で見るような景色が、小さなスマホに収まっている。画面の中の早紀お姉ちゃんは、お友だちと一緒に、楽しそうに笑っていた。

「さ、そろそろ夕ご飯の買いものに行こうか。あんたたち、何、食べたい?」

「明美ちゃん、何がいい?」

 早紀お姉ちゃんは、自分が答える前に私に訊いてくれる。でも、どうしよう。急に訊かれても、何がいいかな。

 私がちょっと考えている間に、おばあちゃんはお化粧を始める。昨日の夕食は、野菜炒め、かぼちゃと焼き鮭だった。全然違う感じがいい。

「うーん、肉じゃがとか」

 おばあちゃんの肉じゃがは、おいしいし。

「肉じゃが? 早紀ちゃんもそれでいい?」

「うん」

 早紀お姉ちゃんは一度うなずいて、すぐにつけ足した。

「あ、あと生ハムのサラダが食べたい」

「あ、いいね」

 なんかちょっと贅沢な気分だ。

 そういうわけで、野菜や牛肉、生ハムを買いに行くことになった。おばあちゃんは、もう買うお店を決めているらしく、さっさと買いものようのガラガラを手に歩いていく。重たいものをたくさん買うとき、ガラガラがあると便利らしい。今日は私たちも、荷物を持てるけどね。

 おばあちゃんが外に出ると、不思議なほど必ず、だれかと会った。

「あら、菊池さん」

「あら、中島さん」

「こんにちは」

 私もあいさつする。こういうときにあいさつしないと、おばあちゃんにお説教されてしまう。

「あら、あなたたち、大きくなって。早紀ちゃん、もうすっかり、大人ね」

「大学生です」

「あら、そうなの」

 おばあちゃんは、菊池さんとおしゃべりを始めてしまう。私も早紀お姉ちゃんも、一緒にいると話題になるし、ときどき話を振られる。どこにも行かれないので、おとなしく近くにいるしかない。ちょっと長話になると、退屈なんだけれど。

 十分以上は話して、ようやく立ち話が終わり、私たちは買いものを済ませて帰る。そうしたら、今度は手を洗って、夕食の準備を手伝う。台所は狭いけれど、早紀お姉ちゃんはよく手伝っていて、インゲンの筋を取っている。

 場所がないのもあるけど、私には真似できないな、と感じてしまう。戸棚からお箸やお皿を出して、布巾を絞って炬燵のテーブルを拭く。合間にポットのお茶を飲んでいると、おばあちゃんが大きな器に入った肉じゃがをさし出してきた。

「これ、向こうに持ってって」

「はい」

 コップを置いて器を受け取ると、今度は早紀お姉ちゃんから声がかかる。

「ごめん、もう少しそっちに置いてくれる?」

 どうやらレタスをちぎるのを邪魔したみたいだった。

「あ、ごめんなさい」

 私はコップを脇にずらして、肉じゃがをテーブルに運んだ。早紀お姉ちゃんは生ハムを切り始め、おばあちゃんはお漬けものの袋を切って、小さな器に盛っていた。私はサラダをテーブルに運び、早紀お姉ちゃんがお漬けものを、おばあちゃんがしゃもじとお茶碗を持ってきた。

「明美ちゃん、おじいちゃん呼んできて」

「はあい」

 私はいったん、2階に行って、おじいちゃんにご飯だよ、と声をかける。おじいちゃんと一緒に下に降りるけれど、特に話が弾むわけではない。

「はい、じゃあ座って」

 お釜はおばあちゃんの座椅子の近くにあって、おばあちゃんが蓋を開けて、ご飯をほぐす。ご飯をよそって渡してくれた。

「いただきます!」

 おじいちゃんは、その場にいても、あまりしゃべらない。よくテレビを見ているけれど、何が好きなのか少し知っている程度で、どんな人なのか、どんな過去があるのか、未だによく知らない。

「おいしい!」

「いいお肉だからね」

「本当。うちだったら、こんな味にならないもん」

 早紀お姉ちゃんが、すごくおいしそうに食べている。私もお肉を食べてみると、少し分厚くて、とても柔らかくておいしいのがわかった。とろけそうだ。

「うん、おいしい」


 食事を終えると、おばあちゃんが私に浴衣を出してくれる。青い朝顔だ。

「それ、なんか見覚えあるなあ」

 私には似合わなそうな、赤い浴衣を出しながら、早紀お姉ちゃんが呟く。

「そりゃ、そうよ。昔、あんたが着てたんだから」

「あ、やっぱり?」

 早紀お姉ちゃんは、もう自分で浴衣を着ようとしていた。私は着られないので、おばあちゃんに着せてもらう。

「お姉ちゃん、すごい。自分で着てる」

「お茶やってるからね。これくらい、自分で着ないと」

 そういえば、早紀お姉ちゃんは茶道部だったっけ。


 盆踊りは昔から好きで、毎年、この時期に参加する。でも、なんだか最近、日本人が減って、外国人が増えた気がする。

 踊りの動きがぎこちなかったり、他の人をずっと見てたり、踊らないで屋台のところで騒いだりしている人もいる。小さい子は、踊り方がよくわからなくて真似しようとしているけど、周りの人が教えている。近くで浴衣を珍しそうにひらひら見せ合っているのは、たぶん韓国か台湾あたりの女性たちだ。

 早紀お姉ちゃんに続いて輪の中に入り、私は踊り始める。盆踊り大会はとっくに始まっていたけれど、後から参加していけないという決まりはまったくない。

 踊りを見ようとしている人たちに見せるくらいのつもりで、私は自信をもって踊る。次の曲、次の曲、とかかって、また最初に戻る。順繰りにかけられる音楽は、暫くはほとんど変化しない。

 ただ、最後は別だ。大会が終わるころになると、大人のペアの踊りなんかが始まってしまい、私はなんとなく知っている、くらいになってしまう。

「もう帰る?」

「うん」

 おばあちゃんの家に戻ったら、寝間着を用意して、そのままお風呂に向かう。浴衣を着るのは難しいのに、脱ぐのは簡単なんだから。


「おやすみなさい」

 2階の6畳の部屋に布団を敷いて、私と早紀お姉ちゃんはそこで寝る。おじいちゃんとおばあちゃんは、2人で別の部屋だ。

 大きなタンスがある6畳間に行くと、タンスの上に人形がたくさん置いてある。全部、おばあちゃんがつくった日本人形で、小さいときは、これが怖かったのを覚えている。

 タンスのほうを向いて横になると、ちょうど目のあたりに、タンスの隙間が来る。このタンスは3つがセットで、それぞれの間に隙間があるから。

 自慢ではないけれど、私はあまり寝つきがよくない。タンスのほうを見ていると、そのうち隙間に、奇妙な映像みたいな何かが見えてくる。夢なのか現実なのか。タンスの隙間の奥に、画素の低い、小人の葬式行列のビデオが上映されているかのように見えた。その画面は、ちらちらとして、はっきりした輪郭がない。ピンぼけしているような曖昧な感じだ。

 早紀お姉ちゃんはすっかり寝入ってしまっていた。私がもう一度タンスのほうを向くと、1人の小人が私に向かって、何か話しかけてきているように見えた。声が聞こえたわけではなくて、呼び掛けているように見えたのだ。

 私は、その映像が見えている隙間に、そっと手をさし込んでみる。直後、私は何かに吸い込まれるような、未知の感覚に襲われていた。

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