第18話 静かな庭

 レナとルイーズは古城の庭で二人並んで、レナが枯らせてしまった花の植え替えをしていた。

 苗は、エリックが急ぎ用意してくれた。

「ママはね、死にたくなかったと思うの」

 レナがポツリと言った。

「私に仕返しをしたいと思うのかい?」

 ルイーズの言葉に、レナは思わず大きなため息をついてしまった。

 もし、ルイーズの盛った毒で苦しむ母が目の前に居れば……

「そうね」

 間違いなく、母を守っただろう。

「でも、しなかったね」

「どうしてかは、分からないわ」

「今こうして二日も続けて、並んで花を植えている」

「それは、私が枯らせてしまったから……」

 まさか、悲鳴ひとつで全てを枯らせてしまうなんて。

 魔人が嫌われるもの、仕方が無いわ。

 レナは、再び大きなため息をついた。

「お前は良い子だよ」

「そうかしら」

「あの女は、こうなる事も全て知ってたんじゃないかと思うんだよ」



「ベル、私はこの子が大人になるまでは生きていないでしょう」

 ルイーズがアミラを殺そうとしたあの日、古城から街へ向かう馬車の中で、アミラは静かに語り始めた。

 毒殺を企てたのに、アミラは平然としてベルを馬車に乗せた。罰せられても、その場で殺されてもおかしくないのに、アミラは震えるベルの手を取り「私もお腹の子も大丈夫ですから、気にしてはダメです」と言った。

「それが誓いを破った私への罰です」

 その誓いを破らせたのは自分だ。

 ベルは何をどうして良いか、何を言えば良いのか分からなかった。

「そんな……」

「私に何かあったら、直ぐにこの子は父アンドレの元へ戻して下さい」

「はい」

 ベルは、これからのアミラ親子を思い涙が溢れた。

「いいのよ、ベル。泣くような事じゃないわ。これから、この子と二人、街で暮らせるのよ。城の窮屈な生活より、きっと何倍も楽しいわよ。楽しみだわ」

 そう言って、愛おしそうに大きなお腹に手を添えるアミラ。

「ジャメルとエリザでも、何とかできないのでしょうか」

「それが誓いを破ると言う事なの。ベル心配しないで。この子の為なら、何でも来出るわ。それが命を奪われるような事でも」

「私も、何でもいたします」

「ルイーズ様に、この子の名前を決めていただきたいの。ベルからお願いして貰えるかしら」

「でも、ルイーズ様は……」

「この子の、お祖母様よ。お祖母様から名前を頂いて、守っていただくのよ。名前とはそう言う物でしょ? 産まれてきて最初の贈り物をお祖母様から貰うのよ」

 そう言ってアミラは愛おしそうにお腹を優しく撫でていた。



「レナと言う名は、私が付けたんだよ」

「ますます分からない」

 どうして、殺そうとした人に、名付けを頼んだのだろう。

「そうだろうね、レナはまだ十三だものね、でも、多くの母親は命に代えてでも我が子を守るんだよ」

「そう……」

「私はアンドレを守りたかった」

「うん」

「レナが母親になる日まで私は生きていたいねぇ。アミラに毒を盛った時、私は自分が母親で有る事を忘れてしまっていたんだよ」

 ルイーズが手を止めた。

「兄に嫁いで来た魔人への嫌悪しか頭になかった。アミラのお腹の中に居る子供は、大事な我が子アンドレの子供だと言う事まで考えられなかった。だから、アミラが解いてくれた鉄の鎖を自ら繋いだんだよ。自分の血を引く者を殺そうとしたことを忘れない為に」

 レナも手を止めた。

「ママは、お祖母様を許したのかしら」

「さぁ、どうなんだろうね」

「ママなら許したと思うわ」

 これだけは確信が持てる。

「許すと言うよりも、全てを見透かしていたのかもしれないね。まぁ、そこがあの頃は気に食わなかったんだけどね」

「ママに会いたいな」

「そうだね」

 二度と会いたくない、そう言うかと思ったがルイーズは懐かしそうですらあった。


 レナが霊安堂に閉じこもったあの夜、古城から城まで連れて来られたルイーズは怒りで眠れなかった。

 誓いを破った報いだか何だか知らないが、我が子をこんな窮地に追いやって何をのうのうと棺の中で眠っているんだ。化けてでも出てきて我が子を救うのが親だろう。

 今になって、私に仕返しをしようと言うのか、今になって私から孫を奪うのか。

 十三年ぶり、城の自室での夜だった。

 エリザが毎日掃除をしてくれていたらしく、埃一つない部屋。

 棚の引出しを開けると、兄嫁を襲った時のナイフがまだそこにあった。

 もう、これしかない。

 十三年前の罪を、今償う時が来たのだ。

 ルイーズは夜明けを待って、ナイフを手に霊安堂に向かったのだった。



「レナ、この苗を魔力で咲かせてくれないかい?」

「嫌よ、お祖母様は魔力がお嫌いでしょ?」

「いいから」

 ルイーズが、レナの手に苗を押し付けた。

 レナは仕方なく、苗にそっと手を触れる。

 苗はみるみるうちに大きくなり、小さな花を咲かせた。

「おお、綺麗だよレナ」

「可愛い花ね」

「レナ、私は魔力と魔人が嫌いだ。でもね、こうやって素敵な事を起こせるのも魔力なんだよ」

 ずっと昔に気付いていたのに、気付かないふりをしていた事を、今始めてルイーズは言葉にした。

 魔力は悪い事ばかりではない。

 ジャメルとエリザの面倒を見ると決めた時、分かっていた筈だったのに。

「うん」

「なぜ、『百合の間』の扉を開けたんだい?」

「だって、お祖母様がナイフを……」

「扉は閉まってたのに、見えた?」

「あ……」

 そうだ、あの時扉は閉めていた。

 なのに、ルイーズの姿が、今そこにあるかのように見えた。

「きっと、アミラだね。それは、アミラの力だよ」

「ママ?」

「もう、お前の母を、もう二度とあの女と呼ぶのはやめるよ」

「お祖母様……」

「孫を私に残してくれた。見てご覧、こんな風に花を咲かせられるなんて事が出来る素敵な孫だよ。感謝しなきゃね」

 そう言って、レナを抱きしめた。

 追加の苗を運んできたベルが目にしたのは、泥だらけの手で孫を抱きしめる一人の老女と、困惑する孫の姿だった。

「何です、お二人とも服をそんなに汚してしまって」

 そう言われて初めて、自分達が泥だらけになってる事に気付いた。

「着替えなきゃ」

「川へ行くと良いよ、そこで洗えば良い」

「このお城に川なんてあるの?」




 その川は、苗を植え替えていた庭とは反対の場所にあった。

 レナは、冷たい川の水で顔を洗い、気持ちまでスッキリした。

「ママが、どう思っていたのかとかは分からないけど、私はここで生きていくしかないんだろうな」

 レナが出した、自分なりの答えだった。

「そうだね」

 レナの横で、川に足をひたしているルイーズ。

 その足には、この十三年間繋がれ続けた鎖の跡が痛々しく残っている。

「お祖母様、痛くないの?」

 ルイーズの足にそっと触れるレナ。

「アミラやレナを傷つけた事程、痛い事はないよ」

「もし、私が扉を開けなければどうなったんだろう」

「私は死んでただろうね」

「そうね……」

 やっぱり、隠してはおけない。

 隠し事はしたくない。

「どうかしたのかい」

「私、魔力で人を殺した事があるの」

「え!」

 驚いて川に落ちたルイーズの靴を、レナが川に入り拾った。

「物凄く腹が立って、でもビックリして、魔力で元に戻しちゃった」

「なんと……」

 ルイーズの足に、靴を履かせるレナ。

「ああ、いいよ自分で履けるから」

「慣れてるから大丈夫」

「え?」

 川から上がり、自分も靴を履くレナ。

「ママに履かせてあげていたの」

 最後の半年、アミラは自分で靴を履く事も出来なかった。

 靴くらい、幾らでも履かせてあげたのに。

 これ以上、私の大事な人から離れたくない、これがレナの本心だった。

 昔の恨みとか、そんなのもうどうでも良いじゃない。

「私にとって、お祖母様はそばに居て欲しい人なんだと思う」

「嬉しいね」

「もし、私が本当にお祖母様を恨んでいたら、扉は開けなかったと思う」

 ルイーズの目が、少し潤んだようにレナには見えた。

「この川の水で産湯を作る筈だったんだよ」

「え?」

「レナが生まれたら、この川の水を沸かして、産まれたばかりのレナの身体を綺麗する筈だったんだよ」

「へぇ…」

 レナは川の水をすくって一口飲んだ。

「うん、冷たくて美味しい」

 居るべき場所に戻ってきた、と言う事なのだろうか。

「そろそろ城に戻ろう」

「うん」



 ルイーズとレナは、残りの場所に何の花を植えるか相談しながら城に戻っていた。

「あの壁の下には赤い花を植えましょうよ、お祖母様」

「そうだね」

「東屋の周りは、白い花が良いわ」

「そうだね」

 ルイーズは上の空だった。

 そう言えば、あれは何処にあるのだろうか。

「お祖母様、どうかしたの?」

「レナ、ひとつ聞いて良いかい?」

「なに?」

「あの、ナイフなんだけどね」

「あ、お祖母様に返さなきゃ」

「いや、良いんだよ」

「でも……」

「あのナイフは、私の兄から貰った物なんだよ」

「じゃぁ、なおさら返さないと」

「いや、レナが持っていておくれ。いつか役立つ時が来るよ」

「じゃぁ大切にします」

「それとね」

「はい」

「レナが使っている部屋に入る前の廊下の奥の階段、あそこは出るよ」

 ルイーズは面白そうに、先に歩き出した。

「え? 出るって何が? ねぇ、お祖母様!」

「出るって言ったら、ひとつしかないだろう」

 やっと、祖母と孫らしくなれた、レナはそう思いながらルイーズの背中を追った。

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