第10話 ここで生きる
「今日は、霊安堂に行こうと思うの」
胸元には、アンドレから渡された美しい霊安堂の鍵が光っている。
これを身に着けていれば、母が傍にいてくれているように感じる。
森での事件から二週間、レナは少しずつ自分を受け入れられるようになっていた。
それでも、あの森での出来事が脳裏から離れる事は無い。
熱を出した、あの夜の事も。
自分がここに居て良いのかすらも分からない。
でも、ここには全てを分かって、受け入れてくれている人が居る。
ベルは足腰がすっかり弱ってしまったのか、散歩には付き合わなくなっていた。
それでも、針仕事や料理には相変わらず厳しい。
レナも、やるべき事に没頭している方が楽だった。
「では、東屋にお茶の用意をいたしましょう」
最近ではエリザが散歩に付き合ってくれる。
たった二週間で随分と気持ちが落ち着いたのは、エリザのおかげだ。
霊安堂は、時間が止まった死者達の世界。
そこへ足を踏み入れると、自分の時間も止まった気がする。
もう、このままここへ閉じこもってしまおうかとまで思う。
しかし、どこに居ても、あの日の事が消えるわけじゃない。
母アミラが魔人で、自分も魔人である事だって消えない。
「ねぇ、ママ。私はどうしたら良いんだろうね」
「レナ様はどうされたいのですか?」
東屋でエリザに同じ質問をした。
「どうしたいんだろう、私……」
とてつもなく広い庭をぼんやり眺めていると、見覚えのある男が花の世話をしていた。
「エリザ、あの人は?」
「庭番のエリックです」
「私、あの人知ってるんだけど……」
「アミラ様の葬儀の手伝いですね」
「本当はお庭番なのね」
「霊安堂の警護もしておりますよ」
エリザは、エリックに傍へ来るよう合図した。
「お呼びですか」
駆け寄ってきた男は、純朴な青年だった。
エリザは、お茶のお代わりを用意しながら、事も無げに行った。
「レナ様、この庭番エリックも魔人でございます」
「え!」
レナは危うくカップを落としそうになった。
「魔力はちっともありませんけどね」
エリックは、頭をかいた。
「あの、マ……母の葬儀の時は手伝って下さってありがとうございます」
「いえぇ、ヘマばっかりしてベル様に叱られてばっかりでしたんで」
エリックは、恐縮しながら自分の仕事に戻っていった。
「魔人でも魔力の無い人もいるのね」
「はい、そしてその逆もあります」
「そうなの!?」
「また、その話はゆっくり致しましょう」
「エリザってそればっかり」
「他にするべきことが迫っております」
どうやら、のんびりとお茶をしすぎたようだ。
ベルが息を切らせながら向かってきている。
「いけない! 歴史の時間だわ!」
レナは慌ててベルの方へ走っていった。
その夜ジャメルの部屋で、兄妹は久しぶりにゆっくりとした時間を過ごしていた。
「相変わらずエルザの淹れるお茶は上手い」
「ベル様、直伝だもの」
「静かな夜だ」
「そうね……」
最大の仕事はこれからだ。
二人は同じ事を考えていた。
街では、エヴァの家で騒動が起きていた。
ここ数日、妙な男が家の様子を伺っていたと言うのだ。
話を聞いた近所の屈強な男達が見張っているところに、怪しい男が現れ取り押さえられた。
「後から聞いて、本当に怖かったのよ」
「でも、何も起きなくて良かったよ」
心配して学校の帰りに立ち寄ったレオンに、エヴァは興奮気味に話した。
実はこの男、他にも女の子を襲っていたのだ。
次の標的が、エヴァだった。
「私、レナが帰ってきてた時、森を一人で通ったよの。危なかったわね」
「え? レナ帰って来てたの?」
レオンには、初耳だった。
「うん、直ぐにまた行っちゃったけど」
「元気だった?」
「ちょっと元気なかったかなぁ。でも、レナが森まで迎えに来てくれたの」
「女の子が一人で森には入っちゃいけないよ」
「うん、二度と入らない。レナに知らせなきゃ」
「レナは、どこにいるの?」
「え?」
そう言われて、レナに住所を聞くのを忘れた事に気付いた。
「僕には手紙もくれないんだ。だから手紙も送れないんだよ」
「私もよ」
「レナは一体どこで何してるんだろうね」
エヴァの家での事件は、直ぐにレナの耳にも届いた。
今すぐにでもエヴァの元に飛んで行きたいが、森での出来事を思うと城から出る勇気はない。
ジャメルが、エヴァの家で取り押さえられたのはあの森の男だとレナ伝えに部屋まで来た。
「私も顔を確認してきたので、間違いない」
どう言う事なのだろう。
「私が街に戻ったから、起きた事件では無かったと言う事?」
そうあって欲しいとレナは思ったが、ジャメルは気休めなど言う男ではない。
「それは違いますな」
「でも」
レナは食い下がった。
「あの男がエヴァを狙っていた事は、姫君には無関係でしょう」
「ほら!」
「しかし、あの日エヴァが森を抜けようとしたのは、姫君が街に居たからです。あの日、エヴァがあの家を目指さなければ、買い物をしなければ森を通る事はなかった」
ジャメルの言うとおりだ。
「あの日は、姫君が恐怖からなかった事にしてしまったので大きな問題にはならなかったが、次同じように行くとは限らない」
「そうよね……」
「我々魔人は、子供の頃から魔力をコントロールする事を親から教え込まれます」
そんな事言われても……。
レナは言葉をのんだ。
「しかし姫君は、そのお年までなにも教えられていない」
「どうしてママは、何も教えてくれなかったんだろう」
「それについては、いずれ……」
今、全ては話せない。
話せば、更にレナが傷付く事が目に見えてる。
ジャメルも苦悩していた。
知る者の苦悩だ。
言ってしまえば自分は楽になる。
「エリザもあなたも、すぐそうやって隠すんだから」
ふくれっつらのレナは、まだまだ子供だ。
「今からでも間に合うかしら」
「何をです」
「その、魔力をコントロールする事」
ジャメルはその言葉を待っていた。
こう言う事は、自発的でなければ上手く行かない。
「どうでしょうな」
「私、ここに居ていいのよね」
ジャメルにはレナの気持ちが痛いほど分かった。
エリザと共に、この城で引き取られたとき、ジャメル自身同じ事を言った。
「城の中で事件を起こさないのら」
あの時、ベルがした返事と同じ返事だ。
「できるかしら」
「心がけひとつかと」
「うん……」
部屋に飾られた花が少し元気ない。
ジャメルが、そっと花に触れる。
瞬く間に花たちは咲き誇る。
「エリザと二人、お手伝いする用意は出来ておりますが」
「私、二人をあんな目にあわせたりしないかな……」
「元に戻してくだされば問題ないでしょう」
エリザがお茶を運んできた。
「エリザ、姫君が我々兄妹の頭を吹き飛ばすおつもりだぞ」
「意地悪言わないでよ」
レナはすっかりいじけてしまった。
「兄は今まで私にも優しく言ってくれた事はございませんよ」
お茶を用意するエリザは、レナに微笑みかける。
「私、ここで生きていくわ」
この二人が居てくれれば大丈夫、レナにはそう思えた。
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