第8話 逃れられない

 アンドレから貰った霊安堂の鍵を首から外し、机の上に置いた。

 持って出る物は、何も無い。

 身一つで行くことにした。

 これ以上、城の中に留まる事は出来ない。

 外は土砂降りの雨だ。

 どこから出られるのか分からないけれど、何とかなるだろう。

 闇雲に歩いた。

 気が付くと、城の外に出ていた。



 城に来た日は迎えの馬車で来たので、どう行けば育った街たどり着けるのかも分からなかったが、道に迷って野垂れ死んでもかまわないと思った。

 前も見えない程の雨で、人の気配すらない。

 気が付くと、見覚えのある景色が広がる。

 この道を真っ直ぐ行って、左に曲がると学校。

 学校前の大通りを右に曲がって、坂を上がる途中に……家がある。

 母と十三年間過ごした家だ。

 数ヶ月ぶりに、家の扉に手をかけた。

 戻りたい、母が居た頃に戻りたい。

「ママ……」

 顔に降りかかる雨で気が付かなかったが、レナは泣いていた。

 泣きながら、扉を開けた。

「ただいま!」

 あの頃のように扉を開けた。


「おかえりなさいレナ。学校はどうだった?」

「ママ!」

「どうしたの、何を泣いてるの? ずぶ濡れじゃない。ママに話して」

 そうだ、母はここにいたのだ。

 ずっと、レナの帰りをここで待っていたのだ。

 城での事は、いや母の死そのものが夢だったのだ!


 ジャメルは雨の中、レナの後を歩いていた。

 この雨は、レナが降らせている。

 知らない道を闇雲に歩いているのに、かつて住んでいた街にたどり着いた。

 全てレナの魔力だ。

 どれほどの魔力を持っているのだ。

 他に悟られないよう、人払いだけしておいた。

 レナが家の中に入るのを確認して、暫く様子を見る事にした。

 が、直ぐに異変に気が付いた。

 死んだアミラを感じる。

 レナだ。 

 世界を変えようとしている!

 静観している場合ではなくなった。

 何とかレナの意識の中に入ろうとするが、全く出来ない。

 これは動くしかない。

「何をしてるんだ!」

 飛び込んだ家の中は暗闇で、レナが床に倒れていた。

「おい!」

 抱き上げるが、何の反応も無い。

 凄い熱だ。

 とにかく、レナの魔力をこの家の中だけに留める事には成功した。薄い雲の様な物が家の中をふわふわ漂っており、それがアミラに見える。

「アミラなのか?」

 雲がジャメルに微笑みかける。

 レナの魔力は途方も無い力を持っているようだ。

 熱で意識が無い中で、世界を自分の思うままにしようとし、死人まで蘇らせようとしている。

 熱を下げ意識を戻さなければ。

 ジャメルはレナを抱き上げ、ベッドに運んだ。



 エリザは兄の異変に気が付いたが、城を離れるわけには行かなかった。

 急いでベルの部屋に向かった。

「ベル様!」

「何ですかエリザ。ノックぐらいなさい。はしたない」

 ベルは、ここ数日ですっかり老け込んでしまった。

「申し訳ございません。火急にお知らせすべき事態が」

「アンドレ様には」

「今は申し上げると時ではないかと」

 残念だが、今アンドレにできる事は何もない。

「何です」

「レナ様が城を出られました」

「なんですって!」

「兄が後を追いましたのでそれは良いのですが、レナ様の魔力が強すぎて兄が手こずっているようです」

「エリザ、お前が助けてやれないのかい」

 ベルが外出の用意を始めた。

「私は城から離れるべきではないかと」

「そうですね。レナ様とジャメルはどこなの」

「街の家の方に」

「そうですか、直ぐに向かいます。馬車を用意させて、内密に」

「はい」

 エリザが出て行った後、ベルは色々な可能性を考えて荷物を用意した。

 その大きな荷物をエリザが、馬車に乗せた。

 雨は相変わらず、人を阻むかのような降り様である。


「では、行ってきますね」

 馬車は、音も無く走り出した。

 エリザは急ぎ兄の部屋に戻った。

 街の家の様子を探ってみるが、状況は良くも悪くもなっていないようだ。

 ベル様の到着が、間に合えばいいのだけれど。

「ベル様……」

 ベルはジャメル・エリザ兄妹にとって親のような人である。

 目を閉じると、故郷の景色が今でも手に取るように見える。



 二人の故郷は、魔人の村だった。

 山奥の森の中に魔人の先人達が作った村で、魔力を使う事なく静かに暮らしていた。

「過去など……」

 それに、あの村はもう跡形も無い。

 行き場をなくし、彷徨っているところを捉えられ、ベルの前に連れて来られた。

「魔人だと知れれば、人間に襲われ殺される」

 そう教えられてきた二人は、魔力で人を支配しようとしたが出来なかった。

「この城の中で魔力は使えないんだよ」

 現れたのは、小さなアンドレだった。



 ベルの気配を感じる。

 エリザが動いてくれたのか。

「アミラ、ベル様の前には現れるな」

 最初は雲のような存在だったが、時間を追うごとに姿がはっきりしている。

「アミラ、君は死んだんだ」

 レナの作り出したアミラが、ジャメルに迫ってくる。

 ベルが扉を開け飛び込んできた。共に一吹き込んだ風が、アミラを吹き飛ばした。


 ジャメルは、思わず吹き飛ばされたアミラに手を伸ばした。

「レナ様! ジャメル、何があったのです!」


 ベルは、ジャメルを部屋から追い出し、レナに薬を飲ませ着替えさせた。

 薬の効果と共に、レナが築きかけていた世界が薄れていく。

 静かに寝息を立て始めたレナを確認して、ベルが部屋から出てきた。

「さぁ、何があったのか話して頂戴」

 子供の頃も、騒ぎを起こす度にこうして前に座って問い詰められたものだ。

 思わず笑ってしまったジャメルに、ベルは顔をしかめた。


 レナの熱が下がったのを確認して、ベルは城へ帰っていた。

 ベルは、レナの傍に居ると言い張ったが、今はベルが居ることで話がややこしくなるのは間違いなかった。

 熱が下がり目覚めたレナは、一言も口を利かなかった。

 ジャメルも、あえて何も聞かなかった。

 レナは家中の窓を開け放し、数ヶ月で積もった家中のホコリを掃除し始めた。


「レナ! 帰ってるの?」

 やって来たのはエヴァだった。

 卒業の日に別れた時、二度と会えないと覚悟をした。

 本当なら嬉しい再会だったが、今は複雑だった。

「う、うん……」

「いつまれ居られるの?」

 エヴァにはレナの置かれた状況など、知る由もない。

「暫く居ようと思ってるのれ」

「私、今から訓練校なの、帰りにまた寄るわね」

「ケーキでも焼いておくわ」

「え? レナがケーキ?」

「上手に焼けるようになったのよ」

 城で生活していた日々を思い出す。

「じゃ、私美味しいお茶の葉を買ってくるわ」



 エヴァが無邪気に去った後、隠れていたジャメルが材料の買い物を申し出た。

「あなたの様な男がケーキの材料を買いに行くなんて、怪しいったらないでしょ」

 ここへ来て初めて、レナとジャメルが言葉を交わした。

「大丈夫よ、これ以上はどこにも逃げない。私の居場所はここだもの」

 レナがどのように事実を受け入れたのか分からなかったが、少なくとも今現在はレナの心が安定しているようだ。

 一先ずはレナの思うようにさせようとジャメルは決めた。

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