第6話 レナの部屋

 城での生活が本格的に始まった。


 用意された部屋は以前使っていた部屋よりも広く、天井が高かった。

「こんなに天井が高いと凄く声が響いて、歌うと楽しいわね」

 のんきな事を言っていられたのは、最初の数日だけだった。


 朝起きたときから、夜ベッドに入るまで全てが学びだった。

「ベル、こんな生活が一体いつまで続くの? レオンやエヴァに手紙を書きたいのに、書く時間もないじゃない」

 学校を卒業して城に着いた日は一日かけて父アンドレが城の案内をしてくれた。

 しかし、その後は食事以外でアンドレの姿を見る事がなかった。

「国王様は、何をしてらっしゃるの?」

 もっと親子の時間があるものだと思っていたレナは、生前の母の話をしようと色々準備していた。

「お父様とお呼びください」

 レナは、まだアンドレを父と呼べずにいた。

 13年間父は死んだものだと思い込んでいたのだ。

「どうしても無理なのよね」

 だからこそ、二人の時間が欲しかったのに。

「困りましたね」

 ベルは、どうすればレナがアンドレを父と呼べるようになるのか、頭を悩ませていた。アンドレが多忙な事は、ベルも分かっていた。


 が、レナの今緊急悩みは、そこではない。

「私も困ってるんだけど……」

「なんでしょう」

「この縫い物、いつ終わるの?」

 もう、何時間もたわいもない話をしながらエプロンの繕い物をしているのだ。

「全て縫い終わるまでですよ」 

「えええええ!」

 城中のエプロンを繕えと言うのだろうか。



 アンドレの執務室までベルが報告にやって来た。

 忙しいアンドレは、レナの様子をベルからの報告でしか知る事が出来ない事をもどかしく思っていた。

「順調といえば順調ですし、順調でないと言えば順調でないですわね」

「どう言う事かな」

 アンドレの顔には、疲労がうかがえた。

「おや、お疲れのご様子ですね」

「ちょっとね。まぁベルが心配する程の事ではないよ」

「だと良いんですが」

「レナの様子を聞かせてくれ」

 執務に追われるなか、心の安らぎはレナの事だった。

「なかなか城での生活はなじめない様で、なんとかこなしている、と言った所でしょうか」

「そうか……」

「嫌がっているようなご様子ではないので、大丈夫かとは思いますが」

「頼むよ。今の案件が落ち着けば、また時間が作れると思う」

「そう、お伝えしましょう」


 ベルと入れ違いでやって来たのはジャメルだ。

「ジャメル、そちらの世界はどうだった」

「いつもと変わらずですね。姫君の事も気付いていないようです」

「それは良かった」

 生活環境が一気に変わったのだ。

 これ以上の変化は、レナも受け入れがたいだろう。

「姫君は?」

「苦労しているようだよ」

「変わった事は」

「何も起きていない。やはりレナは普通の女の子だよ」

 そうは言ったものの、アンドレはジャメルの顔を見る事が出来ない。

「それは現実逃避と言うものだアンドレ」

「そうだな……」

 でも、まだ暫くは普通の女の子としていて欲しい。

「そろそろ私の出番でしょうか国王」

「いや、もう少し待ってくれ、時間はいくらでもある」

「分かりました」

 何よりもレナ本人が何も気付いていないのだ。焦る必要は無い。




「アンドレ様が来られましたら、ごきげんようお父様、ですよ」

「ごきげんよう、お父様」

 こうなると、お芝居の台詞のようだ。

 いつまでも言えないよりは、良いだろう。

「言えるかなぁ」

「言わなければなりません」

 数時間後、アンドレがレナを訪ねてくると連絡があった。

「レナ様とお茶をしたいそうですから、レナ様からお庭に散歩へ誘うのですよ」

「はーい」

「東屋にお茶の用意をさせましょう」

 どうして自分の父親に会うのに、こんなに形式を重んじるのか。

 自然じゃだめなんだろうか。

「それがお城の中での生活です。誰の目があるか分かりませんからね」

「そうだけど……あ、ジャメルが来るわ」

 扉がノックされ、ジャメルが入ってきた。

「レナ様、どうしてジャメルが来ると分かったのですか!?」

 ベルは入ってきたジャメルに見向きもしないで、レナに噛み付かんばかりの勢いである。

「ベル、一体どうしたのだ」

 ジャメルの言葉に、我に返ったベルは、お茶を用意しに出て行った。

「姫君、ご機嫌はいかが」

「良いわけ無いじゃない。もっと優雅な生活かと思ったら、勉強に針仕事に所作に言葉使いに」

「今までがなってなかっただけでしょう」

「失礼ね」

「ところで、ベルは何をあんなに興奮していたのでしょう」

 と言いつつジャメルは、レナの縫いかけのカーテンを見て失笑している。エプロンの次はカーテンなのだ。

「あなたの気配がしたから、ジャメルが来るわよって言っただけよ」

 レナは、ジャメルからカーテンを奪い返し、隅に押し込んでしまった。

「気配ですか……」

 まぁ、その程度なら大きな問題にはならないだろう。

「あのねジャメル」

「何でございましょう」

「ジャメルの家の歴史って何年?」

「どう言う事でございましょうか」

 レナが、分厚い大きな本を抱えてきた。

「これ、私のご先祖の歴史なんですって」

 コサムドラ国の歴史書である。

「この国の歴史書でございますな」

「そうなのよ、これを全部覚えろなんて酷いでしょ」

「覚えておかなければ、困るのは姫君ですよ」

「ああジャメル、あなたに相談したのが間違いだったわ」

 ジャメルの意地悪な笑みに、レナは背中を向けてしまった。

 そんなレナの中にアミラを見た。

 思わず、後ろから抱きしめたくなる衝動を抑えるのが難しかった。

「では、お勉強の邪魔にならないよう、私も退散いたしましょう」

 どちらにせよ、アミラが選んだのはアンドレだったのだ。



 眠気と戦いながら歴史書を眺めていると、ベルが入ってきた。

「おや、居眠りですか」

「違うわよ、ちょっと眠かっただけよ」

 レナ、再び歴史書に立ち向かうが、文字は眠気を誘う呪文にしか見えてこない。

「そろそろアンドレ様がおこしになりますよ」

 一気に眠気が飛んだ。

「おさらい、しておきますか」

 ベルの提案に、レナは慌てて居ずまいを正した。

「ごきげんよう、国王様」

 ベルの眉毛がピクリと動く。

「お父様、ですよ」

 ベルに訂正されて、レナは自分が国王と呼んでしまった事に気が付いた。

「ごきげんよう、お父様」

 レナ立ち上がり

「お父様、こちらへどうぞ」

 静かに椅子を動かす。

 ベルは満足気に見ている。

「お父様、実はベルに習ってカーテンを縫いましたの。見てくださいます?」

 と、裁縫台を見るが無い。

「あれ?」

 ベルも裁縫台を見て、目を丸くしている。

「レナ様。カーテンを、どこに仕舞われたのですか」

「仕舞った覚えは無い……。あ!」

 先ほど、ジャメルに笑われて、カーテンを隅に押し込んだのを思い出した。

 引っ張り出してきたカーテンは……

「シワだらけでございますね」

「どうしよう、ベル」

「このカーテンは、明日にでもシワを伸ばしましょう」

 扉をノックする音が、レナを怯えさせた。

「どうしようベル! もう来ちゃった!」

「仕方ありませんね、ありのままを見ていただきましょう」

 レナは、肩を落として扉を開けた。

「やぁ、レナ! 元気だったかい?」

「はい……」

「レナ様!」

 ベルにたしなめられて思い出した。

「ごきげんよう、こくお……父さま」

 今度は、ベルが肩を落とす番だった。

「お、お父様、こちらへどうぞ」

 静かに椅子を動かし勧めた。

 これは順調に出来た。

 が、ふと裁縫台を見ると、あのカーテンがそのままに。

「おや、レナ、カーテンを縫ったのか? 見せて欲しいな」

 万事休すである。

「あの、実は……」

 レナが広げたカーテンは、シワだらけである。

「お茶を入れて参りますわね」

 ベルは、逃げるように部屋から出て行ってしまった。

「おや」

 アンドレは、思わず笑い出してしまった。

 確かジャメルが、レナは家政が苦手だと言っていたな。

 あの家での数ヶ月が懐かしい。

 もし、私が国王などでなければ、あの家でアミラとレナの3人で普通の生活が出来たのだろうか。

 物思いにふけるアンドレの様子に、レナはアンドレが自分に落胆してしまったのだと思った。

「ごめんなさい」

 レナの言葉にわれに返った。

「どうした、何を謝っているんだい」

「こんな酷いカーテン……」

「いや、良いじゃないか」

「え?」

「出来上がったら、また見せてくれるかな」

「はい!」



 ベルの用意したお茶を飲みながら、この城に来てからのレナの生活の様子を聞いていたアンドレは、ふと大事な事を思い出した。

「そうだ、この部屋の事を聞いたかい?」

「いえ」

 レナには、何の事なのか全く分からなかった。

「この部屋はね、レナのお母さんアミラの部屋だったんだよ」

「ママの!?」

 お母様、そう言うべきだった。

 思わずベルの姿を探したが、どうやら席を外しているようで、叱られる事はなさそうだ。

「そうだよ。ここに有る家具や壁紙は、アミラが、産まれてくるレナと暮らすために選んだ物だよ」

「ママが……」

「事情があって、この部屋で長く暮らす事はなかったけど、アミラの思いが詰まった部屋なんだ」

 急に、部屋の隅々に母の思い感じられるような気がしてきた。

 いや、感じる、母はここにいる。

「このお部屋、天井が高くて歌うと楽しいんです」

「アミラも同じ事を言ったよ!」

 アンドレは当時の事を思い出した。

 そして、アミラを守ってあげる事が出来なかった不甲斐ない自分を呪い続けた事も。

「私、このお部屋大好きですお父様!」

 レナはアンドレに抱きついた。

 お茶のお代わりを持って入ってきたベルは、抱き合う父娘を見て驚きでお盆を落としてしまった。

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