71.豹変


「ふわあぁ……ねむねむぅ……あれ?」


 狂戦士の末裔ソムニアが大きな欠伸をしたときだった。


 まるでそのタイミングを見計らったかのように、オルドたちが一斉に駆け出したのだ。それも尋常ではないスピードで。すなわち、彼女たちはほんのわずかな間に置き去りにされる格好となったのである。


「ブラックスよりはやーい……って、感心してる場合じゃなかった。早くついていかなきゃ。もし任務に失敗したらお兄ちゃんが処刑されちゃうかもだし……あっ……」


 ソムニアが急に頭を抱えてうずくまる。


『ソムニア、ドウシタ?』


「う、うぅ……ねえ、ブラックス。痛い、頭が痛い、よ……とうとう来ちゃうみたい。が……」


『オオォ……コレハ珍シイ。マダ大シテ戦ッテモイナイノニ……』


 少女の中心で回っていた斧が驚いた口調で語り、旋回速度を緩めていく。それからまもなく、斧を手にしたソムニアがゆっくりと立ち上がった。


「殺す……殺す殺します、必ず殺してやる。ぶっ殺してやります、絶対殺してご覧に入れます叩き潰して差し上げますってんだよおおぉぉぉっ!」


 物騒な語り口とは裏腹にすっきりした表情で走り出すソムニア。その顔は、己を縛りつけるあらゆるものから解放された無邪気な子供のようであった。


『クククッ……血ダ……血ノ雨ガ降ルゾ……未ダカツテ誰モ見タ事ノナイ程ノナ……』


 迫りくる魔族たちの血と肉片を浴びながら、彼らはそれが豪勢な食事を控えた前菜であるかの如く、ただ前だけを見据えていたのだった……。




 ◇ ◇ ◇




『に、二度と復活できない、だと……?』


 大臣ジルベルトを見つめる魔王の顔面は異様なほど青ざめていた。


『左様でございます。信じる信じないはともかくも、魔王様の魂が勇者パーティーの一人に強化されたことで復活が早まったというのは事実であり、自ずと答えは見えてくるかと思いますぞ……?』


 ジルベルトの圧するような言葉に押されるようにして、それまで罵声を浴びせていた魔族たちは誰もが口を噤む。


『ジルベルト様、今のうちに早くお逃げに――』


『――ティアルテ、逃げる必要などないし心配はいらぬ。むしろ今がチャンスだ』


 不安そうなティアルテの小声に対し、そう自信ありげに話すジルベルト。


『さあ、どうしますか魔王様、魔族の長らしく、勇敢に華々しく魂ごと散って伝説となるか……それとも、今まで散々味わった享楽が忘れられぬゆえ、プライドを捨ててそれがしとトップを交代するか……』


『……ジ、ジィィッ、ジルベルト、貴様あぁ……』


 魔王の体が怒りのあまり打ち震え、触発されたかのように魔王軍が俄かに色めき立つ。


『殺せっ! 今すぐ殺せっ!』


『生意気なジルベルトを捻り潰せっ!』


『謀反人を即刻処刑せよ!』


『『『『『魔王様、ご決断をっ!』』』』』


 尋常ではない殺気が漂い始める中、ターゲットとなっているジルベルトにはなんら変わった様子もなく悠然としていたため、それが却って魔王軍の怒りを増幅させるのであった。


『魔王様、もう時間はあまり残されてはおりませんぞ。前者を所望されるのであれば、まずそれがしを裏切り者の象徴として木っ端微塵にして、勇者パーティーと相対して頂きたく申し上げ候……』


『ぬ……ぬうぅ……』


『『『『『まっ、魔王様!?』』』』』


 魔王が顔を真っ赤にしてその場にひざまずき、魔王軍から悲鳴に近い叫び声が次々と上がり始める。


『カッカッカッ……やはり体に染みついた酒の味がどうしても忘れられぬようで……ティアルテ、魔王様にこれ以上恥をかかせるわけにもいかぬ。介錯を』


『はっ……』


『グワッハッハッハ! これでまた美味い酒を――』


『――せいっ!』


 ティアルテが長剣を振り下ろして魔王の首が転がり、たちまち魔族たちのどよめきが周囲を埋め尽くしていく。そんな彼らを煽るかのようにジルベルトが魔王の首を拾い上げ、高々と掲げてみせた。


『見たか、腐敗しきった者どもよっ! これが魔王様の正体である! 同胞を見捨ててでも欲に溺れる者を長としたくば、今すぐあとを追って自決するか、それがしを襲うのだ!』


 ジルベルトの演説に対し、それまで殺気立っていた魔族たちが嘘のように静まり返る。魔王を失った彼らには、腐敗しきって自分というものがないからこそ、新たに拠り所となる者の誕生が不可欠だったからだ。


『魔王様と違って、それがしは死など恐れぬ! お前たちの先頭に立って戦う準備はできている!』


 しばらくして魔王軍からジルベルトの名を叫ぶ声が上がり、それは徐々に広がっていくのであった。


『ジルベルト様、さすがです……』


『ティアルテ、だから言ったのだ。心配はいらぬとな……』


 ジルベルトが魔王の首を放り投げ、それを奪おうとする魔族たちの怒号と歓声が入り混じる中、自分の骨だけの手を見つめる。


(魔族たちのトップが交代するには、魔王様が死ぬだけでなく、多くの魔族たちの支持が必要なのだ。いいぞ……力がどこまでも湧いてくる。素晴らしい、これが権力というものなのか……。いいぞ、これなら充分、戦える……)

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