第44話 しょんぼりと喜びと名付けと





 呻くエルドに救いの手ならぬ、救いの尾が差し出された。

 エルドに覆い被さり、執拗に頭を擦りつけていた蒼いアリは、サイファの尻尾の払いによって強制的に移動させられた。



「おい、そこの青いの。相棒が我慢してるからって調子に乗るんじゃねえよ。」



 少しだけ苛立つように言い放ったサイファは倒れているエルドの側に立った。

サイファの尾で薙ぎ払われた蒼いアリは少し蹌踉めきながら立ち上がると、赤い眼を滾らせ、サイファを睨めつけた。



「ギギィ!」


「おぃおぃ、苛だってんじゃねぇよ。苛立つのはこっちだっての。だいたい、怒られるのはテメエだろうが?エルドが退いてくれと言ってたのが聞こえてねぇのか?」


「ギギ?」


「本当に決まってるだろうが。嘘を吐いてどうすんだよ?」


「ギー・・・。」



 頭をガクッと落とした。気落ちしたのがありありと見て取れた。押し倒されたエルドは腕を使って起き上がり、頭を軽く払った。じっと体当たりを喰らわせた蒼いアリを顎に指を当て、何かを思い出そうとしている。

 起き上がって考え込むエルドにサイファが尾で頭をペシペシと叩いた。



「世話を焼かせんなよ。エルド、らしくもない油断するんじゃねぇ。」


「すみません、サイファ。それで頭を叩くの止めて貰って良いですか?」


「いいや、罰だ。甘んじて受け止めろ。」



 鋭い牙を見せて笑うサイファに仕方ないとばかりに肩を落としたエルドはすごすごと近寄ってくる蒼いアリに気付いた。

 薄い青色の身体が陽の光で金属の艶を思わせ、頭から2本の触覚が生え、今は地面に付きそうな程垂れ下がっている。左右に赤い宝石と思わせる眼が2個ずつあった。

 鋭く尖っている脚はその身体を支えられるような太さが無く、まるで小枝のように細かった。


 エルドがじっと見ていることに気が付いたアリは顔を上げると、また下げてしまう。エルドは先程とは打って変わった様子に思わず笑いが込み上げ、それを見たアリに手招きして呼び寄せた。


 手招きされたアリは少しだけ触覚が上がると、重そうだった歩みが軽快になった。そして、エルドの目の前で止まった。

 エルドは赤い宝石を見つめると、「ギギギ」と鳴いて蒼いアリは頭を下げた。エルドは訳が分からず、サイファを見上げるとそれを察したサイファが鼻で息を出しながら答えた。



「ごめんなさいだってよ。嬉しすぎて、我を忘れたとも言ってんな。」



 今のたった3音にそんなに意味があるのかとエルドはちょっとした驚きを覚えた。そして、まさにシュンとした感情を見せる頭を下げたアリが眼に入り、エルドは苦笑しながら、その頭を撫でた。


 ツルツルとした感触とひんやりとした冷たさ。エルドは好みの感触だったのか頬を緩ませて撫で回した。



「先程のはちょっと痛かったですけど、気にしないで下さい。それよりも・・・。」


「おーい、エルド!そろそろ腹が減ったぞー!」



 エルドがアリにここに来た理由を聞く前に、遠くからカーマが丸太を肩に乗せて、飯の催促を大声で言いながら近寄ってきた。

 どこかスッキリとした表情をさせてエルド達に近寄ると見慣れないアリに訝しげな視線を送った。



「んで、ソイツはなんだ?なんだかご機嫌な様子だが?」


「え?」



 声を掛けられたエルドは視線をアリに戻すと2本の触覚が嬉しげに左右に揺れていた。カーマの声に反応している間もエルドに撫で続けられたことで落ち込んでいた感情は何処かへ消えてしまったようだ。



「まぁ、いい。先に飯を作ってくれ。ソイツも付いてくるなら勝手に付いてこい。どうやら随分懐かれているようだしな。」


 からかうような笑いを浮かべてエルドにそう言うと、エルドから諦めた息が出て行く。


「じゃあ、あそこで地面と仲良くしてる親子もよろしくな。」



 カーマは丸太をその場に置くと家に向かって行った。エルドは撫でていた手を離すと、名残惜しそうに手を見つめ、触覚が垂れ下がった蒼いアリに苦笑を浮かべた。



「貴方も一緒に行きますか?」


 ぴょんと上がった触覚と頭を何度も縦に振った。その様子を見たエルドとサイファは倒れ伏している親子のところへと向かっていった。



 昼食後、いつものようにお茶を飲んでいるカーマはエルドから話を聞いた。ネルスラニーラからの依頼の途中で出会ったこと、シッカー集団との戦闘とその小細工を。

 それを聞いたカーマは盛大に笑い、腹を抱えていた。


「なんだ?その小細工にもなってねぇのは!!俺を笑い死にさせる気か?だったら致命的な一撃だったぞ!!」


 フェル村での出来事を話していなかったエルドはカーマに笑われると分かっていたため、達成出来た報告とその報酬のことしか話していなかった。


 本人ももう少し上手い罠を施せば良かったと、フェル村からの帰宅途中で思い至っていたのだ。

 恥ずかしさで頬を染めたエルドを見て更に可笑しくなったのか、カーマは涙が出そうになっていた。


「泣くほど笑わなくたっていいでしょうに・・・。私だってしょうもないことだって思っているんですから。」


「はぁ〜。面白かった。拗ねんなよ。悪かったって。んで、そのアリンコを助けたってことか。」


「そうなんですけど。あの時はこんなに大きくなかったはずなんですけどね・・・。」


「そうか。んで、ソイツをどうするんだ?」


「どうしましょうか?」


 エルドは頬を掻きながら困っていた。昼食の時でさえエルドから離れようとせず、触覚を嬉しそうに揺らしてずっと側にいる蒼いアリを無碍に扱えそうもない。

 見つめられている事に気付いた蒼いアリは頭をエルドに向けると、音符が周りに浮かびそうなほど嬉し気に触覚を左右に揺らした。


 カーマはクククと苦笑して、エルドに向かって口を開いた。


「そこまで懐かれてるんだ。ここに置いてやんな。」


「え?いいんですか?」


「あそこで白くなってる奴らも増えたんだ。今更、アリンコ1匹増えたところで何も変わらんだろ。それにお前が面倒見るんだしな。」


「良かったですね。あなたも一緒に過ごしましょう。」


「ギギギィ!!」


 エルドがテーブルより高い位置にあるアリの頭を撫でながら伝えると嬉しそうに鳴き声を上げたアリにカーマは興味深そうに見つめた。


(コイツ、もしかして・・・。)


 エルドは微笑みながら、蒼いアリの頭を撫で続け、思っていた疑問を口にした。


「にしても、あなたは私達の言葉が分かるのですね。言葉が通じないと思っていましたよ。」


「ギィ、ギギィ!」


 まるで通じている、分かっているとそう言うような鳴き声を上げ、揺れていた触覚が激しく上下に振られた。

 その反応を見たカーマが何かを確信し、頷いた。

 


「エルド、ソイツを連れて外に出るぞ。」


「?・・・。分かりました。」


 午後の訓練をするにしても早いなと疑問に思いながら、エルドは立ち上がりサイファとアリを伴って小屋から外に出た。



 カーマが玄関から少し離れた所で立ち止まると、エルド達も立ち止まった。そして、カーマが振り返り、指を指して指示を出した。


「エルドとアリンコはそことそこで向き合え、サイファはこっちに来い。」


 要領を得ないままエルドは指示に従って動くが、蒼いアリはエルドに付いていってしまう。

 エルドはカーマの指示した位置に行って欲しいとお願いすると渋々といった足取りで離れていった。


 所定の位置についたエルドと蒼いアリを見て、カーマは良しと頷いた。

 エルドとアリは互いに2mほど離れた位置で向かい合い、カーマとサイファがそれを同じく2mほど離れた横から眺めていた。


「エルド、ソイツもこれから一緒に暮らすことになるんだ。名前がないとは不便だからお前が名付けろ。」


「カ、カーマ様っ!?それはっ!!」


 サイファが驚いたようにカーマに叫んだ。叫び声に反応してエルドとアリがカーマ達の方に目を向けると、カーマがサイファを黙っていろと言わんばかりに睨みつけていた。


 エルドとアリは何が起きたのか分からず、疑問符が頭に何個か浮かんでいるようで、アリの触覚は2本ともその形に変わっていた。

 睨まれたサイファは仕方無しに口を閉ざすとカーマが表情を戻してエルド達に向き直った。


「師匠、名前を付けたらいいんですか?」


「あぁ、それでいい。」


 カーマは腕組みした右手の親指を上げて答えた。カーマに向けていた目を蒼いアリに戻すとエルドは考え始めた。


(女の子だからカワイイ名前を付けてあげないとな。彼女の特徴は何だろうか。)


 エルドはマジマジと蒼いアリを見ていく。

艶のある蒼い外殻。

赤い4つの眼。

2本の触覚。

鋭い6本の脚。

自分の胸まである体高と1mを余裕で超える体長。


 エルドは彼女を見つめ、ゆっくりと口を開いた。




「決めました。貴方の名前はルビーリア。」




 彼女はエルドから名前を告げられると嬉しさで身体が打ち震えてしまう。



「ギギーーー!!」



 そして、堪えきれなかった感情が叫びとなって辺りに響いた。



「良かった。気に入って貰えたみたいですね。」



 エルドには何と言ったのか分からなかったが、触覚が物凄い勢いで左右に揺れているのを見て安心したのだ。

 だが、彼女の“名付け”の儀式はこれからが本番だった。



「えっ?何が起こって?」



 ルビーリアの叫びが木霊している最中、彼女を中心とした半径1mの白く光る円から夥しい量の赤い粒子が噴き出したのだ。

 そして、1つだった円が中心に向かって数を増やしていく。円が増えていく度に粒子の噴き上がりが勢いを増す。


 だが、天に昇っていた赤い粒子が突如としてエルドに向かって襲いかかろうとエルドに向かって落ちていく。



「エルド、受け入れるな!押し返せ!」



 どうすれば良いのか、困惑していたエルドはカーマの怒声に反応して自らの魔素を生み出し、襲いかかる赤い粒子に対抗した。

 エルドの蒼い粒子とルビーリアの赤い粒子が互いを押し返し、侵略せんと激突する。



(お、重い。重さを感じないはずの魔素がこんなにも重くのし掛かってくるなんて。どういう原理だ!いや、他のことに気を回してる場合じゃないな。兎に角、押し返す!)



 エルドは余計な考えを捨て、眼前まで迫った赤い激流を押し返さんと自らの魔素を激しく生み出していく。

 困惑した分だけ差し込まれた赤い激流を蒼い粒子がじわじわと押し返していく。そして、互いの中間地点まで蒼い粒子が押し返すと、ルビーリアとエルドを繋ぐアーチ状の橋となった。



(良し、とりあえず五分まで戻したな。ここから一気に行かして貰おうか!)



 エルドは魔素を吹き出しながらもゆっくりと眼を閉じ、ゆっくりと開いたエルドの眼は蒼く染まっていた。



「いい加減、その赤いモノを収めて貰いましょうか。ルビーリア!」



 エルドの蒼い眼が輝くとルビーリアの赤い眼も燃えるように輝きを放った。

より一層激しくなる粒子のぶつかり合い。

 赤と蒼が互いに押し合うが徐々に赤が蒼に押し込まれていく。



「ギィーーー!」



 ルビーリアが負けないとばかりに叫び、僅かばかり押し返すが、蒼の粒子が一気にルビーリアに降り注いだ。

 蒼い粒子に飲み込まれたルビーリアは粒子の激しさに負けたように地面に伏した。エルドは赤い粒子が消え、自身の魔素がルビーリアを包んだのが分かると安堵の息を出した。

 が、そこにカーマの叱責が飛んだ。



「エルド、緩めるな!そのまま注ぎ込め!」



 エルドはカーマを見て、頷き、更に粒子の勢いを増加させた。

 何故、注ぎ込まなければいけないのか、何が起きるのか、これからどうなるのか、そんなことよりも師匠たるカーマの言葉にエルドは従ったのだ。



「ギ、ギ・・・。」



 エルドから注ぎ込まれた魔素に苦しそうな呻き声を上げたルビーリアにエルドは焦り始め、カーマに問い質した。



「師匠!ルビーリアが苦しそうなんですが!このままで大丈夫なんですか!?」


「問題ない!そのままだ!」


「いや、でも!」


「やかましい!そのままだ!絶対に止めるなよ!止めたら、あのアリンコは確実に死ぬぞ!!」



 事がここに至ったからには途中で止めるという選択肢は元々無かったエルドだが、カーマにそうまで言われては苦しそうに呻くルビーリアに構わず、魔素を生み出し注いでいく。


 呻いていたルビーリアの声が徐々に弱々しくなっていくと一番外にあった白い円が砕け、破片が舞って消えていく。そして、中心に向かって順番に砕け消えていくと、ついに中心のあった円が明滅し始めた。



「いいぞ、エルド!そのままだ!」



 エルドはカーマの言葉に反応せず、魔素をルビーリアに注ぐ事に集中していた。

 エルドの顔から汗が垂れ落ちる。ルビーリアの声が弱まっていくが、カーマの言葉を信じ、少年は更に激しく蒼い粒子を降り注がせた。



「来た。」



 カーマのその言葉が呼び水となったのか、中心にあった白く光る円が蒼に染まると、同時にルビーリアが頭を上げ、激しく叫んだ。

 ルビーリアの叫びはいつまでも響かなかった。

 突如、ルビーリアが白い光りに包まれ、宙に浮いたのだ。




≪魂の殻が破られた。これより新たな殻を形成する。≫




 代わりに威厳に満ちた男の声が響いた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る