第43話 成果と気合と空回りと
その日の天候は快晴だった。
午後になっても天候は崩れず、時折、雲が陽を遮るぐらいだった。暑気を含んだ空気は時間が経つにつれ、その暑さを増していた。
一行は午後の訓練のため外に出た。カーマはヴァーチとミロチに黒重鉄製の小剣と長剣を渡そうとするが、ヴァーチから待ったがかかった。
「カーマさん、大将が何やるのか俺も見てぇ!素振りはその後にして欲しいんだ。」
「カーマ姉ちゃ!ウチも!ウチも!」
拳を胸の前で作って、絶対見たいとアピールするミロチと懇願するヴァーチにカーマは手を振って「分かった、分かった」と返事をして同行させた。
食後、エルドがカーマに頼み事をするところを目撃した親子は、その雰囲気で何かが起こることを察知していた。
エルドの前に4人が集まった。エルドは全員が集まったことが不思議に思うが今は些事だと気にしないことにした。
「まさか4人の前で発表することになるとは思いませんでした。」
「そう言うなよ、大将。仲間外れは良くねえぜ?」
「そうだよ、エルド兄ちゃ!」
ヴァーチとミロチは何処かワクワクとした様子で、サイファはお座りの状態で待っていた。
カーマは腕を組んで仁王立ちしているが、その顔は弟子の新たな一歩を踏み出す瞬間を待ちきれないようだった。
「まぁ、外野のことは放っておけ。で、何を見せてくれるんだ?わざわざ時間を作ったんだ、半端なことはすんじゃねえぞ?」
カーマのセリフを受けたエルドは珍しく不敵な笑みを浮かべた。
「任せて下さいよ、師匠。」
陽の光が雲に遮られ、所々が明るく照らされている中、エルドは目を閉じ、深呼吸をして、逸る気持ちを落ち着かせた。
(大丈夫だ、出来る。俺なら出来る。お待たせしましたね、師匠。今こそ成果を見せるとき。)
少年が閉じた目を開けた。
煌めく粒子が陽の光に乱反射する。
飛び回る粒子が集まり、拳大の球体になっていく。
少年の周りを飛び始めた球体は1つ、2つと数を増やす。
そして、少年の胸の前に菱形に固められた粒子が浮かぶ。
少年が両手を広げた。
周りを飛んでいた球体が少年の身体から少し浮いて止まった。
額、肩、背中、肘、手の甲、腰、脚と。
胸に浮かんでいる菱形からそれぞれに回路を繋ぐように線が延びていく。
繋がれた線は1本だけではない。
少年の身体を覆うように幾何学的に結ばれていく。
菱形が少年の胸に沈み込むと、幾何学的な模様が少年の身体に浮かび上がる。
浮かび上がった模様はゆっくりと蒼く明滅し始めた。
そして、明滅と同時に腕や脚に見たこともない文字が輪を作り出す。
文字の輪が模様と同じ色で無作為に明滅し始めた。
少年の瞳孔と光彩が明滅する光と同じに染まった。
≪『魔紋・部分強化』が『魔紋』へと進化しました≫
辺りに優しく澄んだ女性の声が響いた。
エルドは眼を見開き、両腕を胸の前で畳み、手を握り締めると勢いよく空へと突き出した。エルドを中心に吹いた突風が周りの木々と見守っていた面々の髪と毛を揺らした。
周りの木々が揺れ、その木々に止まっていた鳥たちは慌てたように飛び去り、遠くから何かの叫び声が聞こえる。雲に遮られた陽はいつの間にかエルドだけに降り注いでいた。
歓喜の余り腕を突き上げたエルドにカーマが近寄り、頭をガシガシと乱暴に撫でなると、エルドは喜び一杯の笑みをカーマに向けた。
「やりましたよ!師匠!やっと出来ました!」
「待ち草臥れたぞ!だが、良くやった!流石、俺の弟子だな!」
カーマはいつまでもエルドの頭を撫で、エルドは髪が乱されようが気にせず、されるがままであった。
サイファは師弟の喜びようを見て、尻尾が左右にゆっくりと揺らし、その光景を眺めていた。ミロチは何のことか分かっていないが、「キレー、キレー!」と明滅する蒼い光をキラキラとした目で見ていた。
ただ、ヴァーチはハハハと乾いた笑いをしていた。
(あれが『魔紋』か・・・。俺の見間違えじゃなかったんだな。)
ヴァーチは全了戦で見たエルドの姿を思い出していた。
エルドとダリカが戦う前に離れていったとき、エルドの腕だけに入れ墨様な模様が浮かび、何かが浮かび上がっていたのを。
(俺はあと何回、驚けば良いんだろうな?俺が見込んだ通りとはいえ・・・。いや、この程度で驚いてちゃいけねえな。これが、コイツが俺達の大将だ。)
ヴァーチはまたもやエルドがもたらした衝撃をその心に刻み込んだ。そして、自分より格段に若い少年の強さに惹かれた。
昨日、打ちひしがれた男はそこには居なかった。
カーマが一頻り撫で終わったのか、手をエルドの頭から離した。エルドは髪が乱れているのも構わず、カーマを見上げた。そして、カーマが真剣な表情になり、口を開いた。
「エルド、言わなくても分かっていると思うが、敢えて言うぞ?今の速さで発動してたら実戦では使いモンにならん。となるとだ、今後の課題は・・・」
「即座に発動出来るように修練するということですね?」
カーマは表情を崩さず、エルドの返答に頷いて続けた。
「そうだ。それとその状態での加減を身に付けろ。0からの100、100からの0が出来てこそだ。つまり、“全力で制御しろ”ってことだ。いいな?」
エルドは重々しく頷いた。初めて真面に発動出来た喜びは束の間のもの。『魔紋』を修得してやっと、弟子としてのスタートラインに立ったに過ぎないとエルドはそう思っていた。
カーマはたった一言、エルドに伝えた。それは労うでもなく、褒めるでもない。彼女の喜びの言葉だった。
「俺はお前に出会えて本当に良かったよ。」
膝を地面に付き、カーマはそっとエルドを抱きしめた。エルドは急に包まれた柔かさに顔の温度が上がってしまう。
エルドの焦りを表すかのように腕と脚の周りを回っている文字の明滅が激しくなった。
「し、師匠!急にどうしたんですか!?なにごとですか!?」
「あぁ、なんか感極まってな。」
そう言われたエルドは無理矢理抜け出そうとすることも出来ず―そもそも抜け出せないのだが―どうにかカーマに離れて貰えるように「気持ちは伝わった」とか「もう十分です」など伝えるが、カーマが離れることは無かった。
エルドは見られていることへの羞恥なのか、唐突な出来事のせいか、顔を赤くさせてカーマにされるがままになるのだった。
どのくらいの間、カーマに抱きしめられていたのか。エルドの顔は茹で上がってしまった。そして、当の本人は満足したのか、漸く少年をその豊満な胸から離した。
そして、すっと立ち上がると大きく背伸びをした。エルドの頭上では、先程まで押し付けられていた大きな果実がぷるんと揺れる。
「さあて、俺は昼寝でもするかね。そこの親子はこの剣で素振りしな。」
先程までの穏やかな雰囲気とは打って変わっていつも通りの口調で、虚空に手を突っ込んだカーマは黒い長剣をヴァーチとミロチに向かって投げた。
2人の目の前に落ちた長剣はドスンという音を立てた。その音だけで黒い長剣の重さが伝わった。
その重さに頬がヒクつく親子だが、先程の見せた少年の姿が親子の心を奮い立たせた。しっかりと剣の柄を握り締め、持ち上げた。
重りの着けた両手、両足を震えさせながらもその闘志は眼が語っていた。
カーマはやる気を漲らせた親子を見やると不敵に笑った。
「いい顔になってきたな、お前ら。好きなだけやればいい。ただ、食事には遅れるなよ?エルドが怒るぞ?」
嫌な一言を残して去って行くカーマ。親子はそっとエルドに視線を向けるが、まだ顔が真っ赤な少年に今日は大丈夫だと気にせず素振りを始めていった。
その日の夕食は大酒を飲んだカーマにエルドとサイファが絡まれる一幕があったが、機嫌が良いときにしばしばあることなので、今日の出来事を考えると致し方ないと諦めて、師匠の晩酌に付き合うのだった。ヴァーチ親子は焦点の合わない視界の中、夕食を食べるまでが限界だったようで食べ終わった後、テーブルに突っ伏してしまった。
翌日
親子は帯剣したまま走りたいと自ら志願した。カーマに言われるがままやっていてはエルドに追いつくなどできないと朝方、親子で相談した結果だった。
親子からの申し出をカーマはやる気を見せた親子に応えようと、ヴァーチには黒重鉄製の大剣を、ミロチには黒重鉄製の小剣を笑って手渡した。
「そんなにやる気があるのは結構なこった。それなら、これも背負って走りな。」
と、自ら墓穴を掘ってしまう結果になったのだが。
親子は初日のよりも重くなった身体に四苦八苦しながら、杭の間を走っていた。だが、本人が走っているつもりでも周りには亀の歩みにしか見えなかった。
「お前ら、それで走ってるつもりか?朝見せたやる気はどうした!やる気は!」
カーマはエルドとサイファの模擬戦はせず、親子の訓練に付き合っていた。というのも、エルドが『魔紋』を獲得したことで、その発動を早める修練に集中させた方が結果的に自分が楽しめると踏んだためだ。
結果として、親子に更なる悲劇が襲いかかることになった。なぜなら、業を煮やしたカーマが時に介入してくるからだ。それもただ介入してくるのではない。
「だから、それで走ってるつもりかって言ってんだっ!」
何処からか持ってきたのか、何時から持っていたのか図太い丸太に指を食い込ませて背後から迫ってくるからだ。
親子は後ろから迫り来る恐怖の権化からあらん限りの力を持って逃げだそうと必死になるのだった。
時折、悲鳴と怒声と風切り音が聞こえる庭でエルドは地面に座り、考え込んでいた。
『魔紋』を即座に発動出来るようになるにはどうすればいいのか。無論、一足飛びに自分ができると思っていない。それでも、即座に発動し、且つ全力を制御する。
誰が聞いても無理難題と思われる目標なのだが、カーマから直に育てられているエルドに疑問はなかった。
(『魔紋』に必要な魔素をどうするかが問題か。相手に気付かれても意味が無いし。戦闘と平行しながら溜めるとかかな?いや、それだと・・・。)
エルドはああでもないこうでもないと考えていくが、実際の戦闘中に発動出来るのかどうか皆目見当も付かないため棚上げすることにした。
(考えても埒が明かないや。まずは魔素をある程度形にして出す所から始めよう。それから数を増やして、発動を早める。これでいこう!)
方針を決めたエルドは目を閉じて集中し始めた。本来は細かいはずの粒子を吹き上がらせずに球体にさせるそのことだけに重きを置いて。
エルドは掌を空へ向けた。掌から煌めく砂が舞い上がる。その形が徐々に纏まり始め球体へと変わっていった。
それを見たエルドは苦々しい顔をする。思い描いたとおりにはいかなかったからだ。上に向けて開けた掌を拳に戻すと光っていた球体が消える。そして、またエルドは拳を開いた。
(球体状態で出すんだ。どんなに小さくても良い。そこから始めよう。)
エルドは再度、試みるがまたもや粒子が舞い上がってしまう。何度か繰り返す内にエルドはこのままでは上手くいかないと悟る。
では、どうすればいいのか?エルドは握った手の中で球体を作ることにした。実際に目で見て、成功させる。
成功体験の積み重ね。失敗から少しずつ学び試行錯誤する。
エルドは繰り返した。少しずつほんの僅かにだが、成功への道を辿りながら。
どれ程繰り返したか数え切れない程、手を閉じては開いた。
太陽が真上からその位置を傾け始めた頃、エルドの掌の20cm上には拳より少し小さい玉が1つ浮かんでいた。
(ようやく出来た・・・。まず1つ。)
エルドは昼食も食べず、今までぶっ続けで訓練をしていた。そのおかげか1つだけだが球体で魔素を生み出すことに成功した。
(次は複数個を作り出すか、それとも速さを突き詰めていくか・・・。)
エルドはひとまずの成功を経て、次の段階を考えていた。唸りながら、どちらから先に手を着けるか考えていると森のほうから茂みをかき分ける音が聞こえてきた。
(ここに近付いてくる獣や魔物なんかはいないはずなんだけどな?一応、警戒しておこうか。)
山小屋を中心として切り開かれた地は“不帰の森”では如何なる者も近寄ってすらこない不可侵の領域となっていた。不用意に近付けば、己が命が代償となるのだから。
そして、その近辺の森でさえも不可侵領域の一部と化していた。
エルドは警戒しつつ、音がした方へ立ち上がって視線を向けた。
そして、木々の間から4つの赤い光がエルドを捉えた。エルドは手にスティングレイを持って足場を固めた。
しかし、出て来た者は恐る恐るといった様子で這い出てきた。
「あれ?貴方は確か・・・。ぐはっ。」
エルドは続き言う前に突撃され、押し倒された。自身の胸の高さまである蒼いアリに何故か頭を擦りつけられている。
擦りつけられる度にエルドは痛そうに顔を歪めているが、反対に蒼いアリは嬉しそうな鳴き声を上げている。そして、エルドは痛みに耐えながらどうにか止めて貰うように声をかけた。
「い、痛いので、ちょ、ちょっと退いて、くれませんか?」
エルドの願いは聞き届けられず、未だに頭を擦りつけられ、呻くのだった。
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